葬送のフリーレン短編集   作:風亜

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授かりしものは

「ゲナウさん、わたくし、子供を授かりました」

 

 大陸魔法協会北部支部の一室、二人きりの執務室に、メトーデの凛とした、しかしどこか艶を帯びた声が鼓膜を叩いた。ペンを握るゲナウの手が、一瞬だけピクリと止まる。前線で数々の死線を超えてきた一級魔法使いの彼をして、その報告はあまりに予想外だった。苛烈な戦場でも崩さぬ無愛想の裏で、驚愕の波紋が広がる。だが、ゲナウは表情一つ変えず、視線を書類に落としたまま淡々と言い放った。

 

「……そうか」

 

 他人事だった。誰が相手であれ、自分には関係のない話だ。

 

「誰との子か、聞かないのですか?」

 

 衣擦れの音と共に、メトーデが静かに、しかし確実な足取りで距離を詰めてくる。彼女特有の、甘く、それでいてどこか逃げ場を無くすような気配が間近に迫る。

 

「興味ない」

 

 ゲナウは短く一蹴した。関わるつもりも、詮索するつもりもない。しかし、メトーデは引き下がらなかった。さらに一歩踏み込み、ゲナウのすぐ傍らへと身を寄せる。

 

「……貴方との子供でも、興味ありませんか?」

 

 耳元で、絹が擦れ合うような低い声音で囁かれた。その瞬間、ゲナウの身体が弾かれたように動いた。椅子を鳴らし、反射的に彼女から大きく身を引く。その顔には、いつもの冷徹さはなかった。

 

「どういう、事だ」

 

 いつもの冷静さは完全に消え失せていた。ゲナウは驚きを隠せないまま、低く鋭い声を絞り出す。

 

「私はお前と、そのような行為に及んだ記憶などない」

 

 それは紛れもない本心だった。自身の記憶をどれほど遡っても、彼女と一線を越えた事実など存在しない。しかし、メトーデはそんな彼を追い詰めるように、静かに、淡々と語り始める。

 

「覚えていないのですね。ある日の任務終わりに立ち寄った酒場で、わたくしが無理にお酒を勧めたのもあって、貴方は大分酔いました。宿までわたくしが支えて行き、部屋に共に入った途端、貴方はわたくしを押し倒し、行為に及んだのです。わたくしも酔っていて嫌な気もしませんでしたから、そのまま受け入れました」

 

 淀みなく紡がれる言葉が、執務室の重苦しい空気を満たしていく。

 

「……早朝に行為の後処理をし、わたくしは別室に行きました。覚えていないのも無理はありませんね」

 

 完璧に辻褄の合った説明を前に、ゲナウの脳裏に激しい葛藤が沸き起こる。

 

「その後暫くして、吐き気がするようになりました。ゲナウさんには何とか見抜かれないようにしていたので気付かなかったでしょうけど」

 

「……」

 

 メトーデの言葉に、ゲナウは返す言葉を失い沈黙した。確かにそんな素振りには全く気付かなかった。体調不良はおろか、魔力の微細な乱れすらも、彼女は完璧に隠し通していたのだ。一級魔法使いとしての彼女の実力を考えれば、不可能ではない。

 

「それは悪阻(つわり)だと教えて下さったのは、ゼーリエ様です。子供を授かっていると教えて下さったのも、あの方なのです」

 

 メトーデの口から飛び出したあまりに意外な名前に、ゲナウは完全に言葉を失った。世界の頂点に君臨する、最高峰の大魔法使い。嘘や欺瞞など最も嫌う、あのゼーリエが直々に告げた言葉なのだ。彼女が認めた事実であるならば、もはや間違いようがない。ゲナウの防衛線は、その一言で完全に崩壊した。

 

「喜んで、下さいますか? それとも」

 

「……ろせ」

 

「はい?」

 

「降ろして、くれ。俺には責任が取れない」

 

 青ざめた顔で、ゲナウは絞り出すように言った。その無責任ともとれる言葉に、しかしメトーデは血相を変えるでもなく、不気味なほどの微笑みを絶やさない。

 

「安心して下さい、降ろしません。わたくし一人で育てるので」

 

「……!?」

 

「貴方に迷惑は掛けません、ゲナウさん。これはわたくしの責任でもあります。あの時、酔っていた貴方に精神魔法を掛け眠らせようと思えば簡単でした。ですが、わたくしはそれをせず貴方を受け入れた」

 

「……」

 

「どんな結果であれ授かった命ですもの。この子の父親になって下さいとは言いません。他人として接してくれて構いません。任務のパートナーとしても、解消ですね。……失礼致します」

 

「待……ッ」

 

 引き留める声は届かない。執務室を静かに出てゆく彼女の背中を、ゲナウはただ茫然と見送ることしか出来なかった。

 

 

 

(酔った勢いで……などと、何という軽率な真似をッ。俺のような人間は、子など持つべきじゃない。一級魔法使いとしていつ死ぬかも判らない身。それ以上に、この手は北側諸国の平穏の為に何だってやってきた上に穢れている。そんな俺が、子供を育てられる筈など)

 

 ゲナウは自分自身への激しい失望と嫌悪に身を焦がしながら、ある場所へ向かって歩いていた。渦巻く自己嫌悪に思考を巡らせている内に、気づけばゼーリエの謁見の間の扉の前に着いていた。その重い扉の向こうにいる、師でもあるゼーリエに、どうしても聞いておかねばならない事があった。やがて、両扉がゆっくりと音を立てて開く。ゲナウは自らの心の動揺を表すかのように少し震える足を、鉄の意志で何とか動かし、玉座に鎮座するゼーリエへと歩みを進めた。

 

「どうした、ゲナウ。酷い顔をしているな」

 

