俺の弟子が俺の彼女を寝取った挙句、俺の尊厳破壊してくるんですが……?復讐するけど大丈夫?〜黒蝕を纏いし英雄は復讐の果てに何を見る〜 作:αβ-アルファベータ-
「――だから言っただろう、無駄な動きが多すぎる」
王都の郊外に広がる、緑豊かな冒険者用演習場。けたたましい金属音が響き渡り、土煙が大きく舞い上がった。
「くっ……はぁ、はぁ……っ! な、なんで……なんで全然当たらないのよ……っ!?」
荒い息を吐きながら、両手に構えた短剣《ダガー》を握り直すのは、公爵令嬢ルイザミーネ。
額にじんわりと汗を浮かべ、息を乱しながらも、その碧眼は目の前に立つ男――レオン・ヴァルハイトを射抜いている。
レオンは腰の剣すら抜いていない。
ただ両手をポケットに突っ込んだまま、ルイザミーネの神速の連撃を、最小限の身ごなしだけで全てかわしていた。
まさに紙一重の回避。ルイザミーネのダガーの刃先が切り裂くのは、いつでもレオンが残した残像だけだった。
「──速度は悪くないな。天性の素早さと柔軟性もある。……だが、攻撃を繰り出す前に『今からここを狙います』と全身で宣伝しているようなものだ。目線、重心の移動、筋肉の緊張……全てが予備動作として駄々漏れになっている」
レオンは冷淡な声でそう指摘すると、一歩前に踏み出されたルイザミーネの右足の爪先を、トンと自分の靴先で軽く踏みつけた。
「あっ――」
「踏み込みが甘い」
レオンが軽く肩を突くと、体勢を崩したルイザミーネはそのまま勢いあまって尻餅をついた。
「うにゃっ……!?」
派手な音を立てて芝生の上に転がったルイザミーネは、芝みみずのように顔を泥で汚しながら「うぅ~……!」と悔しそうに唸った。
昨日の公爵邸での初対面以来、ルイザミーネはレオンに完全に執着していた。
自分の自慢だった「神速のスリ」を一瞬で見破られ、逆に自分の懐中時計をスり返された衝撃。
そして、どんな護衛も自分を子ども扱いするか気怯えしていた中で、レオンだけが自分を「一人の未熟な戦闘者」として冷酷に、しかし対等に扱ってくれたこと。
それが、箱入り娘として育ったルイザミーネのプライドと好奇心を痛烈に刺激したのだ。
結果として、彼女は朝一番でレオンたちの新拠点に押し掛け、「あたしを指導しなさい! 弟子にしなさい!」と暴れ散らかし、こうして演習場へ引きずり出される形となったのである。
木陰のベンチで、冷たい紅茶を優雅に味わっていた銀髪の少女――シェラが、心底呆れたように溜息をついた。
「はぁ……レオンも物好きね。そんな跳ねっ返りのガキの相手なんて、適当にあしらっておけばいいのに」
「シェラちゃん、でもレオンさんも案外楽しそうですよ?」
隣でクッキーの皿を手にしたクララが、くすくすと微笑む。
「もう、どこがよ。あの目、完全に『庭に迷い込んできた野良猫をどう追い返すか考えている顔』じゃない」
「え〜でもでも、シディスさんたちの件があってから、レオンさんが誰かに何かを教えるような姿なんて見られませんでしたから……なんだか、ほんの少しだけ昔の優しいレオンさんに戻ったみたいで、私、嬉しいんです」
「久しぶりに会えて本当によかった……」
「……ふん」
クララの言葉に、シェラは不機嫌そうに素っポイ顔をして紅茶を口に含んだ。
だが、その紫の瞳は、泥だらけになりながら何度もレオンに向かって飛び込んでいくルイザミーネの姿を、どこか冷ややかでありながらも注視していた。
「――も、もう一回! もう一回よ、レオン!!」
ルイザミーネは芝生を叩いて起き上がると、ダガーを構え直した。
「あたしはグランヴェル公爵家のルイザミーネ! こんなところでへばるわけにはいかないんだから! 絶対に一回くらい、その鼻開いたドヤ顔に一撃叩き込んでやるんだから!」
「ドヤ顔をした覚えはないがな」
レオンは呆れたように息を吐きながらも、構えを解かない。
「いい度胸だな。……来い。今度は少しだけ速度を上げる」
「望むところよ――ッ!!」
ルイザミーネの全身から、眩いばかりの風系統の魔術光が弾けた。天性の素早さに魔術による脚力強化を上乗せした、まさに弾丸のような突進。
「ぬああああああっ!!」
ルイザミーネは空中を蹴るようにして鋭く跳躍し、死角であるレオンの頭上から二連撃を叩きつけようとする。
(勝った……! いくらレオンでも、空中にいるあたしのこの軌道変化には反応できないはず――!)
