葬送のフリーレン短編集   作:風亜

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ゼーリエの迷宮

「ゲナウ、メトーデ。お前たちに新しい任務を与える」

 

 冷徹で圧倒的な魔力が、ゼーリエの小さな体から謁見の間に満ちていた。膝をつき、命を待つ一級魔法使いの二人───ゲナウとメトーデは、微動だにせずその言葉を待つ。

 

「とある“迷宮”の完全攻略。そして、二度と機能せぬよう完全に破壊してくることだ」

 

 ゲナウが鋭い視線を上げ、淡々と問い返した。

 

「……破壊、ですか。一級魔法使い二人を動かすほどの危険な遺物ということでしょうか」

 

「いや、あれはただの私の黒歴史だ」

 

 ゼーリエは不機嫌そうに頬杖をついた。

 

「大昔に、あまりにも退屈だったから暇つぶしに作ったのだ。あそこに仕込んだ結界や仕掛けを今になって思い出すと、どうにも不愉快でな。消し去りたくなった」

 

「大魔法使いゼーリエ様が作った、難解な迷宮……」

 

 メトーデが興味深そうに目を輝かせる。彼女の視線に気づかぬふりをしながら、ゼーリエは淡々と説明を続けた。

 

「その迷宮は、単純な力押しや魔力の量だけでは進めない。各階層で提示される『何か』をこなさなければ、次の部屋への扉が開かない構造になっている」

 

「提示される何か、とは?」

 

 ゲナウの懸念はもっともだった。古代の魔法使いが作る悪趣味な仕掛けには、往々にして倫理を外れたものや、精神的な苦痛を伴うものが多い。ゼーリエはフン、と鼻を鳴らした。

 

「安心しろ。お前たちが懸念するような、男女の破廉恥な行為を強いるような下卑た仕掛けは一切無い。……元より我々エルフには、そういった生殖に関わる欲求や感情が欠落しているからな。そんなくだらない発想自体、当時の私には無かった」

 

 その言葉に、ゲナウは一つ息を吐いて納得し、メトーデは少しだけ残念そうな、しかし相変わらず慈愛に満ちた笑みを浮かべた。

 

「あれを攻略出来た者はいない……というかな、誰も入ろうとしなかった。あれは全十部屋ある難題をクリアすれば勝手に崩壊するんだが……そういうわけだ。人間のくだらない倫理観に怯える必要は無い。胸を張って、私の黒歴史をすべて叩き潰して来い」

 

「御意」

 

「分かりました、ゼーリエ様」

 

 二人は一礼し、大魔法使いの部屋を後にした。

 

 

「……というわけで、ここがその『暇つぶしの迷宮』か」

 

 鬱蒼とした森の奥深く。厳重に隠蔽されていた石造りの重厚な扉の前に、ゲナウとメトーデは立っていた。扉には、現代の魔法体系とは明らかに異なる、緻密で膨大な魔力式の回路が刻まれている。

 

「ゼーリエ様が作った迷宮……ふふ、どんな可愛い仕掛けが待っているのか楽しみですね、ゲナウさん」

 

「お前は緊張感というものが無いのか、メトーデ。いくら破廉恥な罠が無いとはいえ、あの方の作った迷宮だ。一歩間違えれば命は無いぞ」

 

 ゲナウは黒金の翼を軽く羽ばたかせ、警戒を強める。メトーデはそんな彼を見て微笑みながら、そっと扉に手をかけた。

 

「さあ、行きましょう。大魔法使いの『暇つぶし』に、付き合って差しあげないと」

 

 二人が足を踏み入れると、背後の重い扉が地響きを立てて閉まった。ここから、彼らの奇妙な迷宮攻略が始まる。

 

「なるほど、ここが第一の部屋か……」

 

 部屋の中央へ進み出たゲナウは、周囲の壁を鋭く睨みつけた。石造りの無機質な空間。しかし、二人が中央の白線を超えた瞬間、正面の壁に淡い光で文字が浮かび上がった。

 

『最初の試練:部屋の者を満足させる、渾身の一発ギャグを披露せよ。一人ずつ、計二回』

 

「……一発ギャグ?」

 

 ゲナウの声が、かつてないほど低く、そして困惑に震えた。

 

