転生したら結城丈二(♀)だったのでプルトンロケットを回避したい! 作:青葱小口切り
カタツブラーの技術審査に入る前に、防護装備を整える必要があった。
寄生性生物の取り扱い区画だ。耐薬品手袋、保護面、密閉式の作業衣。装備庫で支給品を受け取り、手袋に手を通す。
指先が余った。
親指と人差し指で一関節ぶん、中指から小指にかけては指の腹が浮いている。作業できないほどではない。しかし細かな器具の操作や、密閉性が要求される作業には明確に支障が出る。保護面の固定帯も緩い。顎の下に隙間ができて、密着しない。
研究班への支給品は『標準』の一種類だ。
女性戦闘員用の制服には、男性用とは別の品番が振られている。男女を分ける発想はあるらしい。戦闘員には。
女が戦うところまでは想定しても、この手で実験器具を扱うところまでは考えなかったらしい。
——と思ったとき、装備庫の奥に手を伸ばしていた。
蘇る記憶を頼りに棚の隅から使い込まれた手袋を引き出す。
古い手袋の指先は内側へ折り込まれ、細かく縫い留めてあった。五本の指すべてに、寸法を詰めた跡がある。縫い目は均一で、素材の伸縮を計算した間隔になっていた。保護面にも、規格品にはない留め具が二か所増設されている。
手袋に手を入れると、新品よりも少し硬かった。洗浄を繰り返した素材が、指の曲がる位置だけ柔らかく馴染んでいる。
指を曲げる。細い器具をつまむ。確認するより先に、この手が「これなら使える」と知っている。
この人は何度、この手袋を直したのだろう。合わないものを渡されるたび、仕事を諦める代わりに、道具の方を自分へ合わせてきた。
ふと、部屋にあった裁縫道具を思い出した。あれはこういう時に仕事をしたのかもしれない。
「結城さん」
手に箱を持って片桐が入ってきた。
「こちら、以前の装備と同じ寸法に調整してあります」
箱を開けると、新しい手袋と保護面が入っていた。
「……これは」
「古い方の素材が劣化していたので、以前の補正寸法を調べて、装備担当へ同じ加工を頼みました」
「承認は?」
「申請中です」
話しながら新しい手袋に手を通す。指先がぴたりと収まった。保護面も顎のラインに密着する。
助かった、と思った直後に気がついた。
正式承認より先に支給品へ加工を入れたのは、規定違反だ。
左遷理由が、向こうから歩いてきた。
「……次からは承認を先に取ってくれ」
「はい」
片桐が素直に頷く。その横顔を見ないようにして、手袋の箱を閉じた。
この記録を、俺は保留する。処刑が来る前に、この男を遠ざけるために。今からもう胃が重くて仕方なかった。
***
自室に戻り、カタツブラーの技術資料を広げた。
寄生性生物の生体構造、制御波の仕様、運用条件。資料は詳細だったが、寄生対象の欄だけは『生体媒介』『有機中継体』『現地調達対象』と記されている。
ガルマジロンの『複合有機試料』と同じ書式だ。もう二度目だから、書類の空白の形で何が消されたか分かる。
確か配信で見た仮面ライダーV3のサブタイトルには、堂々と『人体実験』の文字があった。
なんで番組表の方が悪の組織の内部資料より正直なんだよ。
対象はマンション住民だ。最初に寄生されるのは川田亜沙子。カタツブラーに卵を産み付けられ、特殊な制御波で操られ、風見志郎を襲わされる。そして——原作では、そのまま死ぬ。
技術資料に戻る。制御波の仕様書を一枚ずつ確認していく。
基準となる反応曲線は一例のみ。対象ごとの初期値は取っていない。制御波が途絶えれば、寄生体は低活動状態へ戻る。ところが生命反応が急落しても信号を切る条件がなく、再接続にも制限がない。
つまり、想定と違う反応をした対象へ、さらに同じ命令を押しつける設計になっている。『正常値』が一種類しかない。
さっきの手袋の縫い目が、頭の中で重なった。
標準に合わない身体が異常なんじゃない。その身体を一度も想定しなかった装置の方が、不完全なんだ。
結城丈二の手が、修正案を書き始めていた。各対象の初期反応を記録し、変化率が許容値を外れた時点で信号を遮断する。遮断後は、自動復帰させない。
片桐を呼び、書き上げた仕様書を渡した。
「遮断後の復帰条件がありませんが」
「入れていない。異常の原因を確認するまで、再接続させないためだ」
「運用班から手動復帰を要求されると思います」
「現場で簡単に戻せないように、再設定が必要な形にする」
片桐は一度だけ俺を見た。だが、理由は聞かなかった。
「分かりました。既存の構造なら、ここの回路を分岐させます」
仕様書を一読しただけで、こちらが欲しい停止条件まで正確に拾ってくる。左遷するつもりの男の能力を、また人命救助に使ってしまった。
人も死なない。装置も止まる。ついでに評価も下がる。今度こそ三方よしでは?
