「おい、メトーデ」
北側諸国を移動する馬車の荷台。ガタゴトと揺れる中で、ゲナウは腕を組んだまま、不機嫌そうな声でパートナーの名を呼んだ。
「はい、何でしょう、ゲナウさん」
メトーデは本から目を離し、いつもの穏やかな微笑みを向ける。
「お前は身体が細すぎるな。……胸以外は」
あまりにもストレートな言葉だった。ゲナウの眼差しは極めて真剣で、そこには下卑た色など微塵もない。ただ、過酷な戦場を生き抜く戦士として、あるいは一級魔法使いの同僚として、純粋に相手の防衛力や体力を懸念している───そんな事実の指摘としてのトーンだった。
「ちゃんと食べているのか? 魔法使いとて体力が基本だ。そんな貧弱な体躯では、いざという時に足元をすくわれるぞ」
一歩間違えれば、衛兵に通報されてもおかしくないセクハラ発言。しかし、ゲナウ本人は自分の言葉が世間一般でどう受け取られるか、一ミリも理解していない様子だった。メトーデは一瞬だけ、ぱちくりと瞬きをした。 だが、すぐに彼の“無自覚な善意”を察し、その綺麗な唇をフッと綻ばせる。大人の余裕が、彼女の表情をより魅力的に見せた。
「あら、ゲナウさん」
メトーデは本を閉じ、少しだけ身を乗り出す。
「悪気がないのは分かりますが、大人の女性に対してそのような指摘をするのは、世間では“せくはら”と言うのですよ? もし他の女性魔法使い……そうですね、フェルンさんあたりに同じことを言ったら、冷たい目で見下された挙句、一生口をきいてもらえなくなるかもしれません」
「……何?」
ゲナウの眉間につなぎ目ができた。彼は本当に心当たりがないらしく、本気で困惑した顔をしている。
「私はただ、お前の栄養状態と戦闘時のバランスを……」
「ええ、分かっています。ゲナウさんは不器用ですが、とてもお優しい方ですから。わたくしの身体をそれだけ隅々までよく見て、健康を心配してくださっているのですね。───ふふ、嬉しいです」
メトーデはクスリと悪戯っぽく笑い、いたわるようにゲナウの顔を覗き込んだ。
「でも、安心してください。これでもゼーリエ様を満足ゆくまでなでなでするための体力は、常に万全に整えておりますから。胸の発育が良いのも、健康な証拠ですよ?」
「………ッ」
そこでようやく、ゲナウは自分が口にした“胸以外は”という言葉の、世俗的な意味合いに気づいたらしい。みるみるうちに、彼の強面な顔が耳の付け根まで赤く染まっていく。
「……くッ、余計な世話だったな」
ゲナウはバツが悪そうに顔を背け、フイと窓の外の景色に視線を固定した。腕組みをする力がいささか強くなっている。
「もうお前には二度と何も言わん」
「あら、拗ねないでください。これからはゲナウさんの愛の詰まった小言を意識して、お肉でも多めに食べるようにしますから」
「愛などない、 黙れ」
真っ赤な顔で静かに怒るパートナーを見つめながら、メトーデは(やっぱり可愛いところがある人ですね)と、心の中で楽しげに笑うのだった。
馬車が次の宿場町に着く頃には、すっかり日が落ちていた。二人が入ったのは、北側諸国特有の、質素だが温かいスープの匂いが漂う酒場だった。
「ゲナウさん、お隣よろしいですか?」
トレイを持ったメトーデが、カウンターの端で一人静かに飲み物を飲んでいたゲナウの隣に腰掛ける。ゲナウは一瞬だけ苦い顔をしたが、拒みはしなかった。
「……勝手にしろ」
メトーデがテーブルに置いた皿を見て、ゲナウはわずかに眉をひそめた。そこには、いつも彼女が頼むような軽めのサラダやパンだけでなく、この店の名物である大盛りの“猪肉の煮込み”がどんと鎮座していたからだ。脂の乗った分厚い肉が、湯気を立てている。
「お前の頼む量にしては、妙に多いな」
ゲナウが怪訝そうにつぶやくと、メトーデは嬉しそうに目を細めて微笑んだ。
「ええ。お昼にゲナウさんから『ちゃんと食べろ』と愛の鞭をいただきましたから。さっそく実践しようと思いまして」
「……だから、愛ではないと言っているだろう」
昼間の失言を思い出して、ゲナウはまたわずかに耳を赤くし、飲み物でそれを誤魔化すように喉を鳴らした。メトーデはナイフとフォークを器用に使い、大きな肉の塊を小さく切り分ける。そして、それを口に運ぶかと思いきや───あろうことか、ゲナウの目の前へと差し出した。
「はい、ゲナウさん。あーん、です」
「……何をしている」
ゲナウの顔が引きつる。