「あら、楽しそうな肩慣らしですね」

 

 メトーデは嬉しそうにパチパチと手を叩いた。

 

「部屋を笑わせる、あるいは満足させれば扉が開く仕組みのようです。ゼーリエ様の昔の遊び心、意外と可愛らしいところがありますね」

 

「ふざけるな」

 

 ゲナウは額を押さえた。

 

「俺は一級魔法使いだぞ。北部高原の凄惨な戦場を生き抜いてきた。それがなぜ、ゼーリエ様といえど大昔のエルフの暇つぶしのために、道化のような真似を……」

 

『制限時間:五分。超過した場合は部屋が爆破されます』

 

 壁の文字が赤く明滅し、カウントダウンが始まる。

 

「ゲナウさん、時間がありません。ここはわたくしが先陣を切りましょう。こういうのは勢いが大切です」

 

 メトーデはすっと前に出ると、あらかじめ用意していたかのように、満面の笑みでポーズを決めた。

 

「メトーデ、いきまーす! ……『わたくしの魔法で、みんなのハートを───メロメロメト〜デ♡』……はい!」

 

 沈黙。冷徹な石壁が、メトーデの全力のウィンクを虚しく反射する。しかし数秒後、壁の魔力回路が『ピコーン』と気の抜けた音を立てた。半分だけ、扉の封印が輝く。

 

「……なッ、今の弱調の精神操作魔法のようなポーズで満足したのか? この部屋は」

 

 ゲナウが戦慄する。

 

「お部屋さんも、わたくしの可愛さに満足してくれたみたいですね。さあ、次はゲナウさんの番です。残り三分ですよ」

 

 メトーデが期待に満ちた目でゲナウを促す。

 

「くッ……!」

 

 ゲナウは冷や汗を流しながら、必死に脳細胞を回転させた。一級魔法使いとしてのプライドと、爆破の危機。天秤にかけられたのは、彼のこれまでの人生の重みだった。ゲナウは一歩前に出た。その顔は、まるで魔族の将軍と対峙しているかのように峻厳で、悲壮感に満ちている。彼は黒い翼を大きく広げ、禍々しい魔力を一瞬だけ解放した。

 

「……行くぞ」

 

 メトーデが固唾をのんで見守る。

 

 

「『この外套(コート)を……買おーっと』。……以上だ」

 

 部屋が、凍りついた。メトーデすら、一瞬だけ言葉を失うほどの、あまりにも古典的で鋭利なダジャレ。だがその瞬間、壁の魔力回路が『ピンポンピンポン!』と激しく明滅した。轟音を立てて、奥の重厚な扉が開いていく。

 

「……開いた、だと?」

 

 ゲナウは信じられないものを見る目で扉を見つめた。

 

「ふふ、ゲナウさん。あの部屋、きっと貴方の真面目な顔とギャグのギャップに大満足したんですよ。とっても素敵でした」

 

「……黙れ。二度とその言葉を口にするな。次へ行くぞ」

 

 屈辱に顔を赤く染めたゲナウは、足早に第二の部屋へと歩を進めた。

 

 

「……ここが、第二の部屋ですか」

 

 メトーデの言葉通り、そこは第一の部屋よりもさらに重苦しい魔力が漂う空間だった。二人が足を踏み入れると、背後の扉が閉じ、正面の石壁に新たな文字が刻まれる。

 

『第二の試練:いずれか一方が、本気の涙を流せ。偽りの涙は認めぬ』

 

「泣け、ということか」

 

 ゲナウは不快そうに眉をひそめた。

 

「馬鹿馬鹿しい。一級魔法使いともあろう者が、このような場所で感傷に浸って涙を流すなど───」

 

「ゲナウさん」

 

 メトーデが、いつになく真剣な、どこか冷徹とも言えるほどの真顔で彼を見つめていた。

 

「ゼーリエ様の結界を侮ってはいけません。本気の涙でなければ、わたくし達はここから出られない。……少し、お話を聞かせてください」

 

「何の話だ」

 

「貴方の黒金の翼……その魔法の使い魔である、鳥たちのことです」

 

 ゲナウの身体が、かすかに強張った。

 

「これまで、何匹の鳥たちを失ってきましたか?」

 

「……何だと?」

 