 玉座に佇むゼーリエは、いつもと変わらず冷淡な声を響かせた。

 

「ゼーリエ、様……。メトーデが子供を授かったというのは、本当なのですか」

 

 ゲナウは、最高峰の大魔法使いである彼女と目を合わせることすらできず、深く俯きながら問いかける。

 

「フ、何だそんな事か」

 

「そんな、事とはッ」

 

 思わず声を荒らげかけたゲナウを、ゼーリエの鋭い視線が射すくめる。

 

「これはお前達の問題だ。自分達で解決しろ。私は干渉しない」

 

 あまりにも冷たい突き放しに、ゲナウはそれ以上何も言えず、固く拳を握りしめて一礼だけすると、逃げるようにその場を去った。取り残された謁見の間。扉が閉まる音を聞届けたゼーリエは、小さくため息をつく。

 

「……全く、困った弟子達だ。メトーデ、あの子もわざわざこんな事をせずとも。……まぁいい、解決するまでワガママに付き合ってやるか」

 

 ゼーリエの唇が、ニヤリと不敵な笑みに歪んだ。

 

 

 

 ゲナウの足は、吸い寄せられるようにメトーデの部屋へと向かっていた。

 

(俺は、なんという言葉を……)

 

 自分との子供を授かったと聞かされた時、動揺のあまり「降ろせ」と言い放ってしまった。責任が取れない、とも。今にして思えば、あれはあまりにも無責任で、卑劣な言葉だった。自らの軽率な行為が生んだ「親になる」という責任から、ただ恐怖のあまり逃げ出したかっただけなのだ。だが、どんな経緯であれ、彼女のお腹に宿った命に罪はない。ならば、自分がすべき事は一つだけだった。メトーデと共に、その授かった小さな命を何があっても守り、育ててゆく。そう心に決めたゲナウは、迷いを振り切るように、声もかけずに鍵の掛かっていないメトーデの部屋の扉を勢いよく開いた。

 

「……あらゲナウさん、どうしたのですか? 丁度、着替えの最中だったのですけど」

 

 目の前にいたメトーデは、恥ずかしげに身をすくめ、両手で開いた胸元を隠した。白い肌が、執務室のそれよりも近くに迫る。

 

「すまん出直す、外の扉の前にいるから着替え終わったら声を掛けてくれッ」

 

 ゲナウは再び勢いよく扉を閉めた。バタン、と激しい音が廊下に響く。冷徹なはずの彼の顔は、さきほどの青ざめた表情から一転し、隠しきれない熱が帯びていた。

 

 

「着替え終わりました。どうぞゲナウさん、入って来て下さい」

 

 その淑やかな声を聞いて、ゲナウは先ほどとは打って変わり、今度は静かにメトーデの部屋へと足を踏み入れた。背後で扉がカチリと閉まる。

 

「……ゲナウさん、そんな怖い顔をしなくとも大丈夫ですよ。周りの人々には黙っておきます。わたくしと貴方だけの秘密です。……ゼーリエ様も、黙っていてくれるはずですから」

 

 メトーデは労るような、それでいてどこか彼を諭すような笑みを浮かべた。だが、ゲナウの覚悟はすでに固まっている。

 

「そういう、問題ではない……。メトーデ、本当にすまなかった。俺は無責任過ぎた」

 

 ゲナウは真っ直ぐに彼女を見据え、一歩近づいた。

 

「どんな経緯であれ、俺達の子供には変わりないのだろう。だったら、男として、親……として、授かった子供を共に守り育てよう」

 

「ゲナウ、さん……」

 

 メトーデは驚いた表情で、小さく口元に手を当てた。いつも無愛想で、他者との間に明確な線を引いているこの男が、真っ向から責任を引き受け、親になろうとしている。その眼差しは、一切の揺らぎがない真剣そのものだった。

 

 

「ごめんなさい」

 

「……は?」

 

 メトーデが唐突に深く頭を下げた。ゲナウの口から、緊迫感に見合わない妙な声が漏れる。

 

「嘘、なんです。子供を授かったというのは。それに、ある日酔った勢いで行為に及んだ事も」

 

「嘘……だと。しかし、ゼーリエ様は」

 

「なでなでを暫く我慢する代わりに、ゼーリエ様にも少しだけ協力して頂いたのです」

 

「何だ、それは……」

 

 ゲナウの身体から、張り詰めていた力が一気に抜けてゆく。床に膝を突いてしまいそうだった。

 

「試して見たかったのです、貴方がどういう反応をするのか」

 

「つまり……俺の反応を面白がっていたと……?」

 

「そうではありません、純粋な興味です。貴方とわたくしの間に子供が出来たと知ったら、貴方がどんな態度を取るのか」

 

「純粋な、興味だと……」

 

 ゲナウは激怒するどころか、張り詰めていた糸が切れたように、とうとうその場にへたり込んでしまった。

 

「悪い、冗談はやめてくれ……。俺は本当に、親にならなければいけない責任に押し潰されそうだったんだぞ……」

 

 ゲナウは両手で頭を抱え、床に俯きながら、苦しげな声を絞り出した。しかし、その声に微かな安堵が混じっているのを、メトーデは聞き逃さなかった。

 

「そうですか。……そうですよね。わたくしとの子供なんて、要りませんよね貴方には」

 

 彼女の口から出たのは、どこか冷たい空気を孕んだ言葉だった。

 

「では、冗談を本当にしましょう? 今の弱り切った貴方に、精神魔法はよく効くでしょう。あの日の嘘を、本当に」

 

「な……待て、メトー───」

 

 ゲナウの制止が間に合うことはなかった。その後、部屋の結界の奥で二人がどうなったかは、すべてを面白がっていたゼーリエを除いて、誰も知り得なかった。

 

 

 

End

 

 

 

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