東方風聞録 作:一般通過人里民
とある記事が幻想郷の中を駆け回ってから少し経った後。陸はと言えば特に何が変わることもなく、いつも通りの日々を過ごしていた。強いて言えば届く新聞が一部から二部に増えたくらいである。
そんな陸だが、今日はなにやら店の手伝いをしているようで。
「この間は色々あってさ」
「へえ、大変だね。あ、そっちの本取って」
「聞いてないね」
話を聞き流された陸は小さくため息をつきながら指定された本を棚から抜き出し「はい」と声をかけて渡した。受け取った少女は本を手にぱたぱたと店内を歩き回り、チリチリと髪留めについた鈴を鳴らしている。
「聞いてる聞いてる。……あ、そっちもちょうだい」
「はいはい」
話半分の様子を隠そうともしない少女──本居小鈴は再度陸へ指示を出し、自身も忙しなく歩き回る。
さて、なぜ陸がこのような手伝いをしているのかといえば、その原因はまたしても天狗にあった。より正確に言えば、天狗の置いていった大量の記事に、だが。
陸が──半ば不本意ながら──花果子念報と文々。新聞を取るようになって少し。陸の家には既にそれなりの量の新聞が溜まっており、有体に言えば邪魔であった。
捨てるのは些かもったいない。誰か他の人間にも読んでもらえないか。
そう考えた陸は、友人でもあり人里唯一の貸本屋でもある「鈴奈庵」の看板娘、本居小鈴の元を訪ねて「店の片隅にでも置かせてくれ」と頼み込んだのだ。
しかし、素性の知れない新聞など当然タダでは置かせてもらえず、結局店の手伝いをすることで場所代を払う、という話に落ち着きこうしてこき使われているわけであった。
「はい、終わり……っと。それで、なんだっけ?」
「やっぱり聞いてなかったんじゃん」
「聞いてたよ、半分くらいは」
ようやく本の整理が終わったのか、帳場の裏にある椅子に座り陸へ声をかける小鈴。
「いや、天狗が家に来てさ」
「へぇ、珍しい」
「信じてないでしょ」
「半分くらい」
椅子に座り、本を読みながらだらだらと話を続ける小鈴。陸も最早慣れたもので、適当に棚から本を抜き取って隣へ座り頁を捲っている。
「勝手に読まないでよ」
「いつものことでしょ」
「そうだけど」
鈴奈庵は貸本屋である。当然、棚に置かれている本は商品であり読むにはお金が必要なのだが、こうして店の手伝いをした日に限っては数冊無料で読ませてもらえる、というのが陸と小鈴の間で決められた暗黙の了解だった。
「で、天狗がどうしたって?」
「信じてないのに」
本から顔を上げないままに会話を続ける二人。ぱらぱらと紙が捲れる音と、二人の話し声だけが店内に響く。
「言ったでしょ、信じてるわよ。半分は」
「……家の前で喧嘩して新聞を置いていった」
「それがあれ、と」
言って、小鈴はぱたりと本を閉じて店の隅に積まれた新聞紙を指さした。小鈴の腰ほどまで高さのあるそれは、確かに家に置いておくには少しばかり邪魔になるであろう量だった。ついでに言えば、半分以上が文々。新聞だということからはたての筆不精ぶりが窺える。
陸は記者がそれでいいのかな、と思ってもいたがまあ本人がいいのなら別にいいか、とあまり深くは考えていなかった。
「そういうこと。小鈴はこういうの好きでしょ?」
「私が好きなのは妖魔本であって、天狗の書いたゴシップ記事じゃないのよ」
「似たようなもんでしょ」
「全然違う!」
持っていた本を帳場の机に置き、奥から他の本を取り出して陸へ見せつけるように押し付ける小鈴。中身を読もうとした陸だったが、まるで見たことのない文字だったためすぐに諦めて視線を小鈴へずらした。
「これは?」
「天狗向けの地獄植物解説本!」
「何が書いてあるのかさっぱりだ。読めない本に意味なんてないだろう」
陸は呆れて言った。実際読めない本など精々重し代わりにしかならないし、あるいはインテリアとしての価値程度しか持たないだろう。しかし、小鈴にとってはその価値観は当てはまらないものだった。
陸の言葉を聞いた小鈴は「待ってました」と言わんばかりにニヤニヤと笑い、読書用の眼鏡をくいと押し上げて「読めるのよね、それが」と自信満々に告げた。
「へえ、それは凄い」
「信じてないでしょ」
「信じてるよ、半分は」
