転生したら結城丈二(♀)だったのでプルトンロケットを回避したい! 作:青葱小口切り
朝の光が入らない自室で、俺は自分の右腕を切り落とす手順書を書いていた。
表題は『生体接続部への遮断規格応用試験・術式計画』。組織へ出す書類としては、これで通る。中身は違う。切断位置、止血、麻酔量、神経束の接続順序、異常時の中止条件、術後の監視項目。右腕を義肢——カセットアームへ置き換えるための、二十七ページだ。
ただ問題は、俺が画面で見たカセットアームと仕様が全く違うということだった。
画面の中のライダーマンは、右腕のアタッチメントを数秒で切り替えていた。だが、保管庫に残されていた試作機にそんな便利な仕組みはない。肩下の接続基部から腕一本分のユニットを抜き、人工神経の接点を保持したまま別のユニットを差し込んで、固定具を順番に締め直す。
左手だけでは、接点を支えながら固定具を扱えない。つまり換装には、最初からもう一人必要だった。
(ふ、不便すぎる……! あの便利な換装はどこへ行ったんだよ)
おそらく、画面で見たものはこの先で完成するはずだった仕様だ。だが今の俺に、その完成を待つ時間はない。持ち出せるのは、いま目の前にある未完成品だけ。
それでも、計画は進めなければいけない。片桐が残していった手袋をはめた右手で続きを書く。
指先が余らない。細いペン軸がきちんと握れる。この手のために採寸された手袋で、この手を失う計画を書いている。
患者名、結城丈二。
設計責任者、結城丈二。
術後管理責任者、結城丈二。
手術責任者の欄だけが、朝から一文字も進んでいない。
自分の腕を切る計画書なのに、なんでこんなに完成度が高いんだよ。無能化計画のときはあんなに手が動かなかったのに、いざ自分の体を切る話になった途端に淀みがない。あんた、自分にも容赦ないな。
改造手術班には頼めない。あそこへ持っていけば、その日のうちにヨロイ元帥の机へ上がる。かといって、自分でやるのは物理的に無理だ。切断そのものは器具でできる。問題はそのあとだ。左手一本で、自分の神経束を接続していく作業が待っている。麻酔をかければ手が動かない。かけなければ意識が保たない。
どう並べ替えても、人が足りない。
本来なら、執刀する人間のほかに補助が二人は要る。心当たりもある。けれど右腕一本のために、三人を裏切りへ巻き込むわけにはいかなかった。
唯一頼れそうな一人は、俺が地方へ飛ばす手続きを終えたばかりだった。
扉が叩かれる音がする。この部屋を訪れる人間はあまりいない。その例外の一人が頭に浮かんだ。嫌な予感だ。こういうのに限ってよく当たるタイプの。
手順書を裏返してから返事をする。
「結城さん。出発前に、引継ぎが一件残っています」
扉を開けると、鞄を持った片桐が立っていた。
(左遷にクーリングオフはないんだよ。いやそもそもこの時代、クーリングオフって制度ごとまだ無いんだけど)
嫌な予感をわずか数分で現実にした目の前の男に、なるべく冷たく聞こえる声で告げる。
「異動命令は正式に決まった。引継ぎも完了している」
「完了していません」
「何が残っている?」
「自分を異動させた、本当の理由です」
結城丈二の口が、平坦に答える。
「承認前に支給品へ加工を入れた。規定違反は事実だ」
「はい。ですが結城さんは、合わない装備に人間を合わせる方が危険だと分かっていました」
「……」
「その考えで、カタツブラーの制御系まで変更されています。標準に合わない反応を異常として切り離す設計だ。なのに自分の判断だけを、上司への個人的な配慮として処分された」
「判断するのは君ではない」
「あなたはそういう人じゃないでしょう、結城さん」
何かを言おうとして口が開き、そこで止まった。
昨日まで、俺が狼狽えていても勝手に理知的な返事を作ってくれた。初対面の大幹部に正論を叩きつけて、相手の面子まで立てて帰ってきた口だ。それが今、次の一文を出してこない。
嘘の材料が、この体の中にないのだ。この人は部下に嘘をつくやり方を身につけないまま、今日まで来てしまったらしい。
片桐が鞄から紙を一枚出した。技術審査の予定表。俺の机にあるものの写しだ。
「カマクビガメだけ、あなたの審査を通さないことになっています」
「……それだけで、何かが決まったとは限らない」
「では、何も起きないと言えますか」
言えない。
言えないどころか、俺は起きることを知っている。あと一体だ。あの怪人の完成予定日を越えたあたりで、結城丈二は無実の罪を着せられて、右腕を硫酸で溶かされる。配信で見た。日付の見当までついている。