「わたくし一人では、どうしてもこの量は食べきれそうにありません。ですから、わたくしの健康を心配してくださったゲナウさんにも、責任を持って半分手伝っていただこうと思いまして。さあ、どうぞ?」
大人の余裕に満ちた、完璧な微笑み。断らせない圧がそこにはあった。周囲の荒くれ者たちの視線が、心なしかこちらに集まっている気がして、ゲナウは居心地の悪さに耐えかねたように深くため息をついた。
「……お前という奴は」
ゲナウはメトーデの手からフォークをひったくるように奪うと、突き刺さった肉を乱暴に口へと放り込んだ。
「これで満足か。……あとは自分で食べろ」
「ふふ、ごちそうさまです。ゲナウさんと食べるご飯は、いつもより美味しく感じられますね」
そう言って、メトーデは今度こそ自分の分の肉を小さく上品に口へと運んだ。ゲナウはそれ以上何も言わず、不機嫌そうな顔のまま飲み物をあおっていたが、メトーデが本当に肉をしっかりと完食するのを、横目で最後まで静かに見届けていた。
北部高原、生い茂る木々の隙間から、突如として禍々しい魔力が膨れ上がった。
「───ッ、メトーデ!」
ゲナウの鋭い警告と同時に、複数の魔力の弾丸がメトーデの死角から襲いかかる。回避は間に合わない。そう判断した瞬間、ゲナウは自らの身体を投げ出すようにして、メトーデの前に割り込んだ。どさりと、地面に二人の身体が倒れ込む。ゲナウは自らの大きな身体を盾にするように、メトーデへ完全に覆いかぶさっていた。
「……ゲナウさん!」
「俺に構うな、撃て!」
ゲナウの硬い声が響く。メトーデは彼の体躯の隙間から、迷うことなく杖を突き出した。放たれた鋭い攻撃魔法が、油断していた魔族の胸を正確に貫く。魔族は断末魔を上げる暇もなく、静かに魔力の粒子となってサラサラと空気中に消えていった。周囲に静寂が戻る。ゲナウは短く息を吐き、覆いかぶさっていた身体を少し起こした。
「大丈夫か、メトーデ」
「ええ、危ない所ありがとうございました、ゲナウさん。……ですが、その」
メトーデはいつも通りの冷静な声を保ちつつも、ほんの少しだけ困ったように眉を下げてゲナウを見つめた。
「片手が、わたくしの胸を思い切り掴んでます」
「────。……ぁ」
ゲナウは己の右手に視線を落とした。確かに、彼の大きな手のひらは、メトーデの豊満な胸の膨らみをしっかりと鷲掴みにしていた。
「───ッ!?」
下心など100%存在しない、完璧な無自覚。それゆえに、状況を理解したゲナウの動揺は凄まじかった。彼は弾かれたように飛びのいて手を離し、みるみるうちに耳の付け根まで顔を真っ赤に染め上げた。
「す、すまん。事故だ、他意は無いッ」
大真面目に、必死の形相で弁明するパートナー。メトーデは彼に悪気が一切ないことを完全に承知していたため、怒るどころかそのウブな反応が可笑しくてたまらなかった。しかし、ゲナウの不器用さはそこで終わらなかった。彼は赤くなった顔を誤魔化すように、ふん、と偉そうに腕を組むと、大真面目な顔でこう宣ったのだ。
「しかしその……やはり“それ”は大きすぎないか。少しは小さく出来ないのか」
彼にとっては恥ずかしさを隠すための言い訳ではなく、戦闘時の防衛面積を無駄に広げる突起物として、大真面目に身体構造を問題視した“戦術的な指摘”だった。これには、いかなる時も大人の余裕を崩さないメトーデも、一瞬だけ呆気に取られたように目を丸くした。
「ふふ……っ、あはははは!」
次の瞬間、彼女は鈴を転がすような声で、楽しそうに笑い声を上げた。魔族が消えた静かな森に、彼女の明るい声が響き渡る。
「……何が可笑しい。私は至って真面目に───」
「えぇ、分かっていますとも、ゲナウさん」
メトーデは目尻に浮かんだ涙を指先でそっと拭うと、まだ微かに肩を揺らしながらゲナウに歩み寄った。そして、わざとらしく自分の胸元に両手を当て、少しだけ上目遣いで彼を見つめる。
「自分の胸を小さくするような魔法は、さすがのわたくしも持ち合わせておりません。それに……小さくしてしまったら、ゼーリエ様をお抱えする時のクッション性が減ってしまうではありませんか。それは世界の魔法界にとって大きな損失です」
「なぜそこでゼーリエ様が出てくる……。お前のその、ちっちゃいものを愛でる悪癖はどうにかしろと言っているだろう」
ゲナウは頭が痛そうにこめかみを押さえた。いつもの奇行に話がシフトしたことで、ようやく彼の顔から赤みが引いていく。
「それに、ゲナウさん」
