転生したら結城丈二(♀)だったのでプルトンロケットを回避したい! 作:青葱小口切り
年が明けた。
サイタンクの一件から数日で、俺も風見も怪我はすっかり治っていた。台所では幸江さんが餅を焼いていて、片桐が湯呑みを四つ並べている。風見は朝から来ていて、縁側から庭を見ていた。
昭和の正月だ。
俺が生まれるより前の正月に、雑煮の匂いがする家で座っている。実感の持ち方が分からないので、とりあえず餅を食べた。うまい。
郵便受けの鳴る音がしたのは、その直後だった。
片桐が取りに出て、戻ってきた時には顔色が変わっていた。
「結城さん」
差し出されたのは、一枚の年賀状だった。宛名は結城丈二。宛先はこの貸家の住所。番地まで正確に書かれている。
差出人の欄には、郊外の洋館の住所とヨロイ元帥の名。消印はなかった。
クリスマスにサンタクロース、正月に年賀状。デストロン、季節行事だけは律儀に消化する。年賀状の回は散々ネタにされてたっけ。
……いや、待て。
(どうして、これがここへ届く!?)
文面は、殺害予告ではなかった。
首領は結城丈二の帰還を望んでおられる。デストロンとの対立を解消する機会を与える。指定の場所へ来られたし——
最後は、謹賀新年で締めてあった。
覗き込んだ風見が短く言う。
「差出人まで書いてあるな」
「罠です」
「そうだろうな」
二人とも、文面より宛先を見ていた。——この家を、向こうは知っている。
湯呑みが四つ並んだ卓を、俺は一度だけ見た。
「風見さん。片桐と幸江さんを、ここから移します」
「ああ。話はそれからだ」
***
片桐兄妹の荷造りは、三十分で終わった。
幸江さんは医療品と接続部の管理器具を一本ずつ布で包み、片桐は換装用工具を番号順にケースへ戻していく。資料は濡れないよう二重の袋へ入れた。
風見は窓ごとに外を確認し、俺は最低限の着替えを鞄へ詰める。
誰も「何から運ぶ」とは聞かなかった。
この家で何が一番大事に扱われてきたかを皆同じ順番で覚えている。
持ち出さないものは、そのまま残った。
卓には、さっきまで正月だった痕跡がある。食べかけの雑煮。焦げ目のついた餅。開いたままの新聞。物干しにはタオルが掛かり、棚には使いかけの包帯が巻き戻された形で置かれている。
この家に四人で住み始めてまだ数日だったが、年賀状一枚でこんなにあっさり畳めるものらしい。
出発の前に、片桐が俺の右腕を外した。
通常手型のロックを抜き、ロープアームを差し込む。金属が噛み合う音がして、片桐が実際に引いて確かめた。
「接続、完了しました」
それから、彼は少し間を置いて言った。
「工具は車へ積みました。途中で通常手型へ戻すことはできません」
「分かっている。罠だと分かっている場所へ行く以上、こちらにする」
これで俺の右手は、今日一日ロープしか出てこない。
(正月早々、片手で悪の秘密結社と会談だ)
片桐は頷いて、鞄を閉じた。
「私も同行します」
「必要ない」
「……」
「二人は先に、安全な場所へ」
片桐は反論しなかった。前なら、多分しただろう。
風見がここに行け、と住所を書きつけたメモを渡す。V3を支える人たち——立花さんのところだろうか。中身をみる前に、メモは片桐のポケットにしまわれてしまった。
幸江さんが靴を履きながらこちらを見る。
「結城さん」
「はい」
「戻ったら連絡してください」
戻ったら。
帰れなかった場合を口にしない代わりに、幸江さんは帰った後の手順だけを渡してきた。
俺には、それを断る理由がなかった。
「……分かりました」
車が出ていった。庭に轍が残って、それも風で乾いていく。
残った移動手段は、ひとつだけだった。
風見のバイク、ハリケーンだ。俺は縁側からその車体を眺めていた。
「乗れ」
「……後ろに、ですか」
「ほかに足があるのか?」
