転生したら結城丈二(♀)だったのでプルトンロケットを回避したい! 作:青葱小口切り
ハリケーンを搬入口から二百メートルほど離れた木立へ押し込んだ。
エンジンを切ると、谷の音だけが残る。低い震えが、靴底から膝へ上がってくる。昼に来たときより強い。
搬入口の門は、遠目にも様子が変わっていた。
門前の戦闘員が増えている。サーチライトは二基から四基になり、そのうちの二基が入口ではなく左手の斜面へ向けられていた。門の内側には、昼になかった柵が構えている。落とせば一息で閉じる形だ。
昼間に俺たちを見た戦闘員が、きちんと報告を上げたということだ。仕事の早い組織である。誰のおかげでそうなったのかは考えたくない。
風見が携行ケースの帯を肩から胸へ回し、締め具を確かめた。
互いに一度だけ、自分の進む方向へ目を向ける。決めたことをもう一度なぞる時間は、この人にも俺にもない。
風見が腕を上げる。
「変身……V3ァ!」
風車が回り、光が足元から駆け上がった。どこにも引っかかることなく、そのまま頭まで抜けていく。
俺はヘルメットを被った。左手で制御ベルトのボタンを押し込むと、強化服が腰から上下へ展開し、生成りのシャツと濃い紺色の上着を覆っていった。
布の感触は装備の下に残っている。右肩には、幸江さんが開いてくれた縫い目と、片桐がつけた三つの留め具がそのままある。
これを最初に使った日、俺は片桐兄妹を逃がすために庭へ出た。
逃げるために持ち出した機械で、今度は自分から戻ってきている。
(用途が反転しすぎてるんだよな)
返品したい。受付はたぶん門の向こうだ。
顔を上げると、隣にV3が立っていた。
赤い仮面が、サーチライトの光の端を拾って鈍く光っている。追手を振り切った先で初めて目が合ったとき、俺はまだ自分の名前を言うのが怖かった。
いまは、並んで同じ門を見ている。
変な話だ。この人と初めて会った日から、俺の予定表はろくに守られていない。
左の斜面へ向いていたサーチライトの一基が、ゆっくり木立へ振れ始めた。
白い光が、幹を一本ずつ塗って近づいてくる。あと数秒でこちらへ届く。
V3が駆け出した。
門へ正面から突っ込んでいく。サーチライトが四基とも一斉にそちらへ振れ、戦闘員が門の内側から溢れ出した。柵が落ちる音がして、赤い警報が回り始める。
俺は左手の斜面へ向かって走り出した。
膝は震えていたし、いま来た道を戻りたいという考えも、頭の隅に残ったままだった。それでも、走ると決めたのは俺だ。
背後でV3の戦闘が始まる。振り返らないまま、俺は岩壁の裾にある細い保守通路へ身体を入れた。
***
一段目の足場を走る。
偵察時と同じく、資材を積んだままの木箱が壁際に並んでいた。人はいない。全員が門の方へ吸われている。
保守用の階段で二段目へ上がった。鉄の踏み板が、足を置くたびに小さく鳴る。
通路の中ほどで、天井から金属の板が降りてきた。
見覚えのない隔壁だ。
考えるより先に身体を倒して、板と床の隙間へ滑り込んだ。強化服が擦れる音がして、通り抜けた直後に隔壁が床へ着いた。
振り返る。継ぎ目のない鉄の面が、通ってきた道を塞いでいる。押しても、指を掛ける隙間すらない。
退路が一本消えた。
膝をついて息を整えるあいだに、頭のどこかがきちんと計算をしている。この棚の縁から下へ降りれば、まだ森へ入れる。門はV3が押さえている。誰も俺を追ってこない。命だけなら、たぶん守れる。
その計算は、恐らく正しい。困るのは、いつでも正しいことだ。
俺は立ち上がって、三段目への足場を見上げた。
足場は途中で切れている。二つの足場をつなぐ渡りが一つあるが、その手前に人の跳べる距離ではない空白があった。偵察で数えたときは、線が一本つながっているように見えた場所だ。近くで見ると、間が抜けている。こちらから行くことを想定していない設計だった。
右腕を上げる。
肩の奥で巻き取り機構が回った。ロープが伸びて、渡りの上を通る鋼材へ打ち込まれる。引いて手応えを確かめ、鋼材が動かないことを見てから、巻き取る。
身体が浮いた。
空白の上を振られて、足場の隙間を越え、反対側の板へ着地する。膝で衝撃を殺し、ロープを戻した。
