「メトーデ、“立派な最期”とはどんなものだと思う?」
ゲナウの唐突な問いは、夜の帳が下りた荒野に静かに溶けていった。焚き火の爆ぜる音だけが、二人の間に流れる沈黙を埋めている。メトーデは手元で開いていた魔導書から顔を上げ、少し意外そうにパチクリと目を瞬かせた。それから、いつもの穏やかな笑みを浮かべる。
「珍しいですね、ゲナウさん。貴方がそんな感傷的な問いかけをするなんて。どこかお体が悪いのですか?」
「……ただの仮定の話だ。一級魔法使いといえど、明日をも知れぬ身なのは変わらん」
ゲナウは視線を焚き火の炎に向けたまま、表情を変えずに応じた。かつて、彼は魔族との戦いで相棒を失っている。その骸を前にした時、ゲナウはゼーリエに『立派な最期でした』と冷徹に報告した。それを見抜いたゼーリエから『お前は嫌な奴だ、優しさの欠片もない。ずっとそのままでいろ』と突き放された。
それが、実は傷ついた自分にこれ以上揺らがず生きてほしいという、師なりの不器用な突き放しだったとは気付きもしなかった。言葉を真に受けたゲナウは、あの日から心を殺し、無感情に徹するようになったのだ。メトーデは小さく息を吐き、膝の上で手を組んだ。
「そうですね。わたくしにとって『立派な最期』とは……誰かの記憶の中に、温かい温もりとして残り続けること、でしょうか。自分の死で誰かが生き延び、確かな光を残せたなら、それはとても美しい終わり方だと思います」
メトーデは愛おしむような目でゲナウを見つめた。
「ゲナウさん、貴方にとっての『立派な最期』は、任務を完遂して倒れることですか?」
「……いや」
ゲナウは自嘲気味に低く笑い、拳を強く握りしめた。メトーデと行動を共にし、彼女のどこまでも真っ直ぐな温もりに触れるうちに、頑なに凍りついていた心が、少しずつ解きほぐされていた。
「……嘘だ。あの日、俺が言った言葉はすべて嘘だった」
「ゲナウさん……?」
「相棒が死んだ時、俺はゼーリエ様に『立派な最期だった』と報告した。感情を排し、魔法使いとして任務を全うしたのだと自分に言い聞かせた。だが……そんなものはただの欺瞞だ。立派な最期など、死にゆく者が遺された者に強いるただの幻想に過ぎん」
ゲナウの声が、わずかに震える。
「本当は、立派でなんかなくてよかった。任務など失敗しても、不様でも、どんな姿でもいいから……ただ生きていてほしかった。死なずにいてほしかった。それが、俺の本音だ」
ずっと胸の奥底に押し込めていたドロドロとした本心を、ゲナウは初めて吐き出した。ゼーリエの言葉を盾にして、自分の弱さから目を背け、無感情の仮面を被り続けてきた日々の終わりだった。メトーデは目を見開き、それから、これまでになく優しい微笑みを浮かべた。彼女は立ち上がり、ゲナウの隣へと歩み寄ると、彼の無骨な肩にそっと自分の手を重ねる。
「気づけてよかったですね、ゲナウさん。ゼーリエ様が貴方を突き放したのは、貴方がその優しさのせいで戦場で折れてしまわないための、不器用な願いだったのでしょう。でも、もう心を殺す必要はありません」
メトーデは彼の顔を覗き込んだ。
「もし万が一、その時が来たら……わたくしは貴方の最期を、誰よりも美しく、立派なものとして記憶に刻みましょう。貴方が抱えたその不器用な優しさごと、わたくしが証明し続けます」
「……勝手にしろ。だが、俺より先に死ぬなよ。お前の言う『温もり』とやらを遺されても、今の俺には扱いかねる」
「善処します。でも、もしわたくしが先だったら、思いっきり撫でて、今度は我慢せずに泣いてくださいね?」
「断る」
ぶっきらぼうに返すゲナウの横顔は、心なしか先ほどよりも柔らかくなっていた。静まり返った夜空には、ただ無数の星が、二人の行く末を静かに見守るように瞬いていた。ゲナウは小さく息を吐き、再び焚き火の炎へと視線を戻す。その瞳には、もう過去の呪縛に囚われた冷徹な光はなかった。ただ、目の前で静かに燃える炎のように、確かな熱が宿っている。
「……天寿を全うするまでは、お前を死なせはしない、メトーデ」
ぽつりと言い放ったその言葉は、彼がこれまでの人生で口にした、どの決意よりも重く響いた。もう二度と、大切な者を失って「立派な最期だった」などという偽りの言葉で自分を騙したくはない。生きて、泥をすすってでも、隣にいる存在を守り抜くという、彼の新しい誓いだった。メトーデはその言葉を聞くと、驚いたように小さく息を呑んだ。それから、本当に嬉しそうに、まるで花が開くような極上の笑みを浮かべる。