ない。
右腕がロープアームである以上、俺は自分でハンドルを握れない。理屈は完璧だ。完璧なんだけど、心の準備という工程がまるごと省略されている。
ロープアームを身体の前へ引き寄せて、後部座席にまたがった。借り物の外套の裾を巻き込まないように押さえて、左手だけで風見の上着の裾をつまむ。
「それでは落ちる。腕を回せ」
「……はい」
左腕を、恐る恐る風見の腰へ回した。
仮面ライダーの移動手段がバイクなのは知っていた。
仮面ライダーの腰につかまる側の手順までは、配信になかった。
エンジンがかかる。振動が座席から背骨まで上がってくる。
「つかまったか」
「はい」
発進は驚くほど滑らかだった。
冬の空気が耳の横を通り過ぎていく。目の前にあるのは、誰よりも信用できる広い背中だ。
その温もりに安堵しそうになる自分を叱咤した。これから俺たちは、敵が待ち構えている場所に行くんだぞ。
***
郊外の洋館は、玄関に注連飾りが掛かっていた。
新しい藁の匂いがする。切り口には、まだ青みが残っていた。
祝うためではない。年賀状の舞台を完成させるために、今朝掛けたのだろう。
館そのものが、俺宛てに出された葉書の続きだった。
ヘルメットを被り、強化服の制御ベルトに指を掛けた。V3も同時に変身する。
原作では、偽の結城丈二で風見を惑わせるための仕掛けがあった。だが、年賀状の文面が記憶と違う。知識はあまり当てにならず……分かっていることは、ひとつだけ。
今回のデストロンは、本物の俺に用がある。
玄関の扉は、押しただけで開いた。
広間に踏み込んだ瞬間、両側の壁から戦闘員が湧いた。次に天井から降りてきたのは、青灰色の鱗に覆われた巨体だ。
「シーラカンスキッド」
「知っているのか?」
「古代魚型です。爆弾を吐きますが、動き自体は直線的です」
直後にシーラカンスキッドが口を開き、爆弾を吐き出した。
V3が俺の肩を引いて爆発圏から外す。俺は着地と同時にロープを射出し、回り込もうとした戦闘員の足をまとめて払った。
背中合わせのまま二歩、三歩。
サイタンク戦で覚えた距離が、言葉を交わさなくても保たれている。
このまま離れないように——と思ったところで、床が不吉な音を立てた。
真上から鉄の隔壁が落ちてくる。
慌てて前に出た俺と隔壁を避けたV3の間に、腕一本ぶんの隙間もなく壁が下りた。
仕込みの方が早い。館自体が俺たちの分断装置だ。
「結城、先へ行け!」
厚い鉄板の向こうから、声が届く。
「ですが——」
「首領を逃がすな。俺もすぐ行く」
「……分かりました」
言葉を飲み込んで、俺は奥へ通じる扉へ向かう。重そうな扉はあっさりと開いた。
そりゃそうだ。今日は招待客なんだから。
***
通された部屋は、天井が高かった。
窓は板で塞がれ、燭台の火だけが壁を照らしている。その真ん中に、ヨロイ元帥が立っていた。
裏切ってから直接会うのは初めてだった。前世を思い出して以来、俺はこの男の視線から逃げ続けてきた。
「ありがたく思え、結城丈二」
鎧武者の面が、火に照らされて動く。
「これほどの背信を重ねながら、首領はなお貴様をお見捨てにならなかった」
襲ってこない。
当然だ。首領が結城丈二を戻したがっている以上、その命令が最優先される。
それでも、声には別のものが混じっていた。
「一つ聞く」
「どうぞ」
「貴様の処刑計画は、まだ外へ出ていなかった」
「……」
「命令を伝える前に貴様は手術を済ませ、片桐を連れて消えた。誰が漏らした」
ああ――この人が今日、本当に聞きたかったのはそこか。
「誰も」
「では、なぜ分かった」
「あなたなら、私を処刑すると考えたからだ」
燭台の火が、一度大きく揺れた。
(あ、これ、怒らせる答え方だ)
分かってはいたが、他の答えを持っていなかった。