 ゲナウの目が鋭く細められる。それは彼の心の一番深い場所に、容赦なく踏み込む問いだった。

 

「やめろ、メトーデ。お前に話す必要は───」

 

「答えてください。彼らは貴方の手足となり、盾となり、北側諸国の苛烈な戦場で散っていったはずです。一級魔法使いゲナウさん。貴方は、その一匹一匹を覚えているのですか?」

 

「……当たり前だ」

 

 ゲナウは声を絞り出した。その拳が、きつく握りしめられる。彼は鳥が好きだった。ただの便利な道具として使っているわけではない。誰よりもその生態を愛し、慈しんでいた。だからこそ、その一匹一匹の記憶が、彼の魂に深く刻み込まれている。

 

「やめろ……思い出させるな……!」

 

 拒絶の言葉とは裏腹に、ゲナウの脳裏に、かつて共に過ごした鳥たちの姿が鮮明に蘇る。ある子は、魔族の不意打ちから自分を庇い、血に染まって凄惨な死を遂げた。ある子は、激しい嵐の中で必死に偵察を続け、力尽きて墜ちていった。だが、悲しい記憶だけではない。戦いの合間、穏やかな木漏れ日の中で、自分の肩に寄り添ってくれた温もり。突き抜けるような青空の下、風を捉えて一緒に楽しく飛んだ、あの自由な感覚。

 

「……だが、彼らを忘れた事は、一度たりともない……!」

 

 彼らは皆、ゲナウの戦友であり、家族だった。散っていった命の重みと、共に過ごした愛おしい時間が、胸の奥からせり上がってくる。ゲナウは、そっと目を閉じた。その峻厳な顔を伝い、一筋の透明な涙が、静かに頬を流れ落ちた。

 

『ピンポンピンポン!』

 

 部屋に硬質な音が響き渡り、正面の重厚な石扉がゆっくりと開き始める。

 

「……見事な本気の涙でした、ゲナウさん。お部屋さんも満足したようです」

 

 メトーデはいつもの慈愛に満ちた笑みに戻り、そっとハンカチを差し出した。ゲナウは目を開け、差し出されたハンカチを無視して外套の袖で手短に涙を拭うと、低い声で言った。

 

「……行くぞ、メトーデ。次は第三の部屋だ」

 

「はい、お供します」

 

 

 

「……第、三の部屋か」

 

 ゲナウはまだ少し気まずさを引きずったまま、低い声で呟いた。目の前の石壁に、新たな文字が浮かび上がる。

 

『第三の試練:いずれか一方が、心の底から本気で笑え。作り笑いは認めぬ』

 

「本気で笑う、ですか」

 

 メトーデが顎に手を当てて考え込む。

 

「笑うならお前が笑え、メトーデ。俺では無理だ」

 

 ゲナウは忌々しげに言い、フンとそっぽを向いた。先ほどの涙の件もあり、完全に投げやりな態度だ。一級魔法使いの自分が、こうも立て続けに感情を弄ばれることに苛立ちを隠せない。

 

「あら、ゲナウさん……」

 

 メトーデは、どこか妖艶で慈愛に満ちた、恐ろしく楽しげな笑みを浮かべた。

 

「わたくし、貴方を笑わせる“すべ”を、ちゃあんと知っていますよ?」

 

「何……?」

 

 ゲナウが怪訝な顔をする間もなく、メトーデは音もなく彼の背後へと回り込んだ。ゲナウは迷宮への警戒のため、常に“黒金の翼”を背中から大きく展開していた。それが仇となる。

 

「そこですっ」

 

「な、お前……ッ!?」

 

 メトーデが容赦なく手を伸ばしたのは、ゲナウの背中、大きく広がった羽の付け根にある、ひときわ柔らかくて“ふわふわ”とした羽毛の部分だった。そこを、細い指先で巧みにこちょこちょと擽(くすぐ)り始める。

 

「やめ……! 離れろメトーデ……ッ!」

 

 ゲナウの顔が劇的に歪んだ。鳥の特性を色濃く持つその翼の付け根は、感覚神経が極限まで集中している超敏感な部位だった。触れられるだけで脳が弾けるような感覚に襲われる。

 

「くッ、ふ、はは……ッ! やめろ、と言って、る……ひはははは!」

 

