ポケモン、彼らはそう呼ばれている   作:燐2

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六日目【コジョンドの誓い】

 

 

 

『それだけじゃないロト、コジョンドは強いロト。昨日も、あの状況でみんなを庇ってたロト!』

 

 母屋の窓から聞こえた大きな声に、コジョンドは手を止めた。

 台所に近い軒下で、昨夜運び出した荷物を整理していた。

 積み重ねられた箱の一つ、指の上で僅かに傾く。持ち直して台へ置くと、中の部品が小さく立てた。

 

 強い。

 

 その言葉だけが、妙にはっきり耳へ残った。

 

 顔を上げるまでに、少し時間がかかった。

 窓の向こうでは、日廻が朝食を作っていた。湯気の向こうで包丁を動かし、窓からロトムがそれを記録しているようだった。

 

『コジョ』

 

 昨日、蹴りは当たらなかった。

 黒い身体をすり抜けた脚。脇腹に走った衝撃。

 止められなかった相手を、アブソルが止めた。そのために、日廻は倒れた。

 

 視線を感じ振り向くと、こちらを見ていた日廻と、窓の向こう側から目が合った。

 

「そこ、痛むのか?」

 

 ロトムほど大きくはないが、こちらへ届かせるために張られた声だった。

 コジョンドは、そこで初めて自分の手が脇腹へ添えられていることに気づいた。

 知らず脇腹へ寄せていた手を下ろし、首を振る。

 もう動ける。棚の上にも届くし、重いものも運べる。

 昨夜、コジョンドに支えられて帰宅した日廻は、家へ入るなり、きずぐすりと包帯を探し始めた。

 出迎えたピカチュウたちに囲まれて、そのまま座り込んでしまったため、手当てはコジョンド自身で済ませた。

 元より大した怪我でもない。

 次に下ろす箱へ手を伸ばすと、日廻が先に声をかけた。

 

「それは後でいい。助かった!」

 

 窓の向こうから声が飛んできた。

 伸ばした腕が止まる。

 日廻はもうこちらを見ていなかった。鍋へ何かを移し、また次の作業へ手を伸ばしている。

 

 まだ、できることはあった。

 けれど、コジョンドは腕を戻した。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 朝食が始まっても、部屋は静かにはならなかった。

 誰かが食べ終わり、誰かがまだ欲しそうに隣を見ている。

 フライゴンの前だけは皿では足りなかったらしく、大きな鍋がそのまま置かれていた。

 コジョンドも、自分の前に置かれた食事を口へ運ぶ。

 

 少し離れたところで、日廻が立ち上がった。

 自分の食事はもう終えたらしい。

 使った食器を片づけると、片手で棚から布を取り出し、空いた手で腰のホルダーへ手を伸ばす。

 

 白いものが外された。

 コジョンドの耳が動いた。

 

 モンスターボール。

 

 今の日廻が持っているのを見たことがあるのは、あれ一つだけだった。

 日廻は席へ戻ると、白い表面を布で拭き始めた。

 指先で少しずつ回し、汚れが残っていないか確かめている。

 

 

 アブソルのものだ。

 

 

 自分から近づいていったアブソルの姿が浮かぶ。日廻へ目を向け、その手にあるボールを選んだときの、静かな顔。

 迷いがなかったのかどうかは、分からない。

 ただ、あのときアブソルは、日廻が差し出すのを待つばかりではなかった。

 

 羨ましかった。

 

 そう思ったことを、誰にも伝えていない。

 

 コジョンドは残っていた食事へ目を落とした。

 一口。もう一口。温かな味がした。

 それでも、気づくとまた日廻の手の中にあるボールを見つめている。

 

『コジョ』

 

 食事を終え。小さく鳴いて立ち上がると、日廻が顔を上げた。

 

「もういいのか?」

 

 頷き、コジョンドはそのまま部屋を出た。

 軒先の陰に腰を下ろすと、畑から葉の擦れる音が聞こえた。土と、日に温まった木の匂いがする。ここへ来てから、朝ごとに覚えていった匂いだった。

 

 両手を膝へ置く。

 長く垂れた毛の下で、指先を握り込んだ。

 

 強くなった。

 前よりも、ずっと。

 

 それなのに、まだ足りない。

 

 戸口で足音が止まった。

 振り向くと、日廻が立っていた。立ち上がろうとしたコジョンドへ掌を向け、そのままでいいと示す。

 

「隣、いいか」

 

