葬送のフリーレン短編集   作:風亜

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番(つがい)を夢見て

 一級魔法使い、ゲナウの視線には、常に冷徹な観察眼が宿っている。それが彼の仕事であり、生き方だった。しかし、最近その視線が、特定の場所でわずかに熱を帯びて滞留することを、当の相手はとっくに気がついていた。

 

「───あらあら、ゲナウさん」

 

 任務の後、静まり返った木漏れ日の中で、メトーデがふっと振り返る。彼女の美しい後ろ髪が、まるで鳥がふんわりと羽を広げたかのように揺れた。そのシルエットをじっと見つめていたゲナウの視線と、メトーデの慈愛に満ちた瞳が真っ向から衝突する。

 

ゲナウは気まずそうに、しかし表情は崩さずにふいと目を逸らそうとした。だが、メトーデの方が一歩早い。彼女は音もなく距離を詰めると、悪戯っぽく、そしてどこか妖艶に唇の端を上げた。

 

「わたくしの後ろ髪が、そんなに気になるのでしたら……触れてくれても良いのですよ?」

 

 少しからかうような、けれど拒まない。大人の余裕を含んだ彼女の誘いに、ゲナウの喉が微かに鳴った。いつもなら「くだらん」の一言で切り捨てるはずだった。しかし、今の二人の距離は、かつての単なる“組まされた一級魔法使い同士”ではない。ゲナウは躊躇するように一度拳を握りしめ、それから、観念したように息を吐いた。

 

「……後悔するなよ」

 

 低い声が落ちる。メトーデが「え?」と小さく目を見開いた瞬間には、ゲナウの大きな身体がすぐ目の前に迫っていた。

 

彼は、指先で髪に触れるような繊細な真似はしなかった。まるで、手に入れた獲物を二度と離さないと決めた猛禽のように、あるいは、張り詰めた糸が切れてしまったかのように。ゲナウは思い切ってメトーデの背後へと回り込むと、彼女の豊かな後ろ髪ごと、その華奢な身体を後ろから力強く抱きしめた。

 

「ゲ、ナウ……?」

 

 余裕を崩さなかったメトーデの調子が狂う。予想以上の質量と力強さに、彼女の背中が小さく跳ねた。ゲナウはメトーデの背に胸を預け、鳥の羽のようにふんわりと広がる彼女の後ろ髪に、深く、深く顔をうずめた。

 

「────────」

 

 フワフワとしていて、驚くほどさらさらとした極上の触感。ゲナウは目を閉じ、その髪に鼻先を埋めると、すーっと深く息を吸い込んだ。彼女の髪からは、おひさまの温かさと、どこか落ち着く花の香りがした。いつも飄々としていて、自分をからかい、それでいて誰よりも深く自分を理解してくれる、メトーデの匂いだ。

 

「ゲナウさん……そんなに、深く……っ」

 

 耳元で聞こえる彼のせわしない呼吸と、髪越しに伝わる体温。メトーデの白い首筋が、じわじわと朱に染まっていく。いつもは攻め手であるはずの彼女が、ゲナウのあまりに直球で、甘えるような抱擁に、完全に形勢を逆転されていた。

 

………どれほどの時間が経っただろうか。ゲナウの強張っていた肩の力が、ゆっくりと抜けていく。いつも背負っている警戒も、過去の傷も、彼女のフワフワした髪に包まれている間だけは、遠い彼方へ消えていくようだった。そこにあるのは、絶対的な安心感だけだ。

 

「……お前の髪は、やはり」

 

 ゲナウは顔をうずめたまま、少し掠れた声で呟いた。

 

「心地がいい」

 

 その不器用で、どこか愛おしさに満ちた告白に、メトーデはついに完敗を認めるように、ふっと柔らかな笑みをこぼした。

 

「……ずるい人。そんな風に甘えられたら、引き離せなくなってしまいます」

 

 メトーデは、自分の胸元に回されたゲナウの大きな手に、そっと自分の手を重ねた。鳥が巣に帰るように、ゲナウが自分の髪に安らぎを見出してくれたことが、たまらなく愛おしい。

 

「いいですよ、ゲナウさん。気が済むまで、そうしていてくださいな」

 

 そう言ってメトーデが後ろ手で彼の頭を優しく撫でると、ゲナウは一瞬だけビクッと身体を震わせたものの、逃げ出すことはせず、さらに深く、彼女の羽(うしろがみ)の中に引きこもるのだった。