「ふふ、いい笑顔ですよゲナウさん」

 

「笑って、ない……ッ、はははは! 止せ! 死ぬ、笑い死ぬ……ッ!!」

 

 普段の厳格な面影はどこへやら、ゲナウは涙目を浮かべて身悶えし、大爆笑の声を部屋中に響かせた。

 

『ピンポンピンポン!』

 

 容赦のない擽り攻めにゲナウが崩れ落ちるのと同時に、第三の扉が軽快な音を立てて開き放たれた。

 

「……はぁ、はぁ……ッ、お前、絶対に許さんぞ……」

 

 地面に手を突き、肩を激しく上下させながらゲナウが睨みつける。

 

「でも、お部屋さんは大満足してくれましたよ?」

 

 メトーデは悪びれもせず、嬉しそうに微笑んだ。

 

 

「……もう、帰りたい」

 

 第三の部屋での爆笑による疲労から、ゲナウは珍しく弱音を吐きながら第四の部屋へと足を踏み入れた。その瞬間、目の前の壁に無慈悲な文字が浮かび上がる。

 

『第四の試練:半裸となり、己の肉体美を示すマッスルポーズを決めよ』

 

「……半裸で、マッスルポーズ?」

 

 ゲナウは目眩を覚えた。ゼーリエが「下卑た仕掛けは一切無い」と言っていた意味を、彼は別のベクトルで痛感していた。これはただの、極上の悪趣味だ。

 

「俺に、これをやれというのか……?」

 

 先ほどの擽り攻めで体力を激しく消耗したゲナウが、力なく小さく呟く。

 

「ゲナウさん、お疲れのようですね」

 

 メトーデがすっと隣に並び、聖母のような慈愛の微笑みを浮かべた。

 

「でしたら、ここはわたくしにお任せください。わたくしが半裸になって、マッスルポーズをしますよ?」

 

 そう言うや否や、メトーデは一切の躊躇なく、本当にその指先で己の上半身の衣服を脱ぎ始めようとした。

 

「待て、馬鹿者が! 何を考えているッ」

 

 ゲナウは血相を変えて彼女の腕を掴み、力任せに止めた。ゼーリエが「エルフはそういうのが欠落している」と言っていたが、目の前の一級魔法使い(人間)にも何かが欠落しているのではないかと本気で疑う。

 

「これ以上、俺の正気を試すな。……俺がやる」

 

 ゲナウは大きくため息をつくと、警戒のために展開していた『黒金の翼』を一度、完全に背中へと仕舞い込んだ。そして酷く躊躇しながらも、重い手つきで上着とシャツを脱ぎ捨てる。露わになったのは、北側諸国の凄惨な戦場を駆け抜け、修羅場を幾度もくぐり抜けてきた男の、極限まで鍛え上げられた強靭な肉体だった。無駄な脂肪は一切なく、鋼のように引き締まった筋肉が美しい陰影を描いている。ゲナウは恥辱に顔を歪めながらも、両腕を力強く曲げ、渾身のフロント・ダブル・バイセップス(マッスルポーズ)を決めた。

 

『ピンポンピンポン! ピンポンピンポン!』

 

 これまでで最も激しい肯定のチャイムが鳴り響き、第四の扉が勢いよく開く。

 

「……まぁ。ゲナウさん、なんて素晴らしい肉体美……。うっとりしてしまいます」

 

 メトーデは頬を染め、その鍛え抜かれた大胸筋や腹筋を、獲物を見るような熱い視線で見つめている。

 

「……服を着るからもう見るなッ」

 

 ゲナウは素早くシャツを掴み、ダンジョンのあまりの仕様の酷さに心底うんざりした表情で、吐き捨てるように言った。

 

 

「……第五の部屋か」

 

 ゲナウはもはや、文字を見る前からひどく疲れ切った顔をしていた。石壁に浮かび上がった文字は、彼の予想を裏切らない最悪なものだった。

 

『第五の試練:いずれか一方を、本気で怒らせろ』

 

「今度は怒り、ですか」

 

 メトーデは相変わらず冷静に文字を読み上げる。ゲナウは壁に背を預け、力なく息を吐いた。

 

「……お前が怒れ、メトーデ。俺はもう、精神的苦痛を与えられすぎて、怒る気力すら湧かん……」

 