そう確信したルイザミーネの視界の中で。
レオンの身上が、フッと幻影のように掻き消えた。
「なっ――!?」
空中での追撃は不可能。次の瞬間、ルイザミーネの首筋に、冷ややかな鉄の感触がそっと添えられた。
「……まずまずだ」
いつの間にかルイザミーネの背後に回り込んでいたレオンが、彼女の首筋に抜刀すらしていない剣の鞘を押し当てていた。
──ペタ。
「きゃああっ!?」
そのまま受身も取れず、再びドスンと芝生の上に墜落するルイザミーネ。
「……空中での軌道修正など、風の魔術の予備動作で丸わかりだ。一対一の戦闘で自分から飛ぶのは自殺行為だと覚えろ」
「うううううっ……悔しいよう!」
地面をバタバタと叩いてのたうち回るルイザミーネ。その姿はまるで駄目を押された子供のようだったが、彼女の眼差しには折れる気配など一切なかった。
それどころか、何度も地面に叩きつけられながら、彼女はレオンの圧倒的な次元の違いを肌で感じ、ゾクゾクとするような昂揚感に包まれていた。
(すごいよ……! やっぱりこの人、本物だわ! 騎士団の隊長たちなんて比じゃない! この人に認められたら……あたしは本当に『本物の冒険者』になれるのかな……!)
「レオン! 明日も! 明日も朝六時にここに来るからね! 絶対に逃げないでよ!?」
息を荒らげながら叫ぶルイザミーネに、レオンは心底面倒くさそうに顔を歪めた。
「……明日からは依頼の通常護衛だ。演習に付き合う気はないな」
「えぇーっ!? ケチ! レオンのケチーッ!」
「なんとでも言え」
二人の不毛なやり取りを見かねて、シルフィアが苦笑しながら歩み寄ってきた。
「まあまあ、レオン様。ルイザミーネ様がここまで熱心に誰かの指導を受け入れようとされるなど、公爵邸の誰もが信じない奇跡ですよ。おかげで今日一日、彼女の手癖による被害者は一人も出ませんでした」
「……俺は公爵家の家庭教師になった覚えはないがな」
「ふふ、ですが感謝いたします。……さて、ルイザミーネ様、本日の『ご指導』はここまでです。そろそろ公爵邸へお戻りになる時間ですよ」
「えぇーっ、もうそんな時間? 分かったわよ……」
ルイザミーネは名残惜しそうにレオンを見上げ、泥を払った。
「バイバイ、レオン! ちびっこ魔女もね!」
「はぁ〜!?誰がちびっこよ! 次言ったら蠅に変えるわよ!!」
威嚇するシェラにケラケラと笑いながら、ルイザミーネはシルフィアの手配した馬車へと乗り込んでいった。
立ち去る馬車を見送りながら、レオンは静かに息を吐いた。
「……騒々しい子供だ」
「ほんとよ。あんなのの護衛なんて、本当に『魔導古文書』の報酬がなかったら投げ捨ててるところだわ」
シェラが不機嫌そうにレオンの隣に浮かび上がり、彼の肩にちょこんと顎を乗せた。
「でも……まあ、悪くはないわね」
「何がだ?」
「あなたの顔よ。あの頃のあなたは、まるで世界中の全てを呪うみたいな目をしてたわ。……でも今は、少しだけ『人間』の顔をしてる」
「……下らないことを言うな」
レオンはフンと鼻を鳴らし、歩き出した。
(──それはお互い様じゃないか)
シディスへの復讐を果たし、王国最高幹部からの名誉回復と特別冒険者の地位を得た。
かつて泥を舐め、裏切られ、絶望の底にいたレオン・ヴァルハイトは、今や王都でも一目置かれる存在となり、シェラやクララ、ルクレツィア、そしてシルフィアといった信頼できる者たちに囲まれている。
(平穏……か)
レオンは自分の右腕に視線を落とした。
皮膚の奥で静かに蠢く、漆黒の『黒蝕の力』。シディスを滅ぼしたあの禍々しい力は、今も確実にレオンの肉体を蝕み続けている。だが、シェラの魔力補給と、この温かな日常のおかげで、その侵食は極めて安定していた。
何の問題もない。
自分たちは強くなった。これからどんな敵が来ようと、今の自分とシェラならば退けられる。
――そう、誰もが信じていたのだ。
