神技のレヴォルテとの死闘が終わり、静寂を取り戻したゲナウの故郷。魔族の脅威は去ったものの、遺体を引き取りに来るはずのノルム騎士団の到着は、手違いにより数日遅れることになった。
そのため、フリーレン一行とゲナウ、メトーデの5人は、村の中で比較的被害の少なかった民家に、暫しの間滞在することになった。薄暗いリビングの暖炉の前に、男二人が並んで座っている。
シュタルクは、包帯が巻かれた自分の腹をさすりながら、隣で相変わらず仏頂面をしているゲナウを見上げた。
「いやぁ、それにしてもさ。あの時は本当に死ぬかと思ったけど、ゲナウがいてくれて助かったよ。あの《黒金の翼を操る魔法》、めちゃくちゃ格好よかったな……! 男のロマンっていうかさ」
シュタルクは目を輝かせ、身振り手振りを交えて熱っぽく語る。
「それに、オレがレヴォルテの攻撃で吹き飛ばされて落下した時も、ゲナウ、すぐに飛んで助けに来てくれただろ? あれ、本当に嬉しかったんだ。……昔、俺にはシュトルツっていう、すごく強くて格好いい実の兄貴がいたんだけどさ。なんだかゲナウを見てると、頼りになる年上の“兄貴”ができたみたいでオレ、ちょっと嬉しいんだよね」
「……馴れ馴れしい奴だ。私はお前の兄になった覚えはない。それに、あの時お前を助けたのは、ただの戦術的な判断だ」
ゲナウは冷たく突き放すように言った。しかし、その視線はどこか柔らかく、シュタルクの傷を気遣うような無骨な優しさが滲んでいた。
ゲナウ自身、シュタルクのまっすぐさに救われた部分があった。戦いの中で、シュタルクはボロボロになりながらもゲナウを必死で守ろうと斧を振るった。それだけでなく、ひねくれた自分に対して「オレにはあんたがいい奴に見えるよ」と、一切の裏表なく言ってくれたのだ。
他人に忌避されがちな自分を真っ正面から認めてくれたシュタルクへの、彼なりの深い感謝と、確かな信頼がそこにはあった。
その様子を、部屋の隅で温かいお茶を淹れていたフェルンが見つめていた。彼女はトレイを持つ手にじわりと力を込めると、ツカツカと二人の前に歩み寄り、シュタルクの前に乱暴にお茶のカップを置いた。
「……シュタルク様。何ですか、そのだらしない顔は。レヴォルテ戦で共闘したからといって、調子に乗ってゲナウ様に迷惑をかけないでください」
「えっ!? いや、迷惑なんてかけてないだろ? ただ、ゲナウへの尊敬の気持ちを伝えてただけで……」
「知りません。ゲナウ様は一級魔法使いです。シュタルク様のような、すぐに泣き言を言う子供の“お兄さん”ではありません。そんなに構ってほしいなら、ひとりで壁に向かって素振りでもしていればいいのです」
フェルンはぷいっと膨れて顔を背けた。その頬はいつも以上に丸くなっている。
「なんだよフェルン、怒らなくたっていいじゃんか……」
「怒っていません。……ただ、少し不愉快なだけです」
あからさまに不機嫌なフェルンを見て、少し離れた席でハーブをいじっていたメトーデが、楽しそうに目を細めて近寄ってきた。
「あらあら、フェルンさん。シュタルクさんがゲナウさんにばっかり懐くのが、そんなに寂しいのかしら?」
「ち、違いますメトーデ様! 私はただ、シュタルク様の態度が不作法だと指摘しただけで……!」
慌てるフェルンをよそに、メトーデはクスクスと笑いながら、今度はゲナウの正面に音もなく回り込んだ。そして、ゲナウの座る椅子の肘掛けにそっと手をかけ、至近距離でその無愛想な顔を覗き込む。その目は、少しだけ拗ねたように細められていた。
「でも、フェルンさんの言う通り、ゲナウさんってば本当にずるいですね。わたくしだって、今回の任務で貴方のパートナーとして、もっと仲良くなりたいって思っていたのに……」
メトーデは、ゲナウの七三分けの髪を指先で悪戯っぽくいじりながら、楽しげに、しかし明確に彼に対して甘えるような視線を向けた。
「シュタルクさんにはそんな風に、不器用だけど優しい目を向けるのですね。彼が貴方を必死に守ったり、“いい奴に見える”なんて言ったりしたからって、わたくしよりシュタルクさんとばかり仲良くなっちゃうなんて、わたくし、なんだか嫉妬しちゃいます。……ねぇゲナウさん、わたくしのことももっと構ってくださいな。これ以上わたくしをのけ者にするなら、一級魔法使いの同僚として、容赦なく夜通しおしゃべりに付き合わせちゃいますからね」
「……おいメトーデ、妙な言いがかりをつけるな。離れろ。私は誰とも仲良くなったつもりはない」
ゲナウは心底迷惑そうに溜息をつき、顔をそむけた。しかし、メトーデは全く怯むことなく、さらに顔を近づけてクスッと微笑む。普段の無愛想の裏で、ゲナウがメトーデの容赦ない距離感にタジタジになり、耳の裏をわずかに赤くしているのを、彼女は見逃さなかった。
