カメラはロッカーを映していた。
白というには薄汚れていて、他の色と言うには無機質すぎる場所。センサーによって明かりの落とされた暗色を、カメラはずっと映していた。
そこには人気も無ければ生活感も無い。ただ遠く疎らに鳴る無数の足音と電車の走る音、断続的な振動が聞こえてくるだけだ。行き交いの音が近くなることもなく、忘れたようにシャッターを閉める振動も伝わってくる。アルバイト達の疲れ切った笑い声が近くで弾けて、すぐに遠ざかった。
ジジ、とカメラがくぐもった電子音をこぼす。年季の入った機械はそろそろ替え時のはずだ。設置されてから一度も降ろされたことのない黒い機体には埃が綿のように積もっていた。忘れられ、敬遠された監視者は、自身の限界に気付くことなく、暗闇のロッカーを映し続けていた。
火花が散る。
画面が白く塗り潰される。
形の無かった変化はすぐに電灯の明かりへと収束した。
女が一人立っていた。白いワイシャツはロッカーと同じくらい薄汚れ、ジーンズもくすんで元気がない。長い髪は生乾きでゴワゴワとした質感がざらついた画面でも分かった。だらしなくぶら下がったバッグは革部分がくったりとして今にも剥がれ落ちそうだった。
静寂の侵入者は忙しなく辺りを見回し、ロッカーに近付いた。表情までは見えないが、白色電灯が暴いた影の中で正体が捻れるように揺れていた。幽霊か、幽鬼か、はたまた──じらりと電灯が光を身じろがせる。
首が上にもたげる。影は身を縮めて頭を抱える。水とタンパク質の塊となった実体の代わりに、耳に痛いほどの沈黙が苦悶を訴える。ロッカーのつるりとした表面にジーンズの青が移り、ペンキを擦ったように掠れた。バッグの黒も同じように写し出され、振り子のように不吉に揺れている。
痛いような、息苦しいような。水圧に近い空気が電車の振動によって波状に揺れた。漣が実体を追い立て、肌を泡立たせる。静寂を不作法に切り裂いた咳は今の季節に似合わない濡れたものだった。
女の手が、ロッカーの取っ手を掴む。コインを入れることで封を可能とするよくあるロッカーだ。1回100円という記載を無視し、
誰も来ない。
部屋の隅に吊り下げられたカメラではロッカーの中身までは見えない。ただ生白い皮膚の中にぽっかりとした黒い穴が空いている。怪物の大口のような黒。うっかりすれば腕ごと持っていかれそうな色を怯むことなく──或いは、気付くこともなく、女はバッグを中へ押しやった。
金戸がまた悲鳴を上げる。物を大切にしない者は不義だ。女を咎める残響に構うことなく、影はふらふらと後ろに退いた。リミナルスペースを彷彿とさせる壁に女は密着した。出来るだけ、カメラから映らないように。壁と同化したいのかと問いたくなるほどベッタリと張り付いた其れは、影を隙間に詰め込んで隠しているようだった。
ロッカーは施錠されていない。これでは盗難防止の意味がない。だと言うのに、女はコインを出す気配も浮かべない。乱れた髪の中から溢れる視線の意図を映す能力など、カメラは持っていなかった。ただただ女の奇行を、影の捻れを記録し続けた。
やがて女は部屋の出入り口へ身体を引きずり出した。左右に揺れる様は花にも見えなくもないが、肝心の容姿が華やかではない。不気味な塊で腕や肩に巻き付いた髪が今にも此方を貫きそうだ。斑模様の生地を見せる背中から皮膚を突き破り、咬合の無い口達が一斉に喚き散らす。音の無い、無間の訴え。だが、たとえその声が聴こえたとしても、誰も気に留めることは無かっただろう。電車も、人影も、カメラの奥にいる者も。自業自得に身を埋め、社会は代償を支払わない。
振動が画面を揺らす。無機物だけが居座る。
一分、二分、三分。
俄に、ぱっと火花が消えた。刻んだ時間通りに世界は幕を下ろす。
そして何も見えなくなった。
──おぎゃあ。