俺の弟子が俺の彼女を寝取った挙句、俺の尊厳破壊してくるんですが……?復讐するけど大丈夫?〜黒蝕を纏いし英雄は復讐の果てに何を見る〜   作:αβ-アルファベータ-

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閑話 魔女の微笑み

 

 ダンジョン『黒竜の巣穴』へと向かう道中、夜の静けさに包まれた森のキャンプ地。

 

 焚き火の爆ぜる音が、パチパチと静かに響いていた。レオンは木に腰掛け、手の中の『黒蝕の書』を見つめていた。

 

 皮の装丁から伝わるのは、氷のように冷たく、それでいて心臓の鼓動のように妖しく脈打つ感覚だ。

 

「……シェラ」

 

 レオンは火の粉を眺めながら、横で膝を抱えて座っていた銀髪の少女に問いかけた。

 

「気になっていたんだが……なぜ俺はこの『黒蝕の書』に適合できたんだ? かつてこれを手に入れた時、古代の資料には『精神を狂気に侵され、肉体が崩壊して即死する』と書かれていたはずだ」

 

 シェラは膝に顎を乗せたまま、紫の瞳をゆらりとレオンに向けた。

 

「ふふ、今更それを聞くの? ……そうね、理由は二つあるわ」

 

 シェラはゆっくりと立ち上がると、無音で空中を滑るようにレオンのすぐ隣へと移動し、彼の膝にちょこんと腰掛けた。

 

「一つは、君の『壊れた魔力回路』そのものよ」

 

「回路……?」

 

「『黒蝕の書』が持つ魔力は、あまりに狂暴で破壊的。通常の、綺麗に整った魔力回路を持つ人間が取り込もうとすれば、拒絶反応を起こして内側から回路が爆発するの。でもね……君の回路は、仲間を庇ってすでにズタズタに引き裂かれていたでしょう?」

 

 シェラは指先でレオンの胸元――傷ついた魔力回路が眠る場所を優しくなぞった。

 

「一度破壊され、隙間だらけになった君の回路は……皮肉にも、黒蝕の魔力が侵入し、根を張るための『完璧な苗床』になっていたのよ。壊れていたからこそ、毒を受け入れる器になれた」

 

「なるほどな……怪我をしたことが、皮肉にも適合の条件だったというわけか」

 

「そして……もう一つの理由。それが一番大事なことよ」

 

 シェラはレオンの顔を覗き込み、妖しく微笑んだ。

 

「――君の『魂の純度』が高すぎたの」

 

「魂の純度?」

 

「そう。人は誰でも欲望や疑念を持っているわ。中途半端な悪意や、甘えを持った人間がこの本を開けば、本の持つ怨念に精神を喰われて一瞬で狂気に落ちる。……でも、あの時の君は違った」

 

 シェラの声が、少し低く、愛おしむようなトーンに変わる。

 

「裏切られ、奪われ、尊厳を殺されたあの雨の夜……君の心にあったのは、言い訳も迷いもない『純粋で無垢な、完璧な復讐心』だけだった。自分を害した者を絶対に許さないという、結晶のように澄み渡った漆黒の殺意。その純粋さに、魔導書が『主』として平伏したのよ」

 

「……俺の狂気が、本を上回っていただけということか」

 

「ええ。だから君は本に呑まれることなく、その毒を己の刃として支配できたの」

 

 レオンは己の手を見つめた。

 

 仲間を護るために正義を貫いた結果壊れた体が、邪悪な復讐心によって再構築された。なんと皮肉で、美しい巡り合わせだろうか。

 

「……じゃあ、もう一つ教えてくれ」

 

レオンはシェラの紫の目をじっと見つめた。

 

「お前は最初、俺に近づいた理由を『絶望する男の復讐劇が見たいから』と言っていたな。……今の目的も、変わらないのか?」

 

「……」

 

 シェラは一瞬、言葉を詰まらせた。

 

 いつもの不敵な笑みが消え、少女のような素の表情が覗く。

 