メトーデはさらに一歩、ゲナウとの距離を詰めた。彼女のまとう、甘く落ち着いた大人の香りがゲナウの鼻腔をくすぐる。
「先ほど、私の胸を掴んだ時の手の感覚……忘れないでいてくださいね?」
「……なッ、お前、それは事故だと」
案の定、ゲナウの顔が再びボッと赤くなる。
「ええ、事故なのは百も承知です。ですが、もし次にまた同じように魔族の不意打ちからわたくしを庇ってくださる時───その手の感覚を覚えていれば、『あ、ここはメトーデの胸だから、もう少し位置をずらして庇おう』って、瞬時に判断できるでしょう?」
メトーデは悪戯が成功した子供のように、いたずらっぽくウインクしてみせた。
「ですから、純粋な戦術的意味を込めて。……しっかりと覚えておいてくださいね、ゲナウさん?」
「………ッ。とにかく 撤収するぞ」
これ以上は精神が持たないと言わんばかりに、ゲナウは鋭い足取りで踵を返した。漆黒の外套を大きく翻し、逃げるように歩いていく彼の耳は、やはりまだ真っ赤に染まったままだった。
「ふふ。不器用で、本当に可愛いお方」
メトーデはそんなパートナーの背中を愛おしそうに見つめながら、その後にゆっくりと従うのだった。
あの事件から数日後。二人はまた別の宿場町に滞在していた。天井の低い、薄暗い酒場の片隅。ゲナウは一人、カウンター席で飲み物を喉に流し込んでいた。
「あら、ゲナウさん。お邪魔しても?」
ふわりと、あの時と同じ甘く落ち着いた香りが鼻腔をくすぐる。ゲナウが顔をしかめるより早く、メトーデはトレイを置いて彼の隣の席へと滑り込んできた。
「……またお前か」
「そんなに嫌そうな顔をしないでください。今日もちゃんとお肉をたくさん頼んできましたよ。ほら」
メトーデが楽しそうに指差した皿には、厚切りのステーキが湯気を立てている。ゲナウはそれを見て、数日前、森の中で自分の右手が掴んだ“柔らかい感触”を無意識に思い出してしまった。途端に、飲み物を持つ手がわずかに強張る。
「……よく食べて、少しは筋肉でもつけろ」
ゲナウは平静を装い、ぶっきらぼうに視線を逸らした。だが、メトーデはその一瞬の動揺を見逃さない。大人の余裕に満ちた笑みを浮かべ、ナイフで肉を小さく切り分けた。
「ええ、しっかりと体力をつけます。……ですが、ゲナウさん」
メトーデはフォークを置き、少しだけ上半身をゲナウの方へと傾けた。カウンターの狭い距離感。彼女の豊かな胸元が、ゲナウの視界の端にどうしても入ってしまう。
「お肉をたくさん食べて体力がつくのは良いのですが、その……心配なことがありまして」
「何だ。魔力の巡りでも悪いのか」
仕事の話かと思い、ゲナウは真面目な顔でメトーデを見た。メトーデはわざとらしく、困ったように自分の胸元に手を当てる。
「いいえ。たくさん栄養を摂ると、身体が“ふくよか”になるどころか、ゲナウさんのお嫌いな“ここ”が、さらに育ってしまう気がするのです。ただでさえ大きすぎて小さくしろと言われたのに……これ以上育ってしまったら、次の戦闘でゲナウさんがわたくしを庇う時、さらに掴みやすくなってしまいませんか?」
「ぶッ……!?」
ゲナウは口に含んだ飲み物を盛大に吹き出しそうになった。ゴホゴホと珍しく激しくむせ返り、慌てて口元を手の甲で押さえる。みるみるうちに、彼の強面な顔が耳の裏まで真っ赤に染まっていく。
「お、お前……人目のある場所で、何という破廉恥な話を……ッ」
「あら、破廉恥だなんて心外です。わたくしはただ、ゲナウさんがおっしゃった“戦術的な懸念”について、大真面目に相談しているのですよ?」
クスクスと、メトーデは本当に楽しそうに肩を揺らした。純粋な善意と堅物さゆえに自爆したゲナウを、こうして酒場の灯りの下でイジる時間は、彼女にとって最高に愉快な娯楽だった。
「……もういい、その話は終わりだ。肉を食え、肉を」
ゲナウは真っ赤な顔のまま、これ以上の防戦は不可能と判断し、飲み物を一気に煽ってコップを強めにテーブルに置いた。
「ふふ、はい。ゲナウさんの言う通り、しっかり食べて、しっかり“ここ”を維持しておきますね。ゼーリエ様のためにも、そして……不器用なわたくしのパートナーのためにも」
「もう黙ってくれないか……」
酒場の喧騒の中、またしてもメトーデに完璧にペースを握られ、一人で勝手に恥ずかしがっているゲナウの苦々しい声が弱々しく響く。そんなパートナーの様子を、メトーデは愛おしそうに眺めながら、上品に肉を口へと運ぶのだった。
End