どう見ても信じていない陸だったが、小鈴は気にした様子を見せずに机に置いた天狗の地獄植物解説本に手をかざした。そして──。
「血針草。血を吸い上げる草で、針の山に多く見られる多年草」
「……適当言ってるとか?」
「焦骨樹。灼熱地獄に生える黒い樹木。枝は焼けた骨のようで、触れた者の体内の水分を奪い干からびさせる」
嘘を言っている、と疑った陸だったがこうもすらすらと言われては信じる他もなく、目を丸くして小鈴を見た。
対する小鈴は陸の反応に気を良くしたのか、得意げに笑いながら本を片付けている。
「こりゃ驚いた。なんでまた読めるんだ」
「最近読めるようになったのよ。きっと私の本への愛のお陰ね」
「それは凄い。こっそり売り上げ使って集めてた
小鈴の本好きはよくよく知っていた陸だったが、いよいよ来るところまで来たなと感心していた。まさか本であれば何でも読めるようになるとは、友人ながら恐ろしいやら羨ましいやら、複雑な気持ちである。
とはいえ、店を訪れるたびに無理矢理──陸自身も若干楽しんでいたが──手伝わされた妖魔本集めに意味が出てきた、と考えればどこか報われる思いでもあった。
「どうせなら読み聞かせしてくれよ。里の子供にはしてあげてるだろ?」
「え~、嫌よ面倒くさい……」
「いいじゃないか、減るもんじゃなし」
そんな気の抜けた会話の最中、ちりんちりんと来客を知らせる鈴の音が響いた。
「あら、いらっしゃ……ってなんだ、
「人を見て「なんだ」って言われたのは今日だけで二度目よ」
入ってきたのは人里の有名人である九代目・稗田阿求であった。特徴的な花飾りを頭につけ、質の良い着物に身を包んだ彼女はつかつかと帳場に座る小鈴へと歩み寄ると「はい、借りてた本」といくつかの本を机に置く。
「や、阿求」
「あら、陸もいたの。相変わらずね」
「ちょっとね」
言いながら、陸は店の隅に積まれた新聞紙を指さした。阿求が「ちょっと?」と返すとすぐさま「古紙回収ってとこかな」と付け足した。
「天狗の新聞よ」
「家に溜まってきたもんでね」
「ちょっと待って、新聞取ってるの? しかも天狗の」
怪訝な表情で陸へ問いかける阿求。その顔にはありありと「どうしてそんなことを」と書かれており、天狗の新聞というものへの不信感が隠さずに浮かんでいた。
「取りたくて取ったわけじゃないさ」
と、はたてと文に新聞を押し付けられた経緯を説明する陸。しかし、それを説明するということは妖怪の山に入り込んでしまったことを白状するということでもあり。
「ちょっと、協定を破ったの?」
「わざとじゃないって。しかも後々考えたんだけど、あそこって丁度境界だったと思うんだよね」
「そういう問題じゃないでしょう……」
呆れた様子で額に手を当てて首を振る阿求。我関せずといった様子で本を読んでいる小鈴。
結局、阿求が納得するまで陸はこってりと絞られる羽目になるのだった。
◇
鈴奈庵での説教も終わり、逃げるようにしてその場をあとにした陸。大きく息を吐きだしてから深く息を吸い、新鮮な空気を肺に取り込む。それを何度か繰り返していた、その時。
「おお、陸じゃないか。今日はどうし──」
「っげっほ! げほ!」
「た?」
背後からの声に驚いた拍子に、吸い込んだ空気が盛大に気管へと入る。思わぬ不意打ちに激しくむせてしまった陸は、背を曲げてげほげほと咳を繰り返した。
「だ、大丈夫か?」
「いや、げほっ……。ちょっとびっくりしただけ……」
「そ、そうか……」
特徴的な長い銀髪が地面につくのも構わずしゃがみ込み、驚いた表情で陸の背中を摩っているのは人里で寺子屋の教師をやっている上白沢慧音だった。
里の子供の例に漏れず陸も昔は寺子屋に通っており、頭の上がらない相手の一人でもある。
「……ふぅ、落ち着いた。ありがとう慧音先生」
「いや、こちらも驚かせて悪かったな。それで、今日はどうしたんだ?」
「いつもの手伝いだよ。ほら、小鈴の」
実際は少し違うのだが、ここで馬鹿正直に「天狗の新聞がどうのこうの」と告げれば阿求の二の舞になることは想像に難くなかった。いや、むしろ阿求以上に頭の固い慧音の方がより酷いことになるかもしれない。陸はそんな思いから、かなりぼかした内容を慧音へ伝えた。
「ふむ、そうか」
「そうそう。それじゃ、俺はこれで……」
