葬送のフリーレン短編集   作:風亜

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北の鳥と南の焔

「……信じられません。魔族の置き土産が、これほど広大な空間転移の罠だったとは」

 

 メトーデは額の汗を拭いながら、陽炎の立つ赤い大地を見渡した。周囲は、北側諸国出身の二人には未知の領域である、容赦のない熱気に満ちた火山地帯。すでに水は底をつき、喉は焼け付くように乾いている。

 

「……無駄口を叩くな、メトーデ。体力を無駄にするな」

 

 ゲナウが忌々しげに言うが、その声にもいつもの威厳はない。上空を飛んで脱出を試みたが、上昇気流と熱風、そして希薄な酸素のせいで、飛行魔法の維持すら限界だった。歩くのすらやっとの猛暑が、二人の体力を確実に削っていく。

 

 

「ゲナウさん、合理的に考えましょう。このままでは重度の熱中症で死にます。まずは衣服を脱ぎ、体温を少しでも下げるべきです」

 

 そう言うや否や、メトーデはためらいもなく一級魔法使いの重厚な上着を脱ぎ捨てた。それどころか、シャツのボタンに手をかけ、一気に上半身を裸にしようとする。

 

「待てッ、 何を考えている、メトーデ」

 

「何って、脱衣ですが? わたくしは自分の身体に羞恥心はありません。生き残るための最善手です」

 

「一級魔法使いとしての尊厳を持て。 駄目に決まっているだろう」

 

「では、ゲナウさんがわたくしの前で裸になればお互い様では?」

 

「なるわけがないだろうッ!」

 

 滅多に声を荒らげないゲナウが、顔を(暑さとは別の意味で)真っ赤にして怒る。メトーデは小首を傾げ、「頑固ですね」とため息をついた。

 

「分かりました。では妥協案です。下着姿で留めます。これならゲナウさんの“尊厳”とやらに傷はつきませんね?」

 

 メトーデはあっさりとシャツを脱ぎ、目のやり場に困るような下着姿になった。ゲナウは慌てて視線を逸らし、岩壁を睨みつける。

 

「……勝手にしろ」

 

「ゲナウさんも脱ぎなさい。死にますよ」

 

「断る」

 

「……あら、命令ですか? ならば力ずくで」

 

「よせ、触るなッ。……く、分かった、上着だけだ」

 

 結局、ゲナウも渋々と上着を脱ぎ、黒いインナー姿になった。二人の奇妙な押し問答が、地獄の火山帯に響いていた。

 

 

「流石に喉が渇きますね……お互い脱水症状になりそうです」

 

「民間魔法で水を出すものはないのか……」

 

「“温かいお茶を出す魔法”なら、ありますが」

 

「……この火山地帯では一気に煮えたぎって喉を焼き、飲めそうにもないぞ」

 

「あ、“かき氷を出す魔法”はどうでしょうっ?」

 

「魔法で出した瞬間、すぐ蒸発して意味をなさないだろうな……」

 

「そうですねぇ……。とにかく今すぐ裸になって、冷たいお水に飛び込みたい気分です」

 

「メトーデ……お前はどうしてそうすぐ裸になりたがるんだ」

 

 

 コミカルな空気は、突如現れた巨大な岩石型の魔物の咆哮によって破られた。熱気で意識が朦朧とする中、二人は即座に戦闘態勢に入る。

 

「メトーデ、下がれ」

 

「いいえ、ゲナウさん。今のあなたでは、黒金の翼を展開するだけで意識が飛びます」

 

 メトーデは下着姿のまま、鋭い眼光で魔物を見据えた。彼女はゲナウの前に立ち、多種多様な魔法を即座に組み合わせる。

 

「わたくしの拘束魔法で動きを止めます。ゲナウさん、一撃だけ、確実なものを」

 

「……言われずとも」

 

 ゲナウは朦朧とする意識を鉄の意志で繋ぎ止め、魔力を練り上げる。メトーデが魔物の足を完全に封じた瞬間、ゲナウの黒金の翼が、熱風を切り裂いて魔物の核を正確に貫いた。崩れ落ちる魔物。しかし、その反動でゲナウの膝が折れる。倒れ込むゲナウの身体を、メトーデがしっかりと抱きとめた。肌と肌が触れ合い、互いの熱い体温が伝わる。

 

「……すまない、メトーデ」

 

「お互い様です。さあ、あの魔物がいた洞窟……あそこから涼しい風が吹いています。地下水脈に繋がっているはずです」

 

 

 

 二人は支え合いながら、魔物が現れた洞窟の奥へと進んだ。予想通り、そこには火山地帯の地下を流れる、広く冷たい湧き水があった。水を浴び、喉を潤し、ようやく人心地ついた二人は、洞窟の出口から見える緑豊かな“火山帯の終わり”を見つめる。

 

「助かりましたね、ゲナウさん。───ということで、わたくしお水に飛び込みますっ!」

 

 言うが早いか、メトーデはためらいもなく衣服をきれいに畳んで岩場に置き、一糸まとわぬ姿で冷たい水へと飛び込んだ。

 

