東方風聞録 作:一般通過人里民
「お、また来てる」
今日も今日とて山菜を採って家に戻った陸──籠は結局返ってこなかったので、もう一度編んだ──は、扉を開くなり目に入ったものを見て少しばかり楽しそうに言葉をこぼした。
陸がはたてと遭遇してから、既に数週間が経過しようとしていた。
幸い、と言っていいのかは微妙なところであるが、あれから二人は一度も会っていない。陸は以前にも増して山の麓近くで山菜を取ることを徹底していたし、はたては以前と同様に出不精であったからだ。
もっとも、そうでなくとも自室から少年の様子を伺えるはたてがわざわざ会いに来るということはなかったであろうが。
「さてさて、今日の中身は……っと」
獲物の整理もそこそこに、机の上に畳まれていた新聞を広げる陸。正直なところ書かれている内容の半分も理解はできなかったが、自分の暮らしている幻想郷で起こっている色々なことを知れるのはやはり楽しいものだった。
──実際は周回遅れの記事だったが、陸がそんなことを知る由もない。
「『インスタント雛人形が人気』、『寒い冬には地底の温泉』、『独占取材! 鬼の四天王』……鬼って本当にいるんだ」
噂に伝え聞く強靭無敵な鬼の記事であったが、陸からすれば紙面越しの関係にすぎない。もし実際に遭遇などすれば恐れ戦くことしかできなかっただろうが、今の陸にとっては退屈な日々を潤すニュースの一つでしかなかった。
さて、そんな風に花果子念報をぱらぱらとめくっていた陸であったが、ふと妙な気配を感じてその手を止めた。
陸の家は人里の中心から少しばかり離れた場所に位置している。住んでいるのも陸一人で、訪ねてくる者もそう多くはない。ましてや、一仕事終えた後の昼下がりなどなおさらに。
しかし、陸は確かに玄関先に誰かの気配を感じていた。
「……泥棒か? 盗むもんなんてないぞうちには」
そう呟き、その辺に落ちていた棒を手に立ち上がる陸。内心では少しばかり怯えながら足を進め、ついには玄関へとたどり着いた。
自分の勘違いであってくれと考えていた陸の思いに反し、日の光に照らされた玄関には何者かの人影が映し出されていた。うろうろと玄関先を歩き回り、時折覗き込むようにしている人影。どうみても陸を訪ねてきた里の人間とは思えない。
「おいおい、勘弁してくれよ」
じとりと棒を握った手に汗が滲む。しかしここで閉じこもっていても扉を破られるのは時間の問題だ。そう考えた陸は覚悟を決め、ぎゅうと棒を握りこんで扉を開けて──。
「あら、いたんですか。ならさっさと出てきなさいな」
数週間ぶりの妖怪との邂逅を果たすのであった。
◇
玄関先にいたのはこれまた綺麗な鴉天狗であった。頭には赤い頭襟を被っており、そこから伸びた左右の紐先には白いポンポンのようなものがついている。
白い半袖のシャツと黒いフリルのついたスカートを履いており、赤い靴は下駄のように一本だけ歯が伸びてる。加えて、何やら見覚えのない四角い箱のようなものが首にぶら下げられていた。
「え、ええと……どちら様?」
覚えのない来客に大層驚いた陸であったが、以前のはたてとの遭遇とは違いここは人里の中である。こちらがあちらの縄張りを犯したわけでもなく、むしろ逆。妖怪ということである程度の怖さはあるが、人里を襲えば博麗の巫女が黙っていない。
そういったことから、陸はある程度落ち着いていた。呑気だった、ともいうが。
「あや、はたてから聞いてないんですか。これはもしや私の思い違い……。まぁだとしても少しばかり面白いことにはなりそう……」
「あの……?」
「ああ、忘れてました。あなた、新聞を取ってますよね」
陸の質問を受けた天狗は何やら一人でぶつぶつと考え込んだかと思えば、陸の声を受けて顔を上げ、いきなりそんなことを問いかける。
話の通じない相手だなと陸は思ったが、よくよく考えれば妖怪なのだから当然かと思いなおして口を開いた。
「取ってるというか、取らされたというか」
「ふむ、感想は。やっぱりつまらない?」
「いや。それなりに面白いよ」
「え、本気で言ってるの」
陸の答えを聞いた天狗はぱちぱちと目をしばたかせ「嘘だろこいつ」と言いたげな表情で陸を見た。
名前も知らない妖怪相手にそんな態度を取られては流石に不愉快だったのか、少しばかり苛々とした様子の陸が「というかあんた、名前は」と聞くと、聞かれた天狗はこれまた意外そうにして、興味深いものを見る眼差しで陸を見る。
「あやややや。随分と肝が据わってますね」
