洞窟の深部は、外の潮騒が嘘のように静まり返っていた。
岩肌を削って造られた広大なアトリエは、長い間放置されていたように、すっかり廃墟と化している。足元には砕けたガラスの破片や錆びついた魔導具が散乱し、壁際に並ぶ巨大な本棚の書物は、触れれば灰になって崩れ落ちそうなほど風化していた。
しかし、その惨状の合間には、かつてここで二人の人間――あるいはエルフとその従者が、確かに日常を営んでいた生々しい痕跡が残されていた。
部屋の中央に置かれた、頑丈な石造りのテーブル。そこには大小不揃いな二つの陶器のカップと、使い込まれた茶葉入れと思しき容器が、当時の位置のまま埃を被って佇んでいる。小窓のように掘り込まれた棚には、とうの昔に枯れ果てて土のみと化した鉢植えが二つ、並んで置かれていた。
「……ふん、ゴミだけだ。ここには、あいつの欲望の残骸しか転がっていない」
ゼーリエは素足で床の埃を踏みしめながら、冷ややかな視線を室内へ走らせた。その姿は、かつての旧友が過ごした空間に対する吐き気をもよおすほどの不快感を隠そうともしていなかった。
フロイラインの姿はこの部屋にはない。重厚な石の扉で閉ざされた、さらに奥の寝室で今も眠り続けているのだろう。
先導していたフランメの姿をしたゴーレムが、テーブルの脇でぴたりと足を止めた。結い上げた茶髪が、暗がりの中で微かに揺れる。
フリーレンは一歩前へ出ると、その背中に向けて静かに声をかけた。翡翠の瞳には、抑えきれない微かな揺らぎが宿っている。
「……
ゴーレムが滑らかな動作で振り返る。その顔には一切の感情がなく、ただ無機質な透明感だけが漂っていた。
「私のことを……知っているの? さっき、私に『強くなった』と言ったよね」
直前の戦闘で、確かに自分の耳に届いた言葉。千年前の術式には組み込まれているはずのない、自分という弟子へ向けられた温かな響き。フリーレンの頭頂部のアホ毛が、問い詰めるようにゆらゆらと大きく揺れた。
しかし、ゴーレムは首を傾げた。その動作はどこまでも滑らかで、それゆえに不気味だった。
「問いを認識……該当する思考ログ、および音声出力記録の検索を実行。――該当なし。認識不能です、フリーレン様」
「……え?」
「本機の音声出力回路に、そのような発言記録は存在しません。外部魔力との衝突に伴う過負荷、または内部演算回路の一時的なノイズであったと推測されます」
あまりにも淡々とした機械的な回答。
「ノイズ……? そんなはず……」
フリーレンは息を呑み、わずかに見開いた瞳でゴーレムを見つめた。
「フリーレン様……」
後ろで控えていたフェルンが心配そうに声をかけ、シュタルクが背中の大斧を担ぎ直して苦々しい顔で呟く。
「……なんだよ、思わせぶりなマネしやがって」
「ふん、当然だ」
ゼーリエが冷酷な鼻笑いを漏らした。
「命の模倣などという悪趣味な術式に、亡者の魂が宿る道理はない。お前が見たのは、壊れかけの機械が見せた泡沫の夢に過ぎんよ、フリーレン」
フリーレンは黙って自分の手元を見つめた。あの瞬間、間違いなく感じ取った師の気配。あの時たしかに、フランメがそこにいた気がしたのだ。
それがただの焦げ付いた回路のノイズだったと言われて、素直に頷くことはできなかった。だが、目の前のゴーレムの瞳には、一切の記憶の光も宿っていない。
フリーレンは小さく息を吐き出すと、思考を切り替えて尋ねた。
「……じゃあ、もう一つ聞いていい? どうして私たちをここまで招き入れたの?」
「……?」
「お前の第一任務は『フロイラインの休眠の保護』……つまり、『侵入者の排除』のはずだ。ゼーリエが来たからといって、戦闘行動を中断して、このアトリエまで案内する理由にはならないはずだよ」
その問いに、ゴーレムは再び沈黙した。
胸元の青白い魔力核が、数回、不規則な明滅を繰り返す。
「本機の行動原理に関する問い……回答を出力します」
ゴーレムはフランメの凛とした声で、しかし感情の籠もらないトーンのまま言葉を紡いだ。
「フロイライン様は、いつも寂しそうにしておられました。『ゼーリエの奴は冷たい』『あいつは二度とボクの前に現れない』と、休眠につかれる直前まで、幾度もおっしゃっていました」
