転生したら結城丈二(♀)だったのでプルトンロケットを回避したい! 作:青葱小口切り
番外編 安全装置は正常に作動します
朝から始まったのは、三度目の試し彫りだった。
沢田さんは檜の端材を作業台へ据え、左の義手でノミを握り、右手の金槌で叩く。削り屑が薄く立ち上がって、台の縁から落ちた。
俺は彫った面ではなく、沢田さんの肩を見る。
(完成したと思ったところから始まる最終調整。分かる。俺も自分の右腕で毎回やる)
三度目の一撃で、沢田さんが手を止めた。
「手首が寝てる」
言い方は短い。愛想はもとから期待していない。
「あと、叩くと肩へ抜ける」
「どちらの肩ですか?」
「左だ。……背中の方にも来る」
「握りはどうでしょう」
「固すぎる。指が言うことを聞かん」
三つとも、規格の上では問題のない範囲だ。接続角度は許容の範囲内だし、握ったときの圧も設計値どおりに出ている。
生活には問題ありません、と言えば、この話は五秒で終わる。
だから、言わない。
「ノミを外して、同じように叩いてみてください」
沢田さんは不服そうな顔をしたが、言われたとおりにした。何も握っていない義手を端材へ当て、平らな面に金槌を振り下ろす。二度、三度。
肘が、わずかに外へ逃げていた。
義手が固すぎて、ノミの角度を手首で直せない。だから沢田さんは無意識に肘と肩で直している。力の行き先がそこへ集まって、背中まで届く。
「接続受けを、一度外します」
六角の止めを緩めて、受けごと角度を戻した。一・五度。緩衝材を一枚薄いものへ替え、ばね圧を二段落とす。数字にすれば全部、指の腹より小さい話だ。
(この誤差が急に重大事件になるんだよな)
沢田さんがノミを握り直した。今度は何も言わずに材へ向かい、線を追い始める。
金槌の音が変わった。前より軽くて、間隔が一定になっている。削り屑が長く上がって、途中で切れずに繋がった。
沢田さんは五分ほど黙って手を動かし続けた。
「……悪くない」
それだけ言って、ノミを置いた。
(出た、最大級)
この人がこれを言うまで、七か月かかっている。
「一か月後に再確認します。痛みや擦れが出た場合は、それ以前でも来てください」
「一か月も持たんかもしれん」
「持たなかった分は、こちらの設計の責任です」
沢田さんは道具を布へ巻き、それを義手側の肘で押さえて紐を結んだ。俺が手を出さなかったことに、たぶん気づいている。
戸口まで見送る。沢田さんは表へ出て、一度だけ振り返った。
「世話になった」
「こちらこそ」
商店街の方へ歩いていく背中を、角を曲がるまで見ていた。
感動はしない。何年もやっていれば、これは数ある仕事のひとつだ。
それでも、あの人が自分の仕事へ戻っていくところまでが俺の領分だと勝手に決めている。
***
入れ違いに戸が鳴った。
「結城さん」
幸江さんが籠を提げて入ってきて、まっすぐ壁の時計を見た。昼を四十分ほど過ぎている。
「また食事を抜いたりしていませんか」
「今日はまだ抜いていません」
抜くと決める前だからセーフ、という判定はたぶん通らないだろう。
その後ろから片桐が入ってきた。診療所の白衣のままだ。
「朝は」
「食べた。ご飯と、味噌汁と、鯖」
「結構です」
嘘は言っていない。沢田さんの調整が長引いて、昼が後ろへずれただけだ。
十年前なら、この作業だけ終えてから、と言って押し切っていた。押し切って、それから倒れて、片桐に説教されていた。
俺は工具を台へ置いて、手を洗いに立った。
幸江さんと片桐が籠の布を外しておにぎりと煮物と湯呑みを三つ並べている。
「来週の患者さんの話をしてもいいですか?」
里芋の煮っころがしを口へ入れたところで、片桐が言った。
「五十六歳の女性です。左の下腿切断。断端の治りは順調ですが、膝の後ろが硬いです」
「伸びるか」
「伸ばせます。ただ、あと二か月はかかります」
幸江さんが続けた。