彼女は数百年間、退屈な世界を生きてきた。

 

 人間の醜い欲望、裏切り、見苦しい執着。そんなものを腐るほど見てきたからこそ、レオンという男がシディスたちに裏切られ、惨めに這いずり回る姿も「いつもの退屈しのぎのショー」として高みの見物を決め込むつもりだったのだ。

 

 壊れかけた男が、禁忌の書を開き、苦悶の末に狂い死ぬ。 

 

 それを特等席で眺めて嘲笑う――それが、最初の『思惑』だった。

 

 だが――。

 

(狂い死ぬどころか……君は、その激痛すら糧にして立ち上がった)

 

 絶望のどん底で、自分の無力を嘆くでもなく、世界を呪うでもなく。

 

 ただまっすぐに、敵を滅ぼすためだけに覚悟を決めたレオンの瞳。

 

 そして何より……手に入れた暗黒の力に呑まれることなく、冷徹でありながらどこか気高さを失わないその佇まい。

 

 パーティーの夜、黒いローブを纏い、冷酷な笑みを浮かべてシディスを陥れたレオンの横顔を見た時――シェラの胸の奥で、数百年間眠っていた心が、トクンと激しく跳ねたのだ。

 

(ああ……私、観客でいるなんて耐えられないわ)

 

 ただの鑑賞対象だった男が。

 

 自分だけの『特別な男』に変わった瞬間だった。悪魔のような冷酷さと、かつて人を愛した者だけが持つ底知れぬ深み。そのギャップが、シェラの退屈で冷切だった世界を、あまりにも鮮やかに塗り替えてしまった。

 

 

「……最初はね」

 

 シェラは小さな声で呟き、レオンの首にそっと手を回した。

 

「最初は、君が苦しんで破滅する姿を高笑いしながら見るつもりだったわ。それが最高の娯楽だと思っていたの」

 

「正直だな」

 

「でも……ダメね。君があまりにも魅力的すぎるから」

 

 シェラはレオンの胸に顔をうずめ、ぐっと身体を押し付けた。

 

「冷酷で、残酷で……でも私には優しく頭を撫でてくれる。そんな君の『悪』に、私の方が魅了されちゃったのよ。もう観客席にはいられないわ。君の隣で、君と一緒に世界を地獄に変える『共犯者』でいたいの」

 

「シェラ……」

 

「……ねえ、レオン。復讐が終わったら、君はどうするの?」

 

 シェラは上目遣いでレオンを見つめた。紫の瞳に、かすかな不安と、強い執着が揺れている。

 

「シディスとエリスを地獄に落としたら……君はどこかへ消えちゃうの? それとも……私と一緒にいてくれる?」

 

 レオンは少し驚いたように目を丸くしたが、やがてその大きな手で、シェラの柔らかい銀髪を愛おしそうになでた。

 

「俺にはもう、戻る場所も、正統な冒険者としての未来もない。……お前が望むなら、地獄の果てまで付き合ってやるさ」

 

「……!」

 

 シェラの顔が瞬時に真っ赤になった。

 

 彼女は嬉しさを隠しきれず、レオンにギュッと抱きついた。

 

「約束だよ! 嘘をついたら、君の心臓を黒蝕の毒で溶かしちゃうんだから!」

 

「ああ、約束だ」

 

 焚き火の温かい光の中で、歪んだ絆を確かめ合う二人。復讐のために生まれた漆黒の力と、退屈な魔女の芽生えた恋心。

 

 二人の共犯関係は、より深く、より切っても切れないものへと昇華していた。

 

「さあ……明日は『黒竜の巣穴』ね」

 

 シェラは満足そうに微笑み、レオンの頬にすり寄った。

 

「シディスに、最高の『地獄の招待状』を届けてあげましょう、レオン」

 

「ああ。奴の誇りも、希望も、すべて黒く塗りつぶしてやる」

 

 夜の静寂の中、復讐者と魔女の不敵な笑い声が、静かに溶けていった。

 

 

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