王都の穏やかな陽光が、彼らの影を優しく包み込んでいた。その影の先が、どこへ繋がっているのかも知らずに。
◇◆◇
王都から北西へ数十km。
緑豊かな山々に囲まれた、人口数百人ほどの穏やかな農村――『エルム村』。
のどかな昼下がりだった。
畑仕事の手を止め、風に揺れる麦穂を眺めていた老農夫が、ふと空を見上げた。
「……ん? 雨でも降るんかいな……?」
雲一つない快晴だったはずの空が、急速に暗転していた。だが、それは雨雲ではない。
黒い。粘り気のある、不気味な『黒い霧』が、山肌を這うようにして急速に村へと雪崩れ込んできていたのだ。
「な、なんだあれは……!? おい、みんな! 黒い霧が――」
老農夫が声を張り上げようとした、次の瞬間。
――ズチチャッ。
耳を刺すような、生臭い液体が弾ける音が響いた。老農夫の身体が、硬直した。
首筋に、冷たい「何か」が触れた。
「え……?」
老農夫が自分の胸元を見下ろすと、そこには胸突き破って背中へと抜け出た、黒く変質した鋭い『骨の棘』が生えていた。
「がっ……あ……っ!?」
声にならない悲鳴。視界が赤く染まり、続いて漆黒に塗りつぶされていく。
老農夫の身体から溢れ出た血液は、地面に落ちると同時に赤から『黒』へと変質し、生き物のようにドロドロと泡を立てて地面を浸食し始めた。
「ひぁぁぁぁぁっ!?」
「逃げろ! 怪物だ! 怪物が現れたぞ!!」
村中に、狂乱の絶叫が響き渡る。
黒い霧の中から、ゆっくりと歩み出てくる者たちがいた。それは、人の形をしていたが、もはや人間ではない。
全身の皮膚は死人のように青白く硬化し、眼球は存在せず、口からは黒い粘液を撒き散らしている。肉体の一部からは、異形の骨や金属のような刃が突出し、禍々しい魔力を撒き散らしていた。
『ヴァルフレイド様……』
異形と化した者たちが、濁った声で呟く。
それは、かつてこの周辺を縄張りにしていた盗賊団や、派遣されていた王立騎士団の調査隊の「成り果て」だった。
彼らは生きたまま身体を組み替えられ、意志を奪われ、ただ殺戮と破壊を繰り返す『肉の兵器』へと改造されていたのだ。
「た、助けてくれぇぇぇっ!!」
村長が家財道具を抱えて逃げ惑うが、その背後に、ゆっくりと一人の男が舞い降りた。背の高い、洗練された黒い軍服を纏った男。
腰には二本の細身のレイピア。その顔立ちには高貴さすら漂っていたが、その瞳は完全に光を失い、深い絶望の底のような濁りを湛えていた。
『黒血の三将』が第一席――『狂刃のレヴィン』。
虐殺のヴァルフレイドが従える、凶悪な幹部の一人である。
「……汚い声だ」
レヴィンが静かに呟く。
彼がレイピアの柄に手をかけた、その一瞬。
一閃。音すら遅れて届くほどの神速の斬撃。
村長の手足、そして首が、まるで熟した果実のように静かにスライスされ、地面へと転がり落ちた。
「ひっ……ひぐっ……!?」
周りにいた村人たちが、あまりの出来事に腰を抜かす。レヴィンは足元に転がった村長の首を、底知れぬ冷酷な瞳で見下ろすと、レイピアの血を優雅に拭い取った。
「価値のない命だ。ヴァルフレイド様が求められる『古代の核《コア》』は、ここには存在しない」
レヴィンの背後から、さらに二つの禍々しい気配が近づいてくる。一つは、体長三メートルを超える巨体を誇り、全身を黒い重鎧と巨大な鉄球で固めた大男――『破砕のゴーザ』。
もう一つは、全身を黒い包帯で巻き、不気味な笑い声を漏らす怪しい術士――『腐蝕のシルハ』。
ヴァルフレイド配下の精鋭幹部集団『黒血の三将』。彼らのみで、かつて一つの国すらを崩壊に追い込んだほどの危険度を誇る、一騎当千の化け物たちだった。
「ひひ……レヴィン、この村の人間も全滅かい? ヴァルフレイド様はお急ぎだぜ? 王国の結界を破壊するための『古代核』は、一体どこにあるんだ?」
