お菓子のダンジョンの最奥、その更に向こうには隠し部屋があった。
お菓子の巨人が設置されていたであろうスペースには、小さな宝箱がぽつんと置かれていた。
「これ幻のお菓子だよね、きっと!」
「幻のお菓子……」
期待に満ちた二色の眼を輝かせ、リセは勢いよく宝箱を開けた。
しかし、中にはメッセージカードが一枚。
幻のお菓子は、影も形もなかった。
「『楽しんでいただけましたか。この経験こそがあなたの幻のお菓子です』……」
メッセージカードを読み終えて、わなわなと震えるリセ。
「む、むかつくぅ~~!」
ついにリセの堪忍袋の緒が切れた。
ダンジョンに入ってからずっと笑っていた彼女が、初めて本気で怒った瞬間だった。
「……?」
やり場のない怒りを吐露するリセを、芽は不思議そうに見つめていた。
「……クッキー」
「メっちゃん?」
芽の言葉で冷静になったリセは、自身の掌に一枚のクッキーが乗せられていたことに気付く。
「え……メっちゃん、もしかして、わたしに?」
それは、芽が一枚だけ懐に忍ばせておいた、お菓子の家で見つけたクッキーだった。
何故それをリセの手に乗っけたのか。
自分でも理解できていなかった。
「……ふふっ、あははは……もう、メっちゃんには敵わないなぁ」
パキッ……と音を立てて半分に割れるクッキー。
「半分こ。一緒に食べよ?」
もう半分のクッキーをリセから手渡され、芽はクッキーにかじりつく。
機械の駆動音が鳴り響く中、最奥の空間は優しく穏やかな空気に包まれていた。
「お腹も膨れたし、他の世界に行こっか! メっちゃんはさ、どこか行きたい場所はある?」
「行きたい場所……」
ずっと白い空間で過ごしてきた芽に与えられた、自由な選択。
だが、外の世界を知らない芽にとって、行きたい場所などあるはずもなかった。
「わからない」
「そっかー。じゃあ、わたしが決めていい?」
何も言わずに頷く芽。
行きたい場所は分からないけれど、別の場所を見たくないわけではない。
リセに付いていけば、新しい景色が見える。それだけは、確かだった。
「わたしね、友達を探してこうやって……色んな世界を旅してるんだ」
リセが壁際に向かって大きな円を描くと、ジグザグ模様の亀裂が入り、別の景色が露になる。裂け目の内側からは、澄み渡った青空が映し出された。
「あー、また変な形になっちゃった! やっぱノゾミみたいにうまくいかないや……」
漫画の吹き出しみたいになった壁穴を見ながら、リセは小さく笑う。
けれど、その笑顔はどこか寂しげだった。
「友達……」
その言葉が何を意味するのか、今の芽には見当もつかなかった。
「行こ、メっちゃん!」
リセに手を引かれ、芽は裂け目の向こうへと踏み出していく。
青色を見るのは、これが二度目だった。
◇◇◇
裂け目をくぐった二人は、雲一つない晴天の中、落下していた。
その落下速度は非常に穏やか。
奇妙なことに落ちている感覚はあるのに、自由に身体を動かせている。
「ほら見てメっちゃん! すごいよ、空なのに泳げる!」
「……泳ぐ?」
「あっそっかぁ。海にまだ入ったことないもんね」
棒立ちで落ちている芽の手を引くと、リセは空の中をスイスイと泳いでみせた。
その動きを真似るように、芽も身体を水平に傾ける。ぎこちなく手足を動かしているうちに、自然とリセの隣へと並んでいく。
「そうそう、そんな感じ! メっちゃん飲み込み早いね!」
「これが泳ぐ……」
「海だったら水の中で泳げるんだよ。今度一緒に行こうね!」
「海……」
どこまでも続く青空の中、自由気ままに泳ぎ回る二人が捉えたのは、ちっぽけな緑の点だった。
近づいていくにつれてその緑の点は輪郭を帯び、やがて大きな島になった。
――空に浮かぶ無人の島。
緑豊かな大地の中央には荒々しい火山がそびえていた。渓谷から流れ落ちる滝は澄み切った水面へと注ぎ、草原には爽やかな風が吹き抜ける。森の木々には見たこともない果実がたわわに実っていた。
人の手が入った形跡はどこにもない。
