ラインハルトがハイネセンに降りたった頃、イゼルローン要塞にも来客があった。
リョーツナッハ中将である。
「メルカッツ提督に、ご家族から手紙をあずかってきました」
通信でそう伝えられて、ヤンの客将は動揺をおもてに出さなかった。謹厳な表情と声で、メルカッツはヤン・ウェンリーに話しかけようとした。
「わたしのことならば……」
「うん。戦艦カメアリーンにビーコンを出してくれ。入港を許可する」
メルカッツが言い終える前に、ヤンは指示を出し終えた。
「ヤン提督……」
「この提案を受け入れるのは、われわれに有益だと考えます。……わたしとしても、ぜひ、もう一度、リョーツナッハ提督とお会いする機会を得たかったのですから」
角刈りの提督から手渡された手紙の束を、検閲もせずに、その場でヤンはメルカッツに手渡した。それに驚きの表情を浮かべたのはメルカッツだけで、リョーツナッハは陽気な笑顔をくずさない。
「いかがでしょう。返事の手紙をしたためられては。よろしければ、小官がお届けしますが」
望外の申し出であった。それにメルカッツが何かいう前に、ヤンは笑顔でこたえた。
「リョーツナッハ提督のお言葉に甘えさせていただきます。では、今夜はこちらで宿泊されてはいかがでしょう。部屋を用意させて頂きたいと思うのですが」
かくして、リョーツナッハはイゼルローン要塞に一夜の宿を得ることとなった。
夕食会が開かれ、リョーツナッハはヤンのみならず、ヤン艦隊の幕僚たちとも歓談の機会を得た。盛り上げ上手、もてなされ上手の主賓を得て、座はおおいににぎわった。
「なんというか……ゆかいなひとですね」
ユリアンは苦笑寸前の表情を浮かべた。
「帝国軍にも話のわかるやつはいるものだな」
何が気に入ったものか、アッテンボローはリョーツナッハと幾度も乾杯をかわした。
「リョーツナッハ提督には感謝の意しかありません」
手紙の返事を書くために私室に籠った上官のかわりに出席したシュナイダーは、好感に満ちた視線を注いだ。
「こまった人、というのはどこにでもいるもののようですな」
ムライは頭痛をこらえる表情で頭を振った。
「結局、リョーツナッハ提督は何をしに来たのでしょう」
翌日、メルカッツの手紙を受け取ってリョーツナッハは要塞を退去した。遠ざかっていくカメアリーンの艦影を見つめながら、ユリアンは首をかしげた。
「おそらく、我々と親睦を深めにきたんじゃないかな」
こたえるヤンの表情は、冗談を言っているようには見えなかった。
「つまり、その、リョーツナッハ提督は、ぼくらと仲良くなりにきた、と?」
「ああ。我々とコネをつくって、帝国とのパイプ役になろうとしてくれているのさ」
「それは、なんのために」
「わたしと、そして皇帝ラインハルトとの話し合いの場をもうけるため、だろうね」
「リョーツナッハ提督は、ヤン提督にそんなことをいったのですか!」
「いいや、彼は何も言っていない。今の段階でなにか密談めいたことをすれば、内通をうたがわれてしまう。何も言ってこないからこそ、わかるのさ。リョーツナッハ提督は、わたしと皇帝の会話チャンネルになろうとしている、とね」
「……こういうかたちの深慮遠謀、というのもあるんですね」
驚嘆するユリアンだったが、ある異変に気付いた。
「あれ……。提督、リョーツナッハ艦隊は帝国側の回廊出口から入ってきてましたよね」
「ああ。帝国領にいるメルカッツ提督のご家族からの手紙を携えて来たんだから、当然だね。でも、それが……あれ?」
リョーツナッハ艦隊は、もと来た方向の帝国側ではなく、旧同盟領に向けて舵をきっているのである。
「これだと、リョーツナッハ艦隊は、ヤン提督がいるイゼルローン回廊を無傷で通過した、ってことになりませんか……?」
「うん、そうなるね。一万光年の航路をショートカットしたかたちだ」
「リョーツナッハ提督は、何をしに来たんでしょう。ほんとうに」
「……底の知れないひとだ……。ほんとうに」
ヤン・ウェンリーはベレー帽を脱いで、おさまりの悪い頭髪をかき回すのだった。
帝国側からくるときはメルカッツ提督の家族からの手紙を携えて、旧同盟領側からくるときはヤン艦隊の兵士たちの家族からの手紙を携えて、リョーツナッハ艦隊はイゼルローン要塞を訪れた。そして、来た方向と逆の出口から出ていった。
「また来たぞ、あの角刈り!」
「これで何度目だ?」
「もう数える気にもならないよ」
イゼルローン要塞のオペレーターのあいだでそんな会話がかわされるようになり、リョーツナッハがアッテンボローとポプランの三人で肩を組んでイゼルローンの歓楽街でハシゴ酒をするのが目撃されるようになった頃。