「だってここは人里だろ。手を出したら退治されるのはあんたの方だ」
陸がそういった次の瞬間、すうと天狗の目が細められた。いつの間にやら彼女の手には天狗の代名詞ともいえる団扇が握られており、その切っ先はしっかりと陸に向けられている。
絶対零度の眼差しで陸を眺めながら、天狗が口を開いた。
「……随分とまぁ、舐めた口を利いてくれる。博麗の巫女が来る前にお前の首を刎ねることくらい容易にできるのよ」
肌を刺すような冷たい風が玄関先に巻き起こる。陸が手に持った棒がカタカタと揺れた。
そして、次の瞬間──。
「なんちゃって、嘘ですよ。いえ、首を刎ねられるというのは嘘ではありませんが、わざわざ巫女に睨まれる危険を冒してまであなたを殺す意味がないですし」
ぱっ、と天狗が笑った。風はいつの間にか止んでおり、手には団扇の代わりにメモが握られている。
絶対に嘘じゃなかった。陸はそう確信していたが、口に出すことはしなかった。わざわざ藪をつついて蛇を出す必要はない。
そう気持ちを落ち着かせている陸とは裏腹に天狗はにやにやと笑みを浮かべながら陸を見て。
「こほん。では気を取り直して、私は射命丸文。ただの人にわざわざ名乗ってあげることなんて滅多にないので、感涙に咽びながら覚えてくださいね」
と、己の名を告げた。
◇
「それで、その射命丸……さんは、なんでここに?」
とんでもない脅しをかけられた陸であったが、口から出た言葉は存外普通のものだった。
というのも、これほどの力を持つ妖怪がわざわざ自分ごときに嘘は言わないだろう、という考えから先ほど言われた「お前程度わざわざ殺す必要もない」という言葉を全面的に信用していたからだ。
それに、先ほどの動きからして警戒したところで自分など瞬き一つの間に殺されてしまうだろうことは火を見るよりも明らかだった。
「いえ、大した用ではないのですが。なんでもあのはたての新聞を取っている物好きが人里にいると聞きまして。どんな間抜け──おほん。奇特な人間なのか一目見てみようと」
「さっきも言ったけど、
「その割には気に入ってる様子ですが」
ずずい、とメモ帳を持ったまま陸に詰め寄る射命丸。
「まあ里は退屈だし。本を読もうにも高くて買えないし」
「つまり、花果子念報を好んで購買しているわけではない、と」
「それは……」
そうだ、と答えようとした陸だったが、ふと脳裏に先日のはたてが思い返された。逆ギレ気味に読者数不足を嘆き、命惜しさに購読を約束した途端ころりと表情を変えたお人よしの鴉天狗。
もしここで自分が「別に特別読みたくて読んでるわけじゃない」と答えたら彼女は一体どんな顔をするのだろうか。怒るのか、悲しむのか。
どちらにせよ、それはどうにも据わりが悪い。そう思った陸が口を開こうとした、その時。
「あぁぁぁあああやぁぁぁああああ!!!!!」
「あら、やっと来たの。遅いお出ましね」
「あんた! こんなところで何やってるのよ!」
まさに渦中の人物である姫海棠はたてその人が、大声を上げながら急降下してきたのだった。
◇
「文! なんでこんなとこにいるのよ!」
「別に私がどこにいようが私の勝手よね?」
「そ……それは、そうだけど!」
はたての急降下によって巻き起こされた猛烈な土埃の中で、
どうでもいいけど二人とも早く帰ってくれないかな。心底そう思った。
「人間のこと見下してるあんたがわざわざ人里にくるわけないでしょ!」
「あら、その人間を前に随分と酷い言い草じゃないかしら?」
「あんたのことでしょうがっ!」
その人間であるところの陸など蚊帳の外。はたては文をやいのやいのと攻め立てるが、文はのらりくらりとかわしている。その反応を受けてはたてが更に声を荒げ、文は楽しそうにけらけらと笑った。
「そういうあなたこそ、こんなところでどうしたのよ」
「それはあんたが!」
「私が?」
「私の読者にちょっかい……かけて……」
そこまで言って、自分が何を言おうとしているのかを理解したはたてが声を詰まらせる。即ち「あれ、これって監視してましたって告白じゃない?」ということである。
「あら? どうしたのかしら。早く続きを聞かせてちょうだいな」
黙り込んだはたてを文がにやにやと笑いながら追撃した。はたては何とか反撃しようと言葉にならない呻き声を出しては険しい表情で文をにらんでいる。陸は「俺って必要か?」と思った。
「とっ、とにかく! もうここに用はないんでしょ。早く帰るわよ!」
「へえ、読者に感想は聞かなくてもいいのかしら」
「いいのよ!」
