転生したら結城丈二(♀)だったのでプルトンロケットを回避したい!   作:青葱小口切り

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『仮面ライダーV3』後半、および結城丈二の原作展開に関するネタバレを含みます。
全13話、完結まで毎日7時17分に更新します。


第一話 うわぁ、結城丈二だ!

 焦げた匂いがする。

 

 頭の中身がシェイカーに入れられた気分だ。とんでもない勢いで流れ込んできている——映像とも記憶ともつかない何かが、視界の裏側を洪水みたいに走っていく。

 

「結城さん! 結城さん、大丈夫ですか!」

 

 大丈夫じゃないよ。ちょっと待ってくれ。頭がまだ——

 

「——排気弁を開放してくれ。ドラフトチャンバー内の試薬はBブロック棚の手順書に従って処理すること。飛散があったなら隔壁を降ろすように。負傷者は」

 

 あれ?

 

 今の、俺?

 

 言葉が口から出ていた。冷静でちょっとだけ硬い声。指が宙を切って実験室の奥を指していた。自分の指だ。それは分かるのに、白衣の袖口から伸びた指が妙に細くて自分のものに見えない。

 

「結城さんが庇ってくれたので、自分は無事です」

 

 片桐、と名札に書いてある男がこちらを覗き込んでいる。顔を怪しいマスクで覆っているが、目はどこまでも真剣だ。その後ろで、実験装置のひとつが盛大に壊れていた。内部部品が弾けたらしく、破片と薬液が床に散乱している。

 

 あの装置を、俺が——いや『結城さん』が使っていたのか。

 

「共振器の素材に微細な欠陥があったようだ。外部検査では見落とす種類のもの……設計の問題じゃない。製造ロットの不良か。ここでの事故報告は私がまとめるから、汚染区画の封鎖手順を優先してほしい」

 

 だから、口が勝手に動くのやめてくれないかな!?

 

 頭はまだシェイカーの中だ。ぐるぐるぐるぐる——何かが定位置にはまろうとしている。テレビ。いや、配信だ。スマートフォンの画面、小さなサムネイル——

 

 仮面ライダーV3。

 

 その単語が落ちてきた瞬間、洪水が一気に形を取った。

 

 夜毎にスマホで流していた特撮。秘密結社デストロンに家族を殺された風見志郎が、仮面ライダーV3となって怪人達と戦う物語。そしてV3の後半から現れた復讐に燃える科学者——

 

 結城丈二。

 

 あ。

 

 うわぁ、結城丈二だ!

 

 それ、俺だ。いま俺が立ってるこの足、動かしてるこの手、『結城さん』って呼ばれてるこの人が、結城丈二だ。

 

 思い出した。前の人生の記憶だ。名前はもうぼやけていて、顔も仕事も曖昧なのに、配信で仮面ライダーV3を見ていたことだけがやたら鮮明に残っている。人生の優先順位どうなってたんだ俺。

 

 片桐がまだこっちを心配そうに見ている。他の研究員たちが慌ただしく封鎖手順に動いている。破損した装置から白い煙が細く昇っている。

 

 それらを眺めながら、さっき口が勝手に言った言葉を反芻した。「設計の問題じゃない、製造ロットの不良」——結城丈二の研究人生で培った知識が、見ただけで原因を特定した。正確に、淀みなく。

 

 すごい人だな、結城丈二。

 

 ——それが、俺? いやなんで?

 

 落ち着け。とりあえず結城丈二なのは確定したんだから。

 

 次に。

 

 実験室の壁に金属パネルがある。そこに映る自分の顔を見た。

 

 (……女性だ!?)

 

 結城丈二の容姿は覚えている。画面の中にいた結城丈二は、精悍な顔をした男性だった。

 

 いま金属パネルに映っている人間は違う。目元こそよく似ているが、輪郭も骨格も——これは女性の顔だ。

 

 TS転生。そんなワードが脳裏をよぎったが、正直それどころではない。なぜなら。

 

 周囲を見回す。薄暗い照明。壁面に走るパイプライン。出入口に立つ、明らかに民間人のものではない服装の警備員。

 

 ここ、デストロンの研究施設じゃないか?