そう思っても、胸のざわつきはなかなか消えてくれなかった。
***
そして、ヨロイ元帥への技術審査報告の時間がやってきた。
前回のガルマジロンで、俺がこの部屋に入る手順はすでにできあがっている。ただし今回は、制御系に手を入れた理由を説明しなければならない。
「現在の制御系は、正常反応を一種類しか想定していません」
「基準値は設定されている」
「それは基準ではなく、一例です。基準から外れた際の処理が存在しません」
ヨロイ元帥の目が細くなる。
「使えぬ媒介なら捨て置けばよい」
「そのために、該当系統への送信を遮断します。停止条件のない装置を、制御装置とは呼べません」
遮断という言葉が、ヨロイ元帥の中でどちらへ転ぶかを待つ。対象を守る機構と読まれれば終わりだ。不良な部品を切り離す機構だと思わせなければならない。
ほんの数秒の沈黙なのに、右腕の皮膚が硫酸のことを思い出したみたいに粟立った。
「……いいだろう。ただし作戦全体の運用判断は俺が下す」
不良な個体を早く切り捨てて制御網を保護する機構——ヨロイ元帥はそう解釈したはずだ。その誤読を、俺は訂正しない。
「承知しています」
部屋を出たあと、廊下を歩きながら息を吐いた。
同じ日本語を使ってるはずなのに、意味だけが毎回デストロンで秀を叩き出していく。デストロン語検定は常に満点だ。頼むから落第してくれ。
***
数日後、カタツブラーの作戦が始まった。
俺は現地に出ない。研究施設の制御室から、匿名化された反応値を監視する立場だ。モニターの上では、住民は名前ではなく番号になっていた。
配信では名前のある人たちだった。ここでは一本の波形だ。
第一媒介は、川田亜沙子。この部屋で俺だけがそれを知っている。
固唾を呑んで見守っていると、作戦班の報告が制御室に流れてくる。
「第一媒介、標的へ接触」
「制御波、正常」
「運動反応、上昇」
止めろとは言えない。ここで接続を切れば、作戦の妨害を自白するようなものだ。俺が仕込んだのは、亜沙子さんの身体が異常を訴えた時にだけ働く仕組みだった。
つまり今の俺にできることは、彼女が傷つくのを待つことだけだ。
助ける装置を作ったはずなのに、作動するためには一度危険にさらされなければならない。安全装置って、そういうものだけど。今それを納得したくはない。
波形が一度大きく跳ねた直後、第一媒介の反応が急落した。
風見が亜沙子さんを気絶させたに違いない。本来なら——このあと亜沙子さんはそのまま死亡する。
警報が鳴った。
モニターに赤い表示が走る。遮断機構が作動していた。
「第一媒介、許容値を逸脱」
「制御信号、自動遮断」
「生体反応——低下。停止はしていません」
(……生きてる)
亜沙子さんの身体が、カタツブラーの制御から切り離された。遮断と同時に寄生体の反応も落ち、亜沙子さんは深い昏睡へ移る。
現場では反応がなく見えるだろう。妹の美沙子さんは風見志郎が姉を殺したと思い込むはずだ。亜沙子さんの生命反応が残っていることを、あの人たちに伝える手段は俺にはない。
ヨロイ元帥の声が飛んだ。
「第一媒介を再接続しろ」
「許容値を外れています。作戦中の復帰は不可能です」
「使えぬなら切り捨てろ」
「該当系統はすでに遮断済みです」
「捨てる」とは答えない。信号を切った事実だけを返す。
外面は、不良品を処理した技術者の顔をしている。
彼女の名前は呼べない。でも、確かに生きてる。
***
その後、カタツブラーの体液から血清を作れることが判明した。V3はカタツブラーを撃破し、血清を投与された人々は回復した。
俺のモニターには、最後にこう表示された。
全媒介、寄生反応消失。
その一行の下、第一媒介の欄に、生体反応の回復曲線が伸びていく。
前回のガルマジロンでは高木裕介を助けられなかった。今回は、原作で消えた一人の命が残った。それで十分だ。十分だと思うことにした。
***
作戦は失敗した。V3を排除できず、カタツブラーを失い、住民もすべて奪還された。
それでも遮断機構だけは、第一媒介を切り離してから最後まで正常に働き続けた。すぐ止まる、すぐ切れる、すぐ諦める。評価を下げるための消極的な設計だったはずなのに。
「一つの異常に全体を巻き込ませない。あの遮断規格は有用だ」
「当然の安全措置です」
「武装班にも回せ。今後の試作兵器へ適用する」
(悪の組織が安全設計に目覚めるな〜!!)
