キルヒアイスの意識が回復せぬまま、時は経ち、季節は移ろう。
公爵となり、帝国宰相となったラインハルトは名実ともに銀河帝国の独裁者となった。
帝国の改革はすすめられ、経済は健全化し、貴族は没落していない者の方が少数派となっている。
それにつれて、貴族と結託して暴利をむさぼっていた悪徳商人は衰退の一途をたどり、リョーツナッハ艦隊が「宇宙海賊」をやる意義が失われつつあった。
悪徳商人が鳴りをひそめるかわりに、荘園惑星のあいだを直接行き来する商船団が増えてきている。彼らは自分のあつかう商品に、手間賃、運送費などを含めた諸経費とまっとうな利ザヤをのせた価格をつけた。当然だ。そうしなければ、商売が成り立たない。
こうなってくると、原価で物資を流通させていたリョーツナッハ艦隊の存在は、市場を混乱させるだけのダンピング集団となってしまう。
「宇宙海賊キャプテン・リョーツナッハは店じまいだな。当面は、軍事物資の運搬に専念するか」
自分の角刈りをぼりぼりとかきまわしつつ、リョーツナッハ中将はぼやいた。このとき、ラインハルト暗殺阻止、キルヒアイス救護などの功により、リョーツナッハは中将に昇進していた。
脳死ではないのは確かだが、いまだに意識が回復するきざしは見られない。負傷したキルヒアイスに対する、それが医師団の診断であった。
ねむりつづけるキルヒアイスはオーディンのシュワルツェンの館にうつされ、グリューネワルト伯爵夫人の手厚い看護を受けている。帝国最高峰、といってよい医師団が、ラインハルトに命じられてそのサポートをしていた。
ラインハルト自身はシュワルツェンの館の門に近づくこともできないでいた。ヴェスターラントへの核攻撃を黙認しようとした。それをキルヒアイスに諫められたとき、自分の非を認められなかった。あまつさえ、自分の半身といってもよい存在を、他の提督たちと同列に扱おうとした……。その結果がこれだった。ひきかえす機会はいくつもあったというのに……。いくつもの自責の念が金髪の美しい若者の精神を杭のように貫き、責め立てている。ふたりに会わせる顔などなかった。
「キルヒアイス元帥の快癒を祈って」
そういってスキットルを掲げたリョーツナッハの腕を、テラインタールが掴んだ。
「だめだよ、リョーさん。それ、今日だけで何回目なの?」
「うるさいなーっ。何回やったっていいんだよ、こういうのは!」
帝国領内を駆け回るリョーツナッハであったが、ふと、あることに気が付いた。
「なんだ? この艦。港に係留しっぱなしだぞ?」
さがしてみると、そういう艦は意外と他にもあった。
「調べてみたけど、いわゆる試作戦艦だね。ほら、これなんか強襲揚陸試作戦艦だ」
テラインタールがディスプレイに表示されたリストの一部を指さした。
「へえ……。おっ、合体戦艦なんてのもあるぞ。二隻が縦一列に合体して、主砲の砲身を通常の倍以上にしてるのか。コルト・バントラインスペシャルみたいでかっこいい! こういうの、全部もらっちゃおうぜ。うちの艦隊に編入するぞ!」
「でも、この艦、暴発事故が多発してるよ……」
「いいんだよ、ロマンがあれば、こういうのは!」
「……あれっ、この艦も、オーディンに係留しっぱなしだよ。まだ使えそうなのに、もったいない」
「おっ、本当だ。このカタログスペック、ブリュンヒルトなみじゃないか。こいつはすごい掘り出し物だぞ! ぜひともいただいて……んっ? んんっ? 『ブリュンヒルトの姉妹艦』だと……? って、バルバロッサじゃねえか! こいつはキルヒアイス元帥の乗艦だぞ! あっぶねえところだった。コイツに手を出したら、ブリュンヒルトの先っぽでケツから口まで串刺しにされちまうぞ!」
こんな調子で、なんだかんだで通常運転なリョーツナッハ艦隊であったが、戦局には大きな動きが生じ始めていた。
イゼルローン要塞を攻略すべく、帝国軍が動き出したのである。
「リップシュタットのゴタゴタでこっちも疲弊してるが、あちらさんもクーデター騒ぎでガタガタらしいからな。貴族資産の没収で立て直しの目途があるこっちのほうが有利ともいえるんだが。……イゼルローン要塞が相手かあ」
嘆息するリョーツナッハのもとに、帝国宰相首席秘書官ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフから、依頼がとどいた。
彼女の従弟であるハインリッヒ・フォン・キュンメル男爵に会って欲しい、というのである。
先天的な代謝異常によって、ベッドに縛り付けられるような生活を余儀なくされつづけたハインリッヒを慰めるために、活力のかたまりのようなリョーツナッハの武勇譚を語ってあげてほしい。
それが、ヒルダの依頼であった。
「こんなひとが本当にいるなんて。とても信じられない。一度でいいからお会いしたい、と、そう言ってきかないのです」
「おやすい御用です。ワシ……小官にできることでしたら」
リョーツナッハは快諾した。
ハインリッヒの居館を訪れたリョーツナッハは、メックリンガー作の水彩画が飾られた部屋でヒルダをまじえて歓談した。
リョーツナッハがヴェスターラント核攻撃艦隊旗艦ポンパドールの艦橋に単身乗り込み、制圧したくだりを誇張なしに語り終えたところで、興奮したハインリッヒは発熱し、せきこんだ。
「ああ、ぼくはいつもこうだ。こんな素晴らしい時間でも、ぼくはみんなの邪魔になってしまう……。ぼくはなにもできない。なにものこせない……」
悔し涙をにじませるハインリッヒに、リョーツナッハはけろりとした顔で言った。
「なら、こういうのはどうです。今のご時世でも、学問や芸術をこころざしながら困窮のために断念する少年少女は後を絶ちません。そんな子供たちを支援する組織をたちあげるんです。弱いやつが悪い、貧しいやつが悪い、なんてムナクソ悪い風潮は下火になってきてます。ローエングラム公も賛同してくれるでしょう。名前はキュンメル基金……いや、ハインリッヒ基金のほうがしっくりくるか」
リョーツナッハは思いつきをそのまま口にしただけだが、ハインリッヒは天啓を受けたに等しかった。はかなげな男爵はうつむいたまま五秒ほど呼吸をわすれ、それから角刈りの提督の顔を十秒ほど凝視した。
「そんな方法が……。それならできる。ぼくにもできることがある。ぼくだからこそできることがある。ぼくがのこせるものがあるなんて!」
「ハインリッヒ! すばらしい提案だと思うわ。あなたさえ本気なら、わたしからもローエングラム公に口添えさせてちょうだい」
「ヒルダ姉さん、ヒルダ姉さん! お願いだ、キュンメル男爵家が絶えた後も、ハインリッヒ基金をまもって欲しい。ぼくの墓なんて朽ち果ててしまってかまわない。でも、ハインリッヒ基金だけは、これだけは!」
「まあ、なんてことをいうの、ハインリッヒ。生き甲斐を見つけたとき、出てくるのは弱音じゃなくて元気のはずよ。あなたは長生きして、子供たちの感謝の声をいっぱいきくのよ」
「ああ、なんてすばらしいんだ。ぼくの予定表がどんどん埋まっていく。今日はなにをして時間をつぶそうなんて、もう考えなくていいんだ!」
それは、ベッドで夢想するのではない、現実と地続きの夢だった。ハインリッヒの腕が伸び、手のひらが広げられた。それは自分の夢に手を伸ばそうとする者の動作だった。