退役し、年金生活にはいっていたヤン・ウェンリーは、ある日、訪問者を迎えることになった。
「いやあ、お会いできて光栄ですよ、ヤン提督」
ヤン邸の玄関で愛想よく笑顔を浮かべているのはリョーツナッハ中将である。
角刈りの提督は手土産をさしだした。
「帝国産のブランデーですが、シロン葉の紅茶との相性が抜群だと聞いています。ぜひともお試しください」
やりにくいな、とヤンは思った。今のところ、リョーツナッハの振る舞いからは悪意が感じられない。だからこそ、彼がしてくるであろう提案を拒絶しにくく感じていた。
「ヴェスターラントの英雄にお会い出来て光栄です」
「エル・ファシルの英雄にそう言っていただけるとはうれしいですな」
「……いや、おたがい英雄呼びはやめませんか」
「そーですよねーっ。当たり前のことをしただけだってのに、英雄だなんだって。くすぐったくてしょうがない」
カラカラと笑うリョーツナッハを応接室に通す。
たわいもない世間話をふたつみっつして、リョーツナッハは本題を切り出した。
「ところで、ヤン提督は、皇帝陛下から元帥の地位をもって麾下に入るように誘われたとききますが」
「まあ、そんなこともありましたね」
「なんで断ったんです? 元帥になれば、元帥府を開けますよ」
「元帥府を開いてどうするんです」
ラインハルトのように、簒奪者となるべく派閥を広げろとでもいうのか。そんな問いを言外にこめた返答だった。
だが、リョーツナッハはけろりとして答えた。
「国家予算で戦史研究ができますよ」
「………………」
ヤンは絶句した。
「帝国図書館ならフリーパス、大抵の史料は閲覧できますよ。帝国のあちこちの研究室でゴールデンバウム王朝史の再編がすすんでますが、ヤン提督ならどこだって参加オーケー間違いなし! 提督の見識をお借りしたいひとたちに引っ張りだこ! やったね、モテモテじゃないっすか」
「あの、リョーツナッハ提督……」
「それとですね、今なら大サービス! 皇帝陛下の麾下に入ってくれたら、帝国議会の開設もつけちゃう! ちゃあんと皇帝陛下のオッケーもらってますよ! マインカイザーってばいい男! イェア!」
「……………………」
ヤンはまたも絶句した。
「ま、当面は民衆の意見をまとめて陛下に奏上する、てのが精々ですけどね。そこからどうなるかは、それこそ民衆しだい、ってことで!」
「……リョーツナッハ提督……」
「どうです? このへんで納得してくれませんか?」
ふいに、リョーツナッハは、その大きな目と小さな瞳に物悲しい眼光をたたえた。
「……なぜです? どうしてそこまでして私を帝国軍に引き入れようとするんです」
「どうして、……ですか」
「……………」
「正直なところをいわせてもらえば、うんざりしているからです。戦争にうんざりしているからです。死ななくてもいい連中が、死ななくてもいい連中と殺し合いをして、死んでゆく。……十年、いや三年でいい、時間をくれ。そうしてくれたら、生まれてきた甲斐ってものを成し遂げて見せるのに。そう嘆きながら若者が死んでゆく。殺されていく。殺しあう。……もう、うんざりだ。いつまでこんなことがつづくんだ」
「……………」
「ヤン提督。帝国に議会を開く。民主主義の種をまく。これで納得してください。死なんでもいい若者を殺さないでください」
「また、近いうちに口説きに来ますよ、ヤン提督」
そういってリョーツナッハは帰っていった。
「まいったなあ。リョーツナッハ提督はお見通しだよ」
ヤンは新妻のフレデリカに、そうこぼした。
ヤンは、バーミリオン会戦で戦死した、破壊されたことにして、ヤン艦隊の精髄とも呼べる人員と艦艇、いわゆる動くシャーウッドの森を同盟領内に潜伏させていた。
何年か先を見通してのことである。
自由惑星同盟を復活させるためではない。民主主義の芽をまもるためであった。
民主主義政体が根付いたささやかな自治領の存在を帝国、というよりラインハルトに認めさせる。そこまでこぎつければ上出来、とヤンは考えていた。
だが、そのためにはラインハルトと一戦まじえることを避けえないことは明白だった。
奪われてはならないものを奪われたなら、堂々と戦って奪い返せ。略奪者に媚びてすがりついて返還を哀願するなど論外だ。