右腕を切り落とすと決めた夜、俺はこの腕を逃げるための道具だと思っていた。逃げ道の代金として支払ったつもりだった。
払った代金で、いま一番行きたくない場所へ上がっている。
そのとき、基地の放送が鳴った。
『V3を搬入口で足止めしろ!』
思ったとおりだ。
『結城丈二を管制施設へ通すな!』
(……それはもう少し遅く気づいてほしかったな)
ヨロイ元帥なら、V3が門で暴れている理由を三十秒で見抜く。俺の行き先が発射台ではなく管制室だということもあの人は知っている。
正しい判断を敵にされると、こちらは単純に困る。
棚の下で、黒い列が動き始めた。門の方へ走っていた戦闘員が、途中で向きを変えて、谷のこちら側へ折り返してくる。
放送の音は発射台側から来ていた。ヨロイ元帥は自分で出てこない。副指令所から手だけを動かしている。
俺は迷いなく三段目へ上がった。
管制施設が見えた。窓の灯りも、扉の形も、略図に落としたとおりだ。
その扉の前に、戦闘員が並び終えている。
***
入口脇の手すりへロープを打ち込んで、巻き取りながら足場を斜めに渡った。
着地した先で、最初の一人が鉄棒を振り下ろしてくる。
左の拳で顎を跳ね上げ、次の一人の膝へ蹴りを入れた。肩から体当たりで列を割り、開いた隙間へ半歩踏み込む。
扉まで十メートルもない。
扉の上で、施錠表示が緑から赤へ変わった。
副指令所から遠隔での施錠が始まっている。あの太い錠が落ちきったら、ロープアームでこじ開けている時間はない。
十メートルが、どうしようもなく遠い。戦闘員の数が違う。ヨロイ元帥はここへ人を集めている。倒した分だけ後ろから埋まってきて、押し合いになった。
全滅させる必要はない。扉の向こうに行ければいい。それだけのことが難しい。
しかも、仮に中へ入れたところで、この右腕では管制盤を開けない。そして俺は、一人では腕を替えられない。
この距離は、単純な長さの問題ではなかった。
背中側から金属が潰れる音が近づいてくる。
俺の前にいる戦闘員の動きが変わり始めた。踏み込んでこない。押し戻すでもなく、間合いを保って時間を延ばす動きだ。
V3が、来ている。
振り向くより先に足の向きを変えた。
列の横が崩れる。
V3が戦闘員の塊に突っ込んで、そのまま横一線に薙いでいく。跳ね飛ばされた影が手すりを越えて落ちた。
塞がっていた前が空く。
錠が落ちきる前に、俺は一気に扉まで走った。ハンドルへ左手をかけ、体重を乗せて回す。厚い扉が内側へ動いた。
V3が携行ケースを外して、開いた隙間へ放り込む。そのまま中へと滑り込み、二人で扉を閉めた。
閉じきって錠を閉めたあと、ガンガンと扉が叩かれ始める。ホラーかよ。
部屋の中に人はいない。倒れた椅子と、床に散った記録紙。放送が鳴った時点で、技術者は逃げている。
一度、扉が大きく軋んだ。
風見がケースを開いた。
***
俺は強化服の右肩の点検部を開けた。
左手を服の内側へ入れる。指の先が留め具に当たった。位置は覚えている。
三つを順番に外す。布が肩から落ちて、接続部が空気に触れた。
風見の手のひらが、右肩を丸ごと支えた。
外から扉を叩く音が続いている。金属がたわむ音のあいだに、鉄棒で殴っているらしい高い音が混ざる。あの扉が何分持つかは正直分からないが、耐えてくれることに賭けるしかなかった。
二か所の固定が外れる。ロープアームが肩から抜けて、床へ置かれた。
腕がなくなる感覚には、まだ慣れていない。
その瞬間、扉の上の蝶番から金属片が落ちた。次の一撃で、床へ警報灯の赤い筋が差し込む。
いま肩を引けば、接点を潰す。
怖くないわけではない。それでも、俺は動かなかった。仮面はV3のものでも、接続部に触れる手を、俺は風見志郎のものとして知っていた。
風見の指が通常手型を持ち上げる。
人工神経の手前で一度止まり、外装の縁へ持ち直す。
固定具へ指がかかった。練習では止まった場所を、今度は止まらない。
内側から先に、軽く。それから外側。金属が正しく嵌まる音がした。
「動くか」
俺は右手を開いて、閉じた。
五本の指が、全部動く。
「はい」