「台所に長く立つ方です。それと、法事のたびに正座をなさる」
「正座を……」
「なさりたいそうです。無理なら諦めるとおっしゃっていますが、諦めると先におっしゃる方は、たいてい諦めたくないんです」
俺は箸を置いて、頭の中でソケットの高さを二種類引いた。
立ち仕事に合わせれば安定は取れるが、膝下が邪魔をして畳に座れない。座れる形にすれば、長時間の立位で端が痛む。
「二本要る」
「そう言うと思いました」
片桐が湯呑みを置いた。
「費用の話は、私が先に伺っておきます」
「頼む」
この三人で同じ話をするのが、いつのまにか普通になっている。片桐が身体の中を見て、幸江さんが生活の側を見て、俺が形にする。誰が決めたわけでもない順番だ。
工房のベルが鳴った。
戸を開けると、旅行鞄をひとつ提げた男が立っていた。
「久しぶりだな、結城」
「帰国するなら事前に連絡してください」
「左肩が少し引っかかる」
「それを最初に言ってください」
風見は鞄を土間へ下ろした。
「そう大袈裟にすることでもないだろう」
(十年かけて『無茶をしてから来る』が『違和感があったら来る』まで進歩した。長かった)
「それでも戻ってきた点は、評価します」
「褒められている気がしないな」
「褒めています」
片桐が、風見の立ち姿を三秒ほど見た。
「重心が右足に六割ほど寄っていますね」
「そうか」
幸江さんはもう、四つ目の湯呑みを出している。籠の底から握り飯を追加で並べ、箸を揃えた。
この人が世界のどこから帰ってきても、この工房の昼飯は一席増える。それも、当たり前になったことのひとつだ。
***
昼を終えると、片桐と幸江さんは診療所へ戻っていった。彼らには午後の診療がある。
俺は作業場の奥の床板を上げて、階段の灯りをつけた。
秘密基地、というほど立派なものではない。地上の工房をそのまま下へ広げただけの整備室だ。天井が低いので、風見は階段を降りきったところで少し首をすくめる。
壁際に測定器が並んでいる。同じ役目のものが三種類あるのは、身体の形が違うからだ。肩幅の広い方へ合わせた受け台は、風見には大きすぎて使えない。
棚には整備記録の綴りが並んでいる。背に名前はなく、番号だけが8つ振ってある。厚みは揃っていない。二冊目に入っている番号もあれば、一冊目の半分で止まっている番号もあった。
交換部品の箱には札がついている。使ってよい条件と、使ってはいけない条件。停止条件の札の方が、いつも文字数が多い。
工具掛けの端に、菓子折りの空箱が置きっぱなしになっている。来るたびに何か置いていく人がいて、俺が片づけるのを忘れている。
奥の壁に、俺の分がある。
通常手型の予備。ロープアームとネットアーム。新しい強化服を収納したベルトとヘルメット。そして、一人で腕を付け替えるための換装台。
どれも、十年前は台の上で半分ばらばらだったものだ。
「座ってください」
風見が上を脱いでから測定台へ腰を下ろした。左肩へ手を当てて、外側の継ぎ目から順に押していく。
熱はない。腫れもない。ただ、上げていったときの抵抗が、途中で一度だけ変わる。
「腕を上げてください。ゆっくり」
肩が水平を越えたところで、出力がわずかに前へ逃げた。本人は気づいていない。気づかない代わりに、右の背中で辻褄を合わせている。片桐が三秒で見抜いた重心の偏りは、そこから来ている。
「調整で済みます。ただし、今日中に」
「大したことはない」
「大したことがあるかどうかを判断するために来たんでしょう?」
「……そうだったな」
「話が早くなりましたね」
風見が短く笑った。この人の記録は、四冊目に入っている。
俺が左肩へ手を当てると、風見は言われる前に力を抜いた。痛む角度を示す手順にもう説明はいらない。
交換用の部品は少し離れた場所にある。俺が歩き出したそのとき、上でベルが鳴った。
午後の予約は入っていない。
