「あなたの後ろ、とかに、ね」
半兵衛は茶目っ気たっぷりに
柳田はその言葉にゾッと悪寒を覚えながらも、慌てて後ろを振り向く。
視線が背後に向いた瞬間、すべての感情が吹っ飛んだ気がした。
いや、あえて残った感情を言い表すなら、唐突感とでも言う様な物である。
つまりは、視界に移っている物が理解出来ないのだ。
柳田、いや柳田邦夫と名乗った男の背後には、いつの間にか金髪の少女が鎮座していた。
年の頃は十歳ほど。
さらさらと光を跳ね返す金色髪。
全てを見透かすかのような、髪と同色の瞳。
ふにふにと柔らかそうな頬。
つややかながら、年相応の可愛さを見せる唇。
一メートルと少し、小学一年生程の背丈を包む緋袴と巫女衣装。
そして、金色の髪の頭頂部から延びた一対の三角形の耳。
狐の耳があった。
説明されなくても解る。
あの子狐が、居た。
それも人の姿で。
ボーゼンとする柳田の耳に、何やら音が聞こえてくる。
「お前様! お前様!」
やや甲高い声が、何度か繰り返し言葉を投げかける。
何度目かにして、やっとそれが自分を呼ぶ物だと気づく。
「お前様? お前様って俺の事か?」
柳田の問いかけに、狐少女はキョトンとした表情を浮かべた後
「自分の夫を、お前様と呼ぶのは、普通じゃとおもうが?」
狐少女は、不思議そうに僅かに首を傾げた。
やんわりとした狐少女に対し、柳田、いや男の表情は全く逆であった。
男の表情は固まったまま。
頭が理解出来ない様であった。
「……ちょ、ちょっと待ってくれ」
やっとの事で男は言葉を絞り出す。
「なんじゃ?」
狐少女はつまらなそうに返事を返した。
「おまえは、あの子狐だよな」
男は絞り出すように確認の言葉を口にする。
「そうじゃ。何を言っておるのじゃお前様は。自分の妻を疑うものではないぞ」
そう言って正座の姿勢のまま、両手を腰へと持っていく。
怒ったぞ、と言うポーズだ。
かわいらしいポーズを目に、男の頭の中では、一つの言葉が渦を巻く。
その言葉とは“妻”である。
無論、少女の姿も気にはなるのだが、年齢は違えど狐少女に出会うのはこれで二度目、いささか耐性がついているようである。
「妻?」
「妻」
「つま??」
「つーま!」
首を傾げながら確認を繰り返す男に、狐少女はいら立ちを表していく。
狐少女のいら立ちを目の当たりにし、半兵衛は助け船とも取れる言葉を投げかける。
「柳田殿。過去に、狐に対して”妻”と言う言葉をつかった事はない?」
半兵衛は、内心楽しくなってきているのか、口から出る言葉は、随分と柔らかい物へと変化していた。
「妻、ですか?」
グルルと静かにうなり声をあげる狐少女を横目に、男は半兵衛へと視線を向ける。
男は、妻、妻、と言葉を繰り返しながら、指をこめかみにあて考えをめぐらす。
そして……
『押し掛け女房って言うんだぞ』
言った。
「押し掛け女房かぁ……」
男の口から、自責の念の様な言葉が漏れる。
この言葉に、隣の狐少女はうんうんと頷き、半兵衛はやはり、と言う意味で頷いた。
その瞬間、半兵衛は思い出した。
「柳田殿。その狐に、自身の名が書かれた物を渡しはしませんでしたかな?」
新たな問いである。
男の答えは? 当然yes。あのプレートだ。
そして、最後の問いである。
追いかけて来た狐を抱きしめはしなかったか? と。
これの答えも、当然yesだ。
答えを聞き、半兵衛の表情はどんよりと歪んだ。
よくもまあこれだけやらかす事が出来たな、と。
半兵衛はコホンと咳払いを一つすると、改めて座り直し柳田に説明を開始する。
「柳田殿。その娘は、九尾の狐であります」
きっぱり言われ、男はゴクリと硬い唾を飲み込んだ。
狐の怪異はいくつもあれど、人となる怪異で金色の毛を持つ怪異は一つ。
“九尾の狐”
大方その類だと男は想像していた。
まさにその通りだった。
半兵衛は傍らにあった書籍の山から、一冊の本を手に取ると、ぺらぺらとめくりながら口を開いた。
「九尾の
半兵衛の問いに、男は頷く事で返事を返す。
「まず、柳田殿は、自身の名が刻まれた物を、娘に渡した」
詰問をするような問いかけに、男は頷きを返す。
「そのあと、追いかけて来た狐を、柳田殿は抱きしめた」
半兵衛は言葉と共に、指を二本立てる。
狐を抱きしめる……確かに追いかけ飛び込んできた狐を顔面でキャッチした。
抱きしめたと言うより、受け止めたに近いが、些細な事なのだろう。
「そして…………その狐を妻とすると宣言する」
『押し掛け女房って言うんだぞ』
「宣言かぁ」
うなだれる男に、半兵衛はニコリと笑顔を向けると
「あきらめなされ、九尾の儀式は完結しておる。ご結婚おめでとうございます」
「丁寧な祝辞、ありがたく思うぞ」
半兵衛と九尾の娘は、正座しながら丁寧に頭を下げた。
「何とか無しに……は出来ませんねぇ」
拒否の言葉を口に仕掛けた男だが、九尾の娘に頬を引っ張られ言葉の意味を変えた。
半兵衛はもう一度咳ばらいをすると、本の内容を細かく説明する。
「九尾の伝統的な求婚の儀式では、まず男が自分の名が刻まれし物を女に渡します。次にその男を女が気に入ればその男の胸に飛びこむ。そして男がその女のすべてを背負う覚悟があるならば女を受け止め求婚する。ま、流れとしてはそんな所です。柳田殿、諦めてください。この儀式を覆すのは無理です。儀式と言うよりも、呪いに近い物らしいですから、ケホッ」
そう言う竹中半兵衛は、実に楽し気であった。