「それに……」
半兵衛は言葉途中で口を噤むと、九尾の少女へと視線を向けた。
僅かな沈黙の後
「あなたの身にまとっている物を見るに、相当高貴な出の様にお見受けしますが? お名前と出自をお聞きしても?」
いまさらながらも的確な問いを口にした。
九尾の少女は、この問いにゆっくりと頷くと立ち上がる。
そして……
「わらわは雫。白面金毛九尾の正統血族にして姫であるぞよ」
堂々と名乗りを上げた。
若干最後が残念な気もするが、姿を見ているとほほえましい物を感じる。
だが、この態度は見捨ててはおけない。
勝手に他人の家に上がり込み、その挙句に上から目線。
男は、雫と名乗った九尾の少女の頬をつかむと自分の方に向かせ
「ぞよ? ぞよってなんだ? ですだろ?」
そう言って全然笑ってはいない笑顔を向ける。
「そ、そうじゃなお前様よ! 雫じゃ、雫ですじゃよ! よろしゅうに」
そう言って若干恐怖が浮かんだ笑顔を見せた。
「くすっ」
コントの様な二人のやり取りを見て、半兵衛は思わず吹き出してしまった。
「強大な力と知恵を持つ九尾が、こうもたやすく諫められるとは……柳田殿、貴殿は誠に金色の狐に愛されし者なのかもね」
同時に、謎めいた言葉を口にする。
「それは……」
男は言葉の真意を聞こうとしたが、半兵衛の言葉の方が一瞬早かった。
「夜の帳も落ちて来ました。何もない東屋ですが、ささやかな
そう言って半兵衛は居間から出て行った。
その後、通いの世話人だと言う老人が飯を炊き、客間と言われた三畳ほどの狭い部屋へと通される。
男は寝転がり、天井を凝視する。
隣で暇そうにしている自称嫁の雫よりも、気にかかる事があるためだ。
「どうしたお前様よ」
男の心中を知っているようなそぶりで、雫が呼びかける。
男は静かに視線を動かし雫を見るが、何も言わない。
いや、何と言ったらいいのか分からないのだ。
「はぁ。解っておるわ、あのガリベン娘の咳の事じゃろ?」
雫は何の遠慮もヒントも無しに、男の思考を言い当てた。
「……雫、お前」
驚きのあまり、それだけしか口にできなかった。
その表情を見、雫は静かに息を吐くと。
「良いかお前様、九尾がなぜ災厄の怪異と呼ばれているか知っておるかや?」
唐突な問いかけに、男は首を横に振る。
この行動を見て、雫はニヤリと悪党の笑みを浮かべると
「九尾の怪異は人を食うからじゃ。それもとびっきりの部位をな」
「とびっきりの部位?」
男もつられてニヤリと笑う。
挑発的に、威風堂々と。
「そうじゃ、九尾が食らう人の部位は……知識」
「知識?」
とびっきりの部位が、知識?
男は僅かに頭を振った。
おどろおどろしい怪異譚と知識……素直には結び付かないからだ。
だが、雫の答えは違っていた。
「知識ほど凶悪な物はなかろうよ。人の武器など弓矢程度と思って出向いたら、ミサイル叩き込まれてはかなわんぞ」
真面目なトーンで説明を続ける雫。
確かに説明を聞く限り、その通り。
知識がアップデートされていく怪異、これほど厄介な物は居ない。
「まあ、力など腐るほどあるしのう」
ぽつりとつぶやく九尾の姫の言葉に、白面金毛九尾の伝承を思い出し、男は僅かに身震いした。
だが、今はそれどころではない。
ガリベン娘、つまりは半兵衛の咳の事だ。
「そ、そうだ、咳」
男は呟く様に会話を元へと戻す。
「そんなに心配かや?」
問いかける雫に対し男は
「歴史を変えるのは間違っている。いや、そもそも変える事が出来るのか判らんが……」
「一度でも顔見知った者が、死の運命を背負のはやり切れんか」
男が言い淀んだ言葉の続きを、雫は代弁する。
何も言わない男に対し、雫はめんどくさそうに溜息を一つ吐くと
「やってみれば良かろうよ。それで歴史が変わるのか、それとも……どこぞの医療漫画の言う通り歴史の強制力とやらが働くのか、やってみなければわからん」
雫が言う事も最もだ。
どうやっても歴史が変わらないのならば、好き放題やっても結果は同じ。
ならば、好きにやるのも一興。
嘘から出た誠、怪異譚を探して西東も悪くない。
男は起き上がると悪党を超えた邪悪な笑みを漏らし
「そうだな、俺の好きにやるとしよう」
静かにそう呟いた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
三人は昨日に居合わせていた居間で、朝の白湯を飲み向き合っている。
「少しは落ち着きましたか?」
問いかける半兵衛に
「ええ」
と短く男は告げる。
「これからどちらへ?」
さらに問い続ける半兵衛に
「井ノ口へ行こうと思います。何か面白い話が聞けるかもしれないですから」
大胆に、嘘偽りなく男は答えを返す。
「成程。では、文殊屋さんを訪ねるのが良いでしょう。そこの主人は知識も豊富な御仁ですから」
ありがたい情報に、男は頭を下げる。
同時に胸ポケットから錠剤のシートを出し、畳に置いた。
「これは?」
訝し気に問いかける半兵衛に
「薬で御座います、半兵衛様。特に、
言われ半兵衛は、震える手でオレンジ色の錠剤のシートを手に取り
「なぜ、判ったのかしら」
当然の疑問を口にする。
男は悪びれもせず、同時に誇る事もせず
「咳声が若干歪んでいましたゆえ、肺腑の病と結論付けました」
単純に自身が見たままを告げる。
「お値段は?」
そう問いかける半兵衛に
「出世払いと言う事で。いつか、私が困った時に、今日と同じように手を差し伸べていただければそれで結構」
礼は要らぬと男は頭をあげた。
男が渡した薬、それは抗生物質。
以前肺炎に掛かった男が、処方された物と同じ物。
薬を失くしたと思い再処方してもらった物の残り。
それで病が治ってくれればと思い、男は半兵衛に手渡した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「それで?」
東屋の居間で半兵衛は義理の父である安藤
「それでも何も、変わった目にあったと言う事ですよ。父上」
飄々とする半兵衛に、
「年頃の娘の住まいに、謎の男を泊めるとは……知恵者と言えど少々油断しすぎではないか?」
問いただす
「油断も何も、ぬらりひょんが上がり込み、勝手に湯をすすっていった。これを回避する方は、どんな書物にも書いてはいないですよ」
悪びれる訳でもなく、半兵衛はオレンジ色の錠剤を湯で飲みこんだ。
まだ何か言いたげな
“どこから来て何処へ流れつくかも知れぬお方よ。もしこの病が治ったら、馳せ参じましょう。すべてを捨て、竹中半兵衛重虎の全ての知を持って”
雲一つない空へと向けて無言で誓うのであった。