「動かないでください」
「分かった」
(この『分かった』が無効にならないことを祈ろう)
***
戸口に立っていたのは、見覚えのない男だった。
三十代の後半といったところだろうか。背広の皺の寄り方が、長く歩いてきた人のそれだ。俺の顔を見て、それから看板の文字を見て、もう一度俺を見た。
内側の折り返しから、身分証を出す。
「加瀬という。
俺は身分証の写真と男の顔を見比べてから、頷いた。
「結城です」
「国際犯罪組織デストロンの、旧研究員について確認したい」
言い方は事務的だった。表の光を背負ったまま、戸の内側で立ち止まっている。
「結城丈二という人物を知っているか」
「私です」
加瀬さんの瞼が、一度だけ動いた。
「きょうだいか」
「違います」
「俺が探しているのは、デストロン科学部門の主任研究員だ」
「それが、私です。……元、ではありますが」
沈黙が三秒あった。
加瀬さんは目を逸らさなかったが、視線の焦点が俺の顔から看板へ、看板から工房の中へと順に移っていくのが分かった。
結城義肢製作所。偽名は使っていない。看板は六年前の開業の日から同じものが掛かっている。
それでも、ここに来るまで随分時間がかかったようだ。……もしかすると、男の科学者を探していたのかもしれない。
「上がっていいか」
「どうぞ」
俺は作業台の前の椅子を勧めた。加瀬さんは座る前に、鞄から古い綴りを出して台へ置いた。
紙が茶色く焼けている。角が丸い。何度も開かれた綴りの開き癖だ。
「これに見覚えは」
開かれた頁の見出しを見て、俺は息を止めた。
異常系統遮断規格。第三版。
(俺の、作った規格だ)
「あります」
「読み上げてくれ」
読まなくても言える。
「一、異常のある系統へは信号を通さない。二、一度止まった系統は、直るまで動かない」
加瀬さんは頁から目を上げなかった。
「作成者は」
「私です」
「時期は」
「昭和四十八年の秋から冬にかけてです」
「目的は」
俺は少し考えた。
当時の目的なら、二つある。組織へ提出した目的と、本当の目的だ。
「暴走した装置が、周囲を巻き込んで動き続けるのを止めるためです」
「デストロンの装置をか」
「そうです」
加瀬さんが質問票を膝の上へ広げた。ここから先は、順番の決まった質問だった。
——海外支部への適用を知っていたか。
「規格が国内の武装班へ回されたことは知っています。海外支部への配布は、承認の場にいませんでした。ただ当時の私の立場なら、いずれ回ることは予想できました」
——壊滅後、技術資料を所持しているか。
「所持しています。手元にあるのは私が書いたものだけですが、提出しろと言われれば出します」
——現在、旧デストロン関係者との接触は。
「一人います。片桐二郎。当時の私の部下で、いまは二本向こうの通りにある整形外科の医師です」
加瀬さんの手が止まった。
「隠さないんだな」
「隠して得をする人が、思いつきません」
鉛筆が動く音だけがしばらく続いた。それから加瀬さんは、質問票の頁を一枚めくって、そのまま閉じた。
「俺は以前、相棒と二人でデストロンの東南アジア支部へ入っていた」
声の質が変わった。
「潜っていたのは三か月だ。名簿と、輸送経路と、改造手術の記録を掴んだ。持ち出すには、混乱が要る」
「……設備を、暴走させるつもりだったんですね」
「動力系を過負荷にして、区画ごと吹き飛ばす。火事の中で外へ出る。何度か使った手だ」
俺は、その先を聞く前に分かってしまった。
——分かってしまうのが、一番嫌なところだ。
「操作した系統だけが、落ちた」
加瀬さんが言った。
「他へ火が回らない。止まった装置は、こちらが何をしても動かなかった」
「支部は」
「停まっただけだ。無傷でな。爆発も火事も起きない。ただ、動力系が不自然に落ちた記録だけが残った」
異常のある系統へは信号を通さない。一度止まった系統は、勝手に動き直さない。