 少し横へずれた。

 日廻はゆっくり腰を下ろした。膝へ手をつく動きが、昨日までより慎重だった。

 作業部屋の中では、ロトムが部品を動かしている。ここから二人の姿は見えないらしく、呼びかけてはこなかった。

 

 日廻の掌に、白いボールがあった。

 拭き残しを確かめるように指で転がし、やがて、その手を止める。

 

「お前、前に誰かと暮らしてたのか」

 

 耳が動いた。

 

「戦い方もそうだけど。俺が何か指す前に、言ったことが分かるだろ。ほかの奴らより、人の言葉に慣れてる気がして」

 

 そういう言葉なら、よく知っていた。

 待て。下がれ。もう一度。

 息が上がっていても、遠くから聞こえても、聞き逃さないようにしてきた。

 

 コジョンドは、小さく頷いた。

 

「そっか」

 

 日廻は少し考えていた。

 手の中のボールへ目を落とし、それから尋ねる。

 

「その人のところへ、帰りたいか」

 

 胸の奥が、冷えた。

 

 白いボールが見えた。

 ここに入れば、運べる。

 遠くへでも。自分が歩かなくても。

 

『コジョッ』

 

 気づいたときには、日廻の手へ触れていた。

 押し戻した拍子に、ボールが掌の中で揺れる。日廻が握り直したのを見て、今度はその指にしがみついた。

 

 違う。

 帰りたいのではない。

 まだ、ここでできることがある。

 

 声が続かなかった。何度首を振っても足りない気がした。

 ここを離れたくないと伝えたいのに、腕へ力を込めるほど、日廻の顔が強張っていく。

 

 痛くした。

 

 慌てて手を離した。

 行き場のなくなった指を胸元へ引き寄せる。叱られる前に何かしなければと思ったが、何をすればいいのか分からなかった。

 

「……悪い。帰れって言ったんじゃない」

 

 日廻はボールをホルダーへ戻した。

 空になった掌を、コジョンドにも見えるよう膝へ置く。

 

「会いたい相手がいるなら、聞いておきたかった。それだけだ。勝手に連れていかない」

 

 そこで、日廻の声が途切れた。

 思い出すような視線が、手元へ落ちる。

 

「……むしろ、どうすればいいんだろうな」

 

 コジョンドは、その手を見ていた。

 何も持っていないことを、何度も確かめた。

 

「ここにいたいなら、いてくれ」

 

 すぐには顔を上げられなかった。

 日廻は続きを急がず、畑の方へ一度目を向けた。風が通り、軒先まで葉の匂いを運んでくる。

 

「昨日も、俺が起き上がろうとしたら、手を貸してくれただろ」

 

 戻ってきた視線は、コジョンドの手元にあった。

 

「自分だって、あんなに吹っ飛ばされた後だったのに」

 

 日廻が、僅かに口元を緩めた。

 

「お前は、優しくて強いよ」

 

 強い。

 

 その言葉を、前にも聞いた。

 まだ、この手も、この脚も、今ほど長くなかった頃に。

 

 

     ◇◆◇

 

 何度やっても、踏み込む足が遅れた。

 

 声を聞いてから動くと、もう間に合わない。急げば足元が乱れ、蹴りを放つ前に身体が流れた。

 砂のついた掌を払い、コジョフーは立ち上がった。

 

 向こうで、あの人がしゃがんでいた。

 自分と同じ高さから、地面の足跡を指している。

 

「こっちへ出るから遅れるんだ。ほら、ここから」

 

 指が土へ線を引いた。

 言われた位置に足を置くと、あの人も立ち上がって同じ動きをした。上手くはなかった。足がもつれ、片手を地面についた。

 顔を見合わせると、あの人が先に笑った。

 

「難しいな、これ」

 

 コジョフーも鳴いた。

 その日は、同じところに何本も線を引いた。

 

 次の練習で、初めて間に合った。

 声に合わせて足を置き、身体を返す。差し出された練習用の的へ、蹴りが真っ直ぐ届いた。

 音が響くより先に、あの人の顔が明るくなった。

 

「そう、それだ!」

 

 駆け寄ってきた手が、頭へ触れた。

 

「強くなったな」

 

 嬉しかった。

 蹴りが当たったことも、できなかった動きができたことも。

 けれど、一番よく覚えているのは、同じ音を聞いて、同じように喜んでいたあの顔だった。

 

 また見たかった。

 だから、何度も練習した。

 

 勝てる相手が増えた。

 旅の先で出会う相手も、強くなった。

 以前なら届いたはずの足が届かず、見えていた動きに追いつけなくなる。そのたびに立ち上がった。もう一度と声がかかる前に、構えた。

 