だがそれは、この男に説明できる形をしていない。
「片桐。扉を閉めて、そこへ座ってくれ」
裏返していた手順書を、表へ戻した。
片桐が表題を読み、頁をめくり、そこで指が止まった。
「……右腕」
「肩の下、十二センチの位置で切断する。カセットアームの接続基部をそこへ埋める」
説明できる範囲だけを並べた。
ヨロイ元帥が俺を切る準備を進めていること。カマクビガメの審査から外されたのが、その最初の兆候であること。確証が出てから動くのでは遅いこと。
「逃げたあと、追手が来ると?」
「確実に怪人が来る。生身の科学者が振り切れる相手じゃない」
「全身改造は」
「成功率が低すぎる。逃亡する前に手術台で死ぬ可能性の方が高い。今ある設備と部品で確実に完成させられる最小限が、右腕の置換だ」
処刑の日付を知っている理由だけは、言えなかった。
「まだ何の損傷もない腕です」
「分かっている」
「逃げてから、別の方法を探すことは」
「逃げたあとには、この設備も部品もない。追手は、こちらの準備が終わるまで待ってはくれない」
「だから、今、自分で切ると」
「異常が起きてからでは遅い。致命的な結果が予測できるなら、起きる前に切り離す」
自分で書いた理屈が、今度は自分の右腕を指している。あの遮断機構を通したとき、最大の適用先が自分だとは思っていなかった。
片桐は手順書を持ったまま、手術責任者の空欄を見ている。
「これは命令ではない。手伝えば、君もデストロンには戻れない。地方支部の席も消える」
「……」
「断るなら、今聞いたことを忘れて、明朝の車に乗ってくれ。それで君は助かる」
沈黙が長い。目の動きだけが分かる。片桐は視線を頁へ戻し、また空欄を見る。
「本気ですか」
息を吸った。
組織の理想を信じる結城丈二は、今はいらない。そんな演技で片桐を巻き込むわけにはいかない。嘘をついて人を操るなんて、それこそ悪の秘密結社のやることじゃないか。
「本気だ。……君にしか、頼めない」
強く握った拳が、かすかに震える。
(人生で一番重いお願いの使いどころが、健康な右腕の切断依頼でいいのかよ)
片桐は、しばらく黙っていた。
それから手順書の頁を最初に戻し、口を開く。
「手順書を、見せてください」
……見せてるんだけどな。
片桐は手術責任者の空欄へ指を置いた。
「神経反応の測定記録と、接続部の設計図もお願いします」
そこでようやく意味が分かった。情で残るのではない。執刀者として、この計画の中へ入るつもりなのだ。
仕事として席に着かれるのは、不思議と怖くなかった。
***
その日の午後、改造手術班から来ていた照会に正式回答を出した。
「生体接続部への遮断規格の応用は可能。ただし実装試験を要する」
あわせて自分の申請を並べる。深夜帯の改造手術室の使用、試作接続部品の払い出し、麻酔器材と止血装置および生体監視機器の搬入、立会補助員一名の指名。
補助員の欄には、異動発令済みの片桐の名前を書いた。
申請は、半日で全部通った。
照会元は改造手術班。申請者は結城丈二。名目は安全規格の実装試験。三つ揃った書類へ、承認印が機械みたいに並んでいく。内容より、誰が何の名目で出したかしか見られていない。
並んだ承認印を見て、ようやく利息の行き先が決まった。硫酸プールでの返済ではない。元本ごとの持ち逃げだ。こういうものは基本、返さない方が得をする。
これで俺はもう、無実の罪を着せられる予定の人ではなくなった。手術室の目的外使用、軍事機密の持ち出し、転属予定者の無許可参加、記録の偽装、そして逃亡。並べてみると立派なものだ。冤罪じゃない。正真正銘、組織への裏切りだ。
ヨロイ元帥の面子は、画面で見たときより派手に潰れるだろう。追撃もその分だけ苛烈になる。分かって、この道を選んでいる。
準備は驚くほどスムーズに進んだ。そして夜も深まった頃、資材搬入の合間に、片桐が手順書の一枚を指した。
「術後三十分で移動開始、とあります」
「最短で動ける時間だ」
「最短であって、安全ではありません」
「……」
「自分で作った安全規格を、自分にだけ適用しないつもりですか」
反論は浮かばなかった。安全規格というものは、作成者だけを適用除外にしてくれないらしい。
「……何時間だ」
片桐は『三十分』の数字へ二本線を引き、その横へ『六時間』と書き込んだ。
「血圧と接続部の発熱が安定してからです。移動中も監視が必要になります」
「六時間ここに留まる危険の方が大きい」