「わたくしが怒る、ですか? それは難しいですね」

 

 メトーデは困ったように微笑んだ。

 

「わたくし、小さくて可愛いものなら、何をされても怒る気が起きないんです。ゲナウさんも、今ではとっても小さくて可愛い生き物に見えますし」

 

「誰が小さくて可愛い生き物だ……」

 

 ゲナウの声には覇気がない。涙を流させられ、爆笑させられ、半裸でポーズまでさせられた。一級魔法使いとしての尊厳は、すでにこの迷宮の半分で擦り切れかけていた。

 

「なぜこうも精神的苦痛を与えてくるのか理解できん……。ゼーリエ様の暇つぶしとは、これほどまでに悪趣味だったのか……」

 

 弱り目に祟り目。完全にメンタルが限界を迎えているゲナウを見て、メトーデはふむ、と小さく頷いた。そして、彼の目の前にすっと歩み寄る。

 

「ゲナウさん。少し、わたくしの話をよく聞きなさい」

 

 その声は、いつものおっとりしたトーンではなかった。どこか冷徹で、一級魔法使いとしての格の違いを見せつけるような、静かな威圧感を孕んでいた。

 

「な、何だ……?」

 

「失望しました。これが、北部高原を生き抜いた一級魔法使いの姿ですか?」

 

 メトーデは、ゲナウの胸ぐらを掴むかのように距離を詰め、その美しい目を冷酷に見開いた。

 

「最初のギャグはまだしも、鳥たちの死を想って涙した時、貴方は『彼らを忘れた事は一度もない』と誇り高く言いました。衣服を脱いだ時も、戦場を生き抜いた見事な肉体を証明してみせた」

 

 メトーデの言葉が、部屋の静寂に鋭く響く。

 

「それなのに、この程度の仕掛けで『弱り気味』になって投げ出すのですか? 貴方が命を懸けて守ってきた故郷の人々や、貴方を信頼して散っていった鳥たちが、今の貴方の情けない姿を見たらどう思うでしょう! 『ゲナウは、ゼーリエ様の昔の悪戯に負けて、迷宮の真ん中で拗ねていた』と、そう墓前に報告させたいのですか!?」

 

「……メ、メトーデ……?」

 

 ゲナウの目が、驚きに変色する。

 

「戦いなさい、ゲナウ! 貴方は一級魔法使いでしょう! こんな場所で立ち止まって、大魔法使いの黒歴史に屈するなんて、わたくしが絶対に許しません!! 早くその誇りを取り戻して、わたくしを───本気で怒鳴りつけてみせなさい!!」

 

 メトーデの、容赦のない“激励”という名の痛烈な侮辱。その瞬間、ゲナウの頭の中で、パチンと何かが弾ける音がした。自分の誇り、鳥たちへの想い、そして何より、この目の前の女に「情けない」と全否定された屈辱。それらが混ざり合い、彼の胸の奥から、かつてないほどのどす黒い怒りの感情が噴き上がった。

 

「……メトーデェ!!」

 

 ゲナウは完全に我を忘れ、凄まじい怒号を轟かせた。黒金の翼が部屋全体を破壊せんばかりに激しく展開し、部屋の空気がビリビリと震える。

 

「お前にッ……! お前に俺の何が分かるというのだ!  よくも、よくもそこまでコケにしてくれたな!!」

 

『ピンポンピンポン! ピンポンピンポン! ピンポンピンポン!』

 

 壁の魔力回路が、過去最大の音量で狂ったように鳴り響いた。轟音と共に、第五の扉が勢いよく開く。

 

「……ふぅ。大成功ですね」

 

 次の瞬間、メトーデは先ほどの冷酷な表情を霧散させ、いつもの慈愛に満ちた満面の笑みに戻った。

 

「……ぁ」

 

 ゲナウは拳を振り上げたまま、呆然と立ち尽くした。

 

「ゲナウさんの本気の怒り、とっても格好良かったですよ。お部屋さんも大満足です。では、後半戦へ行きましょう!」

 

「お、お前……、今のは、演技……ッ」

 

「さぁ、どうでしょう。ふふふ」

 

