総旗艦ブリュンヒルトの士官クラブでは、ロイエンタール、ミッターマイヤーをはじめとした諸将が待機していた。彼らの話題は、ヤン・ウェンリー暗殺未遂事件のことでもちきりであった。
「まさか、地球教の残党ごときが、こうも身の程知らずな謀略にはしるとはな」
「同感だ、ロイエンタール。しかし、何が目的でヤンの暗殺をもくろんだのか。今、彼を亡き者にして、やつらになんの得があるというのだ」
「他人に説明できる損得で動かぬから、やつらは狂信者などとよばれるのさ」
「だが、まあ、なんにせよ、ヤンが一命をとりとめた、というのは吉報、といってよいだろうな。俺がいうのも変なはなしだが」
「ああ。ここで彼に歴史から退場されては、かえって混乱をまねく。リョーツナッハには感謝しかないな」
二人の元帥が会話を交わしているところにヤンとユリアンとリョーツナッハが入室してきて、ミッターマイヤーは口にしていたコーヒーを噴き出した。
「キルヒアイス提督が意識を回復なさったとのことですが……」
ヤンのその言葉に、今度はロイエンタールがコーヒーを吹いた。
「皇帝陛下はオーディンに向かわれるでしょうが、フェザーン経由だと随分な遠回りになりますな。……ヤン提督。われらのあいだに講和が結ばれれば、イゼルローン経由のルートが使えるようになるのでしょうか」
ミッターマイヤーとロイエンタールは同時にコーヒーを噴き出し、案外われらも学習しないものだな、という視線を交し合った。
キルヒアイスが目覚めた。
その報せを受けたラインハルトは数瞬の忘我のあと、超光速通信室へ駆け出そうとして、リョーツナッハにゆく手をふさがれた。
どけ! ラインハルトがそう叫びだすよりも先に、角刈りの提督は言った。
「僭越ながら、小官がヤン提督の相手をつかまつりましょうか」
ヤンを放り出して私室を出ていこうとしていたことに気付いたラインハルトは、ヤンのほうを振り向いた。
「キルヒアイス提督は陛下の大切な方だと聞き及んでいます」
やわらかく微笑むヤンに、ラインハルトは叫ぶようにいった。
「すまない、すぐもどる!」
マントをなびかせながら若き皇帝は全力疾走でかけ去っていった。
かくして。
「あれは当分、お戻りになられませんな。陛下ご不在でこの部屋にいるわけにもまいりません。士官クラブに場所を移したいですが、よろしいでしょうか」
苦笑いをおしころして、リョーツナッハが提案するにいたったのだった……。
超光速通信、といっても、どうしても通話にタイムラグは生じてしまう。
例えばオーディンと改造前のガイエスブルク要塞のような地理条件であれば、距離があっても直通の回線であれば、どうにか会話が成立する程度のタイムラグで済むのだが、これが中継施設を挟むと、どうしても時間がかかってしまう。挟む中継施設が増えれば、タイムラグは指数関数的に増加する。
ましてや、オーディンとイゼルローン回廊付近宙域、それもフェザーン回廊経由ともなれば、タイムラグの長さを表記するのに日数を単位とするしかなくなってしまうのだ。
そのため、ラインハルトが受け取ったオーディンからの超光速通信は、ほぼ一方的なビデオメールに等しかった。
ベッドに横たわったままのキルヒアイスが弱々しく話しかけてくるその映像を、食い入るようにラインハルトは見続けた。長い昏睡状態に衰弱しきっていた赤毛の青年が、それでも無理して話しつづけるのを見かねたアンネローゼがやんわりと打ち切るまで、その通信は続いた。キルヒアイスがやつれきった、だが、たしかな笑顔を浮かべている通信映像を、ラインハルトは何度もくりかえし再生し、そのあとは、オーディンのシュワルツェンの館へ向けての通信を送った。声が枯れるまで、金髪の青年はしゃべりつづけ、そして、さらにそのあとはキルヒアイスからの通信映像のリピート再生を再開したのである……。
「すぐもどる!」
皇帝ラインハルトのその言葉を額面通りにうけとったつもりはないヤン・ウェンリーであったが、まさか日をまたいで待たされるとはおもわなかった。
超光速通信室で気絶するように、だがやすらかに眠りこんでいたラインハルトは、目を覚ますと自分の非礼に気が付いて、あわててヤンのもとへ向かった。
既に明け方の時間になっていて、ヤンは一室をあたえられて就寝していた。
ラインハルトはヤンやユリアンと共に朝食をとり、雑談をたのしみ、そのあとで会談がおこなわれた。
ラインハルトのテンションは、深夜にラブレターを書くがごとしであった。
「心、ここにあらず、ってやつだな、こりゃ」
見かねたリョーツナッハがヒルダに、会談に同席するよう働きかけていなければ、講和条件にどんな瑕疵が発生していたかわからない……。
「帝国と講和が成立したぞ!」
「民主主義ばんざい!」
「ヤン・ウェンリーばんざい!」
「平和の到来に乾杯!」
エル・ファシルとイゼルローン要塞、そして旧同盟領の各地で、民衆の歓喜が爆発した。
八月の講和。
後世に、その通称で知られることになるそれを一文で表現するならば、イゼルローン回廊とエル・ファシル星系に独立した民主主義政体が存在することを銀河帝国は認める、ということになる。
三年間の相互不可侵が結ばれ、帝国籍の宇宙船のイゼルローン回廊航行も認められた。
ラインハルトを乗せたブリュンヒルトと、ヤンを乗せたユリシーズとが舳先を並べてイゼルローン回廊を通過していったのは、人々に平和の到来を予感させるのに十分なものであった。
シュワルツェンの館に「帰宅」を果たしたラインハルトと、それを出迎えたアンネローゼ、そしてベッドで満面の笑みを浮かべるキルヒアイス。
三者の間でどんな会話がなされたのか、記録は黙してかたらぬ。
かわりといってはなんだが、その数週間後に医療関係者とキルヒアイスのあいだで、こんな問答があったことが非公式に残されていることを記しておこう。
「キルヒアイス元帥は昏睡されているあいだ、何か夢を見てらしたのでしょうか」
「いえ、夢らしい夢を見た記憶はありませんね。……ただ、そう、気が付くと、ケルシーのケーキを焼いている匂いがしたな。とても甘くて、やさしくて、懐かしい匂いが。それからしばらくして、ふと目があいてぼんやりとした視界のなかで……アンネローゼさまが固く絞ったタオルでわたしの……あ、いや、その、これ以上は、その、ダメです。ダメですったら!」
このまま平和へのよろこびを歌いあげるコーラスとともに戦乱の時代に幕が下りるのだと、人々は信じ始めていた。
そんななか、ひとつの事件がおこる。
カンキッヒ・リョーツナッハ中将の結婚である。