ゴーレムはゆっくりと手を持ち上げ、風化して埃を被った二つのカップを指し示した。
「したがって、本機は推測いたしました。フロイライン様のご友人であるゼーリエ様のご来訪は、休眠から目覚められた際、フロイライン様に精神的安寧と大きな歓びをもたらす可能性が高いと。……ゆえに、皆様をご案内したのです」
その言葉が、広い廃墟に静かに響き渡った。
命を持たない機械。ただ与えられた命令をこなすだけの自律人形。
そのはずの存在が、主の「寂しさ」を理解し、主の「歓び」のために、絶対であるはずの防衛命令を自ら捻曲げて見せたのだ。
「……生命、か」
ゼーリエの黄金の瞳が、僅かに細められた。その声から、先ほどまでの露骨な蔑みが薄れ、底知れぬ不快感と……ほんの僅かな感嘆が混ざり込む。
「ただの無機物に、そんな余計な『気配り』をプログラムしたというのか。どこまでも不愉快で、身勝手な女だ」
「……違いますよ、ゼーリエ様」
フェルンが静かに言った。紫色の瞳でゴーレムの姿を見つめ、少しだけ頬を膨らませる。
「このゴーレムはずっと、作ってくれた人の目覚めを待ちながら、その人のことを考えていたのです。たとえそれが、魔法で作られたものだとしても」
「くだらん」
ゼーリエは即座に吐き捨てたが、その背中にいつもの圧倒的な威圧感は戻らなかった。
ゴーレムは三人の困惑やゼーリエの毒舌など一切意に介さない様子で、再び滑らかな動作で向き直り、部屋の最奥――固く閉ざされた重厚な石扉へと歩み寄った。
「フロイライン様のお部屋は、この先にございます。……起こされる場合は、どうかお気をつけて」
重い石の扉の傍らに立ち、ゴーレムは静かに次の指示を待つかのように佇んだ。
長い眠りにつく青髪のエルフ。そして、それを守り続けてきたフランメの影。
壊れたアトリエの静寂の中で、フリーレンたちは扉の向こうに眠る「過去への執着」を前に、各自の武器を握り直していた。
重く湿った音を立てて、主の眠りを守り続けてきた石の扉がゆっくりと内側へ開いた。
扉の隙間から吐き出されたのは、途方もない年月を感じさせる冷たく乾いた空気と、わずかな煤の匂いだった。
「……ふん」
ゼーリエは小さく鼻を鳴らし、迷いのない足取りで真っ先に足を踏み入れた。金色の髪が暗がりの中で微かに光を反射し、白い衣の裾が静かに揺れる。
「これほど無駄に凝った自動防衛装置を組み上げるほどの才だ。……不快極まる偏執狂ではあるが、その技術と執念だけは評価してやらんこともない」
尊大にそう吐き捨てながらも、ゼーリエの黄金の瞳には、かつて己のもとから悠々と去っていった自分勝手な知人に対する、どこか冷ややかで不器用な情が宿っていた。
これを生命だと認めるつもりは毛頭ないが、魔法を操るゴーレムの完成は、魔法使いの軍隊を個人が所持しうる危険性を示唆する。大陸魔法協会のトップとしても無視し続けるわけにはいかない。
「叩き起こしたら、まずは反省文を千枚書かせてやる。その後は……そうだな、大陸魔法協会に繋ぎ止めて、死ぬまで魔導具の開発でもさせれば、少しは私の役に――」
しかし、その言葉は途中で唐突に途切れた。
部屋の奥へ進んだゼーリエの足が、ピタリと止まる。
「……ゼーリエ?」
後ろから続いて入ってきたフリーレンが、不思議そうに首をかしげた。頭頂部のアホ毛がゆらりと揺れる。
部屋の中央、古びた天蓋付きのベッド。豪奢だったはずの絹の帳はボロボロに引き裂かれ、床にへばりついていた。
そのベッドの上に横たわっていたのは――小さな、白骨化したエルフの亡骸だった。
長い年月の果てに完全に肉体を失い、風化した白い骨。胸元には、青い光沢を失った一筋の髪が散らばり、古代風の衣が枯れ葉のように骨を包んでいた。
「……、フロイライン……」
ゼーリエの声から、全ての怒りと威圧感が消え去っていた。
台座の上で世界を統べる大魔法使いの声音ではなく、ただ千年前の記憶に取り残された友人の名を呼ぶ、掠れた呟き。ゼーリエは静かに白骨へ近づき、その乾いた頭蓋骨を、信じられないものを見るかのように見つめた。
「……死んだのか、お前は。……エルフのくせに、こんなところで……あっけなく」