「移動先を確保します。当てがあります」
それ以上は言わなかった。俺も聞かなかった。
この男が異動先へ向かう代わりにここへ戻ってきた時点で、俺の知らない場所に頼れる人間がいることになる。その名前を、画面の中で見た覚えがある。覚えがあるが、今は聞いていないことにした。
***
手術前。
箱から手袋を出して、右手にはめた。
作業台にカセットアームの試作機を載せる。もとは義肢研究として、結城丈二が個人で進めていたものだ。完成前の物を人の体へ載せたがらない人だったから、組織へ提出されずにここに残っている。おかげで俺の逃走用装備がある。
カセットアームは、女性の腕の形をしていた。
試作段階の基礎寸法には、設計者自身の腕の計測値が使われている。最初の動作模型にするなら、それが一番手近なサンプルだったのだろう。
親指と人差し指で端子を挟む。布越しでも、〇・五ミリのずれが指の腹へ返ってくる。手袋の内側は、少し汗ばんでいた。
試験開始記録の署名欄に、結城丈二と書いた。
手袋を外して箱へ戻す。捨てずに、逃走用の荷物の一番下に入れた。もう使う手がなくなるものだ。それでも、この体を見て寸法を測った人間がいた記録だから、持っていく。
深夜、二人で地下の手術室へ向かった。
通路は地下三層をまたぐ。冷えた空気。等間隔の照明。壁の継ぎ目。
この廊下だ。
画面の中の結城丈二は無実の罪を宣告されたあと、この道を連行されて硫酸プールの上に逆さ吊りにされる。
右手を壁につけた。
冷たい。継ぎ目のところで指が段差に落ちる。指先に埃がつく。手を離そうとしたのに、指の方が壁の感触を確かめ続けている。
あとわずかでこの感覚を持っている腕はなくなる。予定として知っている喪失にも、ちゃんと痛みがあるらしい。
片桐は何度か俺の右手を見たが、何も言わなかった。
無言のまま、手術室の認証操作を右手で行う。
この部屋の扉を開けるのが、結城丈二の右手の最後の仕事だった。
***
手術室は明るかった。
片桐は、赤字の入った手順書を台の脇へ固定した。止血装置を一度作動させ、生体監視機器の針が元の位置へ戻るのを待つ。右肩につけた印へ指を当てた。
「切断位置、肩下十二センチ」
「確認した」
器具を数える声は平坦で、手だけが一度も止まらない。本来なら補助がもう一人か二人は欲しい。だが、切断と止血は装置へ任せ、片桐が接続へ専念できるように手順を組み替えてある。人数を減らした分だけ、確認項目は増えた。
片桐が組織のマスクを外して手術用のものに替えた。デストロンの研究員の顔が、執刀医の顔になった。
台に横になる。天井の照明が近い。白い衣装の右袖が肩口まで切り開かれ、腕が手術台へ固定される。
「今なら、まだ中止できます」
「中止は、しない」
「……分かりました」
「始めてくれ」
麻酔の管が入る。数を数えるように言われた。
(いや、腕だぞ。抜歯じゃないんだぞ)
計画書では四文字だ。『右腕切断』。二十七ページのうちの、たった一行。書いているときはそれでよかった。でもそこに載っているのは、さっき壁を触った俺の腕なんだよな。爪の形も、ペンの持ち癖も、手袋の寸法も、全部この腕のものだ。
嫌だ。すごく嫌だ。
俺は天井を見ながら数を数える。
三つ数えたところで、照明がふっと遠のいた。
***
浮かび上がるように意識が戻った。
完全に覚めたわけではない。意識の底のあたりから、ぼんやりと水面を見上げている感じだ。
白い衣装の右袖は、肩口から切り落とされていた。
その下に包帯があった。厚く巻かれた白に、内側から赤が滲んでいる。滲みの縁はもう乾き始めていた。包帯の先にある金属の継ぎ目が、さっき指で追った壁の段差を思わせた。
片桐が監視装置の前にいた。ひどく疲れた顔で、数値を書き取っている。マスクをしていない横顔は、思っていたよりずっと若かった。
「片桐」
「……はい」
「手術は」
「接続まで完了しました。発熱も出血も基準内です」
指を動かそうとした。
右手の、五本の指を。
握った感覚だけはあった。爪が掌へ触れるところまで、頭の中には残っている。けれど視界の中では、包帯の先の金属が一ミリも動かない。
稼働試験は術後六時間後。手順書にそう書いたのは自分だ。ただ動かないのとは違う。動かすための指そのものが、もうない。
右肩から先にあった重さだけが、身体の記憶として残っていた。
タイムリミット通りに、俺の右腕はなくなった。
予定と違うのは、硫酸で溶かされる前に俺が片桐に頼んだこと。そして、その片桐が生きて隣にいることだった。