ベースボール・ヴィラン 作:匿名希望
初投稿ですが何か?
あの泥沼のような大決戦から、丸1年が経った。
街頭の大型ビジョンやテレビのニュースは連日、復興のシンボルとなった新しい街並みを映し出し、「誰もが誰かのヒーローになれる世界」というスローガンを熱っぽく連呼している。
死柄木弔という純粋な巨悪が討たれ、世界は確かに変わり始めていた。
人々は互いに寄り添い、かつての排他的な空気は薄れつつある。
その報道を、俺は決して「嘘っぱちだ」と切り捨てるつもりはなかった。
ひねくれた俺の目から見ても、世の中は間違いなく良い方向へ向かっている。
街を行き交う人々の表情は以前より柔らかくなり、かつてなら露骨に忌避されていたような異形系の個性を持つ人々も、またまだぎこちないながらも社会に溶け込み、笑顔を見せている。
ヒーローたちが命を賭して繋いだ未来は、確かに優しく、正しい世界を形作り始めていた。それは紛れもない事実であり、一つの確かな救いなのだろう。
だが――だからといって、俺がその優しい世界に「どうぞよろしく」と素直に手を差し伸べられるかと言えば、それはまったくの別問題だった。
「……良い世の中になったよな、本当に」
洗面台の鏡に向かって、俺――荒木 剛(あらき ごう)は自嘲気味に呟いた。
鏡の向こうからこちらを睨みつけているのは、端正な人間の顔ではない。
漆黒の硬質で鋭利な鱗に覆われた皮膚。
丸太のように太く、筋骨隆々とした歪な体躯。
背中には有機的なカミソリの刃を並べたような鋭い背鰭(せびれ)が列をなし、太い首の上には、肉食獣のそれよりも狂暴な牙を覗かせる顎がある。
個性名:『怪獣(カイジュウ)』。
自分自身の認識としては、「人間サイズにデフォルメされた怪獣」、それが俺の姿だった。
世界がどれだけ優しくなろうとも、俺のこの姿が周囲に与える本能的な恐怖と威圧感が消えるわけではない。
そして何より、俺の心の奥底に刻まれた過去の記憶が、その「綺麗な新世界」に同調することを拒んでいた。
幼少期、公園での「ヒーローごっこ」の記憶は、今でも俺の胸の底に、重く冷たい泥のように澱(おり)となって沈んでいる。
『剛くんは見た目が怖いからヴィランね!』
『正義の鉄槌! 悪者はやっつけろ!』
ヒーロー役に扮した友達――当時はそう信じていた奴ら――から投げつけられる、加減の知らない石や固い木の枝。
痛みに耐えかねて俺が少しでも唸り声を上げれば、周囲で見守っていた大人たちは『まぁ、怖いわね』と顔を顰め、ヒーロー側の理不尽な暴力を『男の子の元気な正義の味方ごっこ』として片付けた。
なぜなら、俺の見た目が、子供たちの絵本に出てくるような「悪者側」の怪物の記号をすべて満たしていたからだ。
生まれた瞬間から、俺は彼らの正義を引き立てるための配役を済まされていた。
あの「敵(ヴィラン)連合」のスピナーが異形系の解放を叫んだとき、世間に反感を持っていた俺の胸が激しく揺れたのは事実だ。
彼に共鳴し、社会に牙を剥いた連中の気持ちは痛いほど分かった。
俺自身は、あそこまで過酷な環境にいなかったから暴動に加わることはなかったものの、ヒーローという存在と、それを無条件に崇める世間への冷めた視線は消えなかった。
世界が変わったのは知っている。
皆が良い人になろうと努力しているのも分かる。
だけど、今さら『はい、今日からみんな平等です』と言われても、幼少期に浴びせられた「悪者」としての痛みが消えてくれるわけじゃない。
世界がどれだけ手を差し伸べてくれようとしても、この人間サイズの怪物の姿をした俺がその手を握るのは、どうしても気恥ずかしく、そして何より、自分自身のプライドが許さなかった。
差し伸べられた手を引くようにして救われるのは、俺の性分ではないのだ。
だから、ヒーローに成りたいとは思えなかった。
俺は俺のままで、ヒーローではない立場で、自分の価値を証明したかった。
じゃあ、この破格のパワーと瞬発力をどこに向ければいい?