どちらも、正しく働いている。
「発覚まで、どのくらいでしたか」
「四十分だ」
加瀬さんは綴りを閉じなかった。開いたままの頁へ、指先を置いている。
「区画の扉が順に閉まっていって、俺たちは搬出路の手前で止められた。宮原が……相棒が、俺を天井裏へ押し上げて、自分は下に残った」
俺は何も言わなかった。言えなかった、の方が正確だった。
「遺体は、その年のうちに確認されている」
加瀬さんは、そこで初めて顔を上げた。
「安全装置が働いた」
硬く、低く、それでも感情を隠し切れない声だった。
「お前の設計どおりにな」
「……確かにその規格を設計したのは、私です」
それでも、俺は前を向いて言った。
「あなた方の作戦を阻んだ事実も、否定しません」
私のせいであなたの相棒は死んだ、とは言わなかった。
俺は潜入作戦を知らなかったし、宮原さんを追い詰めたのはデストロンの警備だ。そこまで自分の領分とするのは、責任を取ることと同じではない。ただ話を自分の都合のいい形へ丸めることだ。
十年前に一度、それをやりかけた。あのときは、風見に怒られた。
「殺したのがデストロンだということくらい、俺にも分かっている」
加瀬さんがガリガリと頭をかきむしった。その指先が白くなるほど力がこもっている。
「だがあの夜に残った記録は、お前の装置が正しく仕事をしたという報告だけだった」
理屈と怒りが別の場所にしまわれている。俺にも覚えがあった。
加瀬さんが工房を見回した。作業台。石膏の型。壁に吊るした、まだ表面を仕上げていない前腕の殻。乾かしている革のベルト。
「今は義肢を作って、人助けか」
声に混じったものが、はっきりと私情になった。
「それで、過去を帳消しにするつもりか。今さら正義の味方でも気取るのか!」
(正義の味方。……名乗った覚えは、ないんだけどな)
「デストロンにいた事実は、消えません」
こういうときに、声が震えない。昔から変わらない結城丈二の話し方だった。
「あなたの相棒が亡くなられたことも、私がいま何を作っているかで帳消しにはできません。正義を名乗るつもりもありません」
一度だけ息を吸って、それから続ける。
「ですが……目の前で困っている人を私の技術で助けられるなら、助けます」
加瀬さんの指が、質問票の端を折った。しばらくして、その折り目を爪で押し戻す。
「では、続ける。壊滅当日の——」
突然、工房の灯りが落ちた。
***
入口から差し込む光が徐々に狭まっていく。
シャッターだ。工房のものではない。外側から、後付けで下ろされている。
加瀬さんが立ち上がって受話器を取り、二秒で置いた。
「切れている」
裏の勝手口が蹴り開けられた。
黒い戦闘服を着た人間が次々と工房の中へ入ってくる。足の運びが揃っている。素人ではない。
加瀬さんは早かった。俺の前へ出ながら拳銃を抜いて、先頭の一人へ向けた。
それでも、数には敵わない。
横から入った一人が銃身を跳ね上げ、拳銃が石膏の型の間へ落ちる。加瀬さんは殴り返したが、二人がかりで腕を取られ、床へ押さえ込まれた。縛りはしない。肩と肘を極めて、動きだけを封じている。
助けようと動くより先に、最後に入ってきた男が俺と加瀬さんの間に割って入った。
黒い外骨格を着ている。関節に、見覚えのある駆動系が入っていた。
「十年に及ぶ調査、ご苦労だった」
男は俺ではなく、床の加瀬さんへ言った。
「貴様がこの工房へ入ったことで、十分な確認が取れた」
加瀬さんの顔が歪む。
「……俺を、見ていたのか」
「旧デストロン資料への照会は、すべて把握している。貴様が義肢職人を洗い始めた時点で、候補は絞れていた」
男が、今度は俺を見た。
「この男が本部へ報告すれば、お前の生存は各国の捜査機関へ共有される。監視もつく。その前に押さえさせてもらおう」
(俺、いま完全に段取りの都合で拉致されようとしてる!?)