 

 

 メトーデの後ろ髪に顔をうずめ、その極上のフワフワ感と香りに包まれていたゲナウは、完全に油断していた。いつも世界を警戒している彼の鋭い神経が、彼女の温もりによって限界まで弛緩していたのだ。そんなゲナウの大きな背中を感じながら、メトーデは胸元に回された彼の手に重ねていた手を、そっと離した。

 

(いつも攻められてばかりでは、お姉さんの面目が立ちませんからね……)

 

 赤くなった頬を隠すように、メトーデは小さく息をつくと、後ろ手でゲナウの後頭部へとそっと手を伸ばした。

 

「ゲナウさん」

 

 優しく名前を呼びながら、メトーデの細い指先が、ゲナウの短い髪をすり抜け、後頭部からうなじにかけての境目に、そっと触れた。

 

「ッ……!?」

 

 その瞬間、ゲナウの身体が文字通りガタッと硬直した。メトーデの指先が、彼の後頭部の刈り上げを、優しく羽繕い(はづくろい)をするように小さく円を描いて撫でる。鳥の生態において、頭の後ろや首筋は、自分では毛づくろいができない絶対的な死角だ。

 

だからこそ、信頼した“番(つがい)”にそこを触れられ、優しく解きほぐされることは、最大の愛情表現であり───同時に、本能を激しく揺さぶる“特別な合図”でもある。限りなく鳥に近い魔力と性質を身に宿すゲナウにとって、そこはあまりにも無防備で、刺激の強すぎる弱点だった。

 

「ふ……ぐ……ッ」

 

 ゲナウの口から、声にならない掠れた吐息が漏れる。あまりの気恥ずかしさと、脳を直接痺れさせるような心地よさに、視界がチカチカと明滅した。ゾクゾクとした熱が背骨を駆け上がり、耳の先まで一瞬で真っ赤に染まっていく。メトーデの髪に顔をうずめたまま、ゲナウは彼女の肩口の布地を、ちぎれんばかりの力でギュッと掴んだ。

 

「あら? 随分と可愛い反応をするのですね」

 

 メトーデは、ゲナウの尋常ではない硬直と、耳まで真っ赤になっている様子を背中越しに察知した。しかし、彼女は手を止めない。むしろ、愛おしそうに目を細めると、指の腹でゲナウの後頭部を、優しく、優しく、何度も毛並みを整えるように撫でさすった。

 

「離、せ……メトー、デ……ッ」

 

 ゲナウは必死に理性を保ち、彼女を引き離そうとした。しかし、頭の後ろを愛撫される心地よさに身体の力が裏切ってしまい、言葉とは裏腹に、メトーデにしがみつく腕の力がさらに強くなってしまう。まるで「嫌だ」と言いながら、もっと撫でてほしいとねだる小鳥のようだった。

 

「ふふ、口ではそうおっしゃいますが、身体はとっても正直ですよ? ゲナウさん、心臓がものすごい速さで動いています」

 

 メトーデの言う通り、ゲナウの胸の鼓動は、まるで小さな鳥が羽ばたきを焦らせるようにトクトクトクと激しく打っていた。普段の冷徹な一級魔法使いの面影はどこにもない。ただただ、メトーデの指先に翻弄され、羞恥心と本能の狭間で溺れかけている一人の男がそこにいた。

 

「もう……限界、だ……」

 

 ゲナウはついに耐えかねたように、がばっとメトーデの髪から顔を引き剥がした。その顔は、今までに見たことがないほど真っ赤で、鋭い瞳はどこか潤み、荒い呼吸のせいで肩が大きく上下している。メトーデがゆっくりと振り返ると、ゲナウは恥ずかしさのあまり、彼女と視線を合わせられずに顔を背けた。しかし、その手だけは、まだメトーデの腰をがっちりとホールドしたままだ。

 

「メトーデ……お前、自分が何をしているか分かっているのか……」

 

 睨みつけようとするものの、真っ赤な顔のせいで全く威圧感がない。そんな彼の“完全に尻に敷かれつつある姿”を見て、メトーデは胸がキュンと鳴るのを感じた。悪戯のつもりだったが、あまりにも無防備で不器用な彼の本能を見せつけられ、彼女自身の鼓動も少しだけ速くなっていた。メトーデは、ゲナウの真っ赤な頬にそっと手を添えると、今度は大人の余裕を少しだけ引っ込めて、心からの愛おしさを込めて微笑んだ。

