辺境の王。
帝国全土の辺境星区を平定し、ラインハルトのもとに帰還したキルヒアイスを、そう呼ぶものが少なからずいたのは事実である。
キルヒアイス提督の武勲は巨大すぎる。
そう評したのはオーベルシュタイン総参謀長だったという。
不穏な空気というものは、確かに存在していた。
だが。ラインハルトとキルヒアイス。両者の間に亀裂を生じさせたのは、それが直接の原因ではないようである。
「答えろ! これが貴様らの正義か!」
その悲痛な叫びに代表されるヴェスターラントの惨劇。
それにより、キルヒアイスはガチギレした。
一方、ラインハルトはガチ曇りした。
その心情を整理しきれぬままに両者は顔を直接あわせて再会した。してしまった。
その結果。
ファイッ! となった。
後世に残された記録から推測するに、そういうことらしい。
ラインハルトはキルヒアイスと距離をとろうとした。
キルヒアイスは耐えて待とうとした。
そのすれ違いは、ラインハルトにキルヒアイスを他の提督と同列に置くという処遇をとらせたのである。
それは、ガイエスブルク要塞での戦勝式典において、キルヒアイスにブラスターの携行を許さない、というかたちになってあらわれた。
戦勝式典。
そう。ラインハルト軍は貴族連合軍に勝利したのだ。
ヴェスターラントの惨劇。ヴェスターラントの奇跡。ヴェスターラントの防衛戦。ブラウンシュヴァイク公の暴挙。ブラウンシュヴァイク公の愚行。さまざまな呼称をえた、ヴェスターラントへの核攻撃をめぐる一幕によって、人心はブラウンシュヴァイク公、しいてはリップシュタット貴族連合から離れていった。貴族連合軍はガイエスブルク要塞に立て籠もり、だが、キルヒアイスによってガイエスブルク要塞以外の帝国全土が制圧されると、現実逃避にも似た出撃をおこない、そして帰還していたキルヒアイスを含めたラインハルト全軍に叩き潰された。完膚なきまでに。もはや援軍がくる見込みもないまま、ついにガイエスブルク要塞は制圧されたのである。
ブラウンシュヴァイク公の腹心、アンスバッハ准将がブラウンシュヴァイク公の遺体を手土産にラインハルトに降伏した。
その報せを耳にしたとき、リョーツナッハは違和感しか感じなかった。ガイエスブルク要塞から脱出してきた貴族から、リョーツナッハはきいていたのだ。ブラウンシュヴァイク公がヴェスターラントを核攻撃しようとしたとき、アンスバッハはそれをつよく諫め、諫めつづけ、そのために、ついには投獄されたと。忠義の男ではないか。そんな男が、主君の遺体を手土産に降伏したりするだろうか。
「妙だな」
訝し気にリョーツナッハはつぶやいた。
戦勝会がガイエスブルクの広間で開かれる。そうきいたとき、リョーツナッハは思った。
「ちょっと不用心じゃねえか」
と。
こうなるのを見越して、占拠される前に広間に爆弾でも仕掛けられていたらどうするんだ。そうも考えるのだが、ことがここまで至っては、そんなことを考える気力のあるものが貴族にのこっているとも思えない。それに、ガイエスブルク要塞を占領したときに、要塞中の爆発物のチェックを行わないラインハルトとも思えない。
「考えすぎか」
自分の抱く危惧をリョーツナッハはなだめた。
やがて、戦勝会が開かれた。捕虜の引見が進んでゆき、やがて、リョーツナッハの眼前を、ブラウンシュヴァイク公の遺体をおさめたケースにつきそうアンスバッハ准将が通り過ぎていく。主君の遺体を手土産に降伏してきた男に対して、諸将の視線は冷たい。なかには、冷笑を浴びせるものもいた。
だが。
なんでコイツ、胸を張っているんだ?
リョーツナッハは違和感を禁じ得ない。
ラインハルトの前まで進んだアンスバッハはうやうやしげに一礼し、ケースのボタンを操作した。その指さばきに、リョーツナッハはまたしても違和感を感じた。
……これ、暗証番号じゃないか? だとしたら、アンスバッハが投降してから、このケースは開けられていない? ブラウンシュヴァイク公の遺体に異常がないかあらためられていないんじゃないか? ブラウンシュヴァイク公の遺体に、なにか細工されているんじゃないか? それとも、このケース自体に何かしかけが?
アンスバッハが主君の遺体の腹部に手を突っ込もうとしたとき、リョーツナッハの違和感は確信になった。
「アンスバッハをとめろ!」
リョーツナッハが叫ぶと同時に、キルヒアイスが動いていた。
アンスバッハがブラウンシュヴァイク公の遺体からハンド・キャノンを取り出す。
「ローエングラム候、わが主君ブラ、ええい覚悟!」
アンスバッハにしてみれば、主君の仇を討つ一世一代の晴れ舞台である。口上をびしっときめてから仇討ちに及びたかったのだろうが、その余裕はないとみて、早々に口上を切り上げて、ハンド・キャノンのトリガーを引いた。
だが、キルヒアイスの伸ばした手はハンド・キャノンキャノンの砲身に届き、ラインハルトから狙いをそらさせていた。
アンスバッハをねじ伏せようとするキルヒアイスに、リョーツナッハが加勢しようと飛びかかった。アンスバッハは自身の右手に嵌められた指輪を、自分の前歯で咥え、ひねる動作をした。
あらかじめ広場にしかけた爆弾を遠隔起爆するつもりだな!