不滅に近い寿命を持つはずの同胞が、停滞した時の中で命を落としたという残酷な現実。ゼーリエの眉根が痛々しく寄せられた。
ゼーリエは振り向くこともせず、後ろに立ち尽くすフランメの姿をしたゴーレムへ、絞り出すような低い声を向けた。
「答えろガラクタ……。この女が眠りについたのは何年前だ」
ゴーレムは陶器のように無機質な顔のまま、胸元の魔力核をかすかに明滅させて平然と応じた。
「フロイライン様がお休みになられたのは、およそ千年前です。正確には九百八十七年前の――」
「もういい、黙れ」
ゼーリエの低く冷ややかな一言が、機械的な報告を即座に遮った。洞窟の深い暗がりに、重苦しい沈黙が落ちる。
「……嘘だろ……」
シュタルクが息を呑み、絶句した。背中の大斧を握る手がカタカタと小さく震える。
フェルンもまた、紫色の瞳を激しく揺らし、言葉を失ったまま口元を手で覆った。
長寿の象徴であり、千年の時をも悠然と生きるはずのエルフ。病か、あるいは命を削るほどの無理な研究による衰弱死か。外界から遮断されたこの洞窟のアトリエで、フロイラインは誰に看取られることもなく、静かにその命を散らしていたのだ。
先導していたフランメの姿をしたゴーレムが、滑らかな足取りでベッドの脇へと歩み寄った。
硬く冷ややかで美しい顔には、何の感情の波も浮かんでいない。ゴーレムは横たわる白骨を見下ろし、いつもと変わらない無機質な声で、しかしどこか誇らしげに言った。
「フロイライン様は、現在も休眠中でいらっしゃいます」
「……休眠、ですか? これが……あなたには、休眠に見えるのですか?」
フェルンが静かに問いただした。その声には、怒りではなく深い悲しみが滲み出していた。
ゴーレムはフェルンの問いに首を傾げた。その動作はどこまでも滑らかで、人間らしく、そして恐ろしいほどに噛み合っていなかった。
「はい。フロイライン様はおっしゃいました。最後の実験を終えられた際、大変お疲れのご様子で、このベッドに横になられました。そして、本機にこうお命じになったのです」
ゴーレムの胸元の魔力核が、淡く青白く明滅する。
次の瞬間、再生されたのは、千年前の最後の瞬間に記録された、青髪のエルフの生の音声だった。
『……コホッ、ゴホッ……。……フランメ、ボクの最高傑作……。君は本当に完璧だね。……ボク、なんだかすごく眠いんだ。……少し眠るから、起こさないでね。……おやすみ、ボクのフランメ……』
擦り切れたような小さな咳込みと、荒い息遣い。弱々しく、しかし満ち足りたような、フロイラインの最期の声。
かすかに聞こえた咳の音は、かつて確かにそこに命が存在し、そして静かに途絶えたことを残酷なまでに物語っていた。だが、泥で造られた人造体には、その「衰弱」の意味すら理解できていないのだ。
言葉が途切れると、ゴーレムは静かに頷き、フランメの凛とした声で言葉を継いだ。
「これが、フロイライン様から本機に与えられた最後の命令です。『起こさないでね』と。ゆえに本機は、フロイライン様が自らお目覚めになるその時まで、この休眠を妨げる一切の侵入者を排除し、お側でお護りし続けております」
フリーレンは静かに目を伏せ、白いツインテールを揺らしながら、ただその儚い記録の残滓に耳を傾けていた。
廃墟と化したアトリエに、重い沈黙が降り積もる。
千年だ。
フロイラインが永遠に目を覚ますことのない「眠り」についたその日から、このゴーレムは千年間、崩落していく天井を見上げ、風化していくアトリエの中で、ただじっと彼女が起き上がる瞬間を待ち続けていたのだ。
自分を縛り付ける命令が、すでに永遠に解かれることのない呪いへと変わっていることも分からぬまま。
「……死んだんだよ、その人は」
フリーレンが、静かに一歩踏み出した。
翡翠の瞳が、悲哀と、どこか深い悟りを帯びてゴーレムを見つめる。
「……ゴーレム。『死』というものが、分かる?」
ゴーレムは無機質な瞳をフリーレンに向けた。
「『死』……? 該当する概念がありません。フロイライン様は『眠る』とおっしゃいました。眠りは、いつか覚めるものです」
「覚めないよ」
フリーレンは切なく首を振った。白いツインテールが前に垂れ、アホ毛が寂しげに揺れる。
「もう二度と、起きないんだ。身体が骨になって、魂が