 

「はい。わたくしの特別な“鳥さん”の羽繕いをして差し上げたのですよ。……またいつでも、おねだりしてくださいね?」

 

 ゲナウはそれ以上何も言えず、ただフイと顔を伏せ、彼女の肩口に再び頭を預けてトクトクと高鳴る鼓動を落ち着かせようとするのだった。

 

 

 ゲナウの後頭部を優しく撫で、彼の激しい動揺をその背中で受け止めていたメトーデは、ふっと指を離した。ゲナウは荒い呼吸を整えながら、真っ赤になった顔を隠すように彼女の肩口からようやく頭を上げた。耳の先まで朱に染まったパートナーの姿を振り返り、メトーデはたまらなく愛おしいものを見る目を向ける。

 

……宿舎の二人きりの部屋。静寂が戻ったその空間で、メトーデはさらに一歩、ゲナウとの距離を詰めた。その瞳には、悪戯っぽいお姉さんの光だけでなく、どこか熱を帯びた、真剣なおねだりの色が混ざっている。

 

「……ゲナウさん。もう一つ、わたくしのお願いを聞いてくださいますか?」

 

「……これ以上、何を企んでいる」

 

 ゲナウはまだ警戒を解かず、掠れた低い声で応じる。メトーデはそんな彼の胸元にそっと両手を添え、上目遣いに彼を見つめた。

 

「企んでなどいません。……わたくし、先ほどの貴方の温もりに触れていたら、どうしても“前”のことを思い出してしまって。……もう一度、貴方の“黒金の翼”の付け根に、触れさせてほしいのです」

 

 “前”という言葉に、ゲナウの鋭い瞳が微かに揺れた。それは二人の関係がまだそれほど進展していなかった頃、とある激しい戦闘の直後のことだ。ゲナウが黒金の翼を操る魔法《ディガドナハト》を解除し、背中の翼を仕舞おうとしたその瞬間、メトーデが突如として彼を制止した。

 

『ちょっと待ってください、ゲナウさん。貴方の羽、よく見ると根本がフワフワですね。……触らせてください!』

 

 拒否する隙すら与えず、彼女は彼の背中に手を伸ばし、その驚くほど柔らかい綿毛の感触を無邪気に楽しんだのだ。あの時の、魂まで揺さぶられるような羞恥と衝撃を、ゲナウが忘れるはずがなかった。

 

「……断る。あれは不可抗力だと言ったはずだ。なぜ今、それを要求する」

 

 ゲナウはわざと冷徹な声音を作り、メトーデを上から見下ろすように凄んだ。部屋の空気が、一級魔法使いとしての重圧でピリリと張り詰める。

 

「メトーデ。あの時とは違う。……お前、それが“何を意味するのか”、本当に分かって言っているのか?」

 

 鳥の生態において、翼の付け根は、決して他者に触れさせない絶対的な死角だ。そこに触れることを許すのは、自らのすべてを委ねるという求愛───すなわち“番(つがい)”になる誓いに等しい。かつての無知な不意打ちならともかく、関係が進展し、互いの感情を自覚しつつある“今”、二人きりの部屋でそれをねだることがどれほど重い意味を持つか。

 

ゲナウは彼女の覚悟を問うように、鋭い視線を突き刺した。しかし、メトーデは怯むどころか、その頬をほんのりと桃色に染め、妖艶な微笑みを深くした。

 

「ええ、分かっていますよ、ゲナウさん。……それが貴方にとって、どれほど特別で、誰にも許さない場所であるかも。……だからこそ、わたくしに触れさせてほしいのです。わたくしでは、不満ですか……?」

 

 吐息が届きそうな至近距離。大人の余裕を少しだけ崩し、心からの熱を込めてねだるメトーデ。ゲナウはギリ、と奥歯を噛み締めた。冷徹な鉄仮面を貫こうとする理性は、彼女の真っ直ぐな瞳の前にもろくも崩れ去っていく。何より、彼の内に眠る鳥の本能が、「この者に全てを委ねろ」と激しく急かしていた。数秒の沈黙の後、ゲナウは観念したように、深く息を吐き出した。

 

「……お前には、本当に敵わん」

 

 ふわり、と部屋の明かりを吸い込むような漆黒の魔力が弾ける。ゲナウの背中から、鉄のように硬く、けれどどこか有機的な美しさを持つ黒金の翼が、比較的広い部屋の中でバサリと静かに広げられた。

