『私のようにはなるな』
ゲナウと初めてペアを組んだ時、そう言われたメトーデは彼を“反面教師”とし、ゲナウの本心を隠して冷徹に振る舞おうとする生き方、他人に心を閉ざす不器用さを真似してはいけないという意味が込められている事を察した。
言葉の裏にある具体的な意味は、優しくない冷徹な人間を演じることへの否定だった。
ゲナウはかつて、子供を庇って命を落とした“いい奴”だった元相棒を失っている。
それ以来、彼は自分は冷酷で、他人を見捨てて生きてきたと自嘲し、優しさを出すと命取りになるという強い警戒心、あるいは自己防衛を持っている。しかし、本心では故郷や仲間を深く想う熱い心の持ち主だと判る。
メトーデは、そんな風に心をすり減らしながら、不器用に悪ぶった生き方をするのは間違いだ、真似すべきではないという意味で、反面教師とする事にした。
ゲナウは他人と慣れ合うことを嫌い、メトーデと初めて会った時も握手すら拒もうとした。しかし、コミュニケーション能力の高いメトーデから見れば、そのようなゲナウの頑なな態度は損な生き方に映る。
「あんな風にツンツンして周囲に壁を作ると、生きづらくなるだけですよ」という、社交的な彼女ならではの視点が含まれているが、ゲナウからすれば「余計なお世話」だった。
大魔法使いゼーリエは、冷徹さを装うゲナウの危うさを見抜き彼を精神的にサポート、あるいは感化させるために、あえて真逆の性格であるメトーデをペアに選んだ。
メトーデ自身もそれを理解しており、「ゲナウさんがあんな態度だからこそ、わたくしは彼を支えたり、自分のあり方を再確認したりできる」という、ペアとしての役割を肯定的に受け入れた上での反面教師でもある。
実際、神技のレヴォルテ戦の終盤で、ゲナウは自分が致命傷を負っているにもかかわらず、気絶したシュタルクに応急処置を施し、メトーデにもシュタルクの治療を最優先させた。
口では見捨てると言いながらも、最後には自分の命を顧みず他人を救おうとするゲナウの姿は、まさにメトーデが言葉通りに受け止めてはいけない反面教師だと見抜いていた証拠と言える。
────ジュウ、と肉の焦げる臭いが周囲に漂った。魔族の放った猛毒液が、ゲナウの背中を直撃していた。外套は溶け落ち、剥き出しになった背の皮膚がドス黒く焼け爛れている。魔力も底を突きかけているはずだった。
それでもゲナウは、折れかけた黒金の翼を無理やり展開し、メトーデの前に立ちはだかった。
「……逃げろ、メトーデ。私の魔力が尽きる確率は、あと三分。お前の足なら、結界の防衛線まで充分に届く」
「ゲナウさん、そのお怪我では───!」
「黙れッ」
ゲナウは血を吐きながら、振り返りもしない。その背中は、プライドと義務感、そして死んだ相棒や滅ぼされた故郷、友への贖罪だけで直立していた。
「お前は、こんな血生臭い場所で死ぬために一級魔法使いになったわけではないはずだ。……戦うことしかできぬ私のような男が、ここで終わればいいだけの話だ」
────ああ、本当に。メトーデは、静かに目を細めた。
ゲナウさんは勘違いしている。わたくしが一族の戦うための魔法に飽いて外へ出たのは、戦うことが怖かったからでも、汚れ役が嫌だったからでもない。
攻撃、防御、精神、拘束、そして回復。
あらゆる魔法を覚え、世界を知り、自分の意志で選択すること。それこそがわたくしにとっての“楽しい魔法”であり、誇りなのだ。
自分の限界を勝手に決めて、一つの役割に命を投げ出すこの男の生き方は───戦術的にも、人生としても、あまりに好ましくない。
「ゲナウさん。わたくしの“楽しい魔法”の真髄を、少しだけお見せいたしますね」
メトーデはゲナウの肩を掴み、強引にその身体を後ろへと引き下がらせた。
「なッ……何をする、メトーデ……!」
「下がってご覧になっていてください。わたくしの一族の戦い方を」
前へ出たメトーデの瞳から、いつもの柔和な光が消え、底知れぬ冷徹な魔力が立ち上る。
彼女が杖の矛先を突き出した瞬間、迫り来る魔族の脳内に直接、幾重もの精神の檻が牙を剥いた。魔族の動きが完全に停止する。同時に、大地から伸びた不可視の拘束魔法がその四肢を縛り上げた。
「────潰れなさい」
彼女が短く呟くと、全方位から圧縮された暴力的な魔力が、魔族の肉体を一瞬で粉砕した。
息一つ乱さず、メトーデは振り返る。呆然とするゲナウの前に跪き、その焼け爛れた背中に、すぐさま女神様の魔法の光を当てた。
「……お前、これほどの腕がありながら」
ゲナウが、苦痛と驚愕の混ざった声で呻く。
「言ったでしょう? わたくしは器用なのです。本気を出せば、貴方よりもずっと手際よく暴れられますよ」
メトーデの丁寧な声には、確かなプライドが満ちていた。
「ゲナウさん。少しはわたくしの実力を信頼してくださっても良いのですよ」