 あの人は、少しずつ笑わなくなった。

 

 試合の後、ボールから出ても、顔を見てくれない日があった。ほかの仲間が練習を始めても、自分の名前は呼ばれなかった。

 端で同じ動きを繰り返していると、休んでいろと言われた。

 

 休めば、もっと遅れる。

 

 暗くなってからも、土へ足を置いた。

 あの人が引いてくれた線を思い出し、自分の爪先でなぞった。

 

 進化すれば、届くはずだった。

 この短い腕も脚も伸びる。力も増す。

 また隣へ立って、あの声に応えられる。

 

 けれど、その日は間に合わなかった。

 

 町外れの道で、ボールから出された。

 人の通る道から少し入った、木陰だった。あの人は立ったまま、しばらくこちらを見下ろしていた。

 

「もう、一緒には行けない」

 

 意味が分からなかった。

 歩き出した背中を追うと、あの人は足を止めた。

 

「ついてくるな」

 

 待てと言われたときと、同じように止まった。

 

 あの人は、そのまま歩いていった。

 腰に並んだボールの中に、自分のものを探した。どれがそうだったのか、遠ざかるにつれて分からなくなった。

 

 日が傾いても、動けなかった。

 追いつこうと思えば、まだ追いつける気がした。

 けれど、ついてくるなと言われた。

 これ以上、言うことの聞けない自分を見せたくなかった。

 

 翌朝も、道を見ていた。

 

 その後、どれだけ歩き、どれだけ練習したのかは、もう曖昧だった。

 空腹で膝が折れる日も、脚を振り上げた。踏み込みが乱れれば戻り、初めからやり直した。

 体に光が満ちた日、最初に思い浮かべたのは、あの人の顔だった。

 

 脚が伸びていた。

 振り抜いた腕の先で、長い毛が風を切った。

 前には届かなかった枝へ、簡単に手が届く。

 

 今度こそ。

 

 旅の途中で何度か訪れた練習場を探した。

 知らない顔ばかりの日もあった。それでも通い、声を聞き、歩いてくる人影を確かめた。

 

 ある日、柵の向こうから、聞き覚えのある声がした。

 

「そのまま、詰めろ!」

 

 コジョンドは駆け出した。

 練習場の奥に、あの人がいた。片足を前へ出し、身を乗り出している。何度も見上げた横顔だった。

 呼ぼうと息を吸った、そのとき。

 

 青い影が、視界を横切った。

 

 ルカリオだった。

 相手の腕が振り抜かれるより早く、身体を沈めて懐へ入る。踏み込んだ足が土を噛み、腰の回転とともに拳が伸びた。

 受け止めた相手が、後ろへ下がる。

 

 速い。

 

 コジョンドの足が止まった。

 今の踏み込みなら、自分にもできる。けれど、拳を受けられた後には、一度足を置き直さなければならない。

 あのポケモンは、その一歩をもう済ませていた。

 相手が体勢を戻すところへ回り込み、逃げる先を塞ぐ。次の指示が飛んだときには、既に打ち込める位置にいた。

 

 声と動きの間に、何も挟まらなかった。

 

 勝負が決まった。

 コジョンドは柵の外に立ったまま、自分の足元を見た。爪先が、あの動きを追うようにずれていた。

 どこで受け、どこへ下がればいいのか。

 考え直しても、二度目の攻撃までに追いつけなかった。

 

 進化した今の自分よりも、強い。

 

 それが分かってしまった。

 

「よくやった!」

 

 あの人が走っていった。

 ルカリオの前で足を止め、肩へ手を置く。弾んだ声で何かを話し、相手も短く鳴いて応えた。

 

「最後、言う前に動いてたな。分かったのか?」

 

 あの人が笑った。

 

 知っている顔だった。

 

 初めて蹴りが届いた日、こちらへ駆け寄ってきたときと同じだった。嬉しくて、言葉が追いつかなくて、それでも何か言いたくて。

 あの顔を、もう一度見たかった。

 

 見られた。

 柵の、こちら側から。

 

 コジョンドは口を開いた。

 進化したのだと、伝えるつもりだった。

 今ならもっと速く動ける。前には届かなかったところへ、手も、脚も届くようになった。

 

 長く伸びた毛が、風に揺れた。

 それを見せたら、何と言ってもらえるのだろう。

 