「……ふふ。そう言われてしまっては、わたくしもゲナウさんが天寿を全うするまで死なせるわけにはいかないじゃありませんか」
彼女は重ねていた手に少しだけ力を込め、ゲナウの肩からその温もりを伝える。
「今度は貴方の隣に居るのはわたくしです。死がわたくし達を分かつまで、離れませんからね」
からかうような、けれど絶対に揺らぐことのない絶対的な拒絶と愛着が混ざり合った言葉。かつて相棒を失ったゲナウの孤独を、真っ向から塗り替えるような力強い宣言だった。ゲナウはメトーデの顔を見つめ、それから、観念したようにふっと小さく笑った。彼のそんな柔らかい笑みを見るのは、彼女にとっても初めてのことかもしれない。
「……勝手にしてくれ」
ぶっきらぼうな拒絶の裏にある、心地よさそうな諦め。二人の間に流れる夜風は、先ほどよりもどこか暖かく、そして穏やかだった。
───しかし、その誓いの重さを試すかのような試練は、あまりにも早く訪れた。翌日、二人が足を踏み入れた鬱蒼とした森の奥。そこに潜んでいたのは、一級魔法使いである二人をしても一筋縄ではいかない、極めて狡猾でしぶとい大柄な魔族だった。
「……はぁ、はぁ……っ!」
森の開けた場所に、メトーデの荒い呼吸が響く。彼女の衣服は裂け、全身に無数の擦り傷や打撲痕が刻まれていた。何より深刻なのは、その身に宿る魔力が完全に底を突いていることだった。回復魔法をも扱う彼女が、自身の傷を癒やすことすら叶わない。多彩な魔法を扱った反動により文字通りの魔力切れ。指先一つ動かすのにも、鉛のような重苦しさが伴う。
「メトーデ、下がっていろ」
前方に立つゲナウもまた、満身創痍だった。肩や脇腹から鮮血が滴り、地面を赤く染めている。致命傷こそ免れているものの、蓄積したダメージは限界に近かった。対峙する魔族も、ゲナウの繰り出した黒金の翼によって体の大半を損壊している。しかし、執念深くその瞳に殺意を宿し、最期の悪あがきと言わんばかりに不気味な魔力を練り上げていた。もう少しで倒せる、だが、その「もう少し」が果てしなく遠い。魔族の触手が、無防備なメトーデへと容赦なく襲いかかる。
「あっ……!」
魔力切れの体は思うように動かない。メトーデが目を瞑った瞬間、その視界を黒い影が遮った。
「言ったはずだ……お前を、死なせはしないと!」
ゲナウがメトーデの前に立ちはだかり、残された全魔力を注ぎ込んで《黒金の翼を操る魔法》を発動する。彼の身体に、禍々しくも気高き黒金の翼が身に纏われる。それは守りのためではない。敵を完全に屠るための、決死の突撃だった。
「おおおおおッ!」
ゲナウは自らの負傷をも顧みず、弾丸のように突き進んだ。魔族の放つ最後の反撃がゲナウの身体を切り裂くが、彼の突撃は止まらない。黒金の翼が鋭い刃となり、魔族の核を真っ二つに一閃した。轟音と共に、魔族の巨体が塵へと還っていく。それを見届けた瞬間、ゲナウの身体から黒金の翼が霧のように消え去った。彼もまた、すべての魔力を使い果たしたのだ。
ドサリ、とゲナウが膝をつく。魔力切れは完全に動けなくなるわけではない。しかし、肉体が負った大ダメージと、魔力の枯渇による激しい虚脱感が、二人の身体を容赦なく地面へと縫い付けた。二人は並んで、息も絶え絶えに地面に横たわる。血の匂いと、静まり返った森の空気。遠のいていく意識の中で、メトーデは隣のゲナウを見つめた。その瞳には、いつもの余裕はなく、かすかな涙が浮かんでいる。
「……ゲナウ、さん……。もし、このままわたくし達が、ここで死んでしまったら……」
メトーデの声は、今にも消え入りそうに震えていた。
「これって……『立派な最期』に、なりますかね……?」
限界を超えた痛みの前で、彼女の口から弱音がこぼれ落ちる。一級魔法使いとして任務を果たし、魔族を相討ちに近い形で仕留めた。世間はそれを、英雄の立派な最期と呼ぶかもしれない。だが、ゲナウは残された力を振り絞り、彼女の言葉を鋭く遮った。
「……どこが立派だ、馬鹿者が」
ゲナウは弱々しくも、確固たる意志を込めて一蹴する。