それが華麗な覇者の行動原理であることをヤンは見抜いていたのである。
だが、戦えば犠牲がでるのは避けられない。
そのことへの警鐘を、リョーツナッハはヤンの耳元で鳴らしに来たのだ。帝国の民主化の可能性、という甘美な手土産を持って。
「でも、リョーツナッハ提督はどこまで把握されているんでしょう」
リョーツナッハのもうひとつの手土産であるブランデーを淹れたての紅茶にちょっぴり垂らしながら、フレデリカは疑問を口にした。
「さてね。推測にもとづいて、カマをかけに来たのかも知れない。もしかしたら、決定的な証拠を手にしているのかも知れない。だけど、それを口にすることで訪れる破局を忌避しているのかも知れない。……どうにも、底の知れない人物だよ。トリューニヒトなんかとは、別の意味でね。……ああ、たしかにこれは絶品だ」
ヤンが絶賛したのは、リョーツナッハの手土産のブランデーが垂らされた紅茶についてだった。
フレモント街のヤン宅を、リョーツナッハが再訪することは、ついに無かった。
リョーツナッハ艦隊が帝国領にて、流通網の再構築にかりだされているあいだに、ヤン・ウェンリーとその一派はハイネセンを脱出したのである。高等弁務官レンネンカンプは、ヤンを逮捕するように同盟政府に圧力をかけ、同盟政府は圧力に屈した。ヤンは拘禁され、翌日にはシェーンコップやフレデリカたちによって救出された。レベロ議長を人質にとり、次いでレンネンカンプを人質にとったヤン一行は巡航艦レダⅡ号で惑星ハイネセンを出立していった……。
「スゲーな。ワシだってこんな無茶はやらんぞ」
「…………」
丸顔の副官は角刈りの上官の感嘆に無言でこたえた。お前が言うな、という抗議をこめて。
「ま、メルカッツ提督が生きている、って噂は本当みたいだし、ヤン御一行はメルカッツ提督と合流しようとする……というか、もうしているだろうな」
「そのさきは?」
「独立を宣言したエル・ファシルのもとへゆく、てのが予想としてはかたいところなんだが。……なにしろ、ヤン・ウェンリーのすることだからな」
「リョーさんはヤン提督と会ったんだよね」
「ああ、一度だけだがな」
「どうだった?」
「どうって……そうだな……どこにでもいそうな文系の学者って感じで……でも、平凡、の一言ではくくれないなにかがあるような……『魔術師ヤン』の先入観のせいかも知れないような、そうではないような……どうにも底の知れない人物だったな」
ヤンに抱いた印象の言語化に四苦八苦した挙句に、リョーツナッハは陳腐な表現で締めくくるのだった。
ヤン・ウェンリーが姿をくらまし、蠢動するなか、ラインハルトはいつまでもフェザーンで玉座をあたため続けたりはしなかった。この金髪の覇王は、まず同盟政府に向けての出兵を開始した。フェザーン回廊からはビッテンフェルト、ついでミッターマイヤーを同盟領に向けて侵攻を開始した。イゼルローン回廊からは、ルッツが侵攻し、ハイネセンの後方を衝く、はずであった。あったのだが。
「ヤン・ウェンリーがイゼルローン要塞を奪取して、ルッツ艦隊は敗走中だって? ほんとうに底が知れないな」
フェザーン回廊を通過中のリョーツナッハは嘆息した。
「でも、その一方で、皇帝陛下の軍は同盟軍にとどめを刺したじゃないか。これで同盟政府も風前のともしびだよ」
テラインタールが物事のポジティブな面を強調する。
「まあな。これで、随分と銀河の状況はシンプルになるだろうさ。銀河の大部分を占める銀河帝国と、イゼルローンとエル・ファシルに拠るヤン・ウェンリーと……」
「じゃあ、あとは両者が最後の大決戦をして、銀河に平和が訪れる、ってことになるのかな?」
「待て! 今、なんて言った?」
「だから、最後の決戦が終われば平和に……」
「そこだ! 戦わなけりゃ平和がこないと決めつけることもないだろう。お前は殴り合いをしてからじゃないと、友人になれないのか? そんなことはないだろう!」
「それはそうだけど……。あの皇帝陛下だよ? まず戦え、話はそれからだ、てなるのわかりきってるだろう?」
「くそ~っ、くやしいが言い返せん! いや! ワシは諦めんぞ! もう戦争なんてやってられるか!」
ラインハルトとヤンの間に和平を結ばせることを、リョーツナッハはあきらめていなかった。