葬送のフリーレン短編集   作:風亜

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幸せに出来ない幸せ

 北部魔法都市オイサースト、一級魔法使いの招集が解かれた後の夕暮れ。

 

人気のない書庫で、メトーデは目的の男性を見つけた。

 

「ゲナウさん、ここにいたのですね」

 

 いつものように穏やかな、しかしどこか弾んだ声。ゲナウは分厚い資料から目を離さず、冷淡に返す。

 

「メトーデか、何の用だ。次の任務の打ち合わせなら明日でいい」

 

「いえ、お仕事の話ではありません」

 

 メトーデは音もなく歩み寄り、ゲナウの机の前に立つ。ゲナウが怪訝そうに眉をひそめて顔を上げると、彼女はいつも崩さない微笑みのまま、まっすぐに彼の目を見つめる。

 

 

「わたくし……貴方のことが好きです、ゲナウさん」

 

 

 あまりにも唐突で、日常会話のような告白。ゲナウのペンを持つ手が、一瞬だけ止まる。しかし、彼はすぐにいつもの無愛想な表情に戻り、吐き捨てるように言う。

 

「……くだらん冗談はやめろ。お前の“可愛いもの好き”の延長なら、他を当たれ」

 

「冗談ではありません。小さな女の子や、ゼーリエ様を愛でる気持ちとは違います。わたくしは、一人の男性として貴方を好いているのです」

 

 メトーデの瞳は真剣そのものだ。ゲナウは深くため息をつき、ペンを置くと、椅子に深く背をもたれかけさせた。その鋭い視線で彼女を射すくめる。

 

「お前は正気か。私はお前が思うような男ではない。……多くの人間を見捨て、時には殺し、この手は血に染まりきっている」

 

「知っています。貴方の背負う傷も、冷徹に見えて誰よりも仲間を想う優しさも、わたくしは近くで見てきましたから」

 

 メトーデが一歩、距離を縮める。しかし、ゲナウは頑なに、突き放すような冷たい声を響かせた。

 

「なら分かるはずだ。……私はお前を幸せに出来ない」

 

 その言葉は、拒絶というよりも、彼自身に言い聞かせるような固い決意に満ちていた。

 

「一級魔法使いの生きる世界だ。明日にはどちらかが死んでいるかもしれない。それに、俺のような呪われた男と共に在っても、お前には一過性の苦痛と、いつか訪れる喪失しか残らん。お前のような真っ当な魔法使いは、もっと平穏で、光のある場所で幸せになるべきだ」

 

 ゲナウはそう言って、再び資料に目を落とす。これ以上は言葉を交わさないという、明確な拒絶の意志だった。

 

しかし、メトーデはショックを受けた様子も見せず、ふっと柔らかく微笑んだ。

 

「ゲナウさん。わたくしがいつ、貴方に“幸せにしてほしい”なんて頼みましたか?」

 

「……何?」

 

 ゲナウが再び顔を上げると、メトーデは困った子供を見るような、慈愛に満ちた目で彼を見下ろしていた。

 

「わたくしは魔法使いです。自分の幸せくらい、自分の手で掴み取れます。わたくしが望んでいるのは、貴方が一人で背負っているその暗闇の隣に、ただ居座ることだけです」

 

 メトーデはそっと手を伸ばし、ゲナウの手の甲に触れその細い手を重ねた。

 

「貴方がどれだけ頑なに突き放しても、わたくしは逃げませんよ。覚悟しておいてくださいね」

 

 そう言い残すと、メトーデは満足したように、軽やかな足取りで書庫を去って行った。

 

一人残されたゲナウは、彼女の手の温もりが残るような錯覚を覚える自分の手を、苦々しく、しかしどこか諦めたように見つめ直した。

 

 

 

 ───告白から数日後。二人はゼーリエからの直々の指名により、北部魔法都市オイサーストからさらに北、魔王軍の残党が活性化している未開の森林地帯へと赴いた。

 