風見はもう扉へ戻っていた。
ケースから工具を取る。通常手型の指が柄を包んだ。掌の中に、握るための形がある。
ここまではライダーマンの仕事だった。ここからは、科学者の仕事だ。
俺は管制盤の蓋を開けた。
***
管制盤の前に立つのは、初めてではない。
この配置を作った班と、俺は同じ食堂を使っていた。表示灯の並べ方に癖がある。左が状態、右が実行だ。
ケースから回路計を出し、管制盤の縁へ置いた。そこから伸びる二本の測定コードのうち一本を接地端子に噛ませる。もう一方の細い測定針を左手に持った。
点火表示から始める。灯っている表示の裏側へ測定針を当て、反応を確かめながら配線を逆に辿っていく。
分岐が三つあった。
一つは圧力の監視だ。回路計の針の振れ方でわかる。もう一つは記録系へ落ちている。ここを切っても紙が動かなくなるだけで、ロケットは何も困らない。
残った一本が、盤の下の束を通って壁の外へ抜けていた。少し色褪せている。あとから足した線ではなく、この施設を組んだときに引かれた線だ。
蝶番が一つ弾けた。
扉が内側へ傾き、開いた隙間から戦闘員が押し込んでくる。V3が入口で受け止めた。拳が金属壁へ何かを叩きつける音。踏み込みで床が鳴る音。破片が盤の上へ飛んできて、途中で止まった。V3の背中が俺と扉のあいだに入っている。
俺はそれ以上、振り返らなかった。
目の前の一本を正しく選ぶこと以外に、必要なことなどない。
バツン、と音を立てて線を切る。
針が落ちた。
管制室の表示が、上から順に暗くなっていく。数字の並んでいた盤面が消え、秒読みが止まる。読み上げをしていた者の声も、どこかで途切れた。
谷全体を揺らしていた震えが、足の下から引いていった。
静かになると、外の音がやたら大きく聞こえた。
「止まったのか」
V3が肩越しに言った。
「主点火回路は切りました」
息を吐いた。
地図にさそり谷の丸をつけたこと。ロープアームで、戻れない渡りを越えたこと。風見に、この五本の指をつけてもらったこと。
ここまで積み上げたものが、ようやく一本の線につながった。
足元から震えが消えたことで、戦闘員たちの動きも一瞬だけ止まる。
俺の知っている物語では、この谷でロケットは飛ぶ。飛んで、結城丈二は爆発と共に消える。
その前提がたったいま、一本の線と一緒に切れたのかもしれない。
そう思ってしまった。
暗くなった盤面の右端で、赤い表示が一つ点いた。
***
見たことのない位置だった。
二つ目が点く。三つ目。右端の列が、下から順に埋まっていく。
外部給電を示す計器の針は落ちたままだ。落ちたままなのに、表示が増えていく。
増えた表示の一つに、機内電源と書かれていた。
『予備点火系統へ切り替えろ! 緊急発射だ!』
ヨロイ元帥の声が降ってきた。
止まっていた秒読みが、盤の別の場所で、別の桁から始まる。
足の下の震えが戻ってくる。今度は前より低い。
「燃料弁だ」
V3が扉の外へ向かおうとする。
「今からでは間に合いません」
「なら、外の電源を落とす」
「もう基地の電源では動いていません。ロケット側の独立電源へ切り替わりました」
偵察で確認した送電線も変圧器も、もう意味がない。
山腹の奥で、重い金属音が続いた。発射架台の固定が外れていく。
ヨロイ元帥は俺が主回路を切るところまで読んで、その先だけを用意していた。安全確認も点検も捨て、飛べばいいと決めた手順だ。
俺の作戦は、成功したまま敗北へ上書きされた。
こういう負け方があるのか、と思った。
スピーカーが一度だけザザ、と雑音を鳴らす。
「結城丈二」
放送とは違う回線だった。
声には距離がない。洋館の幕の向こうから聞いたのと、同じ声だ。本物かどうかは、あのときと同じで分からない。
「今ならば、まだ戻ることを許そう」
胸の奥が、勝手に一段静かになった。首領は怒鳴らない。命じるより先に、機会を与えると言う声。
秒読みの数字が一つ減った。
「……私を科学者として認めてくださったことは、忘れません」
閉ざされていた研究室の鍵を、この声が渡してくれた。そのことまで嘘にして拒むつもりはなかった。
「ならばV3を止め、戻るのだ」