「おい、何を考えている……! 冷たい水に飛び込みたいとは言っていたが、裸になる必要はッ」

 

 ゲナウは深くため息をつき、額の汗を拭いながら呆れ果てた。警戒心の欠片もないその振る舞いは、一級魔法使いとしての自覚を疑うレベルだ。しかし、どれだけ文句を言っても、水面から顔を出したメトーデは「冷たくて最高ですよ」と、いつもの楽しげな笑顔を返すだけだった。

 

ゲナウは渋々、周囲の警戒を続けながら彼女が上がってくるのを待つことにした。しかし、数分が経過した頃、水面が激しく波立つ。バシャバシャと短い水音が響いた直後、メトーデの姿が完全に水底へと消た。

 

「……メトーデ?」

 

 呼びかけても応答はない。ただの水遊びにしては時間が長すぎる。気配を察知しようと魔力を探ると、水中で何かが激しく悶えている感覚が伝わってきた。

 

(魔物か……!)

 

 一刻を争う事態。衣服が水を吸えば、水中での精密な魔法制御や素早い動きの邪魔になる。ゲナウは迷っている暇はないと判断し、自身の黒い外套と衣服を無造作に脱ぎ捨て、鍛え上げられた全裸の身を冷水へと投じた。

 

濁る水中に飛び込むと、視界の先で、巨大な触手を持った水棲の魔物がメトーデの足首を掴み、さらに深い水底へと引きずり込もうとしているのが見えた。メトーデは肺の空気が切れたのか、意識が朦朧としている。ゲナウは即座に、自身の黒金の翼を操る魔法《ディガドナハト》を水中で展開した。

 

水の抵抗を受けながらも、鋭利な黒金の羽根が弾丸のように放たれ、魔物の触手を正確に切り刻む。苦悶に悶える魔物がメトーデを離した瞬間、ゲナウは彼女の細い腰を抱きすくめ、力強く水を蹴って水面へと急浮上した。

 

「ぷはッ……! おい、しっかりしろメトーデ!」

 

 岩場に彼女の身体を横たわらせるが、メトーデは完全に呼吸を止めており、ぐったりとしている。

 

「く……ッ」

 

 ゲナウに躊躇する時間はなかった。彼女の顎を持ち上げ、気道を確保すると、躊躇なく自身の唇を重ねて肺へと空気を送り込む。一度、二度。濡れた胸元を強く圧迫し、心臓マッサージを並行しながら、必死に人工呼吸を繰り返す。

 

数回目、メトーデの胸が大きく波打ち、激しく水を吐き出した。

 

「ごほっ……! げほっ、ケホっ……!」

 

「気がついたか」

 

 ゲナウがホッと胸を撫で下ろしたその時、二人の視線が真っ向から交わった。そこは遮るもののない岩の上。二人は完全に、生まれたままの姿。メトーデは荒い呼吸のまま、潤んだ瞳でゲナウを見上げる。

 

その視線は、彼の乱れた前髪と顔、水滴を弾いて鈍く光る屈強な大胸筋、そして引き締まった腹筋へとゆっくりと落ちていく。命の危機に瀕していた直後だというのに、彼女の頬がぽっと赤く染まった。

 

「……あらまぁ、ゲナウさん。なんて素敵な殿方───それに素晴らしい肉体美。目の保養すぎます……」

 

「なッ……お前、何を言っている!」

 

 ゲナウは一瞬で顔を真っ赤に染め、たまらず傍らにあった自身の外套をひったくると、それをメトーデの身体へと乱暴に被せた。

 

「早くそれを纏え。意識が戻ったならさっさと服を着ろッ」

 

 背を向け、大慌てで自分のズボンを履きながら、ゲナウの心臓は激しく警鐘を鳴らしていた。

 

(私は一級魔法使いだ。同僚の命を救うため、不可抗力だったとはいえ……)

 

 脳裏に焼き付いてしまった、水を滴らせたメトーデの白い肌と、人工呼吸の際の柔らかい唇の感触。ストイックに生きてきたゲナウにとって、それはあまりにも刺激が強く、凄まじい罪悪感が津波のように押し寄せていた。

 

任務中に、同僚の裸を凝視し、触れてしまった。その事実が、彼の生真面目なプライドをズタズタに引き裂く。一方のメトーデは、ゲナウの外套にくるまりながら、クスクスと嬉しそうに笑っている。

 

「ゲナウさん、そんなに怒らなくても。わたくしを助けてくださるなんて、本当に紳士ですね。それに……とても力強くて素敵でしたよ?」

 

「うるさい、さっさと洞窟から出るぞッ」

 

 背中を向けたまま、耳まで真っ赤にしているゲナウ。火山地帯の熱気とは全く違う熱さに、ゲナウはしばらく、メトーデの方を振り返ることができなかった。

 

 服を着直したメトーデが、いつも通りの涼しい顔で微笑む。ゲナウはまだ少し気まずそうに、衣服の襟を正しながら、ふいと目を逸らした。

 

北側諸国の厳しい冬を知る二人は、火山地帯の洗礼を乗り越え、再び静かに歩き始めた。

 

 

 

End

 

 

 

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