「まぁ少し待て」
話は終わりだと言わんばかりにそそくさとその場を立ち去ろうとした陸を慧音が呼び止める。
名前を呼ばれた陸は肩をぴくりと跳ね上げさせ、ゆっくりとした動きで振り向いた。にこにこと笑顔を浮かべた慧音が陸を見つめている。
「ええと、まだなにかあるの?」
「ああ、少し面白い噂を聞いてな」
「へえ、どんな」
どうやら誤魔化しがバレているわけではないらしい。そう判断した陸は、肩の力を抜いて慧音との会話を続けた。怒られるのは嫌だが、別に慧音を嫌っているわけではないのだ。むしろ、慧音を嫌っている里の子どもなど、余程のひねくれ者くらいだと陸は思っている。
「ああ、これは魔理沙から聞いた話なんだが……なんでも少し前、天狗の間でちょっとしたニュースが話題になったらしい」
「ふぅん。……天狗?」
ふむふむと相槌を打っていた陸だったが、なにやら聞き覚えのある単語を耳にして表情がピシリと固まった。対する慧音は心なしか先ほどよりも笑みを深めて話を続けている。
「ああ。なんでもとある天狗の記者が人間相手に色仕掛けを仕掛けたらしいじゃないか。……まぁこの辺りはあのブン屋お得意の脚色なんだろうが」
「へ、へえ。それは面白いね。天狗ってもっとこう、気位が高いものだと思ってたけど」
「それには同感だな。……ところでどうした? いやにそわそわしているようだが」
「そんなことはないよ」
口ではそう言いつつも、実のところは大焦りであった。背中には何やら冷たい汗が流れており、頭の中は「一体どこまで知っているのか」という考えに支配されている。
こちらを試しているのか、本当にただ噂話をしているだけなのか。慧音の真意が読めないことが陸には不気味で仕方なかった。
「そうか。それで、記事の話だが──」
「っていうか、慧音先生もそういう噂話とか気にするんだ」
「私を何だと思っているんだ……」
慧音の話を遮るように口を挟み、話題を変えようとする陸。慧音は心外だと言わんばかりにため息を吐き、じろりと陸を睨んだ。
「そりゃあ石あ……ごほん、噂なんかに惑わされない芯の通った人だと」
「頭突きだな」
「すみませんでした、許してください」
食い気味に放たれた陸の謝罪を聞き流し「それで、記事の話だが──」と話を続ける慧音。
「なんでも色仕掛けの相手は人里の少年らしい」
「ま、まあ
「うむ。しかもその少年は里の外れに居を構えているらしいな」
「へえ。変わり者もいたもんだね」
まるで尋問のように発せられる慧音の言葉に相槌を打っていく陸。しかし、その声はどんどんと震え、か細くなっていく。もはや白状しているようなものだった。
「ところで陸。お前には色々と苦労をかけているな。仕事として山菜や薪を持ってきてもらったり、一軒家とはいえ少しばかり里外れに住まわせてしまったり」
「いやいや慧音先生、気にしてないさそんなこと。生きていくために働くのは当然だし、里外れと言ってもそれほど離れてるわけじゃない。住めば都ってやつだよ」
陸はじりじりと後ずさりながら早口でそう返したが、慧音は労わるように陸の肩に手を置きその動きを止めた。見た目こそ穏やかだが、実際は万力のようにぎりぎりと肩が締め付けられている。
「私はな、陸。本当に悪いと思っているんだ。いくらお前が丈夫で身軽だからと言ってまだ子供だ。やはりちゃんと世話をしてやらねばならん」
「ははは、そんな先生の手を煩わせるようなことはできないよ。だからほら、手をね、離してくれると嬉しいな……!」
肩を掴む慧音の腕に手を添えてどうにかその場を離れようとする陸だったが、慧音の腕はびくともしない。むしろ逃げようとしている様子を目にした慧音は更に手の力を強め、その締め付けに陸は顔を歪めた。
「痛い痛い!」
「そうだろう。痛くしてるからな」
「暴力反対!」
「反省しなさい!」
そんな慧音の声と共に、ごつん!という鈍い音が周囲に響き渡った。辺りを歩いていた住民が何事かと様子を見に来たが、頭を抑えてうずくまる陸と仁王立ちをして説教を続ける慧音を見て「なんだいつものか」とすぐさま戻っていく。
結局阿求に続いて慧音にも説教を受けた陸はしばらくの間一人で山に入ることを禁止された上、今後は慧音が定期的に様子を見に来ることにまでなってしまうのだった。