ポケモン、彼らはそう呼ばれている   作:燐2

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6日目【帰ってこれた日常と】

 

 

 足音が十分に遠ざかったのを確かめると、ゼルネアスは木々の向こうに留まっている者に視線を向けた。

 

『姿を見せてください。ジガルデ(・・・・)

 

 根元の落ち葉が動いた。

 緑と黒の小さな身体が、その間から這い出してくる。

 

『周辺に人間の反応なし。定時報告を開始する』

 

『身体は、どこまで戻りましたか』

 

『セル修復率、九十五パーセント。再集結に向けた準備を継続中』

 

『……ほかのコアは?』

 

『消失したコアは、すべて修復済み。全コアとの同調を確認。連携に異常なし』

 

 ゼルネアスは、その小さな姿を見つめた。

 

『あの戦いで、あれほど多くを失って……よくここまで戻りましたね』

 

『肯定。ただし、修復完了時刻は未確定。私の復帰を前提とした作戦の延期は推奨しない』

 

『ええ。皆にも、貴方を待つようには伝えていません。機会が訪れれば、そのときに』

 

 ゼルネアスは、小さなジガルデへ改めて目を向けた。

 次の問いまでに、僅かな間があった。

 

『すべてが集った、その先へは。至れそうですか』

 

 ジガルデの視線が上がった。

 

『現時点では、到達を保証できない。修復の完了のみで満たされる条件ではない』

 

『……彼との間に、可能性はありますか』

 

 木々の向こうへ、一度だけ目が向いた。

 すぐに戻る。

 

『否定する根拠はない』

 

 ゼルネアスは、その返答を受け止めた。

 

『そうですか。まだ、望みはあるのですね』

 

『肯定。作戦の成立条件には含めないことを要請する』

 

『分かっています。その力を当てにして、皆を送り出すことはしません』

 

 ジガルデの視線が、角に宿る光へ移った。

 

『分断空間への生命供給に、変化は』

 

『今も、命は繋いでいます。少しずつ力は削られていますが、私たちの世界はまだ生きられます』

 

『確認。引き続き監視する』

 

『私についても、ですね』

 

『肯定。貴方も監視対象であることに変更はない』

 

『それが貴方の務めであることは、分かっています』

 

 風が通った。

 少し離れた木の根元で、黒いアブソルが眠っている。

 

『追加確認。人間、日廻への協力要請について』

 

『聞いていたのでしょう』

 

『肯定。対象の戦闘経験は不足。道具の使用には生命への重大な危険が伴う。救援の到着も未確定』

 

『どれも、彼に隠したまま頼めることではありませんでした』

 

 ジガルデは答えなかった。

 

『あの願いを、取り下げるべきだと思いますか』

 

『……代替案は、提示できない』

 

 声の調子は変わらなかった。

 それでも、次の言葉までに間があった。

 

『復帰後の行動計画に、日廻および同行個体の保護を追加する』

 

『彼は、貴方が何者かを知りません』

 

『認識している』

 

『貴方に戦う力があることも』

 

『認識している。対象は、能力の開示以前から保護を継続。対価の要求は確認されていない』

 

 そこで、ジガルデの視線が木々の向こうへ動いた。

 

 朝になると、戸が開く。

 日廻は足元を見回し、小さな身体を探す。

 

 ――おはよう、ゼット。

 

『……あの人間は、毎朝、私を探す』

 

 ゼルネアスが、僅かに目を見開いた。

 

 木々を見つめる小さな顔が、ほんの少し和らいでいた。

 呼ばれたときのことを思い出しているように見えた、その間だけ。

 

『貴方が、そんな顔をするとは』

 

 ジガルデが振り向いた。

 

『……何を指している』

 

『私の知らない表情です』

 

 沈黙があった。

 

『機能に異常はない』

 

『そのようですね』

 

 ジガルデは身体を返した。

 

『報告を終了する。帰還の遅延は、日廻による捜索を誘発する可能性がある』

 

『戻ってあげてください。彼には、まだ休んでいてもらわなければ』

 

『肯定。不要な負担は回避する』

 

 小さな影が、落ち葉の間へ消えた。

 日廻たちの足音が去った、その方角へ。

 その進む速度は、ここへ現れたときよりも、少しだけ速かった。

 

 

     ◇◆◇

 

 帰宅してからのことは、ところどころ曖昧だった。

 出迎えた小さな身体に囲まれ、無事を確かめ合い、食事を済ませる。その間にも瞼は重くなり、日廻は何度かロトムに名前を呼ばれたが何と答えか思い出せない。

 