 

「っ……!」

 

 メトーデの瞳が、歓喜と愛おしさで輝く。ゲナウはフイと顔を背け、真っ赤になった顔を隠しながら、ぶっきらぼうに告げた。

 

「……早くしろ」

 

「ふふ、ありがとうございます」

 

 メトーデは嬉しそうに微笑むと、今度はゆっくりと、愛おしむようにその両手を黒金の翼の付け根へと滑り込ませた。金属のような風切羽の奥にある、驚くほど温かく、フワフワとした極上の綿毛。そこに彼女の指先が触れた瞬間、ゲナウは小さく肩を震わせ、今度は逃げることなく、その甘美な羞恥を受け入れるのだった。

 

 

「……ッ、フ……」

 

 極上の綿毛に指を滑り込ませたメトーデの手のひらから、ダイレクトに体温が伝わってくる。ゲナウの口から、耐えきれないといった風な、掠れた低い吐息が漏れた。鳥にとって翼の付け根は、神経が集中する最も過敏な聖域だ。

 

そこを優しく、しかし確実にモフモフと揉み解される感覚は、ゲナウの脳の許容量を瞬時に超えていく。鋼鉄の硬度を持つはずの黒金の羽が、メトーデの指の動きに合わせて、まるで意志を持つかのように柔らかくフワッ、フワッと心地よさげに波打った。

 

「まぁ……ゲナウさん、言葉とは裏腹に、羽がとっても嬉しそうに震えていますよ?」

 

「黙れ……、一言余計だ……ッ」

 

 ゲナウは壁に片手を突き、かろうじて身体を支えていた。背後から攻め立てるメトーデに顔を見られないのだけが救いだったが、彼の耳の裏から首筋にかけては、隠しようもないほど真っ赤に染まっている。呼吸はいつの間にか浅く、速くなり、胸の鼓動がドクドクと部屋に響きそうなほど高鳴っていた。

 

メトーデにとって、このゲナウの“普段の冷徹さ”と“今の無防備な取り乱し方”のギャップは、あまりにも魅力的すぎた。いつもは「くだらん」と自分を突き放す男が、自分の指先一つで、震え、熱を帯び、声を変えている。

 

(ふふ、こんなに可愛い反応をされてしまっては……簡単に止めてあげるわけにはいきませんね)

 

 メトーデのちいさくて可愛いもの(モフモフ含む)を愛でたいという本能と、少しのサディスティックな悪戯心が、完全に火を噴いていた。

 

「もう充分だろう……早く、離れ……」

 

「いいえ、まだです。ほら、ここが少し凝っていますよ? ほぐして差し上げますね」

 

 メトーデはわざとらしくトーンを落とした甘い声で囁くと、さらに指先を深く潜り込ませ、羽の根元の、最も肌に近いデリケートな部分を、ゆっくりと円を描くように優しくマッサージし始めた。

 

「ふ、ぁ"……ッ!? 待て、メトー、デ……そこは……ッ」

 

 脳に直接電流が走ったかのような衝撃に、ゲナウの膝がガクリと揺れる。強靭な肉体一筋で戦ってきた一級魔法使いの力が、綺麗に霧散していく。背中の翼はメトーデの手のひらを包み込むように、本能的にきゅっとすぼまり、彼女を【番】として閉じ込めるかのような形になっていた。口では拒絶しながらも、身体と魔法は「もっと触れてくれ」と言わんばかりに彼女を求めてしまっている。

 

「本当に、素晴らしい触り心地です……。ゲナウさんがこんなに熱くなってくださるなら、朝までこうしていたいくらいですわ」

 

「ふざけるな……ッ、いい加減に、しろ……!」

 

 ゲナウは必死に腕を伸ばし、後ろのメトーデの手首を掴んで引き離そうとした。しかし、本能的な快感と羞恥心のせいで手元に全く力が入らない。逆にメトーデから「あら、そんなに強く握られたら、痛いですゲナウさん?」と、余裕たっぷりの声でからかわれる始末だった。無愛想のゲナウが、完全に一人の女の指先によって、なす術なくコンプリートされていく。部屋の窓から差し込む月光の中、ふるふると小刻みに震える黒金の翼と、限界を迎えて荒い息を吐き続けるゲナウの、静かで熱い夜はまだまだ終わりそうになかった。

 

 

 

End

 

 

 

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