 新しいポケモンが、あの人の傍に立っていた。

 次の相手を待ちながら、顔を上げている。あの人はその視線に気づき、何かを指で示した。ルカリオの耳が動き、二人はまた練習場の中央を見た。

 

 自分たちも、ああしていた。

 言葉と仕草を何度も確かめて、少しずつ分かるようになった。

 あの時間があったから、強くなれば、また隣へ戻れると思っていた。

 

 柵へ伸ばしかけた手を下ろした。

 

 怒っている声なら、まだ覚悟していた。

 もう一度やってみろと言われたら、できるまで繰り返すつもりだった。

 けれど、あの人は今、満足そうに笑っている。

 自分のいない場所で、次の練習を始めようとしていた。

 

 呼ばなければ、気づいてもらえない。

 

 分かっていた。

 それでも、喉から声が出なかった。

 

「もう一回、合わせるぞ」

 

 コジョンドは、踏み出しかけた足を引いた。

 柵から離れ、来た道へ戻った。

 

 もう、自分が応える声ではなかった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 もっと、できることがあったのかもしれない。

 

 練習が足りなかったのか。

 言葉を聞き違えたのか。

 あの人が何を望んでいたのか、もっと分かろうとしていれば。

 

 アブソルがボールを選んだ姿を思い出すたび、そう思った。

 あんなふうに相手を見て、自分から近づけるまでに、自分たちは何を確かめ合えばよかったのだろう。

 

 膝の上で、指が動いた。

 長い毛を握り込んでいたことに気づき、少しずつ離す。

 

 隣に、日廻がいた。

 

 どのくらい黙っていたのか、分からない。

 何も答えられずにいる自分を、そのまま待っていたらしい。目が合うと、日廻は僅かに首を傾けた。

 

「……うまく分かってやれなくて、悪いな」

 

 コジョンドは首を振った。

 違うと伝えたかった。

 何が違うのかを、まだ自分でも言葉にできなかった。

 

 日廻の手が、膝から下りた。

 触れる前に止まり、掌が上を向く。

 

 その手を、知っていた。

 最初は、振り払おうとした。

 近づいてくるものが何もかも怖くて、誰の声も聞けなくなっていたとき、それでも自分を背負った人の手だった。

 

 あのとき、自分は何もできなかった。

 この家へ来たばかりの頃も、眠ってばかりいた。

 目を覚ますと水があった。食べ物があった。起きられない日も、戸は開いた。

 

 昨日、蹴りがすり抜けたときも。

 日廻が叫んだのは、距離を取れという言葉だった。

 

 コジョンドは、差し出された手へ指を伸ばした。

 途中で止まる。

 もう一度失ったら、今度はどうなるのか。

 

 掌は動かなかった。

 

 そっと触れた。

 硬くなった皮膚の下に、温かさがあった。指を添え、握る。握り返された力は、まだ弱かった。

 

 昨日、この人は倒れた。

 呼んでも起きず、自分の腕へ体重を預けたまま、何も言わなかった。

 今は、ここで息をしている。

 握った手にも、確かに力が返ってくる。

 

 この人を、守りたい。

 

 これからも傍にいて、この人の呼びかけに応えたかった。

 伸ばされたこの手が、もう動かなくなるところを見たくなかった。

 

 もっと強く、大きく(・・・)なりたい。

 この人へ届く危険を、自分の身体で受け止められるほどに。

 

 コジョンドは日廻の手を握ったまま、もう片方の手を伸ばした。

 腰のホルダーへ触れる。

 そこにある白いボールを指先で示し、それから、自分の胸へ手を当てた。

 

 日廻の目が動いた。

 ボールを見て、コジョンドを見る。

 

「……お前も?」

 

 頷いた。

 今度は、顔を伏せなかった。

 

 日廻はしばらくこちらを見ていた。

 やがて、繋いだ手へ僅かに力を込めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

 

「ロトム。頼みがある」

 

 作業台の前で、画面が振り向いた。

 

 日廻の隣に、コジョンドが立っている。

 下ろされた日廻の手へ、細い尾が緩く絡んでいた。日廻もそれを解かず、指先を添えている。

 

 ロトムの目が、二人の間で止まった。

 コジョンドがこちらを見て、小さく頷く。

 

 少し間を置いて、ロトムは日廻へ向き直った。

 

『何を作ってほしいロト?』

 

「モンスターボール」

 

 その日から、日廻のホルダーに、モンスターボールが一つ増えた。

 

 

 




使えないポケモンは好き勝手にパーティから外すでしょう?by ポケモンの保護を目的とした財団の代表。

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