まるで夢のような島だった。
「おっきな森、でっかい山、ひろい海!」
「……森」
島に降り立ったリセは、目の前に広がる大自然に居ても立っても居られなくなっていた。辺りをくるくると駆け回りながら、気持ちよさそうに深呼吸する。
一方、芽の視線は果実の実る森へと向いていた。ピンク色のみずみずしい果実が気になるようだった。
まるで誰かに導かれるかのように、芽は森の奥へと足を踏み入れた。
枝いっぱいに実った果実は、近くで見ると宝石のように透き通っている。歩み寄るほど、爽やかな甘い香りが鼻をくすぐった。
芽が手を伸ばすと、果実はするりと枝から外れた。割ってみると中はほとんど空洞で、果肉は申し訳程度にしかない。
その代わり、二つに割れた実の内側は、溢れんばかりの虹色に輝く液体で満ちていた。
どうして零れないのだろうか。
首を傾げながら果実を見ていると、後ろから聞き覚えのある声が勢いよく飛んできた。
「メっちゃーん!」
リセが手を振りながらこちらへ駆けてくる。
「急にいなくなるからびっくりしたよ。心配したんだからね、もう」
芽は割れた果実の片方を、そっとリセに差し出す。
突然差し出された果実に、リセは目を丸くした。
「メっちゃん……なにこれ?」
「半分こ」
芽の真意に気付いたリセは、思わず笑ってしまった。
「そうだね! 一緒に食べた方が楽しいよね……あれ? なんか中にジュースみたいなの入ってるね」
「ジュース……」
「うん。果物をグシャッて絞るとできる、甘いお水のこと! でも中に入ってるのは初めて見たかも」
「甘い?」
「うん、甘くて美味しいよきっと! さっそく飲も?」
二人は顔を見合わせた後、ピンクの果物を杯のようにしてゆっくりと飲み始めた。
例えようのない心地良さが、芽の身体の奥へ染み込んでいく。
喉を通過するたび、辺りの景色がぼんやりと薄れていくように感じた。
「メっちゃん……だ……い……?」
誰かの声を聞いた気がしたが、よく分からなかった。
◇◇◇
青色を見るのは、これが三度目だった。
「ほら見てメっちゃん! すごいよ、空なのに泳げる!」
「……泳ぐ」
「あっそっかぁ。海にまだ入ったことないもんね」
リセは空の中をスイスイと泳いでみせた。
芽も身体を水平に傾け、自然とリセの隣へと並んでいく。
「メっちゃん、泳ぐの上手。じゃあ、今度一緒に海へ行っても大丈夫だね!」
「海……」
どこまでも続く青空を泳ぎ回る二人は、やがて大きな島に辿り着いた。
――空に浮かぶ無人の島。
緑豊かな大地の中央には荒々しい火山がそびえていた。渓谷から流れ落ちる滝は澄み切った水面へと注ぎ、草原には爽やかな風が吹き抜ける。森の木々には見たこともない果実がたわわに実っていた。
「おっきな森、でっかい山、ひろい海!」
「森……!」
島に降り立ったリセは、目の前に広がる大自然にはしゃいでいる。
一方、芽の視線はピンクの果実が実る森へと向いていた。
誘われるように、芽は森の奥へと進んでいく。
そのピンクの果実には、何故だか見覚えがあった。
芽が手を伸ばすと、果実はするりと枝から外れた。割ってみると中はほとんど空洞で、果肉は申し訳程度にしかない。
その代わり、二つに割れた実の内側は、溢れんばかりの虹色に輝く液体で満ちていた。
(これを飲んではいけない)
そんな考えが浮かんだ瞬間、後ろから聞き覚えのある声が勢いよく飛んできた。
「メっちゃーん!」
リセが手を振りながらこちらへ駆けてくる。
「急にいなくなるからびっくりしたよ。心配したんだからね、もう」
芽は割れた果実の片方を、そっとリセに差し出す。
(飲んじゃダメ)
突然差し出された果実に、リセは目を丸くした。
「メっちゃん……なにこれ?」
「半分こ……?」
芽の真意に気付いたリセは、思わず笑ってしまった。
(気付いて)
「そうだね! 一緒に食べた方が楽しいよね……あれ? なんか中にジュースみたいなの入ってるね」
「ジュース……」