 メトーデは楽しげに鼻歌を歌いながら、開いた扉の奥へと進んでいく。ゲナウは騙された怒りと恥ずかしさで震えながら、彼女の背中を追うしかなかった。

 

 

「……第六の部屋か」

 

 ゲナウはもはやメトーデから数歩分の距離を保ち、極度の警戒態勢を敷いたまま、石壁の文字を凝視した。

 

『第六の試練:互いの美点を見出し、本気で褒めちぎれ。相手の心に響くまで扉は開かぬ』

 

「互いを、褒めちぎる……」

 

 ゲナウは引き攣った声を漏らした。感情を弄ぶ方向性が、いよいよ最悪な領域に突入しつつあった。

 

「あら! 素晴らしいお題ですね」

 

 メトーデは嬉しそうに胸の前で手を合わせた。

 

「わたくし、ゲナウさんの素敵なところなら、いくらでも言えますよ!」

 

「よせ、メトーデ。お前の言葉はどこまでが本気か───」

 

「まず、その『黒金の翼』が本当に素敵です!」

 

 メトーデは一歩踏み込み、ゲナウの翼を熱い視線で見つめた。

 

「洗練された魔力の幾何学模様、漆黒の輝き、一級魔法使いとしての強さと美しさが完璧に融合しています! それに、さっき見せていただいた、普段はお洋服の下に隠れている肉体美が本当に最高でした! 鋼のように鍛え上げられた大胸筋に腹筋……思い出すだけでうっとりしてしまいます!」

 

「待て、声が大きい……ッ!」

 

 ゲナウは顔を紅潮させ、周囲の壁を気にするように手で制そうとする。しかし、メトーデの猛攻は止まらない。

 

「何より、普段はあんなに無愛想で怖そうなのに、鳥さんには凄く優しいところ! そのギャップがたまらなく愛おしいです! 命を落とした鳥さんたちを健気に覚えている繊細な優しさ、本当に尊敬します!」

 

「くッ、もういい、分かったからやめろ……!」

 

 ゲナウは恥ずかしさのあまり外套の襟で顔を半分隠した。だが、壁の魔力回路は『ピコーン』と半分しか光らない。

 

「ゲナウさん、貴方の番です。本気で心に響かせないと、ここを出られませんよ?」

 

 メトーデが期待に満ちた、慈愛の笑みを浮かべて覗き込んでくる。ゲナウは視線を激しく彷徨わせ、言葉を濁しながらも、何とか彼女を褒めようと必死に声を絞り出した。

 

「お前は……その、才色兼備、だ」

 

「はい!」

 

「……見事な容姿を持ちながら、一級魔法使いの名に恥じぬ実力がある。精神操作や呪いへの耐性、そして……多彩な魔法を高いレベルで使いこなす。戦場では、お前のその、高度な治癒魔法で……何度も、傷を治してもらっている。いつも……感謝、している……」

 

 ゲナウは完全に顔を赤くしながら、最後の方はボソボソと呟くように言った。しかし、そこに一切の嘘はなかった。戦友としての本気の信頼と賛辞だった。メトーデは一瞬だけ驚いたように目を丸くし、それから本当に嬉しそうに頬を染めた。

 

「……ゲナウさん。ありがとうございます」

 

『ピンポンピンポン!』

 

 二人の心が通じ合った瞬間、第六の扉が静かに開き放たれた。

 

「……行くぞ」

 

 ゲナウは赤くなった顔を隠すように、足早に第七の部屋へと向かった。

 

 

「……嘘だろう」

 

 第七の部屋に足を踏み入れたゲナウは、壁の文字を見て絶望に近い声を漏らした。

 

『第七の試練:第六とは真逆なり。互いの最も嫌な所、許せぬ欠点を指摘し合え』

 

「……嫌な所、ですか」

 

 さすがのメトーデも、今度ばかりは困ったように眉を下げた。

 

「うーん、嫌な所と言われましても……。ゲナウさんは無愛想ですが、本当はとてもお優しいですし……。あ、中々笑ってくれない所、ですかしら。それくらいしか、あまり思いつきませんね」

 

「俺のことはどうでもいい。……お前に関して言えば、嫌な所というか、その異常な癖(へき)を指摘させてもらう」

 

 ゲナウは腕を組み、冷徹な視線をメトーデに向けた。

 