やはり、そこへ来る。
この人は、恩を数えたら従うと思っている。それが本気なのが、一番厄介だ。
「恩があることと、あなたに従うことは別です」
沈黙が落ち、秒読みが減る音だけが響く。
「V3を止めよ」
「二度目はありません」
言い終えても、右手は盤から離れなかった。
あの夜、言葉でしかなかった約束が、ようやく動作になった。
雑音も置かずに、回線が断たれた。
残ったのは、緊急発射の秒読みだけだった。
風見はただ扉の前で戦闘員を押さえている。
それでいい。あの約束は、この人へ返すためのものだ。
俺は赤い表示から線を追った。
右端の列から出た束は、盤の外へ回り、隣の壁の保守盤へ入っている。
工具で留め具を外し、扉を開いた。
***
扉の裏に、油の染みた紙が一枚貼ってあった。
緊急発射系統の保守用概略図だ。細かい数値はない。線と記号だけの、現場で確かめるための図。
地上管制の四角が左端にある。そこから伸びた線が、途中で切られていた。切断記号が入っている。緊急発射に移った時点で、地上側は落とされる設計だ。
右側にロケットの断面が描かれていた。
爆発のための区画が四つ。この四つが同時に働いて、はじめて一つの威力になる。
その真ん中に、もう一つ小さな区画がある。中央連結区画、と添え書きがあった。四つの区画の配線と固定部が、そこへ集まっている。
各区画へ向かう線に、二つ一組の記号が並んでいた。遮断。自動復帰禁止。
俺は、それを知っている。カタツブラーに書き足した『止まれ』だ。
人を壊さないための機構を、ヨロイ元帥は不良な部品を切り捨てるものと読み違えた。俺は訂正しなかった。そのうえで、ヨロイ元帥は武装班にも回せと命じた。
(……本当に回しやがった!)
しかも、よりによって一番大きいものに使っている。プルトンロケットである。
あのとき机の上を通っていった紙が、俺が処刑を逃れているあいだにも走り続けて、いま油の染みた一枚の図の中に収まっている。
設計というのは、作った人間の手を離れたあとの方が長い。
紙の端が、振動で細かく跳ねた。発射台側から押し寄せる駆動音が、さっきより太くなっている。
図の線を指で追った。四つの区画は、中央で一つに縛られている。
縛りを解けばいい。
爆発は消えない。ただ、四つに散る。それだけのことが、一つの都市と釣り合っている。
「結城」
風見の声で顔を上げた。入口では、V3が鉄の棒を腕で受けていた。踵が床を半歩滑る。それでも、管制盤までの道は開けさせない。
「四つの区画を分離します。爆発はしますが、一つの大きな爆発にはなりません」
「都市は」
「届きません」
嘘は言っていない。俺は助からないかもしれない。街が一つなくなるのと、それは違う。俺が今夜買えるのは、その差だけだ。
「ここから切れるか?」
「緊急発射へ移った時点で、地上からの操作は切られています」
俺は図の中央へ視線を落とした。
中央連結区画の中に、四角が一つ描かれている。手動分離盤。そこから区画ごとの固定部へ、線が四本伸びていた。
地上管制の側から中へ入っている線は、細いものが一本だけ残っている。計測・状態監視、と小さく添えられていた。切られなかったのは、飛ばしたあとの様子を知りたいからだ。止めるためではなく、見るためだけの線だ。
概略図を一行読むあいだにも、秒読みが一つ減っていく。
小さな文字が三行、目にとまった。
分離操作は、機体が発射域を離脱したのちに行うこと。
谷内での分離は、燃料設備を含む地上設備を損壊させる。
本区画は、飛行中の有人使用を想定しない。
最後の一行は、座席も安全帯も脱出設備もこの区画には設けていないという意味を、事務の言葉で書いたものだった。
図の紙は油で汚れていて、線の一部が読みにくい。それでも三行の文字は、はっきり読めた。
外で扉が鳴っている。カウントダウンは進んでいる。
顔を上げれば、風見がそこにいた。読んだ三行をそのまま伝えれば、この人はきっと止めるだろう。
俺はカラカラに渇いた口の中でその文章を一度なぞった。
「止める方法はあります」
「どこだ」
俺は概略図の中央へ右の人差し指を置いた。
「……ロケットの中です」