 寝床も変わった。

 フライゴンが休めるよう、作業部屋の床に置いていた荷物を寄せ、敷物を広げた。そこで寝ていた皆は、母屋へ招き入れた。足を拭き、空いている部屋へ寝具を運ぶ頃には、日廻は場所を指し示すのが精いっぱいだった。

 最後に戸締まりを確かめて横になると、廊下を行き来する足音が聞こえた。

 それを聞いていたところまでは、覚えている。

 

 

 翌朝、目を開けると、外は明るかった。

 

 起き上がる途中で腕が引きつり、日廻は動きを止めた。全身が石になったかと思うほどだった昨日に比べれば、遥かに良くなっているが、それでも全身の筋肉が痛んだような重さと怠さが残っている。

 それでも、やるべきことは変わらない。昨日は外出したときの格好のまま寝床へ倒れ込んでいたので、着替えてから朝食の準備を進める。

 

「今日から増えた奴の分も作らねぇといけないから倍以上だ。買い物行かないと」

 

 あくびを零しながら、支度をしていると昨夜まで頭にかかっていた霞は薄れていた。

 傍に置かれた水を飲み、一息つく。

 

 そこで、不意に思い出した。

 

 ――お兄さんのことは、ゼルネアスにお願いするって。

 

 そう言った。

 あのとき、あいつは確かにそう言った。

 

『おはようロト! 具合はどうロト?』

 

 開いた襖から、見慣れた画面が顔を出す。

 日廻は水の容器を置き、痛む側を庇いながら、ゆっくり腕を組んだ。

 

「ロトム」

 

『何ロト?』

 

「お前、ポケモンの言葉を翻訳できたんだな?」

 

 浮かんでいた身体が、ぴたりと止まった。

 画面の目が日廻を見て、それから窓の外へ向いた。

 

『あ、あー。今日もいい天気ロト!』

 

「お ま え 正 座 し ろ」

 

『足がないロト!?』

 

「じゃあ、そこに座れ」

 

 日廻がテーブルを指すと、ロトムはゆっくり高度を下げた。

 いつもより随分低い位置から、画面の目がこちらを窺っていた。

 

「何で言わなかった」

 

『最初は、ボクが間に入った方がいいと思ってたロト。でも、日廻とみんなが先に通じちゃったロト』

 

 ロトムは画面を僅かに傾け、言葉を探した。

 

『籠をどこに置くかも、何を手伝ってほしいかも、声と手の動きで伝わってたロト。みんなが何かしてほしいときも、日廻が気づいてたロト。だから、日廻が分からなそうなときとか、大事なことだけ訳せばいいと思ってたロト』

 

「それで、言いそびれたままになったと」

 

『……そうロト』

 

 思い当たることはあった。

 こちらを見る顔。引かれる袖。何度も同じ場所を指す手。畑仕事なら、周りを見れば用事の見当もついた。

 ただ、それで何もかも分かっていたわけではない。

 

「俺が見当違いなことを言ってたことも、あっただろ」

 

『でも、その後でみんなが違うってして。日廻も、失敗したってすぐに理解して、改善も早かったロト』

 

「……そこは教えてくれてよかったんだぞ」

 

 腕を解くと、ロトムの目が伏せられた。

 

『ごめんロト』

 

 その声に、日廻も息を吐いた。

 自分には伝わらない言葉が、こいつには初めから分かっていた。その違いを、互いに確かめる機会がなかったのだろう。

 

「次からは頼む。俺だって、聞きたいことはあるんだから」

 

『分かったロト。ちゃんと訳すロト!』

 

 ロトムが勢いよく浮き上がった。

 ちょうどそのとき、廊下からピカチュウが顔を覗かせた。

 

『ピカ!』

 

『おはようって言ってるロト!』

 

「おはよう。……それは分かる」

 

 ピカチュウが首を傾げた。

 

『何してるの、だってロト!』

 

「ちょっと話をな」

 

『ピカ、ピカチュ』

 

『起きられたんだね、よかったって――』

 

「待て、ロトム」

 

 日廻は片手を上げた。

 ロトムが口を閉じる。ピカチュウまで足を止めたので、日廻はそちらへ手を振った。

 

「怒ってるんじゃない。来てくれ」

 

 近づいてきたピカチュウの頭へ、そっと手を置く。

 耳が指に触れた。見上げる目を見ていると、昨夜も心配をかけたのだと、ようやく実感が湧いた。

 

「ありがとな。昨日よりは、楽になった」

 

 小さな声が返ってくる。

 今度はロトムも、すぐには訳さなかった。

 

「全部、お前に任せたいわけじゃないんだ」

 

 日廻はピカチュウから手を離し、ロトムへ顔を向けた。

 

