皇帝ラインハルトの崩御に立ち会うため、フェザーンに向かったのは帝国軍だけではなかった。
自由共和連邦からは、ヤンの名代としてユリアン・ミンツが、アッテンボローとポプランを伴ってフェザーンの地を踏んだ。
これによって、ユリアン・ミンツの名がヤン・ウェンリーの後継者候補として銀河に広まることとなったのである。
ユリアンたちの服装は、自由惑星同盟軍の制服のままである。
「新しい制服? そんな金銭がどこにある」
キャゼルヌの現実的で夢のない発言によって、自由共和連邦軍の制服が一新されるのは、当分さきのばしにされるのが決定していた。
ユリアンにくっついてきた大人たちの人選は、複数の自薦と他薦が複雑にからみあった結果であろう……。
それは嵐の夜だった。
ユリアンたちが宿泊しているホテルに、シュトライト中将が訪れ、仮皇宮に来るよう要請したのである。皇帝のおおせである、と。
ひとつの時代が、いや、ひとつの伝説が終焉を告げようとしていることを、ユリアンは予感せざるをえなかった。
ヴェルゼーデ仮皇宮では、戦場の空気が満ち始めていた。
談話室に集まっていた諸将は臨戦態勢に入っていた。
オーベルシュタインが告げたのだ。
地球教団残党が、この仮皇宮を襲撃すると。
皇帝ラインハルトが病状を回復し、地球破壊の指揮をとろうとしているとの偽情報を流した、と。
諸将はオーベルシュタインに激怒したが、それよりも地球教徒たちを迎撃するほうが急務である。ケスラーの指示のもと、諸将は行動を開始し、ユリアンたちも、それに加わった。
「へー。そーなんだ」
そんななか、角刈りの提督は、腫れぼったいまぶたで剣呑な三白眼をかたちづくりながら平坦な口調でつぶやくのだった。
嵐の夜に、地球教徒の一団がヴェルゼーデ仮皇宮に乗り込んできた。
「こんなこともあろうかと、コイツをもってきといてよかったぜ!」
なんか変なのも乗り込んできた。
工事用重機のキャタピラ車両の上に、人間の上半身を模した汎用工作機械が乗っかっている。
「なんだ、あれは?」
至極まっとうな疑問が地球教徒の口からもれる。
「リョーツロボットのおでましだ!」
宇宙海賊と呼ばれた男は操縦席で雄叫びをあげた。
「うわ!」
巨大な金属製の腕につかまれた地球教徒が無個性な悲鳴をあげ、他の地球教徒めがけて投げつけられた。
地球教徒たちは次々となぎ倒されて行く。
爆発音が轟いた。
皇帝暗殺のための手製の爆弾を、地球教徒のひとりがキャタピラに向けて投げつけたのである。
「げっ、キャタピラが外れた! やっぱりまだ改良の余地があるか。開発中なのを、見切り発車でもってきたんだからな」
「それ、宇宙海賊だけに見せ場を独占させることはないぞ!」
ケスラーたちも参戦して、敵味方が入り混じる。
「くそ、なんてことだ!」
混戦のなかで、ひとりの男が館のなかへと侵入を果たした。男の名はド・ヴィリエ。地球教の大主教である。
「見逃すとおもったか!」
リョーツロボットから飛び降りて、角刈りの提督がそれを追いかける。
「きさまらのせいで、ワシはいまだに息子に会えてないんだぞ! 息子がワシのことを『おじちゃん』なんて呼ぶようになってたりしてたら、どうしてくれる!」
たまりにたまった鬱憤が爆発していた。
「な、なんなんだ、あいつは!」
たまらずド・ヴィリエは三階のトイレに逃げ込んだ。
「たしか、あのトイレには窓がついていたな……」
物置からハシゴを持ってきたリョーツナッハは外に出て、館の壁にハシゴをかけた。
「こんな嵐なのに、まさか窓から来るとは思うまい」
ハシゴを登っていると、窓が開いて、なにかがリョーツナッハの顔面に投げつけられた。
「ぶっ、ぺっぺっ」
異臭を放つそれを、顔からこそげおとす。
「げっ! ま、まさかこれは……」
「だしたてホヤホヤだ、ざまあみろ! クソくらえ!」
上から狂気じみた哄笑がふってきた。
「そーなんだ」
平坦な口調で、三白眼のリョーツナッハは言った。
「上等だよ! そっちがその気なら、こっちだって容赦はしねえぞ」
横殴りに叩きつけてくる雨で顔を洗いながら、リョーツナッハはボイラー制御室に駆け込んだ。ここでは、下水制御システムのコントロールもできるのだ。
「このタイプの汚水処理システムか。なら、あの裏技がつかえるな……」
「これからどうしようか」
発作的な哄笑がおさまると、ド・ヴィリエは途方に暮れた。地球教団の過激派は、おそらく自分ひとりになってしまっただろう。
「自殺……いやだ、いやだ! どうしておれが……」
罪悪感の欠片もない言葉を吐き出していると、ド・ヴィリエは異音に気付いた。
「なんだ? 便器から……? うわっ!」
便器から汚水が噴き出してきた。尋常な勢いではない。このままでは、トイレを満たした汚水で溺死してしまう。
ドアを開けて、ド・ヴィリエは廊下に逃げ出した。汚水も廊下に流れだした。あふれだした。濁流と化した。
「出てきたな! 待ちやがれ!」
「ひいい! まだ追いかけてくる!」
無我夢中でド・ヴィリエは逃げた。汚水の濁流のなか、走り、いくつかの扉を開け、誰何の声を潜り抜けた。
だが、ついに捕らえられた。
「もう逃げられないぞ、この野郎!」
「びえええ!」
泣き叫ぶド・ヴィリエの襟首を掴む。
「ん? そういえば、ここはどこだ?」
そこで、ようやくリョーツナッハは周囲を見回す余裕を取り戻した。
豪奢な部屋だ。けっこうな数の人影がある。アレク大公を抱っこしている皇妃ヒルデガルド、グリューネワルト大公妃、キルヒアイス元帥、マリーンドルフ伯、ミッターマイヤー元帥、ロイエンタール上級大将が抱きかかえているのは幼児のようだ。ほかにもそうそうたる顔ぶれの面々がいて、膝まで汚水によごれていた。
嫌な予感に駆り立てられながら首を回すと、これまた豪奢な寝台が視界に入った。
そこに横たわっているのは皇帝ラインハルトであった。無表情である。ちょうこわい。
「えーと」
もう一度、周囲を見回す。みな、茫然としていた。
「どうやら、お呼びでないようで。あ、お呼びでない、お呼びでない、こりゃまた失礼!」
言うなり、ド・ヴィリエを引きずりながら皇帝の病室から走って逃げ出した。
「あ、あの、陛下……」
困惑から抜け出しきれないままに、ヒルダは夫を見た。
そこでは、向ける先を喪い、ついには自身を今にも焼きつくそうとしていた何かのエネルギーが、あらたな獲物を見つけだしていた。若く美しい皇帝の身体に生気が満ちてゆき、豪奢な金髪が黄金色の炎を放つかのような錯覚をヒルダはおぼえた。
ラインハルトは叫んだ。
「リョーツナッハのバカはどこだ!」
「ド・ヴィリエに地球をテラフォーミングさせてやる、といって出航しました……」
そう返答したのが誰であるか、所説あってはっきりしない。
嵐はやんでいた。
「……かくて、ヴェルゼーデは戦艦ユリシーズのお仲間入りした」(オリビエ・ポプラン)