ハイネセンに陣取っていたラインハルトがいよいよイゼルローン回廊へ向けて動き出した。
「角刈りは、今どっちにいるんだっけ」
「たしか、帝国側のはずだ」
「なら、旧同盟側に移動してラインハルトと合流したいところじゃないのか?」
「いやいや。さすがに、この状況でイゼルローンを通過しようとはしないだろう」
オペレーターたちがおしゃべりに興じている間にも、戦況は変化する。
先発隊のビッテンフェルト艦隊が口火を切るかたちで「回廊の戦い」の前奏ははじまった。
ラインハルトの到着前にヤンの挑発にのった形で始まった前哨戦の結果、ファーレンハイトは討たれ、ビッテンフェルト艦隊は敗走した。
イゼルローン回廊を舞台に、ラインハルトとヤンを主演にキャスティングした「回廊の戦い」の開宴のベルが鳴らされると、ラインハルトは大軍の利を、ヤンは戦場の利をいかして舞台を極彩色の戦火でいろどった。何百万人という命を供物として。
やがて、戦いは最終局面に入ったかにみえた。ラインハルトが麾下の艦隊を順繰りにヤン艦隊へ叩きつけつづける戦法にもちこんだのである。援軍を期待できず、戦力の回復がきわめて困難なヤン・ウェンリーにとって、それはもっとも恐れていた戦法であった。
もはや、降伏勧告をおこなってもよいぐらいであったが、ラインハルトは攻撃の手をゆるめなかった。そのすがたは、ヤン・ウェンリーが逆転の一手をうってくることを期待しているかのようにも見えた。
そんなときであった。リョーツナッハ中将が総旗艦ブリュンヒルトにやってきたのは。
「何をしに来た、リョーツナッハ」
艦橋に押しかけてきた角刈りの提督に、ラインハルトは不機嫌を隠そうともしなかった。リョーツナッハに悪気があるとは思わないが、なにか、最大の好敵手との戦いに水をさされたような感覚はぬぐえなかった。
「陣中見舞いを持ってきました」
美貌の皇帝の眼光を浴びてなお、リョーツナッハは陽気に笑った。その手には、藤編みのバスケットが掲げられていた。
「陣中見舞いだと……。いや、まて。それは……!」
ラインハルトの声に含まれていたものが、怪訝から驚愕へと変化する。
金髪の若き皇帝は思い出していた。
藤を編み込む、ほっそりとした指。
「これができあがったら、お弁当を詰めて、みんなでピクニックに行きたいわ。腕によりをかけてケルシーのケーキを焼くわね。サンドイッチの具は何がいいかしら……」
ささやかな未来図を楽しげに語る声。
そのとなりでは、赤毛の友が、穏やかな笑顔で幸せをかみしめている。
「それは素敵ですね、ぜひ行きましょう」
あのシュワルツェンの館での、心をあたたかくする光景……!
リップシュタット戦役が始まる直前に交わされた、果たされなかった約束……!
「きさま! なぜ、きさまがそれを持っている! 言え! 姉上になにをした!」
柳眉を逆立てたラインハルトの怒号にも、リョーツナッハは涼しい顔である。
「小官はただ、こう申し上げたのです」
「姉上になにを言った!」
「この世には、戦いのほかにも素晴らしいものがあることを、陛下に思い出して欲しいのです、と」
「………!」
「すると、グリューネワルト大公妃殿下は、小官にこれを持たせてくださいました。ラインハルトに届けてください、と、おっしゃって」
「姉上が、わたしに……」
まるで少年のような声が、ラインハルトの口からもれでた。
「いかがです。焼きたてとはいきませんでしたが、早めに召し上がっては」
ブリュンヒルトの艦橋に、テーブルと椅子がセッティングされた。
藤編みのバスケットからは、ケルシーケーキが取り出され、切り分けられた。ヒルデガルドとロイエンタールとリョーツナッハ、それとエミール・ゼッレ少年が、そのご相伴にあずかった。
ケーキを食べているあいだ、ラインハルトは終始無言であった。無言のままにおかわりを重ねた。
「おっといけない。これではエミールがおかわりをする分がなくなってしまうな」
何切れ目かをたいらげたとき、ようやくラインハルトの行動を律する権限が、食欲から理性の手にもどったようである。
「いえ、私は、陛下がおいしそうに食事をなさるお姿が見れてうれしいです。ここのところ、ずっと食が細くておいででしたから……」
それを聞いたラインハルトは、さすがに思うところがあったのか、意地を張っているのが急に恥ずかしくなった子供めいた表情を浮かべた。
ややあって、金髪の若き皇帝は言った。
「認めよう。リョーツナッハ、卿の勝ちだ。……余は思い出したのだ」
停戦と会談をもとめる通信文が、皇帝ラインハルトからヤン・ウェンリーに向けて届けられた……。