「俺が取り違えたときとか、どうしても分からないときに、教えてくれ。何か大事なことを言ってるなら、そのときも」

 

『全部分かった方が、楽じゃないロト?』

 

「楽だろうな」

 

 昨日、アブソルの兄のことを教えてもらえたのは嬉しかった。

 あの短い鳴き声から、自分だけでそこまで知ることはできなかった。

 

「でも、お前の翻訳ばかり待つようになったら、俺はあいつらの顔をちゃんと見れなくなる。まずは自分で見て、聞きたい。分からなかったら、そのときは助けてくれ」

 

 ロトムは少し黙り、それから、日廻とピカチュウの間へ向けていた画面を横へ退けた。

 

『……分かったロト。困ったら呼ぶロト』

 

「頼むぞ」

 

 ピカチュウの視線が、日廻から調理中の食材へ移った。

 

「あぁ、分かっている。ええと……早速だがロトム、今から全員分用意するのに、約一時間かかることを伝えてくれ」

 

 日廻は壁に掛かった時計を指差した。

 

「時間が分からない場合は、あそこの時計の長い針が一回転したぐらいだな」

 

『……いつもより時間かかるロト?』

 

「フライゴンの分、あいつ一番大きいから」

 

『た、確かにロト』

 

 ロトムが納得したように画面を上下させる。

 昨日、森で出会った時は大きいとしか思わなかったが、食事を用意するとなれば話は別だった。

 

「皿じゃダメだな。鍋でも用意するか…」

 

 戸棚を開け、普段は使わない大鍋を引っ張り出す。置き場所を作り、その横へ食材を並べ、必要な量を頭の中で数えていく。

 

「これじゃ足りないな。昼の分も考えたら……いや、先に米を――」

 

 独り言を漏らしながら、日廻の手はもう次の作業へ移っていた。

 包丁を出し、鍋へ水を張り、その間に別の食材へ手を伸ばす。

 

『ピカァ……』

 

 待ちきれないのか、ピカチュウの耳が目に見えて垂れた。さっきまで輝いていた目も、並べられた食材を名残惜しそうに追っている。

 

『仕方ないロト。迷惑かけないようにボク達も待つロト』

 

 ロトムに促され、ピカチュウが何度も振り返りながら廊下へ出ていく。その後をロトムも追い、襖の向こうへ消える寸前、もう一度こちらを覗いた。

 

『無理するなロト!手伝ってほしいことがあるなら電光石火(でんこうせっか)で駆け付けるロト!』

 

「じゃあ、皆に伝えたら、後で皿を運ぶのを手伝ってくれ」

 

 返事をしながら、日廻は切った食材を鍋へ移した。

 

 包丁がまな板を叩く。

 一定の音を刻んでいるうちに、昨日の光景が頭へ浮かんだ。

 

 黒いアブソル。

 その前へ、真っ先に飛び出した白い身体。

 

 角を紙一重で避け、懐へ潜り込む。掌を打ち込み、蹴りを返す頃には、もう次の攻撃が届かない場所へ移っていた。

 

 日廻には、何をどうすればあんなふうに動けるのか分からない。

 昨日は指示を出していたというより、ほとんどコジョンドの動きを追いかけていただけだった。

 

「……すごかったな」

 

 初めて会った日のコジョンドも思い出した。

 

 あのときは、近づいただけで怯えた。

 声をかけても届かず、何かに追われるように暴れ続けていた。立っていることさえ辛そうなのに、それでも止まろうとしなかった。

 

 昨日は違った。

 

 チラーミィ(ミュウ)の前に立ち、相手を見ていた。

 攻めるときは攻め、危険なら退く。自分が戦えなくなってからも、できることを探していた。

 

 怖くなかったはずはない。

 それでも、誰かを守るために自分から前へ出ていた。

 

「昨日のコジョンド、頼りになったな」

 

『それだけじゃないロト、コジョンドは強いロト。昨日も、あの状況でみんなを庇ってたロト!』

 

 不意に返事が来た。

 

「うおっ」

 

 誰もいなくなったと思っていた日廻が振り向くと、いつの間に戻ったのか、ロトムがキッチンの窓から顔を覗かせていた。

 

「……聞いてたのか」

 

『聞こえたロト!』

 

 日廻は苦笑し、もう一度包丁を動かした。

 

「まあ、でも本当にそうだな。なんていうか……武術の達人みたいだった」

 

 昨日の動きを思い返す。

 自分なら一撃運よく避けれても、流れるような二回目の攻撃で倒される未来が容易に想像できた。

 

「頼りになるよ、あいつは」

 

 

 




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