報告会が終わる頃には、もう武装班から仕様書の複写申請が届いていた。実験設備班からは、過負荷時の動力遮断へ使えるかという照会。改造手術班からは、生体接続部への応用可否。
早い。人を救う時はあれだけ理屈を積まないと動かなかった組織が、兵器の寿命を延ばす話になった途端、走るのが早い。
人を壊さないための『止まれ』が、兵器を壊さないための『止まれ』として組織へ広がっていく。しかも、ここから先はもう俺の署名すら必要ない。
あの回路は、作った俺より先にデストロンの中を走り始めていた。
自分の思想が組織に広がっていくのを、こんなに嫌な気持ちで見る日が来るとは思わなかった。
***
報告会のあと、片桐を自室に呼んだ。
机の上にはあの防護装備の変更記録を出してある。
「この装備の変更を指示したのは君か」
「はい。標準品のままでは、結城さんが安全に作業できません」
「承認前に支給品へ加工を入れたな」
「作業日程に間に合わなかったためです」
「理由を聞いているのではない。規定を外れた判断を、独断で行った事実を確認している」
片桐の判断は正しい。
ヨロイ元帥に対して言ったことと同じだ。一種類の標準へ身体を押し込むのではなく、合わない方を止める。装置の側を直す。カタツブラーの制御系で俺が通した思想を、この男はとっくに手袋一つで実行していた。
片桐が静かに言った。
「合わない装備を技量で補わせる方が危険だと判断しました」
「判断するのは君ではない」
内心では叫んでいる。そうだよ。お前が正しいよ。人の安全を設計するのに、自分の安全を二の次にする方が間違ってる。
それでも、片桐の死亡フラグを折るには中央研究所から遠ざけるしかないのだ。
「私個人への配慮を規定より優先する部下を、中央研究所には置いておけない」
そこまで言って、次の言葉が一度喉で止まった。
この男を遠ざけたい。死なせたくない。そのために今から、片桐が技術者として正しく判断したことを、上司への個人的な肩入れに変える。
「地方支部への異動を申請する」
片桐はすぐには答えなかった。
マスクで口元は見えない。それでも、指先が一度だけ強く握られたのが分かった。視線が床へ落ち、また戻る。
「……承知しました」
よし。嫌われた。多分。これで助けに来る理由はなくなった——
「ただ」
片桐は退室する直前に、振り返らずに言った。
「同じ状況なら、自分はまた同じ判断をします」
扉が閉まる。
……好感度、下がったよね? ちょっと自信がないぞ。
処分は受け入れて、判断は撤回しない。理不尽を言われても一歩も引かない。片桐、お前ほんとにいいやつだな。いいやつだから困るんだよ。
異動申請はすぐに提出した。ヨロイ元帥には、自分を慕う部下にまで規律を適用したように見えるだろう。
亜沙子さんを救うための遮断機構は、冷徹な合理性と評価された。
片桐を救うための左遷は、身内にも容赦しない忠誠心と評価される。
(デストロンから逃げるんじゃなかったのかよ! 全然逃げられそうにないんだけど!?)
***
片桐の異動が正式に決まった翌日。彼が中央研究所を離れる準備に入っている頃、自室の机の上に箱が一つ置かれていた。
中に、防護用の手袋が入っている。結城の手に合わせて補正された新品。そして、正式な承認印を得た仕様変更申請書。
片桐は去る前に手続きを完了させていた。次回から同じ補正を正式な装備として使えるように。支給品への加工が承認済みになれば、次の担当者が同じ違反を問われることもない。
フラグを折ったら、正規の申請書を添えて戻ってきた。再生怪人より再生が早い。
箱の下に、書類が一枚あった。
技術審査の予定表だ。開発中の個体名と、完成予定日と、審査担当者の欄が並んでいる。
上から三番目に、見覚えのある名前があった。
カマクビガメ。
右手に手袋をはめて、その行を指で追う。指先が余らない。ぴたりと合う。この手の寸法を測った男は、明日ここを出ていく。
審査担当者の欄は、怪人運用班のままだった。
今後の完成試験にはすべて技術審査として加われ、と言ったのはヨロイ元帥だ。その人が、この一体だけ俺を通さないことにしている。
理由は書いていない。書くわけがない。
配信で見た順番なら、次に画面へ出てくるのはこいつだ。こいつが出てくる頃、結城丈二は右腕をなくしている。
怪人カレンダーは、残り一体。
異常が起きてから慌てるな。起きる前に切り離せ。カタツブラーに組み込んだ理屈が、今度は自分の右腕を指している気がした。
この身体を一番よく理解している人間を、俺は自分の手で遠ざけたばかりだ。
「……俺、順番間違えてない?」