男は工房の中を、値踏みするように見回した。
「我々は各地に残されたデストロンの改造技術と兵器を回収してきた」
声に苦々しさが混じる。
「だが、貴様の安全規格が足枷になっている。外そうとすれば駆動系そのものが死に、残せば必要な出力が出せない」
俺の設計が十年経ってまだ、彼らの前で正しく働いている。
「デストロンの技術を、我々の体系へ組み込み直せ。安全機構を外し、戦闘に適した設計へ変えろ」
男は要求を口にした。
「設備も人員も、望むだけ与える。研究部門の主任に迎えよう。来い、結城丈二」
その言葉が、俺の――結城丈二の、柔らかい場所を撫でた。
閉ざされた研究室の扉。教授の名前で出た論文。それを手にしながら、俺に続けろと言った声。
この身体は、研究室を与えられるということの意味をよく知っている。
だから俺は、工房を見回した。
石膏の型。仕上げ待ちの前腕。乾かしている革のベルト。壁の予約票。沢田さんの名前と、一か月後の日付。床の下には、番号だけの整備記録。二本向こうの通りには、片桐と幸江さんの働く診療所がある。
「必要ありません」
俺はきっぱりと言い切った。
「研究室なら、もうあります」
男が鼻で笑う。
「その頭脳を、義手や義足に使って終わるつもりか」
「何に使うかを決めるのは、私です」
床の下から、足音が上がってきた。
風見が上を着ないまま階段から出てくる。左肩の調整は途中だが、部品はまだ外していない。これを幸運とは言いたくないが――安堵してしまうのは、確かだった。
何年経ってもヒーローなのだ、風見志郎は。
「結城」
「調整前ですが、動けます。無理はしないで」
俺が言い終わる前に、風見は駆けていた。
まず室内を横に薙いで、加瀬さんを押さえていた二人を壁まで吹き飛ばす。
その隙に俺は走った。石膏の型の間から拳銃を拾い上げ、床の加瀬さんへグリップの側を向けて差し出す。
「立てますか」
「……俺の心配をするのか」
「今それを議論している場合ではありません」
肘を掴んで引き起こした。加瀬さんは一瞬だけ抵抗して、それからこちらの手を使った。
窓の隙間から、外の様子が見える。黒い影が道路の両側へ散っていく。工房の前だけではない。診療所のある方の角にも回り込もうとしている。
風見もそれを見た。外骨格の男と油断なく睨み合いながら、俺に指示を出す。
「結城、下へ行け」
「ですが、」
「俺が引き受ける。換装しろ」
俺は加瀬さんの腕を取った。
「あなたも地下へ」
「俺に逃げろというのか」
「違います。ここより守りやすい場所へ移動します」
「事情聴取は終わっていない」
「でしたらなおさら、ここで死ぬわけにはいかないでしょう」
加瀬さんは舌打ちをして、拳銃を構え直した。
風見は外へ出ず、俺たちが階段へ入るまで室内の敵を引きつけた。俺の足が最初の段へ届いたのを確かめてから、外へ向き直る。
「お願いします」
「任せろ、結城」
床板が閉じる直前、風車の回る音がした。
***
地下扉を閉め、閂を三本とも落とす。
防火防音の扉に、外側から鋼板を重ねたものだ。永久には持たない。持たないことは分かっていて、それでもここに付けた。
俺は換装台へ向かった。
加瀬さんは、階段の下で足を止めている。
義肢工房の下に測定器が並び、番号だけの整備記録が積み上がり、戦うための腕とヘルメットが吊るされている。この光景を、そのまま受け止める方法がなかったのだろう。
「これは何だ」
「彼らの身体を調整する設備です」