「だって見て知ってるから?」
「そうよ! ……あ」
今度という今度は誤魔化しの効かない大自爆であった。心なしか寂し気な風が玄関先を吹き抜ける。はたては焦った表情で固まり、文は愉快気に口の端を釣り上げた。
一方、何らかの方法で監視されていると知った陸は心中で憤慨する──ということもなく、呑気に「まあ妖怪なら遠見の一つや二つできるものなのだろう」と納得していた。器が大きいといえば聞こえはいいが、自分の生死に関わらないのならそれほど物事に頓着しないのが陸の長所であり欠点でもあった。
そんな陸の心中などいざ知らず、恐る恐るといった様子で陸の表情を伺うはたて。その様はとてもではないが大妖怪たる鴉天狗とは思えない小心者ぶりであり、煽った文も思わずその表情を消し、頭を抱える程であった。
「あなたねぇ……妖怪が人間の顔色窺ってるんじゃないわよ」
「そ、そんなことしてないけど!?」
やんややんや。やいのやいの。ああだこうだ。あれそれこれどれ。
「あの」
玄関先でどんどんと過熱していく二人の喧嘩にとうとう陸も辛抱たまらずと口を挟む。
突然声をかけられた二人はパッと陸へ目を向け「なによ」と投げやりに答えた。
「もう戻っていい?」
もはや陸の頭には先ほど味わわされた死の恐怖など微塵も残っておらず、あるのはただただ不毛な喧嘩を見せつけられたことによる疲労感だけであった。正直なところ文が何故自分を見に来たのかもわからないし、それを監視していたらしいはたてもよくわからない。
わかるのは今行われている喧嘩に自分は──実際はどうあれ陸からしたら──関係ないということと、ここにいても何の意味もないということだけだった。
陸の問いかけを受けた二人は一瞬黙り込み、同時に「
どっちだよ、と陸は思った。
ダメだと答えた方、はたてからしたらまだ誤解──念写で様子を見ていたのは誤解ではないが──を解いていないし、これからもちゃんと読んでくれるのかを確認したい。
いいと答えた方、文からすればもう十分面白いものは見たし、そもそもこの人間一人には元々興味はない。読者が欲しいあまり人間に阿るはたてにはほとほと呆れたものの、まぁそこがいいところでもあるか、などと既に話は終わったものと考えていた。
「で、結局は」
「ダメ!」
「……まぁ、話くらいは聞いてあげてもいいんじゃないですか? じゃないと後が面倒ですし」
呆れたように陸が再度問いかけると、半ば食い気味にはたてが拒絶した。それを聞いた文は最早どうにでもなれと言わんばかりに脱力し、ぷかぷかと浮かんで明後日の方向を眺めながら呟いた。いくら少ない読者とはいえ必死すぎじゃないか、とも思いながら。
「ええと、さっきの話だけど別に見てたって言っても四六時中見てたわけじゃなくて、烏に新聞届けてもらった後にちょっとだけ反応見たりしてただけで~」
「はあ」
「で、その~……これからも花果子念報は読んで……」
自分でもなかなかに苦しい言い訳だとわかっているのか、どんどんと尻すぼみになっていくはたての言葉。しかしせっかく見つけた数少ない読者──しかも人間の──だ。ここで人間相手に部数を増やせば文の「文々。新聞」を上回ることだって夢ではない。はたてはそう考えていた。
実際のところ、陸が人里に及ぼせる影響などたかが知れている。仮にそうでないとしても中身が伴わなければすぐに読まれなくなるのが道理というものだ。
──だが、はたての脳内には「自分の新聞がつまらない」などという発想は微塵も浮かんでいなかった。
「いいよ」
どうでも、と語尾についていそうな言い方だったが、はたては全くそうは感じなかったらしい。
「本当!?」
いたく感激した様子のはたてが陸に詰め寄り、思わずといった様子でその手を取った。ひやりとした感触が陸の手を包む。
妖怪でもちゃんと柔らかいんだな、などと少しばかり失礼なことを考えていた陸だったが、その実見目だけは非常に整ったはたてに詰め寄られたことに些か以上の戸惑いも感じていた。
「嘘じゃないわよね?」
「あ、ああ」
言葉に詰まりつつも返事をする陸と、読者を離さずに済んで浮かれているはたて。当然この間も手は握られたままであり、そんな面白い場面を幻想郷一のブン屋を自称する文が逃すはずもなく──。
ぱしゃり、と小さな音が玄関先に響いた。
◇
次の日。幻想郷に住む妖怪の間にとある記事が出回った。
タイトルは──。
『天狗記者、まさかの色仕掛け!?』
……人間でも一人だけ、この記事を読んだ者がいるとか、いないとか。