「うん。果物をグシャッて絞るとできる、甘いお水のこと! でも中に入ってるのは初めて見たかも」
「甘い」
「うん、甘くて美味しいよきっと! さっそく飲も?」
二人は顔を見合わせた後、ピンクの果物を杯のようにしてゆっくりと飲み始めた。
例えようのない心地良さが、芽の身体の奥へ染み込んでいく。
喉を通過するたび、辺りの景色がぼんやりと薄れていくように感じた。
「メっちゃん……だい……う……?」
リセの声を聞いた気がしたが、何を言っているのかは分からなかった。
◇◇◇
青色を見るのは、これが四度目だった。
もう驚きはない。
空を泳ぐ感覚も、リセの声も、島の景色も。
全部、知っている。
「ほら見てメっちゃん! すごいよ、空なのに泳げる!」
「……」
「あっそっかぁ。海にまだ入ったことないもんね」
リセは空の中をスイスイと泳いでみせた。
芽も慣れたように身体を水平に傾け、自然とリセの隣へと並んでいく。
「メっちゃん、泳ぐの上手。じゃあ、今度一緒に海へ行っても大丈夫だね!」
「……」
どこまでも続く青空を泳ぎ回る二人は、やがて大きな島に辿り着いた。
――空に浮かぶ無人の島。
それは人の手が入った形跡のない大自然が並ぶ、夢のような島だった。
「おっきな森、でっかい山、ひろい海!」
「……!」
島に降り立ったリセは、目の前に広がる大自然にはしゃいでいる。
一方、芽の視線はピンクの果実が実る森へと向いていた。
(行っちゃダメ)
そう思っているのに、足は止まらなかった。
無意識のまま、芽は森の奥へと進んでいく。
目の前にはあのピンクの果実。何度も見た虹色の液体。甘くて、優しくて、リセと一緒に飲んだもの。
何度だって飲んでいたい、禁断の一滴。
けれど、一緒に飲みたい人は、ここにはいなかった。
「芽吹け」
そう一言呟いた芽の景色は、霧が晴れるかのように鮮明になっていく。
すべてが幻だと理解した芽は、静かに目を閉じた。
◇◇◇
目を覚ました時、芽の眼前にあったのは、心配そうに覗き込むリセの顔だった。
「メっちゃん……大丈夫?」
夢の中で聞いた声は、どうやらリセのものだったらしい。
まだ夢の中にいるのではないかと、リセに向かって「本物?」と問いかける芽。
「なにそれ、変なメっちゃん」
その反応と笑顔を見て、芽はようやく安堵する。
幻の中のリセは、絶対にそんな顔はしなかったから。
「そうだ、海! メっちゃん、あっちにちょうどいい海があるから、そこ行こ? 約束、したもんね」
「海……」
ピンク色の果実の中は、もう空っぽになっていた。
だけど、不思議と寂しくはなかった。
あの心地よさはもう必要ない。
だって今、目の前には本物のリセがいるのだから。
◇◇◇
植物が入り乱れる庭園で、緑色の三つ編みの少女が気持ちよさそうに眠っていた。
その傍らには、いくつものピンク色の果実が転がっている。
割れた果実からは、虹色の液体が静かに滴り落ちていた。
突然、ピシッと渇いた音が反響した。
「ひゃあっっ、何ですか一体!」
「起きろ、大馬鹿者!」
「リーダー辛辣。おはよ、スローラちゃん」
壮年の男とパーカー姿の少女が、スローラと呼ばれた少女を見下ろしている。
スローラは、辺りに転がるピンクの果実を見て、青ざめた。
「もしかして、ずっと眠って……ました?」
「ああ。あと一日遅かったら、念願の永遠のスローライフを見ることが出来たかもしれんな」
「ウケる」
「笑い事じゃないですよバズレアちゃん! 確かに幸せでしたけど、こっちは死にかけたんですから!」
スローラの抗議に聞く耳を持たぬまま、壮年の男は話を続ける。
「お前が使っている次元旅行車を貸してもらいたい。もちろん、タダとは言わん」
「えっ、テンセイさんも旅行に興味あったんですか?」
「あー、違う違う。リーダーはね……」
「バズレア」
テンセイの鋭い制止に、バズレアは、それ以上口を開けなかった。
その声音に、スローラは悟る。
それが単なる頼みごとではなく、強制力を持った決定事項なのだと。