「よくわかりません」
ゴーレムは即座に回答した。その声には一切の揺らぎもなかった。
「フロイライン様は『眠る』と宣言されました」
「……もうよせ、フリーレン」
ゼーリエが、どこか自嘲気味な低い声で割り込んだ。
「もとより死生観の薄弱な我々エルフが……それも、他人の死を受け入れられず狂気に逃げたフロイラインが、創り出した泥人形だ。そんなものに『死』の概念など組み込まれているはずがない。そもそもこの女の中に、『自らの死』とただの『長い眠り』との区別があったのかさえ怪しい」
ゼーリエは白骨化したフロイラインの額に、そっと小さな手を触れた。
「愛する人間と永遠に生きるためにゴーレムを造り……その人間より先に、自分だけが勝手に死んだ。……どこまでも身勝手で、惨めで、救いようのないクズだ」
ゼーリエの突き放すような言葉。だが、その声に込められた悲哀を、優しく添えられた指先の震えを、フェルンは見逃さなかった。
「……ゼーリエ様」
「触るな、フェルン」
ゼーリエは振り向きもせず、目を伏せたまま、冷ややかに言った。
「私はこれ以上、こんなままごとに付き合うつもりはない。ゴーレム。お前の主は死んだ。命令は永遠に完了しない。……壊れた機械らしく、静かに崩れ去るがいい」
ゼーリエが手を掲げると、その掌から圧倒的な密度の魔力が溢れ出し、周囲の大気が激しく軋み始めた。壊れた夢の結末を、その手で終わらせるために。
崩落しかけた岩天井が悲鳴のような不協和音を上げ、アトリエの壁に新たな亀裂が走り込む。命を持たぬ泥人形と、その主の哀れな残骸を、一瞬で塵へと還すための圧倒的な破壊の気配。
その絶対の殺意の前に、一歩前へ踏み出した影があった。
「ダメだよ、ゼーリエ」
フリーレンが静かに、しかし迷いのない足取りで二人の間に割り込んだ。白いケープをなびかせ、赤い杖の柄を横に差し出すようにしてゼーリエの視界を遮る。頭頂部のアホ毛が、魔力の奔流に煽られてゆらゆらと大きく揺れていた。
ゼーリエの黄金の瞳が鋭く細められ、魔力の威圧が一瞬でフリーレンへと集中する。
「……フリーレン。私の邪魔をする気か?」
「壊さなくてもいいよ」
フリーレンは、ゼーリエの放つ凄まじい魔力を真っ向から受け止めながら、フラットな声で言った。翡翠の瞳には、動揺も恐怖もなく、ただどこまでも澄んだ静寂だけが宿っている。
「ここに、誰も近づけないようにすればいいだけの話だ。洞窟の入口を私が厳重に封印する。二度と誰も足を踏み入れられないように、崩落を偽装して、結界を重ねておけば十分だよ」
「……くだらん」
ゼーリエは不快感を隠そうともせず、吐き捨てるように鼻を鳴らした。
「そんな無駄な手間をかけて、不確実に誤魔化す意味がどこにある。この泥人形はフロイラインの狂気が生み出した遺物だ。主の遺体とともに消し去ることこそが、最も確実で簡潔な清算だろう」
「……それでも、だよ。ルード村の村長たちには、私からこう報告する」
フリーレンはゼーリエの言葉を穏やかに受け流し、ゆっくりと振り返って、ベッドの傍らに佇む『フランメ』を見つめた。
「『調査の結果、洞窟の中に役立つものなど何もなかった。ただ風化したガラクタが転がっていただけ。住み着いていた不審な魔法使いも、撃退して遠くへ追い払っておいた』……ってね」
「……フリーレン様」
後ろで控えていたフェルンが、木製の杖を胸元で握り直した。その紫色の瞳には、困惑と、そしてどこかフリーレンの意図を汲み取った静かな納得が浮かんでいた。
「依頼主への嘘の報告になります。あまり感心できる対応ではありませんが……それでも、私も同じ立場なら、そうすると思います」
「……まあ、俺もそれがいいと思うぜ」
シュタルクが背中の大斧を担ぎ直し、冷や汗を拭いながら小さく肩をすくめた。
「わざわざ死んだ人の思い出をぶち壊して、全部説明して村の人たちを怖がらせることもねえよ。このゴーレムだって……ここに居る分には、誰かを襲いに外へ出てくるわけじゃねえんだろ?」
「ゼーリエ。フランメのゴーレムも、ここに眠るフロイラインも、ただの古い歴史の忘れ物だ。……この場所は、このまま誰にも邪魔させずに眠らせておくのが一番だと、私は思うんだけど」