その答えは、ヒーローの光が届かない、静かなマウンドの中にあった。
「おい荒木、お前進路どうすんだよ」
中学3年の秋、進路希望調査票を前にした教室の片隅で、同級生の男子――平均的な『念動力』の個性を持つ、大して親しくもない奴が話しかけてきた。
彼の目には、悪意こそないものの、この時代特有の「盲目的な前提」が含まれていた。
「お前その個性だし、やっぱ雄英とか士傑とか、ヒーロー科の難関狙うんだろ?
そのガタイとパワーがあれば、実技試験なんて余裕で無双してトップヒーローになれるだろーなー。
それに!
今なら、お前みたいな異形系のヒーローだって、昔よりずっとファンがつくぞ」
悪気のない、純粋な推薦。
世界が良くなったからこそ、彼は俺の個性をポジティブに評価してくれているのだ。
それはかつての差別的な視線に比べれば、間違いなく進歩だった。
しかし、それが逆に俺の胸をチクリと刺す。周りの奴らはみんなそうだ。
世界が優しくなったからこそ、「強い個性」を持っていれば、男女問わず全員ヒーローを目指すもんだと信じ込んでいる。
ヒーロー以外の選択肢を見ようともしない。
「いや、俺はヒーロー科は受けない」
俺が短く返すと、相手は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
「は? なんで? もったいねぇじゃん!
お前みたいな強い奴がヒーローになれば、みんな喜ぶって。
それに、じゃあどこ行くんだよ」
「地元の私立、星蘭高校」
「星蘭?
あそこ、普通科とビジネス科くらいしかないだろ。
なんでわざわざ……」
「野球やるんだよ」
「……は? 野球?」
同級生は心底理解できないという風に眉を寄せた。
それも無理はない。
超常黎明期から始まった暗黒期、そしてヒーローの台頭以降、日本のプロスポーツ人気は文字通り右肩下がりだった。
誰もがスポーツを見てる余裕がなくなり、そしてスポーツよりもヒーローの動向に目を奪われ、命がけのヴィラン退治という「究極のエンターテインメント」に熱狂していたからだ。
球場に足を運ぶ観客は激減し、テレビの中継枠もヒーロー特番にすり替わった。
野球も、サッカーも、今やヒーローの人気に追い抜かれ、マイナースポーツ扱いだった。
「プロ野球選手に、俺はなる。」
俺がそう言い放つと、同級生は「せっかく良い時代になったのに、変な奴」とでも言いたげな目を向け、それ以上追及するのをやめた。
「あいつは見た目通り、ひねくれてる」とでも思ったのだろうか。
だが、俺にとってはそれこそが至高の都合の良さだった。
ヒーローという眩しすぎる光から隠れ、なおかつ自分の『怪獣』としての圧倒的な身体能力を、叩きつけられる場所。
それが、9個のポジションと白球が支配する四角いフィールドだった。
世界がどれだけ優しくなっても、グラウンドの上で飛び交う白球は、俺の姿を見て手加減なんてしてくれないからだ。
星蘭高校は、かつて甲子園の常連だった野球の名門だ。
スポーツ人気の低迷に伴い、全国的に野球部の規模は縮小し、部員数も激減していたが、それでも地元の勇ー星蘭高校ーは、往年の名監督とプロ仕様の屋内練習場といった設備と全国からスカウトしてくる金の卵たちによって、今もその権勢を保っていた。
俺は、これまで野球なんてしたことがなかった。
だから、スカウトなんて来るはずがない。
だから、一般入学しか星蘭高校に進む道はない。
だが幸いにも、俺の学力からすれば偏差値的には余裕の合格圏内だから、入学に関しては問題ない。
