銀河帝国との講和条約の正式な調印がせまるなか、ヤン・ウェンリーたちは深刻で滑稽な悩みを抱えていた。
「で、われわれはなんて国の軍隊なんですか、ヤン提督? 講和条約の調印式では、誰がサインするんですか?」
「痛いところをついてくるね、シェーンコップ中将」
ヤンは肩をすくめた。
ロムスキー医師とその側近がヤン暗殺計画のとばっちりで殺害され、エル・ファシル独立政府は、ただでさえ乏しかった求心力を完全に失った。甘い汁は吸えそうにないと判断したものは離脱し、ロムスキー医師の後釜にすわろうとしたものたちは細分化した派閥で共食いをはじめ、最後に残った派閥は、もはや完全に収集がつかなくなっているのを実感してエル・ファシル独立政府の解散を宣言した。
「こうなっては新国家を建国するよりほかにないんだが……」
「建国すればよろしいでしょう。あなたが国家元首の新国家を!」
「わたしを第二のルドルフにする気かい? それはいくらなんでも救いがなさすぎる」
「ルドルフと同じ道を通って、ルドルフと異なる未来をひらけばよろしいじゃないですか」
「きみはどうしてわたしを何かにつけて煽動するのかね」
「それがよりよい未来に通じているとわかっているからです、閣下」
「選挙によって民衆に選ばれていない国家元首の治める国の軍人になる気はないよ」
「選挙によって民衆に選ばれたなら文句はないんですな? しかとききましたよ。あとで反故になんかせんでくださいよ」
「おい、シェーンコップ中将、なにをする気なんだ」
「あなたが納得できるようにするんですよ」
かくしてイゼルローン要塞とエル・ファシルで合同の選挙が急遽おこなわれ、得票率九七パーセントでヤン・ウェンリーが次の国家元首に当選したのである。
「わたしは立候補も選挙演説もしていないぞ!」
「僭越ながら、小官が候補者名簿に閣下の名前を入れておきました。それにしても、得票率九七パーセントとは、信じがたい結果ですな」
「まったくだ、どうかしている」
「同感です。ヤン提督に投票しない不埒ものが三パーセントもいるとは予想もしていませんでした」
「……………………」
「閣下。そろそろ覚悟を決めてください。どのみち、あの皇帝ラインハルトがヤン・ウェンリーを擁していない新国家を対等な存在として認めるわけがないんだ。それとも、民衆の一割の支持すらも得られないような泡沫候補たちに、この民主主義の最後の牙城を託すおつもりですか? 民衆の意思を無視して。これが民主主義だと、ラインハルトに強弁するのですか?」
「……これだけは誤解しないでほしいんだが、わたしは納得なんかしていないんだぞ」
いささか子供っぽすぎる捨て台詞が、ヤン・ウェンリーの最後の抵抗となった。
「自由共和連邦初代大統領ヤン・ウェンリーか。ヤン提督もお気の毒に。とんだ災難だな」
講和条約の調印のためにハイネセンへと出立するヤンの、苦虫をかみつぶしたような顔をテレビニュースでみながら、リョーツナッハはバーボン入りのスキットルを掲げるのだった。
「またしても歴史学者になりそこねた大統領に……!」
銀河帝国と自由共和連邦のあいだに講和条約が結ばれた。
その条項のひとつに、三年間の期限付きではあるが、相互の不可侵が明記されていた。
「リョーさん。これで、少なくとも三年間は戦争をせずにすむのかな」
「素直に考えれば、そうなるな」
「……ひねくれて考えると?」
「内乱、って可能性がのこってる」
「ほんとにひねくれものだなあ」
丸顔の副官は肩をすくめた。
「とはいっても、今の皇帝陛下に叛旗をひるがえす道楽者ねえ……」
たとえば、皇帝ラインハルトよりも公正で公平で安定して豊かな統治をおこなえるという自負と気概に満ち溢れた人物。
まあ、いるかも知れないな、とリョーツナッハは思う。自分自身を客観視する能力に欠けている、という条件をつければ、のはなしだが。
あと、考えられるのは、暗殺者の存在だ。しかし、ラインハルトを暗殺して利をえられる陣営、というのはきわめて限られてくる。ヤン・ウェンリーがいやいや初代大統領に就任した自由共和連邦でさえ、ラインハルトに死なれては困るだろう。それによって生じる混乱と戦乱は、建国したばかりの民主主義国家を簡単に飲み込むだろうから。
だが、利を求めない暗殺者というものも存在する。復讐者といったほうがいいかも知れないが。
「ええい、縁起でもねえ。厄払いだ、厄払い」
角刈りの提督は、スキットルを取り出すのだった。
厄払いと称して取り出したスキットルが丸顔の副官にとりあげられてしまったせいでもあるまいが、フェザーンに新設された戦没者墓地の完工式に出席したラインハルトの身に、皇帝弑逆未遂事件が起こった、との報せがリョーツナッハに届けられた。暗殺者は復讐者だった。彼の出身地はヴェスターラントであったのだ。
「金髪の孺子! 俺の息子と娘は、ブラウンシュヴァイク公ときさまのために、息子の親友ともども、生きたまま焼き殺されたのだぞ!」
親衛隊によってラインハルト暗殺を未然にふせがれ、ラインハルトの眼前で取り押さえられた男は、命がけで弾劾の叫びをあげたという。
さらには。
その翌日、早朝に。
「花、花、花! 花をくれ! 黄色いバラ以外の、女性に喜ばれそうな花をくれ! 知的で清楚で、そばにいてくれるだけでほっとさせてくれるような、そんな女性が喜んでくれそうな花が欲しいのだ!」
開店前の花屋に突撃する若き皇帝の雄姿が目撃されたらしい、との噂も耳にしたリョーツナッハは訝し気につぶやいた。
「……フェザーンでいったい、なにがおこっているんだ?」
噂の裏側にどんな事実がひそんでいるのか、今の時点ではリョーツナッハにも見当がつかなかった。
「ハハーン。さては、あんときのアレはそういうことだったのかあ……」
角刈りの中将が合点するだけのピースがそろうのは、年が明けてからのことになる……。