 

 いや——「じゃないか?」じゃない! 結城丈二の記憶が、この施設の配管一本一本の配置まで知っている。ここは間違いなく、悪の秘密結社デストロンの基地のひとつだ。

 

 性別が違うことに驚いている場合ではなかった。

 

 だって。

 

 結城丈二の運命を俺は知っている。原作の結城丈二はデストロンの科学者だったけど——最後には人を守るためプルトンロケットに乗って爆発するんだ。

 

 足が震えた。比喩じゃなく、実際に膝が笑い始めた。

 

「結城さん? お顔の色が——」

「……少し、煙を吸ったかもしれない。報告書は自室で書く」

 

 また口が勝手に動いた。落ち着いた、人を心配させない声。お前ほんとすごいよ結城丈二。俺は今にもへたりこみそうなのにさ。

 

「自分が付き添います」

「大丈夫だ。先に封鎖作業を仕上げてくれ、片桐」

 

 片桐が唇を引き結んで、けれど頷く。真面目な男だ。しかし、その名前に嫌な記憶が引っかかった。

 

 背を向けた瞬間、視界の端で片桐がこちらに頭を下げるのが見えた。

 

 見なかったことにしたかった。

 

***

 

 自室に戻る廊下がやたらと長い。

 

 歩きながら、結城丈二としての記憶と、前世の記憶を交互に参照する作業が勝手に進んでいる。研究棟の構造。各部署の配置。自分のIDで開けられる区画。研究スケジュール。幹部の名前——ヨロイ元帥。

 

 仮面ライダーV3の中で、結城丈二は後半に出てくるキャラだった。ライダーマンとしてV3と対立し、共闘し、最後は自己犠牲で退場する悲劇のヒーロー。

 

 視聴者(おれ)から見ればそうだった。

 

 今の時系列はどこだ? 少なくとも、結城丈二がライダーマンとして物語の表舞台に出るより前だろう。周囲はまだ、俺を忠実で優秀なデストロンの研究員だと思っている。

 

(……もう詰みでは? こういうのって子どもの頃に思い出すもんじゃないの!?)

 

 自室のドアを開ける。結城丈二のIDカードが反応して、ロックが外れる音がする。

 

 部屋は簡素だった。寝台、作業机、衣装棚、小さな洗面台。個人的な装飾はほとんどない。与えられた物を、必要な位置に置いているだけの部屋だった。

 

 白衣を脱ぐ。

 

 その下に、白い衣装があった。

 

 ……なんだこれ。ぴったりした白い全身タイツ——というには少しだけ生地に厚みがあるが、方向性は完全にそっちだ。胸元には大きなサソリ、デストロンのマーク。ああ、初登場の時の結城丈二の衣装だ。あの、白いやつ。科学者というより不審者。あれを着ている。今この瞬間の俺が。

 

 待ってくれ。これ女性の体で着るの相当キツくないか。出るところは出て引っ込むところは引っ込んだ身体のラインがもろに出る。白衣がないと何も隠せやしない。いや恥ずかしすぎるってこれ! 日常が羞恥プレイか!?

 

 しかしそんな服でも、着替えなければ始まらない。汚れた物は洗濯に出す必要がある。衣装棚を開けると、予備の白衣と同じ白い衣装が何着もきちんと畳んで収められていた。畳み方に癖がある。几帳面で、でもどこか急いだ折り方。限られた時間と空間で最大限の整理をする人の手つきだ。

 

 白い衣装を脱ぎにかかったとき、肌着の下がうっかり目に入った。

 

 無地のベージュ。装飾は一切ない。サイズだけが合っている実用品。

 

 初めてこの服に袖を通した時の記憶が浮かび上がる。

 

 ——ああ、これじゃないと透けるんだ。

 

 白くて、体に密着する衣装。支給品だろう。男性研究員と同じデザインの制服を、着る人間の体型も性別も考慮せずに割り当てられている。着る側が困ることを、支給する側は想定すらしていなかったはずだ。