そうはさせじと、リョーツナッハは指輪ごとアンスバッハの右手を掴んだ。
「ぬお!」
リョーツナッハは悲鳴をあげた。白銀色の光が、リョーツナッハの左手を貫いたのだ。
この指輪……遠隔操作装置ではなくて……レーザー銃……レーザーメス……キルヒアイス提督の胸にも穴が……動かせば傷がひろがる……。
思考が、ほぼ瞬時にリョーツナッハの脳内に展開した。
「ぐ、ぬぐぐっ」
リョーツナッハは手のひらを貫かれながら、アンスバッハの右手が動かぬように固定した。
内臓電源が切れたのだろう、まもなく光のすじは細くなり、そして途絶えた。
提督たちが殺到し、アンスバッハを組み伏せた。
「なぜ、わかった」
いくつもの腕に押さえこまれながら、アンスバッハがリョーツナッハに憎々し気に問いかけた。
対するリョーツナッハは、何言ってんだコイツ、という顔をした。
「アンスバッハ准将がブラウンシュヴァイク公を売るわけがない。なにか企んでんのなんてバレバレだよ」
それをきいてアンスバッハはわらった。哄笑だった。呵々大笑であった。
「言われてみれば、その通りだ。まったくもって、その通りだ。われながら、やきがまわったな。……卿にもっとはやく出会っていたら……」
未練がましい表情を一瞬だけひらめかせて、アンスバッハは朗々といった。
「ブラウンシュヴァイク公、お許しください。この無能ものは誓約を果たせませんでした。お叱りは天上にてお受けいたします……」
そして奥歯にしこんだ毒のカプセルをかみ砕き、主君の待つ天上への門をくぐっていったのだった。
「キルヒアイス……」
ちからなくつぶやくラインハルトには、血を流して倒れているキルヒアイス以外の何者も見えていなかった。
「ラインハルトさま……ご無事で」
弱々しくつぶやく赤毛の親友の手を、金髪の若者は握りしめた。
「なんだ、こんな傷。すぐになおる。そうだろう、キルヒアイス」
「ラインハルトさま……」
「医者がくるまでしゃべるな」
「宇宙を手にお入れくださいだだだだだだ!」
キルヒアイスは悲鳴をあげた。
見れば、角刈りの提督が、キルヒアイスの胸に開いた穴に指を突っ込んでいた。
「なにをしているか、きさま!」
ラインハルトは烈火のごとく怒り狂ったが、リョーツナッハは意に介さない。
「なにって、止血してるんですよ。……ああ、この血管のここんところが傷ついてるんだな。……こうつまんで押さえてっ、と」
なにやら器用なことをはじめる。
「いた、いた、いたたたたっ!」
「キルヒアイスが悲鳴をあげているじゃないか!」
「元気があってよろしい。それより、背中に開いた傷を押さえて止血してくださいよ」
「え、あ、あ、ああ、そ、そうだな」
「まったく、もーっ」
やがて、医療班がやってきた。キルヒアイスの長身がストレッチャーに載せられる。
「リョーツナッハ少将。血管を押さえたまま、こちらへ」
「へ?」
「その指先を離させるわけにはゆきません。さあ、そのままこちらへ!」
「え、このまま?」
「一刻をあらそいます、さあ!」
「え、え、えええええ!」
リョーツナッハごと、キルヒアイスは手術室へと運ばれていった。
「キルヒアイス、キルヒアイス、キルヒアイス、キルヒアイスぅぅぅぅぅ! キルヒアイス、キルヒアイス、キルヒアイスうぅぅぅぅうぅぅぅ!」
絶叫を続けるラインハルトと共に。
「キルヒアイス上級大将の容体はどうなのだ?」
ようやく手術室から解放されたリョーツナッハは、すぐさまラインハルト麾下の諸将にかこまれた。角刈りの少将は応急手当をされた左手をさすりながらこたえた。
「手術は成功した、といってましたけど、意識が回復するのはいつになるかはわからない、とかいってたような……」
「それは、キルヒアイス上級大将は一命をとりとめた、ということで相違ないのだな?」
血相を変えて詰め寄ってきたのはベルゲングリューンである。
「医者にきいてくださいよ、そんなこと!」
将官用のサロンに場所を移動しても、諸将の追及の手が緩むことはなかった。ラインハルトが手術室から頑として出てこようとしない以上、今のところリョーツナッハだけが情報源なのはわかっているが、リョーツナッハだって無い袖は振れないのである。
リョーツナッハは思わずぼやいた。
「やれやれ、ひどいことになった。一連の黒幕がリヒテンラーデ公だった、てことにでもしないと、こいつは帳尻が会いそうにないな」
と。
リョーツナッハ本人は深い意味があってぼやいたわけではないが、聞いた側としては、そうではなかった。
「卿を敵にまわしたくはないものだな」
ミッターマイヤーが畏怖を込めて言った。
「へ?」
「リョーツナッハの言や、よし!」
ロイエンタールがうなずいた。
「へ? へ?」
「そこに思い至るものがわたし以外にいるとはな」
いつのまにか顔を出していたオーベルシュタインが思慮深げな声を出す。
「へ? へ? へ?」
ミッターマイヤー、ロイエンタールをはじめとした諸将は首都オーディンに急行した。
彼らは宰相リヒテンラーデ公を逮捕し、国璽を奪取した。
かくして。
最大の公的な敵対勢力リップシュタット貴族連合を滅ぼしたラインハルト陣営は、返す刀で、潜在的な敵対勢力リヒテンラーデ公を葬ったのである。
「……え? これ、まさかワシのせいなのか?」
カメアリーン艦橋でリョーツナッハが漏らしたつぶやきは、公的な記録のどこにも残っていない……。