「お前は、小さい女の子が好きすぎる。一級魔法使いでありながら、小柄な者を見かけるとすぐに抱きしめようとするあの執着心は、傍から見ていて些か異様だ」

 

「あらあら!」

 

 メトーデは反省するどころか、胸を張って笑顔を輝かせた。

 

「いいのです! わたくしは人間の女性にしては背が高い方ですから、小さくて可愛い子がどうしても大大大好きなのです! 特にゼーリエ様!! あの方の小柄で愛らしいお姿は、存在自体が至高の癒やし───」

 

『ピンポンピンポン! ピンポンピンポン!』

 

 メトーデが熱弁を振るった瞬間、迷宮の主であるゼーリエの好みに直撃したのか、凄まじい勢いで扉がパカンと素早く開き放たれた。

 

「……いいのか、これで」

 

 あまりにも身内贔屓で理不尽な判定に、ゲナウは納得がいかない様子で深いため息をついた。

 

 

「……ここまで来ると、もはや悪意しか感じんな」

 

 第八の部屋に入ったゲナウは、頭痛をこらえるように額を押さえた。石壁には、キラキラとした不可解な光と共に文字が浮かぶ。

 

『第八の試練:部屋が指定した者に命ずる。心を込めて、最高に可愛い台詞を三つ披露せよ』

 

 文字が明滅したかと思うと、ゲナウの足元だけがスポットライトのように赤く照らされた。

 

「……部屋が俺を指名しているだと?」

 

 ゲナウは驚愕し、戦慄した。

 

「ここはお前の出番だろう、メトーデ」

 

 ゲナウは完全に投げやりな態度で、隣のメトーデへ話を振る。

 

「いえいえ、ゲナウさん! 部屋の判定は絶対です。こんな時こそ、あなたの可愛い一面を見せるチャンスですよ! さあ、可愛い台詞を!」

 

 メトーデは目を輝かせ、期待に満ちた表情で彼を見つめる。

 

「何だこの嫌がらせは……ゼーリエ様の黒歴史、恐ろしすぎる……」

 

 ゲナウは本気で頭を抱えた。だが、言わなければここから出られない。

 

「……メトーデ、助言をくれ。俺には『可愛い台詞』の定義が分からん」

 

「分かりました! わたくしがお手本を教えますので、そのまま真似してくださいね」

 

 メトーデのコソコソ話による熱血指導のもと、ゲナウは意を決して一歩前に出た。その表情は、魔王の残党と対峙する時よりも峻厳だった。

 

 

「……一つ目だ。『いつも無愛想で、ごめんね……?』」

 

『ピコーン』と壁が光る。ゲナウは羞恥心で耳まで真っ赤にしながら、二つ目を絞り出した。

 

「……二つ目。『これからは、もっと君の前で……笑顔、増やすから……』」

 

『ピコーン』。部屋の魔力回路が激しく明滅し始める。

 

「最後です、ゲナウさん! 語尾が大切ですよ!」とメトーデが拳を握る。ゲナウは死を覚悟したような目で、黒金の翼を小さくハタハタと震わせながら言い放った。

 

「……み、三つ目。『ず、ずっと……一緒にいてほしい……にゃん』」

 

『ピンポンピンポン! ピンポンピンポン!』

 

 過去最高に気の抜けた大正解の音が響き渡り、第八の扉が勢いよく開いた。ゲナウはその場に崩れ落ち、外套で完全に顔を覆って消え入りたい衝動に駆られていた。

 

 

 

「……ここは、今までの部屋とは様子が違うな」

 

 第九の部屋に足を踏み入れた瞬間、肌を刺すような禍々しい魔力が二人を包み込んだ。壁の文字は赤黒い光を放ち、冷酷な事実を告げる。

 

『第九の試練:いずれか一方が瀕死の重傷を負わねば、扉は開かぬ』

 

「瀕死、ですか……」

 

 メトーデの顔からいつもの余裕が消え、眉が険しく寄せられる。ゲナウは迷わず一歩前に出ると、一切の躊躇なく言った。

 

「メトーデ。俺を瀕死にしろ」

 

「ゲナウさん……」

 

「俺からは一切手を出さない。防壁も展開せん。お前の多彩な魔法で、俺を限界まで追い詰めろ」

 