 

 だからこの人は、自分で対処した。透けない色の下着を選んで。誰に相談するでもなく。

 

 衣装棚の中をもう一度見た。他の下着も同じトーンで統一されている。華やかさのかけらもない、けれど一貫した選択。

 棚の隅に小さな裁縫道具があった。衣装の補修用だろう。使い込まれた針と糸。

 

 笑えなかった。

 

 画面に映らない場所で、この人はこうして毎日を繋いできたのだ。

 

 着替えを終えて、洗面台の小さな鏡をもう一度覗く。

 

 ……鏡の中の女性は、思ったよりずっとまともな人間の顔をしていた。この施設で研究を続けてきた、凛とした女性科学者の顔。

 

 なんにしても、だ。

 

 右腕を持ち上げる。

 

 白い袖の下、五本の指が問題なく動く。掌を開いて閉じる。何の痛みもない。傷もない。今は。

 

 原作通りなら、この腕はいずれヨロイ元帥に奪われる。無実の罪を着せられたあげく硫酸プールで溶かされて、代わりに機械の腕がつく。そのカセットアームでライダーマンになるのだ。そしてその先に待っているのが、プルトンロケット。

 

 配信で見た最終盤。爆発すると分かっているロケットに乗り込んだ結城丈二の姿。

 

(嫌だーーーー!!)

 

 腕が溶けるのも嫌だし、手術も嫌だし(絶対麻酔なしじゃんあれ)、プルトンロケットに乗って飛んでいくのは絶対に嫌だ。ところがどっこい生きてはいたけど、生きてりゃ良いってもんじゃない。

 

 どうやってあの爆発から助かったのかは知らないうえに、俺も同じように助かる保証はない。結果だけ分かっている奇跡を生存計画に入れられるほど命知らずではなかった。

 

 英雄的な自己犠牲? すみませんけど、それ画面の向こう側だけにしてくれませんかね。当事者になった感想は、『嫌』の一文字に尽きる。

 

 俺はため息をついて、机に向かった。

 

***

 

 結城丈二のデスクには、走り書きのメモ、実験ノート、装置の設計図面、作戦会議のスケジュール表が整然と、優先順に重ねてあった。一番上に来ているのが直近の案件で、下に行くほど長期の研究テーマ。この人の整理法だ。

 

 スケジュール表を開く。

 

 日付と作戦名が並んでいる。怪人の名前と、出撃予定と、結城丈二に割り振られた技術支援のスケジュール。

 

 ……怪人名がカレンダーになっている。

 

 前世の記憶と照合すると、放送スケジュールの進行と重なる。あの怪人が出る回、あの作戦が実行される回。視聴者だった俺が「次回のV3も楽しみ」とか思ってた裏側には、こういう作戦表があったわけだ。

 

 視聴者の座席から、制作サイドの席に座り直した気分。しかも制作サイドは悪の組織だ。

 

 脱走。

 

 これが第一に考えるべきことだ。すぐにここを出て、デストロンと無関係な場所に逃げる。原作の運命に乗らなければ、腕も処刑もロケットもない。

 

 しかし、書類を見れば見るほど、それが簡単でないことが分かった。

 

 デストロンは科学者を資産として管理している。居場所は把握されており、IDカードの使用履歴も記録されている。研究の引き継ぎもなしに主任研究員が消えれば、即座に追手が出るだろう。

 

 何より、結城丈二は組織にとって有能すぎる。有能な駒が消えれば、全力で取り返しに来るか——消されるかの、どちらかだ。

 

 つまり、有能でなくなればいい。

 

 評価を下げる。重要な作戦から外される程度の凡人になる。そうすれば追手のランクも落ちるし、逃走のための猶予も生まれる。優秀な結城丈二が「最近冴えないね」と思われるまで成果を落として、外堀を埋めて、それから逃げる。

 

 よし。方針は決まった。

 

 まずは、この実験事故の報告書から始めよう。

 