「彼ら……まさか、」
「仮面ライダー。そう呼ばれている人たちです」
加瀬さんが、吊るされたヘルメットを見た。
「……お前も、戦うのか」
「必要なときは」
扉へ最初の衝撃が来た。
俺は左手で作業帯を締め、通常手型を換装台の受けへ差し込んだ。
この台には、片桐と幸江さんと風見の手が入っている。肩へ荷重が集中しないよう支持枠を詰めたのは片桐。左手と足だけで無理なく操作できる位置を、実際の動作を見ながら指摘してくれたのは幸江さん。停電しても外せるよう手動解除を足したのは風見だった。
接続確認が終わらなければ、次の工程へ進まない。それを入れると決めたのは俺だ。
加瀬さんが拳銃の弾倉を確かめて、扉の前へ立った。
「扉が破られたら——」
「指図するな」
「……分かりました」
通常手型の固定が入る。受けが手型を支えて、肩から離していく。
次に、ネットアームを台へ載せた。
網の収納部があるぶん、前が重い。持ち上がっていく途中で先端がわずかに下がるのは、十年やっても直っていない癖だ。
接続面が合う。最初の固定部が入る。接続表示が黄色に変わり、台が止まる。
(ここで止まるの!?)
扉の外で何かを削る音が始まった。地下へ押し入ろうとする円盤の刃だ。
(いや止まるために時間をかけて作ったんだろ、俺)
確認工程を飛ばせば、たぶん四秒縮む。四秒ぶんの角度のずれは、右肩の接続部が引き受けることになる。
俺は左手でレバーを戻した。角度を三ミリ戻して、もう一度倒す。
扉の隙間から光が差し込んだ。加瀬さんが一発撃って、そこへ入ろうとした影を退がらせる。
「あと二十秒ください」
壁の通信盤へ言った。外線は切られているが、地下と風見の携行受信機だけは、工房の中の閉じた回線で繋がっている。
『分かった、二十秒だな』
直後、扉の向こうで衝撃音が弾けた。円盤の刃が止まり、階段を駆け戻る足音がする。V3が捕獲班を後ろから引き剥がしたのだ。
風見は、二十秒と言われたら二十秒を作る。そういうやり方をする人だ。
表示が緑へ変わった。
金属が奥で噛み合う音。右肩に、重さが正しく乗る。
ヘルメットを被り、ベルトを起動する。新しい強化服が体を覆った。工房の機械と十年分の改修と設計を借りた、一人での換装。
(これを単独換装と呼んでいいのか……いや、今日は呼ばせてもらおう)
扉が、内側へ倒れた。
***
捕獲班は六人。全員、殺す装備ではない。
俺は右腕を上げた。
網が広がって、先頭の二人の足元を覆う。踏み込んだ瞬間に張力を上げると、二人とも前のめりに倒れた。緩めて外し、巻き取る。
三人目が振り上げた鉄の棒へ新しい網を掛け、そのまま支柱へ引き寄せて固定した。武器だけを柱へ縫い止める。
殴り合えば、こちらの右肩がもたない。
整備記録の棚から敵を遠ざけるように動く。あの棚が壊れると、これまでの積み重ねと来月の予定が全部消える。
「右から二人来ます」
「見えている。……棚に近付けるなと言うつもりか」
「お願いします」
「注文が多いな」
加瀬さんは物陰から短く撃って敵の足を止めた。
最後に、外骨格の男が入ってきた。
俺は網を右腕へ絡めて、男の右腕を取った。張力を上げて、関節の可動域と逆へ引く。
外骨格の腕が、途中で止まった。
男が引き戻そうとして、動かないことに気づく。
(過負荷を検知して、腕部だけ切り離したな)
組み込み直せなかったのだ。基礎の部分から外そうとすると、駆動系そのものが動かなくなる。だから彼らは、俺の安全設計を抱えたまま使っている。