漏洩なら、犯人を吊るせば秩序は戻る。
だが「あなたならそうすると思った」は、ヨロイ元帥の判断そのものを先回りしたという意味になる。
命令を下す前に逃げられた。その一点が、この男には何より許せない。
「……処刑を恐れて逃げ出した臆病者が、今さら正義を気取るか」
俺は、そこは否定しなかった。
「確かに私は臆病者だ」
「……何?」
「死ぬのが怖かった。だから、生きるための準備をした」
鎧が軋む音がする。
「あなたが処刑しようとした時点では、私はまだ無実だった」
「……」
「だが、逃げる時には違った。私は自分で、デストロンを裏切る方を選んだ」
言い終えて、俺は少し驚いていた。この台詞は用意していなかったのに、口は最後まで詰まらなかった。
ヨロイ元帥の指が、俺の右腕を指した。
「その腕も、逃亡のためか」
「処刑されれば、私の命も技術も、デストロンの都合で終わる」
ロープアームの装甲が、火を鈍く映している。
「その前に、自分で使い道を決めただけだ」
沈黙が落ちた。ヨロイ元帥が奥の扉を開く。
「首領がお待ちだ」
***
その部屋には、火もなかった。
奥に幕が下りていて、その向こうに輪郭だけがある。座っているのか立っているのかも分からない。
本物か、影武者か。
俺には確かめようがない。デストロン首領がどういう存在なのかは、配信で最後まで見た。見たはずなのに、目の前にあるのは布と暗がりだけだ。
声は、はっきりしていた。
「久しいな、結城丈二」
叱責ではなかった。まるで、長く顔を見ていない部下にかけるような声だった。
その呼び方を身体が知っている。胸の奥が一瞬だけ緩み、俺は自分の反応に遅れて気づいた。
「悪いことは言わん。ヨロイ元帥と仲直りするのだ」
「……しかし……」
(違う)
「戻りません」と言うべきなのに、口が拒絶の形を取ってくれない。
(なんで躊躇う?)
「その立会人に私がなろう」
「……首領が?」
(だから!!)
自分の中で何かが揺れているのが分かった。
首領は、本気で言っているんだ。
首領は本気で、俺がヨロイ元帥との諍いだけを理由に出ていったと思っている。
自分が間に立てば、結城丈二は戻る。それを疑っていない声だった。
デストロンそのものを拒んだという可能性だけが、首領の中にはない。
俺は息を吸って、言い直した。
「私は戻りません」
「……」
「ヨロイ元帥との不和が理由ではありません」
「ほう」
「私は、デストロンの作る世界を、もう理想だとは思えないんです」
怒鳴られるかと思った。
「考え直せ、結城丈二」
首領はただ、残念そうにそう言った。
後ろでヨロイ元帥の鎧が鳴る。ここまで背いた人間に、首領がなお温情を掛けていること自体が、この人には耐えがたいのだろう。
俺の方も、耐えがたかった。
技術を利用されているだけなら、まだ楽だったのに。
***
轟音が上がって、扉が内側へ倒れてきた。誰かが煙を突き抜けて中へ入ってくる。
V3だ。
シーラカンスキッドを押し退けてきたのだ。マフラーの端がわずかに焦げている。
最後の「私は戻りません」だけは聞こえたらしい。V3は俺を見て、しっかりと頷いた。
彼は幕の方へ向き直った。
「話は終わりだ、デストロン首領」
V3の構えが変わる。
あれはデストロン首領だ。
風見が拳を止める理由も、俺が止めさせる理由もない。
そう理解していた。——理解していたのに。
突如ぶわりと溢れ出した記憶に、目の前の光景が押し流された。
閉ざされた研究室の扉。
自分が書いたはずの論文。表紙に印刷された、教授の名前。
女に博士号を持たせても行き先がない、と笑った声。
説明を始めても、最後まで聞かれなかった研究。
初めて「続けろ」と言った声。
初めて鍵を渡された、自分の研究室。
(首領だけが、私を科学者として拾い上げてくれたのに……!!)