 事故報告書だ。いい加減な分析と、的外れな再発防止案を書けばいい。結城丈二が雑な仕事をした、という実績を作る。小さな綻びからだ。

 

 ペンを取る。

 

 共振器。素材欠陥。製造ロット——そこまで書いたところで、俺は左手で右手首を押さえた。

 

「待て。今日は雑にやるんだろ」

 

 自室だから、と小さく声を出しながら原因欄を二本線で消す。『原因不明。経過観察を要する』と書き直した。

 

 これでいい。これなら少なくとも、完璧ではない。

 

 その時、同じ製造ロットの装置が施設内にあと三台あることを思い出した。

 このまま出せば点検は行われない。その代わり次に壊れたとき、誰かが破片を浴びる。

 

 ……駄目だろ、それは。

 

 しばらくペン先が紙の上で止まる。それから俺は、自分で『原因不明』に線を引いた。

 

 いい加減な報告書を書けば、人が死ぬかもしれないだなんて。

 

 俺の中の——前世の記憶を思い出す以前からこの体で生きてきた結城丈二が、当然のようにそこまで見通して手を動かしている。この人は報告書ひとつにも手を抜けない人間だったのだ。それは技術の高さだけじゃない。精度を落とした先に誰が傷つくかを想像する能力。研鑽というのは、そういうところまで含むらしい。

 

 尊敬する。するけど、困る。

 

 新しい紙の上をペンが走る。的確な原因分析に、図解付きの破損の連鎖メカニズム。再発防止の提案と、同種の装置すべてに対する点検手順が添えられる。次に手が止まった時には、すべて書き終えていた。

 

 無能になる計画は、一枚目の報告書で死んだ。

 

***

 

 報告書を持って実験棟に戻ると、封鎖作業は終わっていた。すぐに片桐が駆け寄ってくる。

 

「結城さん、もう大丈夫なんですか。休まれたほうが——」

「報告書を仕上げたから、確認してほしい。特に点検手順。同一ロットの装置が三台残っているから、明日中に全数検査を実施するように」

 

 片桐が報告書を受け取り、目を通す。ページをめくるたびに表情が変わっていった。

 

「……これ、事故から二時間も経ってないですよね」

「設計にも運用にも問題はなかった。今回、君達に責任はない。そこは安心してほしい」

 

 片桐の肩から、目に見えて力が抜けた。口が勝手にフォローまでするのか、結城丈二。

 

 片桐は報告書を胸の前に持ち直して、深く頭を下げた。

 

「ありがとうございます。事故のときも——結城さんが咄嗟に庇ってくれなかったら、怪我をしていました」

 

 やめてくれ。

 

「……当然のことをしただけだ」

 

 やめてくれって言ってるんだけど。

 

 この男は結城丈二を信じている。これは、この体が毎日の仕事で積み上げてきた信頼だ。きちんと仕事をして、部下を守り、報告書に手を抜かない上司への当たり前の敬意。

 

 問題は、俺がその信頼の行き先を知っていることだった。

 

 配信で見た仮面ライダーV3。片桐二郎は結城丈二を助け出したことが原因で怪人に襲われ命を落とす人物だ。なぜか結城丈二は女性になってるから、展開がまったく同じかは分からない。でも、この好意が——この『結城さんについていく』という顔が——いずれ致命傷になる可能性を、俺だけが知っている。

 

 信頼が、死亡フラグに見える。

 

「片桐、点検の件は頼む。私は明日の作戦会議の資料をまとめなければ」

「はい。あの、結城さん」

「何かあったか?」

「本当に、無理しないでくださいね」

 

 ……この声の温度を、どうすればいいんだろう。

 

 背を向けて、廊下を歩く。足音が規則正しく響く。結城丈二の歩幅で、結城丈二の姿勢で。

 

 内心はぐちゃぐちゃだ。ぐちゃぐちゃのまま自室に戻り、扉を閉めて寝台に腰を下ろす。

 

 完璧な事故報告書の控えが机の上にある。筆跡はまぎれもなく自分のもの——結城丈二のもの。

 

「……そんなに優秀にならないでよ、結城丈二」

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