「不様に行き倒れるだけの死の、どこに誉れがある。お前は……天寿を全うするまで生きると言っただろう。こんなところで終わらせてたまるか」
「ふふ……本当に、厳しい人……」
メトーデは小さく笑った。その顔には、どこか安心したような色彩が戻っていた。……その時、森の木々の向こうから、カタコトと不器用な音が聞こえてきた。現れたのは、御者が慌てた様子で手綱を引く、一台の古びた荷馬車だった。近くの村へ向かう途中で、激しい魔法の光と音に気づき、様子を見に来たのだという。
「おい! 大丈夫か!?」
駆け寄る御者の声を聞きながら、ゲナウは小さく息を吐いた。
「……助かったな、メトーデ」
「ええ……。わたくしたちの寿命は、まだ先のようです」
二人は御者の手を借りて、血に塗れた身体のまま、荷馬車の荷台へと運び込まれた。揺れる馬車の中で、二人は互いの生きている温もりを確かめ合うように寄り添い、静かに目を閉じて近くの村へと運ばれていった。
カタコトと揺れる荷馬車に揺られ、二人がたどり着いたのは、のどかな小さな農村だった。村の唯一の診療所。並べられた二つのベッドに、ゲナウとメトーデは横たわっていた。
───数日後。ようやく魔力が回復し、自身の傷をすべて癒やし終えたメトーデは、自分のベッドから抜け出していた。まだ包帯姿のゲナウの枕元に寄り添い、小さな木製のスプーンで温かいスープを彼の口元へと運ぶ。
「ほら、ゲナウさん。あーん、してください」
「……断る。手が動かないわけではない。自分で食べる」
ゲナウは忌々しそうに眉根を寄せ、メトーデの手からスプーンを奪い取ろうとした。しかし、魔力切れからは回復しつつあるものの、身体に刻まれた深い裂傷はまだ完全に塞がっていない。少し力を入れただけで傷口が痛み、ゲナウは小さく顔をしかめて動きを止めた。
「だめですよ、まだ安静にしていないと。わたくしの回復魔法も、あなたの骨や筋肉の微細な修復までは一瞬では終わりません。ほら、大人しくしてください」
メトーデは困ったような、しかしどこか楽しそうな笑みを浮かべてスープを差し出し続ける。ゲナウはしばらく彼女を睨みつけていたが、やがて諦めたように大きくため息をつき、不器用に口を開いた。スープを飲み干すと、ゲナウはぶっきらぼうに呟く。
「……お前の方はもういいのか。魔力切れの反動は軽視するなと言ったはずだ」
「ふふ、ご心配ありがとうございます。でも、わたくしはもう万全です。こうしてゲナウさんのお世話をする心の余裕もありますから」
メトーデは器をサイドテーブルに置くと、ゲナウの額にそっと手を当てた。熱がないかを確かめる、いたわるような手のひらの温もり。
「……やはり、あの時貴方が守ってくださったおかげです。本当に、ありがとうございました」
メトーデの真っ直ぐな瞳に見つめられ、ゲナウは居心地悪そうに視線をそらす。
「……当然のことをしたまでだ。お前が天寿を全うするまで死なせないと、そう言ったのは俺だ」
「ええ、覚えています。だから、わたくしもこうして、貴方の隣で貴方を生かし続けます」
メトーデはゲナウの包帯に包まれた手を、両手でそっと包み込んだ。あの死闘の最中、死を覚悟した瞬間に交わした「どこが立派だ、馬鹿者が」という彼の厳しい一蹴。それが今、こうして二人で生きている温もりとなって、診療所の静かな空間を満たしている。
「ゲナウさん。わたくしたち、ちゃんと泥をすすってでも生き残りましたね」
「……ただの運だ。通りがかりの馬車がなければ、今頃あの森で干からびていた」
「それでも、生きている方の勝ちです」
メトーデは悪戯っぽく微笑み、ゲナウのベッドの端に腰掛けた。
「さあ、お腹がいっぱいになったら次は睡眠です。わたくしが隣で頭を撫でて差し上げますから、安心して眠ってくださいね」
「……絶対に拒否する。お前は自分のベッドに戻って寝ろ」
「冷たいですね。では、せめて手を握ったままで」
「それも断る」
口では容赦なく拒絶しながらも、ゲナウは繋がれたメトーデの手を振り払おうとはしなかった。窓の外からは、村の子供たちの無邪気な笑い声と、のどかな風の音が聞こえてくる。かつて心を殺し、無感情に任務だけをこなしていた男の隣には今、彼の不器用な優しさを誰よりも理解し、共に生きることを誓った頼もしいパートナーが微笑んでいた。
End