我に返った時には、もう床を蹴っていた。
V3の踏み込みと、幕のあいだ。その一メートルに、俺の体が入っていた。
拳が来る軌道が見えた。このスピードでは避けられない。いや、違う。俺の足がそこから動こうとしなかった。
予測していた衝撃は来なかった。
V3が寸前で腕をねじって逸らしたのだ。風圧だけが頬を叩き、彼の拳は俺の横を通って止まる。
風圧で幕が舞い上がり、その向こうで何かが動いた。ヨロイ元帥の鎧が翻り、床の一部が沈む。暗がりがそれを飲み込んでいく。
幕の向こうはすぐに空になった。真贋を確かめる術ごと、隠し通路の奥へ消えている。
「見たか、V3!」
隠し通路の奥から、勝ち誇った声が返ってきた。
「結城丈二の忠誠は、今も首領のもとにある!」
V3は答えなかった。
俺も、何も言えなかった。……ヨロイ元帥は、俺の情を正しく読んでいた。
敵を追うか、撤退するかを考えるべきなのに、頭は蘇った過去と、さっき自分がしたことの処理で埋まっていた。
床が揺れる。
退路を塞いでいたシーラカンスキッドが、廊下から突っ込んできた。
厚い鱗の腕が、背を向けたままのV3へ振り下ろされる。
何かを考えられる状態ではない。それでも右腕は動いた。ロープが伸びて、怪人の手首に一巻きする。素早く引いて、軌道を内側へずらす。
「V3!」
V3は振り返らないまま、俺が作ったその一瞬へ踏み込んだ。
空を切った腕の下をくぐり、胴体に肘が入る。巨体が泳いだところでV3が跳んだ。
V3反転キック。
鈍い破裂音とともに、シーラカンスキッドが壁ごと吹き飛んで爆散した。
熱風が広間を抜けていく。
俺の声を——首領を庇った直後の人間が出した合図を——この人は、疑わなかった。
爆風が収まる頃、館には俺たち二人だけが残った。
燭台が倒れて、火が消えている。注連飾りの藁の匂いだけが、まだ玄関の方から流れてきていた。
俺はヘルメットを外した。
変身を解いた風見が口を開くより先に、頭を下げる。
「……すみませんでした。あなたが首領を討つ機会を、私が潰しました」
あれが本物だったなら。
あそこで風見の拳が届いていたなら。
デストロンは、プルトンロケットまでたどり着かなかったかもしれない。
俺が回避したかった未来は、今ここで終わっていたのかもしれない。
それを止めたのは、俺だ。
本物があんな場所にいるはずがない。どうせ影武者だった。そう決めつけてしまえれば楽だった。
だが、確かめずに飛び出した俺には、その逃げ道を使えない。
「……庇うつもりはなかったんです」
「だが、庇った」
「……はい」
右腕を見る。自分で切ると決め、自分で使い道を選んだ腕だ。
記憶が蘇ったことも、身体が先に動いたことも、責任を誰かへ渡す理由にはならない。
「首領が何をしてきたのかは分かっています。あなたを止めてはいけないことも」
さっき聞いた声が、まだ胸の奥に残っている。
懐かしいと感じた自分まで、なかったことにはできなかった。
「それでも、あの瞬間だけは……見ていられなかった」
「……」
「首領は、私にとって特別な人だったんです。今でも、それをなかったことにはできません」
この先に「だから仕方なかった」を続けることだけはしなかった。
「……君は、良いやつだな」
風見の優しい言葉に、喉がぎゅっと締め付けられた。首を振るのが精一杯だ。
「……私がしたのは、許されないことです」
しばらくして、風見が問う。
「次も同じことをするのか?」
同じ記憶が二度と出てこない保証はない。あの感情が消えたわけでもない。
それでも、次にどうするかを決めるのは、今ここにいる俺だ。
「二度目はありません。次に同じ機会が来たら、私はあなたを止めない。今度は、見届けます」
声が少しだけ掠れた。
「それが、私の選択です」
風見は俺を見たまま、静かに答えた。
「そうか」
彼は良いやつだと言ったことを取り消さなかったし、俺も自分を良いやつだと思えたわけではない。
押しつける相手のない一瞬を、両手で抱えたまま持って帰ることだけが決まった。
右手はロープアームだから、正確には片手だけど。
***
館を出ると、バイクがそのまま残っていた。
空は正月らしく高く晴れていて、藁の匂いはもうしなかった。
「帰るぞ。片桐たちが待っている」
俺は行きと同じように後部座席へ乗る。
今度は、どこにつかまればいいか迷わなかった。ロープアームを身体へ引き寄せて、左腕を風見の腰へ回す。
「つかまったか」
「……はい」
エンジンの音が上がる。
首領が俺にとってどれほど特別だったのか、風見にすべて伝わったかは分からない。
それでも、二度目はないという言葉は受け取られた。
後ろの席が行きと同じように空けられていたことだけで、十分だ。
風見の背中にそっと身を寄せる。バイクは、片桐たちの待つ方角へ走り出した。