しかし、そこから野球部で活躍するには、想像を絶する努力が必要だ。
これまで、野球で頑張ってきた奴らがライバルになるのだから、始めた手の俺では当然だろう。
ゆえに、死柄木討伐の報を聞いたその日から、俺の「孤独な戦争」は始まった。
中学3年間の最後の1年は、偏差値を維持するための勉強と、己の肉体を極限まで追い詰める特訓だけに費やされた。
「ふんっ……ぬおぉぉぉ……!」
放課後、人目のつかない高架下の薄暗い空き地。俺は特注で作らせた片側10kg、計20kgの鉄塊を両手に提げ、泥だらけになりながらスクワットを繰り返していた。
俺の『怪獣』という個性は、爆発的な瞬発力と、鋼鉄を引きちぎるほどの筋力を誇る。
しかし、致命的な弱点があった。
体力の消耗が激しすぎるのだ。
怪獣の巨体を維持し、トップスピードで動かすには、並の人間とは比較にならないほどのカロリーと酸素を消費する。
自動車で言えば、大排気量のモンスターエンジンを積んだ、燃費最悪の重戦車だ。
「あと……15回……! 14回……!」
太腿の硬質な鱗が擦れ合い、不気味な金属音を立てる。
鱗の隙間から大量の酸っぱい汗が吹き出し、体温の急上昇によって白い蒸気となって立ち上る。
視界が激しく点滅し、肺が焼け付くように熱い。
野球は、常に走り続けるスポーツではない。
バッティングの瞬間、ベースランニングの加速、マウンドからの投球のリリース。
その「一瞬」にすべてのエネルギーを爆発させれば、燃費の悪さは十分にカバーできる。
だが、そのためには「バテてフォームが崩れないための、強固な基礎体力(土台)」が絶対に必要だった。
心肺機能を高めるため、放課後はF91のマスクを着用し、河川敷でインターバル走を繰り返した。
むせ返る胃の内容物を飲み込みながら、泥水をすするような思いで足を動かし続けた。
そしてその後は、自室の机に向かい、数学の難問や長文の英語と格闘する。
星蘭高校は私立なので、必要なのは数学と英語か国語のどちらかと、理科か社会のどちらかの、全3科目を使う。
俺は数学、英語、社会の3つに絞って勉強を続けた。
昼間の猛特訓で肉体は悲鳴を上げており、猛烈な眠気が何度も襲ってきた。
そんな時、俺は自分の鋭い爪を手のひらに深く押し当てた。
黒い鱗の隙間から滲む血の痛みが、俺の意識を強引に現実へと引き戻す。
幸運だったのは、この【怪獣】の個性が食事さえしっかり取っていれば、高い回復力を持っていたことだ。
無茶とも言える特訓を繰り返しても、俺の体はびくともしなかった。
だから、こんな無茶を繰り返すことができた。
俺の個性は強い。ヒーローに向いてるかもって思う。
でも、やっぱり、ヒーローに成りたいとは思えなかった。
良い世界になった。それは分かってる。
嫌な思いをしたことも、あの頃は皆子供だったから、仕方ないとも思う。
中学に上がることには、いじめられるとか、そんなこともなかった。
それでも、心の中に何かわだかまりのようなものがあった。
もっとひどい目に合ったヤツが居るのもしってる。
だから、俺はスピナーの声に答えなかった。
だからこそ、この良くなった世界で、ぬくぬくと暮らして良いのかって、思う。
なにもしなかったのに、って思ってしまう。
冬が近づく頃には、毎日のルーティンとして1日500回の素振りと、コンクリート壁への壁当てによるキャッチボールを課した。
『怪獣』の膂力でそのまま500円の軟球を握り込めば、油断した瞬間にボールが弾け飛び、バラバラになる。