 ゲナウの言葉に、メトーデは一瞬だけ躊躇し、その華奢な指先を震わせた。だが、彼女はすぐに気づいた。

 

(……ゲナウさんは、ご自分の『黒金の翼』でわたくしを傷付けるのが、絶対に嫌なのですね。だから自分を標的にしろと……)

 

 不器用な彼の、パートナーへの絶対的な優しさ。メトーデはその真意を察し、小さく息を吐くと、一級魔法使いとしての鋭い眼光を取り戻した。

 

「……分かりました。貴方の優しさに、わたくしの全力で応えます」

 

 メトーデが杖を構え、膨大な魔力が部屋を満たす。次の瞬間、容赦のない強力な攻撃魔法が、無防備なゲナウを目がけて次々と放たれた。激しい爆音と閃光が、殺伐とした空間を何度も白く染め上げる。

 

───どれだけの時間が経っただろうか。硝煙が薄れる中、メトーデの目の前には、黒い外套が所々激しく破れ、鮮血を流して床に俯せに倒れているゲナウの姿があった。ガコン、と重苦しい音が響き、第九の扉が静かに開く。今回は、あの気の抜けた正解音は一切鳴らなかった。

 

「ゲナウさん!!」

 

 メトーデは杖を投げ出すようにして彼のもとへ駆け寄り、すぐさま治癒魔法を展開した。温かい光がゲナウの身体を包み込み、傷口が少しずつ塞がっていく。しかし、一級魔法使いの猛攻による瀕死の重傷だ。完全に治すには、あまりにも時間が足りない。

 

「……くッ、もういい、メトーデ」

 

 血の気の引いた顔で、ゲナウがメトーデの腕を弱々しく掴んで止めた。

 

「ですが、まだ傷が……」

 

「歩くくらいはできる。ゼーリエ様の命令だ……最後に進もう」

 

 ゲナウは痛みに耐えながら、壁を支えにして這い上がるように立ち上がった。メトーデはその痛々しい姿に胸を痛めながらも、彼の強固な意志に従い、そっと肩を貸して最後の一歩を踏み出した。

 

 

 第十の部屋に足を踏み入れた瞬間、これまでの禍々しい気配は嘘のように消え去っていた。正面の壁に、温かい光で最後の文字が浮かび上がる。

 

『第十の試練:互いの頭を優しくなでなでせよ。これまでの旅路を労うべし』

 

「はぁ……最後が、これか」

 

 満身創痍のまま壁に背を預け、地面に片足をくの字に曲げて座り込んだゲナウが、力なく、しかしどこか安堵したように溜め息をついた。

 

「良かったです、これ以上危険なお題じゃなくて」

 

 メトーデはホッと胸をなでおろした。第九の部屋で彼を深く傷付け、心苦しい思いをしていた彼女にとって、このお題は救いそのものだった。

 

「では、わたくしから……。ゲナウさん、本当によく頑張りましたね、ゼーリエ様の作った無茶振りに対して」

 

 メトーデはゲナウの前にひざまずき、そっと手を伸ばした。傷つき泥に汚れた彼の頭を、慈愛を込めて何度も優しく撫でる。ゲナウは気恥ずかしそうに視線を逸らしたが、その手の温もりに、強張っていた身体の力が抜けていくのを感じていた。

 

「……俺ばかり苦労した気がするが、お前もよくやったな、メトーデ」

 

 ゲナウもまた、重い腕をゆっくりと持ち上げた。そして、メトーデの頭部を大きな片手で包み込むようにして、不器用ながらも優しく撫で返した。

 

『ピンポンピンポン! ピンポンピンポン! この迷宮は間もなく崩壊。速やかに退避すべし』

 

 祝福するような軽快な音が響き渡り、最深部の扉が完全に開き放たれた。これで全十部屋、完全クリアだ。

 

「さあ、帰りましょう。ゼーリエ様の黒歴史を、完全に潰しました」

 

「あぁ、二度とこんな不愉快な場所に来る必要も無くなる」

 

 二人はお互いに支え合いながら、晴れやかな光が差し込む出口へと走り出す。迷宮を完全クリアした褒美は特に無かったものの、二人の絆は確かに深まった。

 

 

 

End

 

 

 

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