鬱蒼と茂る木々の中、冷たい雨が二人を濡らす。

 

先日の書庫での一件以来、ゲナウの態度は以前にも増して硬く、必要最低限の言葉しか口にしない。

 

しかし、メトーデはそんな彼の冷淡さを気にする風もなく、いつもの微笑みを浮かべて隣を歩いていた。

 

「ゲナウさん、あまり張り詰めすぎると疲れてしまいますよ。わたくしの結界の歩調に合わせてください」

 

「黙れ。ここは魔族の領域だ。一瞬の油断が死に繋がる。お前のその余裕がいつまで持つか、見ものだな」

 

「あら、わたくしはいつでも真剣ですよ?」

 

 その時、周囲の空気が一変した。

 

空間が歪み、木々の影から四体の魔族が姿を現す。いずれも高い魔力を持った、指揮官クラスの残党だ。

 

「一級魔法使いか……。人間の分際で、我らの領域を汚すな」

 

 魔族の一声とともに、無数の鋭い魔力の塊が二人を目がけて放たれた。

 

「メトーデ、後ろへ下がれ!」

 

 ゲナウは叫ぶと同時に、自身の黒金の翼を操る魔法《ディガドナハト》を展開。

 

黒い鋼鉄のような羽を盾にし、猛烈な攻撃を正面から受け止める。激しい衝撃波が周囲の木々をなぎ倒した。

 

しかし、魔族の一体がゲナウの死角へと回り込み、彼の翼の隙間を突いて即死級の魔法を放つ。

 

「しまッ───」

 

 ゲナウが直撃を覚悟した瞬間、彼の前に強固な多層防御結界が展開された。

 

魔族の攻撃は、ガラスが割れるような音を立てて結界に阻まれる。

 

「ゲナウさん、前方に集中を。貴方の背中は私が守ると言ったはずです」

 

 メトーデの声だった。彼女はすでに臨戦態勢に入っており、その瞳には一切の迷いがない。ゲナウの防御の薄い部分を、完璧なタイミングの結界魔法で補っていた。

 

「……く、余計な真似を」

 

 ゲナウは毒づきながらも、メトーデの援護を信じて前方への攻撃に全力を注ぐ。彼の放つ鋼鉄の羽が嵐のように吹き荒れ、正面の魔族二体を瞬時に切り裂く。

 

残る魔族がメトーデに狙いを定めて肉薄するが、彼女は慌てず、精神操作魔法の詠唱を開始。魔族の動きが一瞬鈍ったその隙を見逃さず、ゲナウの追撃が魔族を両断する。

 

息をのむような連携。言葉を交わさずとも、二人の魔法は完璧に噛み合っていた。

 

もう一体も倒して戦闘が終わり、静寂が戻った森の中で、ゲナウは激しく息を荒くしながら翼を収めた。彼の左肩口は裂け、血で染まっている。

 

「怪我をしていますね。動かないでください」

 

 メトーデが歩み寄り、自然な動作でゲナウの肩に手を置いた。彼女の手から温かい治癒魔法の光が放たれ、ゲナウの傷口を塞いでゆく。

 

ゲナウは彼女の手を振り払おうとはせず、ただ苦々しげに顔を背けた。

 

「……言ったはずだ。俺と組めば、いつか命を落とす。さっきの結界も、一歩間違えればお前が死んでいた」

 

「ええ。ですが、間違えませんでした。わたくしも、貴方も」

 

 メトーデは治療を終えると、そっと手を離し、ゲナウの顔を覗き込む。

 

「ゲナウさん。貴方がどれだけ“お前を幸せにできない”と突き放しても、わたくしは今日のように、貴方の隣で生き延びてみせます。わたくしは貴方に護られるだけの、か弱い存在ではありませんから」

 

 その言葉に、ゲナウは一瞬だけ目を見開く。彼女の言う通りだった。メトーデは彼が心配する必要などないほどに強く、自立した一級魔法使いだ。

 