なら、やることは決まっている。
右の腕部を止めた。次に脚部へ網を絡め、無理な方向へ捻って駆動異常を起こす。左脚が落ちた。腰の武装を強制的に引くと、そこも黙った。
一つずつ、系統を落としていく。
「だから貴様が必要なのだ!」
男が叫んだ。
「我々が何年かけても、この枷を外しきれなかった。貴様自身に、最初から作り直させる!」
「お断りします」
男の左手が腰の後ろへ伸びた。
そこには、俺の知らない部品が付いている。後から溶接された箱と、外へ引き出された太い線。
「外部バイパス……」
無意識に声が出ていた。
「やめろ! 停止理由を解消せずに動かすな!」
男はこちらの制止を無視して作動させた。止まっていた腕と脚が、いっせいに動き出す。
同時に、駆動音が歪んだ。関節の継ぎ目から火花が散り、腕が本来の軌道から外れて振られる。異常は何も直っていない。制御を通さず、外から電気を叩き込んでいるだけだ。
壊れるまで動かす前提で、出力だけを取り戻している。
網を掛けても、落ちた系統へバイパスが電気を送り込んでくる。止まらない。
三度目に振られた腕が、ネットアームの網を掴んだ。そのまま力任せに引かれる。
警告表示が出る前に張力を抜いた。それでも逃がしきれず、右肩ごと持っていかれた。あっさりと作業台の脚へ叩きつけられ、ヘルメットの内側で耳が鳴る。
「あぐっ……」
押さえ込まれた背中の上から、男が拘束具を出すのが見えた。生かして運ぶつもりなのだろう。
(殺されないだけマシ、とか言ってられないんだよな……!)
男の左手が、もう一度バイパスの箱へ伸びた。出力をさらに上げる気だ。
その瞬間、鋭い銃声が響いた。
箱の側面が弾け、引き出されていた線が垂れる。小さな爆発が起き、外へ出ていた給電部が壊れた。
男の上体が一瞬止まった。そして、腕が落ちる。
異常のある系統へは、信号が通らない。一度止まった系統は、勝手に動き直さない。
脚が落ちる。武装が落ちる。順番に、警告灯が赤へ変わっていく。
十年前と同じだ。安全装置は、正常に作動する。
俺は右腕を上げて、動かなくなった外骨格へ網を掛けた。腕と胴と支柱を一続きに巻き、張力を上げて固定する。残った戦闘員は、起き上がろうとしたところを加瀬さんの牽制射撃で止められる。その隙に俺が次の網で床へ縫った。
顔を上げると、加瀬さんは撃った姿勢のまま動いていなかった。
銃口の先ではなく、外骨格の胸で点滅している赤い警告灯を見ている。
彼は何も言わない。俺も、何も言わなかった。
階段の上で床板が跳ね上がって、赤い仮面が降りてきた。
外の連中は退いたらしい。V3は地下へ入って、床と柱と、網に固定された男を順に見て、それから俺の右肩を見た。
「終わったか」
「終わりました」
***
敵による封鎖が崩れてから、片桐と幸江さんが戻ってきた。
二人は診療所の患者を裏の路地から逃がしていて、こちらへは来られなかった。それでいい。そうしてもらうために、あの避難経路を三年前に決めた。
幸江さんは、事情を聞くより先に俺と風見を椅子へ座らせた。
「まず、怪我を見せてください」
「先に風見さんを」
「二人ともです」
俺は椅子へ座った。片桐が右肩の接続部を確かめ、ネットアームを外していく。
「停止表示が出る前に、負荷を抜きましたね」
「ああ」
「なら、大きな損傷はありません」
俺の次は風見の診察の番だった。
「左肩は、調整前より一段悪化しています」
風見は言い訳をせず、幸江さんから氷嚢を受け取った。