メトーデは憂えた微笑を浮かべながらも、わざとらしく傷の縁を少しだけ強く押さえた。
ゲナウは微かに呻き声を上げ、無愛想のまま彼女を睨みつける。
「……おい。少し手荒くないか、メトーデ」
「あら、失礼いたしました。少しばかり配慮を欠いてしまいましたね」
優しい緑の光が毒を中和し、爛れた肉を再生させていく。その過程で猛烈な痛みにゲナウは歯を食いしばりながら、掠れた声で、呪いのようにいつもの言葉を口にした。
「───実力があろうとも、私のようにはなるなよ。……こんな風に、命を削って前線に立つな」
どこまでも頑なで、どこまでも不器用な、彼なりのメトーデへの過保護。
メトーデは、彼の再生していく背中にそっと、祈るように両手を重ねた。女神様の魔法の温かさが、ゲナウの凍てついた身体に染み込んでいく。
「はい。何度でも言いますが、わたくしは絶対に貴方のようにはなりません、ゲナウさん」
彼女の顔に、いつもの余裕に満ちた微笑みが戻る。
「わたくしは貴方のように、何かを諦めて盾になるような不器用な真似はいたしません。戦いも、日常も、美味しいお茶も、そして……ボロボロなあなたの命を救うことも。わたくしは全部、わたくしの“楽しい魔法”で欲張って手に入れてみせます」
メトーデは、少しだけ力を込めて彼の背中の傷痕を撫でた。
「ですからゲナウさん。あなたはわたくしのこの上ない“反面教師”として、これからも精々、その好ましくない傷をわたくしに癒され続けてくださいね」
ゲナウは小さく息を漏らし、それ以上は何も言わずに、メトーデの手のひらの温もりに身を委ねた。
「温かいお茶が入りましたよ、ゲナウさん。ひと息入れませんか」
メトーデの声は、冷たい夜風が吹く北部高原のテントの中で、そこだけぽつんと灯った明かりのように温かかった。
ゲナウは、彼女が差し出した湯気の立つ安物の茶を見つめた。
「……私はそんなものを嗜むためにここへ来ているのではない」
「知っています。でも、戦うためだけに生きるのは、少しだけ退屈でしょう?」
メトーデは微笑みながら、ティーカップに片手をかざした。彼女の手のひらから柔らかな光が零れ、安物のはずの茶葉から、驚くほど高貴で甘い香りが立ち上る。
“お茶の風味を良くする魔法”。戦闘には何の役にも立たない民間魔法だった。ゲナウは、眉をひそめてそれを見つめた。
「お前の一族は、魔族を殺すための技術しか教えないはずだ。そんな無駄な魔法をどこで覚えた」
「一族を出てからです。世界には、綺麗で優しくて、楽しい魔法がたくさんありました。わたくしは、そういうものに救われて生きていきたいと思ったのです」
メトーデの瞳には、かつて彼女が脱ぎ捨ててきた、戦いだけの冷酷な一族への決別が宿っていた。
ゲナウの方は、戦うためだけの世界に今もなお、たった一人で踏みとどまり続けている。死んだ相棒への義務感と、滅ぼされた故郷への想いという鎖を足首に巻きつけたまま、自分を削って戦っている。
────どうしたってわたくしは、彼のようにはなれない。
メトーデには分かっていた。自分は器用に、貪欲に世界の魔法の楽しさを求めて歩き出した。ゲナウのように、一つの場所に命を縛り付けるような、そんな不器用で狂おしい生き方は、もう選べない。
「………メトーデ」
ゲナウがお茶を口に含み、ふっと視線を落とした。その横顔は、いつもの厳格な仮面の裏で、ひどく疲弊しているように見えた。
「お前は、そのままでいろ」
「はい?」
「私のようにはなるな。過去に縛られ、戦うことしか持たぬ魔法使いは、私一人で充分だ」
それは彼なりの、最大級の不器用な優しさだった。自分の歩む血生臭い道に、彼女を巻き込みたくないという願いでもある。
メトーデは胸の奥が少しだけきゅっと痛むのを感じた。
彼は自分の生き方を“反面教師にしろ”と言っている。けれど、彼女にとってその背中は、決して愚かなだけのものではなかった。
「えぇ。言われずとも、わたくしは貴方のようにはなれませんよ、ゲナウさん」
メトーデは、そっとゲナウの手に自分の手を重ねた。彼の一級魔法使いとしての冷たい魔力の下にある、人間らしい体温を確かめるように。
「わたくしはわがままですから、美味しいお茶も、小さくて可愛い子も、楽しい魔法も、全部諦めたくないのです。……でも」
彼女は、慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。
「本当は優しすぎるゲナウさんがそうやって、誰かのためにボロボロになるまで戦う姿は、とても誇り高いものだと思います。だから、貴方が傷ついた時は、わたくしが何度でも女神様の魔法で癒して差し上げますね」
ゲナウは、重苦しい溜息をついて彼女の手を振り払おうとしたが、その力にはいつもの冷徹さはなかった。
(優しすぎるのは、お前の方だろう……メトーデ)
End