「メ、メトーデ!? ゲナウが困ってるから離れてあげて! それにゲナウ、オレのことちゃんと“仲間”って思ってくれてるんだよね……!?」
二人の距離の近さに赤面しつつも、ゲナウの言葉に少しショックを受けるシュタルク。それを見て、フェルンの怒りの矛先がさらに跳ね上がった。
「メトーデ様も、ゲナウ様をからかわないであげてください。シュタルク様、あなたもオロオロしないでください。最低です、お茶はもうあげません!」
「だから飲んでねぇよ! まだ一口も飲んでねぇよフェルン!」
リビングの真ん中で始まった、なんとも騒がしくて、どこか微笑ましい押し問答。ゲナウはメトーデの強引なペースに完全に主導権を握られ、困ったように視線を彷徨わせている。
その様子を、ソファに深く腰掛けたフリーレンが、お気に入りの魔導書を片手にじっと眺めていた。彼女の口元には、穏やかで、どこか楽しげな笑みが浮かんでいる。
「ふふ、みんな元気だねぇ……」
かつてヒンメルたちと旅をしていた頃も、こんな風にくだらないことで言い合いをして、笑い合っていた。
フリーレンは本をパタンと閉じると、お茶をすすりながら、面白そうに首を傾げた。
「ねえゲナウ、やっぱりモテる男の人は大変だね。一級魔法使いの仕事より、女性の機嫌を取る方が難しそう」
「……フリーレン、お前までくだらない冷やかしに加わるな」
ゲナウがさらに苦虫を噛み潰したような顔をするのを、フリーレンはどこ吹く風で受け流す。そして、ぷんぷんと怒っているフェルンの方を見て、いたずらっぽく笑った。
「フェルンも、そんなに怒らなくてもいいのに。シュタルクはただ、新しいお兄さんができてはしゃいでるだけだよ。……まあ、フェルンが不機嫌になる気持ちも、なんとなく分かるけどね」
「な、何がですかフリーレン様! 私は別に……!」
顔を真っ赤にするフェルンを横目に、フリーレンはどこか遠くを見るような、優しい目を浮かべた。
「昔ね、ヒンメルたちと旅をしていた時も、同じようなことがあったんだ。ヒンメルが町の人にすごく慕われて楽しそうに話していると、ハイターがなんだか少し寂しそうな顔をしてね。二人は幼馴染みだったみたいだし。……人間の感情って、たまにすごく複雑で、でも見ていて飽きないな」
フリーレンはそう言うと、満足そうに再び魔導書を開いた。
「ゲナウ、ここは諦めてメトーデとシュタルクに構ってあげなよ。二人に追い詰められるゲナウを見るの、結構面白いから。私は特等席で見物させてもらうね」
「……全く、どいつもこいつも私の一級魔法使いとしての尊厳を何だと思っているんだ」
ゲナウは盛大に溜息をついたが、その部屋に流れるあたたかな空気までは、拒絶しきれない様子だった。目の前で繰り広げられる人間たちの小さくて愛おしいやり取りを、フリーレンはただ優しく、そして誰よりも楽しそうに見守り続けた。
───滅ぼされた故郷の跡地、瓦礫が散乱する静寂の中で、フリーレンがふと足を止め、静かに言葉を紡ぎ出した。
「ゲナウの故郷を、花畑で満たしてあげたいな。……せめて、それくらいはさせてほしい」
突然の提案に一同が驚き、ゲナウもまた意外そうに目を見開く。しかし、かつての美しい故郷の面影を思い起こしたのか、彼は静かに、深く息を吐き出した。
「それは……願ってもない、有り難い事だ。頼めるか?」
不器用な彼の精一杯の感謝を受け止め、フリーレンは小さく胸を張る。
「任せてよ」
夕刻を迎えた空は、茜色と薄紫が混ざり合い、まだ辺りを明るく照らしていた。滅ぼされた故郷の中心に立ち、フリーレンが杖を構えて《花畑を出す魔法》を展開する。彼女の膨大な魔力が周囲へ優しく広がると、荒れ果てた大地から一斉に緑の芽が吹き出し、瞬く間に色鮮やかな花々が咲き乱れた。
風に揺れる美しい花畑が、かつての惨劇の跡を包み込んでゆく。誰もがその幻想的な美しさに息を呑み、胸を打たれる中、ゲナウの横顔を一筋の涙が伝い落ちた。その涙に気づいたメトーデが、そっと彼に歩み寄り、穏やかな声で話しかける。
「ゲナウさん……」
ゲナウは慌てて視線を逸らし、いつもの険しい表情を繕うように、ぶっきらぼうに言った。
「……目に、花粉が入っただけだ」
そのあまりにも分かりやすく、らしくない言い訳に、メトーデは思わずクスリと笑ってしまう。
「ふふ、何ですその言い訳は」
彼女は咲き誇る花々を見つめ、それからもう一度ゲナウに向き直ると、優しい決意を瞳に宿して微笑んだ。
「わたくし、フリーレンさんに《花畑を出す魔法》を教わろうと思います。……貴方の心をいつでも、少しでも和らげるように」
普段は冷徹な一級魔法使いであるゲナウだが、彼女の温かい気遣いに、今度は拒むような言葉を返せなかった。ただ夕暮れの花畑を見つめたまま、静かに、素直に言葉を返す。
「あぁ……そうしてくれ」
夕風が二人の間を吹き抜け、甘い花の香りが、ゲナウの傷ついた心を静かに癒やすように広がっていった。
End