包帯の術士シルハが、ケケケと不気味に笑う。巨漢のゴーザが、巨大な鉄球を地面に叩きつけながら返事を返す。
「……王都の……すぐ近く……大きな屋敷の地下に……強い古代の反応……ある……」
「ほう……?」
レヴィンが薄く唇を歪めた。
「あそこは……グランヴェル公爵家の領地、と王都周辺の古代遺跡か。……フッ、ちょうどいい。王国の豚どもに、ヴァルフレイド様の『新世界の到来』を教えてやるとしよう」
レヴィンが軽く手を振ると、村を包み込んでいた黒い霧が一斉に渦を巻き、息絶えた村人たちの死体へと群がっていった。
「ギギギ……ギギ……ッ」
死んでいたはずの村人たちが、異様な音を立てて起き上がり始める。その瞳は黒く染まり、爪は鋭く伸び、異形の怪物へと変貌していく。
わずか数分で平穏だったエルム村は、一人の生存者も残さず、ヴァルフレイドの怪物を生み出す『死の村』へと変貌を遂げたのだった。
「さあ……進め。邪魔する者は全て肉塊に変えよ」
レヴィンの静かな命を受け、異形の大群が、王都の方角に向けて静かに進軍を開始した。
◇◆◇
「――はっ!? ハックションッ!!」
王都の豪華なカフェのテラス席で、ルイザミーネが派手にくしゃみをした。
「汚いな。少しは淑女らしくできないのか」
向かいの席で、高級な紅茶を口に含んでいたレオンが冷たく言い放つ。
「うぅ……誰かが噂をしてるのよ! きっとお父様があたしの買い食いを知って怒ってるんだわ!」
ルイザミーネは鼻をこすりながら、テーブルの上に山盛りにされた高級タルトを大きな口で頬張った。
今日はシルフィアからの正式な依頼として、ルイザミーネの「王都内での買い物の護衛」を行っていた。
相変わらず隙があれば店の商品やレオンの小銭入れをスろうとするルイザミーネだったが、その都度レオンに手首を掴まれて阻止され、今は大人しくケーキをヤケ食いしている。
「ねえレオン、知ってる?」
タルトのクリームを口の端につけたまま、ルイザミーネが言った。
「何だ」
「最近ね、王都の北の方にある村から、商人たちの連絡が途絶えてるんだって。お父様の屋敷にいた騎士たちが『ただの山賊の仕業だろ』って話してたけど」
「……山賊か」
レオンは気にも留めずに紅茶のカップを置いた。王国の周辺で山賊や野良の魔物が出現するなど、日常茶飯事だ。
ギルドのB級やC級の冒険者が派遣されれば、すぐに解決する程度の雑事。特別冒険者となった今のレオンが首を突っ込むような問題ではない。
「ふん、どうせ大したことないわよ」
レオンの膝の上で、黒猫のように丸くなっていたシェラが小さく欠伸をした。
「王国の騎士団なんて、シディスみたいな無能ばかりでしょ。山賊一つ散らすのに時間がかかってるだけじゃない?」
「そうかもな」
レオンは短く同意した。彼らの認識は、極めて正常だった。
これまでの常識、これまでの王国の平和という前提の上に立てば、それは「どこにでもあるよくあるトラブル」に過ぎなかったのだ。
しかし、まさか――その正体が、かつて世界を震撼させた虐殺者ヴァルフレイドの配下であるとは。
すでに一つの村が全滅し、異形の軍勢となって王都へと向かっているなどとは、夢にも思っていなかった。
「あーあ、早くあたしも一人前の冒険者になって、そういう山賊退治とかバッサバッサやってみたいなぁ!」
ルイザミーネは胸を張り、拳を突き上げた。
「レオン! あたしがもっと強くなったら、その山賊退治、あたしに譲ってよね!」
「勝手にしろ。ただし、返り討ちに遭って死んでも俺は知らん」
「ひどいっ! 弟子に向かって死んでも知らないはないでしょ!?」
「弟子にした覚えはない」
他愛もない、平和な会話。温かな陽光。香ばしい紅茶の香り。
だが――レオンたちの足元に伸びる影は、いつの間にか不気味な黒さを増していた。
王国の平和という薄氷の上に立つ彼らに、刻一刻と『最悪の絶望』が近づいていることに、まだ誰も気づいてはいなかった――。