加瀬さんは、通信が戻るとすぐに応援を呼んだ。応援が到着すると、男と戦闘員はインターポール側へ引き渡された。外骨格と残された部品も、順に記録と回収が進められていく。
破損して外れていた小さな部品だけは、撮影と採寸を済ませたあと、技術解析用として俺の手元に残された。
人が出入りしはじめた工房で、加瀬さんが鞄を持って戸口へ向かう。
俺は咄嗟に彼を呼び止めた。
「助かりました。ありがとうございます」
「礼を言うな。俺は捜査官として、目の前の犯罪を止めただけだ」
「それでも、私は助かりました」
そこで加瀬さんが振り返った。
「……今日のことで、お前を許したわけじゃない」
「承知しています」
俺はそれ以上、何も足さなかった。
「聴取は終わっていない。改めて日を取る。今日の襲撃についてもだ」
加瀬さんは鞄を持ち直す。
「逃げるなよ」
「逃げません」
俺は工房を見回した。
「ここが、私の工房です」
返事はなかった。
戸口を出る前に、加瀬さんの視線が一度だけ壁へ動いた。予約票と、沢田さんの名前と、一か月後の日付。それから、地下に繋がる扉。
二秒ほどだった。
それが何を意味するのかは、俺が決めることではない。
***
夕方になった。
割れた窓に板を打ち、床の焦げた場所へ布を敷いて、応急の片づけが終わる。
幸江さんが夕飯を並べて、俺と風見を椅子へ座らせた。俺の右腕は通常手型へ戻されている。ネットアームは作業台の上で分解されて、片桐が損傷箇所へ赤い印をつけているところだ。
横から覗こうとしたら、手が止まった。
「今日はそこまでです」
「記録だけでも」
「食事が先です」
作業台を一度だけ見る。それから片桐へ工具を渡し、通常手型で箸を取った。持ち方が少し変わったのは、去年の改修のせいだ。
風見の点検も、食後に再開することになっている。
「次はいつ出るんです」
「三日後だ」
「明後日、もう一度見ます」
「……分かった」
食べ終わってから、俺は部品を一つだけ手に取った。記録を取ったあと、加瀬さんが「何か分かったら連絡しろ」と置いていったものだ。
基礎の部分に、デストロンの製造記号が打ってある。かつての俺が毎日見ていた刻印だ。
その上から、別のものが付いている。端子の規格が違う。制御部の設計思想が、明らかに別の系統から来ている。
単なる残党ではない。
拾い集めた技術を、一つの体系へまとめ直そうとしている。今日はその一端が、俺の工房へ来ただけだ。
風見が横から覗き込んだ。
「他のライダーにも知らせておく」
その一言で、前世の記憶の奥に嫌な単語が引っかかった。
(待ってくれ。正体不明の新組織に、仮面ライダー同士の情報共有…………これ、まさか仮面ライダーSPIRITSに繋がったりしないよな!? 誰か考えすぎだと言ってくれ)
嫌な汗が背中を伝う。
(漫画の内容までは追ってないって〜〜!!)
「どうした、結城」
「……何でもありません」
幸江さんが、湯呑みへ茶を注いだ。
窓の板の隙間から、商店街の閉店の音が入ってくる。片桐が赤い印をもう一つ書き足す。風見が左肩を回そうとして、俺と幸江さんの二人分の視線を受けて止めた。
俺は茶を飲んだ。
この先に何が来るのかは、やっぱり分からない。今日はその自由に、少しだけ肝を冷やしている。
十年後の結城丈二の話でした。もう一本は十年後のライダーマンの話になる予定ですが、その前にアンケートの他の選択肢の話を挟むかもしれません。もう少しお付き合いいただけたら幸いです。