ゲナウは背を向けて再び歩き出す。その歩調は、先ほどよりもほんの少しだけ、メトーデの歩きやすい速さに合わせられているようだった。

 

「勝手にしろ。足手まといになったら置いていく」

 

「ふふ、お供します。わたくしの頑固なパートナー」

 

 冷たい雨の中、二人の距離は、ほんの少しだけ近づいていた。

 

 

 

 ………魔王軍残党の討伐任務から数日。オイサーストの街は、いつも通りの活気を取り戻していた。

 

一級魔法使いの特権で手配された宿舎の一室。ゲナウは一人、机に向かって任務の報告書を確認していた。

 

カツ、カツ、と静かな廊下に小気味よい足音が響き、彼の部屋の前で止まり、ノックの音がする。

 

「ゲナウさん、メトーデです。……入りますよ」

 

 返事も待たずに扉が開いた。入ってきたメトーデの手には、湯気を立てる木製のトレイ。地元の茶葉を使った紅茶と、オイサーストで評判の焼き菓子が載っている。

 

「……何の真似だ。報告書なら今書いている。邪魔をするな」

 

「休息の勧めです。任務から戻って以来、貴方はずっと根を詰めすぎです」

 

 メトーデはゲナウの小言を綺麗に受け流し、机の空いているスペースにトレイを置く。そして、当然のように彼の隣の椅子を引き、腰掛ける。

 

ゲナウはペンを止め、深くため息をついた。いつもなら「出ていけ」と一蹴するところだが、彼はそれ以上メトーデを拒絶しようとはしなかった。先日の戦いで、彼女の揺るぎない実力と覚悟を思い知らされたからだ。

 

「メトーデ」

 

「はい、何でしょう?」

 

「……先日の戦い、お前の結界がなければ、俺は左腕を失っていた。そこは認めてやる。お前は、俺が案ずる必要のないほど強い魔法使いだ」

 

 ゲナウは報告書に目を落としたまま、ぶっきらぼうに言う。彼なりの、最大限の賛辞と歩み寄りだった。

 

メトーデは一瞬だけ驚いたように目を見開くが、すぐにとても嬉しそうに、ふわりと微笑む。

 

「あら。頑固なゲナウさんからそんな言葉をいただけるなんて、雨の森を歩いた甲斐がありましたね」

 

「調子に乗るな。だからと言って、お前に対する俺のスタンスが変わるわけではない。俺はお前を───」

 

「“幸せにできない”、でしょう? 耳にタコができるほど聞きました」

 

メトーデはクスクスと笑いながら、紅茶のカップをゲナウの前に差し出す。

 

「わたくしは最初から、貴方に幸せにしてもらおうなんて思っていません。ですが……こうして任務の後に、二人で無事に温かい紅茶を飲めている。この時間だけで、わたくしは充分に満たされているのですよ?」

 

 メトーデの真っ直ぐな言葉が、ゲナウの胸の奥に静かに染み込んでゆく。

 

自分といることは彼女に不幸しかもたらさないと思い込んでいたゲナウにとって、その“日常の些細な平穏”こそが、彼女の望むものだという事実は、新鮮な衝撃だった。

 

ゲナウはしばらく無言でカップを見つめていたが、やがて諦めたようにそれを手に取り、口をつける。少し苦味のある、しかし体の芯から温まるお茶だった。

 

「……ぬるいな」

 

「淹れたてですよ。冷えた心を温めるには、これくらいが丁度いいのです」

 

 そう言って笑うメトーデを、ゲナウはもう睨みつけるようなことはしない。相変わらず表情は無愛想なままだったが、その眼差しには、以前のような刺々しさは消え失せていた。

 

窓の外からは、オイサーストの穏やかな夕暮れの喧騒が聞こえてくる。

 

戦いの中にしか居場所がないと思っていた男の日常に、新しく、しかし確かな居場所が作られようとしていた。

 

 

 

End

 

 

 

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