フリーレンは淡々と語り、アホ毛をふわりと揺らした。
三人からの静かな拒絶を受け、ゼーリエは掲げていた手をゆらりと下ろした。掌に凝縮されていた恐ろしい密度の魔力が、一瞬にして露と消え、静寂がアトリエに舞い戻る。
ゼーリエは酷薄な表情を崩さないまま、不機嫌そのものの声で言い放った。
「……ふん、興味が失せた。好きにするがいい。もはや私の知ったことではない。……相変わらず甘く、くだらん情に流される奴だ」
「ありがとう、ゼーリエ」
「礼を言われる筋合いはないと言っている」
ゼーリエは背を向け、埃っぽい床を一切の音を立てずに素足で踏みしめながら、迷いのない足取りで部屋の出口へと歩き出した。その白い衣の裾が風になびく。
「私は先に帰る。……二度とこんな茶番に付き合わせるなよ、フリーレン」
吐き出すような捨て台詞とともに、大魔法使いの圧倒的な気配は、暗い通路の奥へと急速に遠ざかっていった。
取り残された部屋の中で、フランメの形をしたゴーレムは、一度も表情を変えることなくベッドの脇に立ち続けていた。陶器のように冷たく美しい顔は、ただ静かに白骨化したフロイラインを見下ろしている。
「認識……。防衛行動の必要性を認めません」
ゴーレムが無機質な声で呟き、その胸元の青白い魔力核が、静かな脈動へと戻っていく。
「本機はこれより、フロイライン様の休眠の保護を継続いたします。フロイライン様がお目覚めになられたら、皆様のご来訪があったことをお伝えいたしましょう。……では、どうぞお気をつけてお帰りください」
それはどこまでも機械的な、決められたプログラムに従っただけの言葉だったのかもしれない。だが、その声の響きには、かつてこの場所で平穏の時を過ごした二人の魔法使いの、消え残った温もりが確かに混ざり込んでいた。
「……行こうか」
フリーレンは静かに呟き、赤い杖を握り直した。
* * *
断崖絶壁の洞窟の入口。
潮風が強く吹き荒れ、足元に咲き誇る色鮮やかな花畑が、風にあおられて可憐に揺れている。
フリーレンは洞窟の開口部に向かって立ち、赤い杖の先端をゆっくりと持ち上げた。その瞳が深く静かな翡翠色の光を放ち、広大な魔法陣が三重の重層構造となって岩壁全体に展開されていく。
『強固な封印を施す魔法』。
フリーレンの千年の研鑽による幾重もの偽装回路が岩肌を包み込む。分厚い岩がゴリゴリと地鳴りを上げて落とし込まれ、洞窟を塞ぎ、あたかも最初から存在しなかったかのように崖と同化していった。
「……これで、誰も入れなくなったよ」
フリーレンは杖を下ろし、パッパと衣服についた埃を払った。
かつて大魔法使いフランメを愛し、その喪失に耐えかねて狂気へと走ったエルフ。そして、彼女の遺した永遠の夢を守り続ける、精巧な泥の人形。千年の歳月が埋もれさせたその小さな秘密は、固い岩肌の向こう側へと完全に埋葬された。
「……フリーレン様」
フェルンが隣に並び立ち、遠くルード村の方角を見つめながら静かに口を開いた。
「村長様へは何とお伝えしますか? 『住み着いていた魔法使いを追い払った』と報告すれば、きっと安堵されるでしょうが……洞窟が崩れたとなれば、報酬はいただけないかもしれませんよ」
「いいよ。依頼の目的だった『安全の確保』はちゃんと達したんだからね」
フリーレンは短く答え、頭頂部のアホ毛を風に遊ばせながらふっと口元を緩めた。
「それに、美味しい干し肉はもう貰っちゃったし」
「……フリーレン様は、相変わらず現金ですね」
フェルンが呆れたように小さく溜息をつき、ほんの少しだけ頬を膨らませた。
「おいおい、俺の分の干し肉は残しておいてくれよな!」
シュタルクが慌てて二人の間に割り込み、どこか安堵したような破顔を見せる。
「……シュタルク様は真っ先に食べてましたよね」
「あ……。そうだったかも」
三人の賑やかなやり取りを乗せて、潮風が北の空へと吹き抜けていく。
フリーレンは最後に一度だけ、完全に閉ざされた断崖の岩肌を振り返った。千年前の師の面影と、決して交わることのなかったもう一人のエルフの記憶。
「……さようなら、
風の中に溶けるような小さな呟きを残し、フリーレンは今を生きる仲間たちとともに、あたたかな陽光の差し込むルード村への道を歩み始めた。