だから、指先の感覚を極限まで繊細にコントロールするため、生卵を一切割らずに3個でジャグリングする訓練を自らに課した。
最初は卵まみれになったし、母さんには「何やってんのあんた!!」って怒られまくった。
数ヶ月後には、何とか割らないような力加減を脳が記憶した。
バットは、振るたびに風が悲鳴を上げて切り裂かれる。
壁にぶつかるボールは、快音を通り越して銃声のような轟音を響かせた。
手が、指先が、この怪物の肉体が、自分の意志に完全に服従するまで、来る日も来る日も爪を研ぎ続けた。
そして、春が来た。
校門へと続く坂道には、桜の木々がピンク色の花弁を激しく散らせていた。
その中を、俺は周囲を圧するような体躯で歩いていた。
真新しい紺色の制服は、俺の背鰭を通すために、背中に大きな縦のスリットが空いている特注品だ。ズボンの裾からも、太い尾がのぞいている。
周囲の新入生たちが、一斉に足を止め、俺を見て息を呑むのが空気の振動で分かった。
「おい、見ろよ……なんだあいつ……」
「めっちゃ怪獣やん……? ちょっと怖すぎやろ……」
「しっ、バカ! 聞こえるって!」
ヒソヒソと交わされる囁き声。
確かに1年前の、あの殺伐とした空気の中に比べれば、彼らの視線には露骨な差別や拒絶は少なかった。
死柄木弔たちヴィラン連合が起こした戦い。
そしてそれに立ち向かった緑谷出久さんたちヒーロー。
「誰もが手を差し伸べる世界」の思いは、確かに浸透している。
そこには純粋な好奇心や、時代が変わったことへの前向きな肯定が含まれている。
誰もが、新しくなった優しい世界を歓迎していた。
ヴィランが居なくなった訳じゃない。
やなヤツも、性格が悪いヤツも普通に居る。
でも、確かに世界は優しくなっているのだ。
だが、俺の胸に宿る冷え切った火は、その優しさにうまく馴染めずに立ちすくんでいた。
みんなが差し伸べてくれるその美しい「手」を、何も考えず、素直に受け入れ、俺もその1人として輪の中に入れたらどんなに楽しいのだろうか。
それができないのは、俺が偏屈だからかもしれない。
かつて傷つけられた心の時間が、あの時のまま止まっているからかもしれない。
「俺は、俺のやり方で生きる」
俺は一切視線を動かさず、正面を見据えたまま体育館へと歩を進める。
世界の優しさを否定はしない。
ただ、俺はスピナーたちが声を上げ訴えたことで世界は変わったと思う。
それは、緑谷出久さんたち、ヒーローもそうだ。
彼ら彼女らの姿や、言葉、その姿勢に心が討たれた。
でも俺自身は、何の手も汚さず、何の行動も起こさず、傍観していただけだ。
なのに、その優しさになぁなぁで浸ってしまうとさのは、嫌だった。
だからこそ、自分の力だけで完結する強さを手に入れたい。
ただ一人の選手として、俺が俺自身の努力と力と、言葉と意志でマウンドに立ちたかった。
入学式の喧騒の中、校長が壇上で語る「これからの未来を担う若者たちへ」という退屈な祝辞が、右の耳から左の耳へと通り抜けていく。
俺の意識はすでに、胸のポケットに入っている部活動の入部届へと向かっていた。
暗黒期を抜け、ヒーローたちが泥を払い、築き上げた超常社会。
その輝かしい舞台の隅っこにある、誰も見向きもしなくなった泥塗れのダイヤモンド――それが野球だ。
この恐るべき『怪獣』の身体能力で、誰かに用意してもらった優しい世界で漫然と過ごすのではなく、俺自身の力で下火になってしまったスタジアムを熱狂させる。
星蘭高校野球部。
ここが俺という怪物の、最初のプレイボールの場所だ。