「――使うぞ、ロトム」
日廻は腕のゼンブイリングへ手を添えた。
脳裏を過ったのは、黒いアブソルとの戦いだった。
あの時も、攻撃は通っていた。傷は増え、身体は確実に限界へ近づいていた。それでも止まらなかった。痛みも、自分の身体が壊れていくことさえ無視して、何度でも立ち上がってきた。
今の二匹も同じだ。
少しずつ削っている時間はない。意識そのものを断ち切るほどの一撃か、反撃する暇さえ与えないほど一瞬に攻撃を集中させる必要がある。
日廻は遠くへ目を向けた。
石の海に横たわるディアルガ。その脚を侵し始めた灰色は、先ほどより僅かに広がっている。
迷っている時間すら惜しい。
手の中の、コジョンドの入ったモンスターボールへ視線を落とす。
「……悪い。まだ頼む」
返事の代わりに、ボールが小さく震えた。それだけで十分だった。
「ダイマックス、使うぞ」
『……了解ロト!』
ゼンブイリングが唸りを上げる。腕を中心に生まれた光がボールへ流れ込み、赤い輝きとなって溢れ出した。みるみる巨大化していくそれを両手で支え、日廻はフライゴンの背から石の海へ向けて投げ放つ。
ボールが開いた。濃密な赤い光が地上へ降り注ぎ、夜空には渦巻く雲が生まれていく。
「
赤光の中から、巨大な足が降りた。
灰色の海面へ亀裂が走り、波の形で固まっていた岩から無数の欠片が跳ね上がる。その中心で、雲へ届かんばかりに巨大化したコジョンドがゆっくりと身を起こした。
けれど、すぐにはメガルカリオを見なかった。
最初に視線を落としたのは、すぐ傍にいるアブソルだった。白い毛には戦いで受けた傷が残り、前脚の先には、進行こそ止まったものの薄い灰色が浮いている。
その向こうには、倒れたディアルガ。
さらに顔を上げれば、空にはフライゴンがいる。その背には日廻がいる。
それらを一度ずつ視界へ収めてから、コジョンドは正面へ向き直った。
『ゴジョォ゛ォッッッ!!!』
意思を込めた咆哮の先にはメガルカリオがいる。
巨大になった相手を見上げても、その目には恐怖も驚きも浮かばない。
ただ、意思のない瞳のままコジョンドへ踏み出した。
「来るぞ!」
巨体となったコジョンドの懐へ、一息に潜り込む。
青白く輝いた拳が脛へ叩き込まれた。
『コジョッ……!』
巨大な身体が揺れる。
続けて二発、三発。通常の身体なら見切って躱していた連撃も、今の巨体では細かく外しきれない。
それでも倒れなかった。
コジョンドは拳を振り下ろす。
メガルカリオは既にそこにいない。
巨大な掌が石の海を打ち砕き、衝撃で岩盤がめくれ上がった。その破片を足場にするようにメガルカリオが跳び、今度は膝の裏へ蹴りを入れる。
「コジョンド!」
片膝が沈みかける。
そこへメガルカリオがさらに踏み込んだ。
だが――。
『アブッ!』
横から『サイコカッター』が走った。
メガルカリオの足元で石が弾ける。
踏み込もうとした足が半歩だけずれ、その隙にコジョンドが脚を引いた。
メガルカリオがアブソルへ目標を変えて迫ろうとするが、その進路へ巨大な腕が下りた。
コジョンドだ。拳は当たらない。だが、石の海へ叩きつけられた衝撃だけで、メガルカリオは大きく横へ跳ばざるを得なかった。
その着地点へアブソルが『サイコカッター』で追い打ちをする。
メガルカリオがさらに退く。コジョンドがそれを追う。
圧倒しているわけではない。
メガルカリオの攻撃は通っているが、巨大になったコジョンドは以前ほど細かな回避ができない。
それでも、多少の攻撃なら受けながら前へ出られる。
そしてメガルカリオが大きな一撃を狙えば、アブソルが潰す。
二匹でなら、押し返せる。
『日廻、前ロト!』
空気を吸おうとした身体に衝撃が襲う。
直後、鎌状の腕が横を薙ぎ抜ける。
フライゴンがメガガブリアスの脇を滑るように飛び、風圧に煽られながら日廻が振り返れば、メガガブリアスはそのまま反転してくる。増え続けた傷など存在しないかのような速度だった。
対するフライゴンの呼吸は明らかに荒くなっている。翼の動きにも、僅かだが重さが出始めていた。
「フライゴン、頑張ってくれ!」
そんなことしか言えない歯痒さに、腹が立った。
巨大な石の波をフライゴンが横切り、砕けた波頭の間を抜けたところで、再び地上から轟音が響いた。
コジョンドの拳が石の海を抉ったのだ。
巨体になったことで威力は増したが、その分、全ての動きが大振りになっている。メガルカリオにはまだ当てきれない。
だが、巻き上げられた岩塊の一つが、日廻たちのいる高さ近くまで飛んできた。
「―――……」
日廻はそれを目で追った。
拳そのものが当たらなくても、あそこまで届く。
振り向いて、戦場を確認する。
コジョンド。
メガルカリオ。
次に、背後から追ってくるメガガブリアス。
「…………」
倒す相手は二匹。
けれど、一匹ずつ止めていけば先にこちらの体力が尽きるかもしれない。
「ロトム!」
『何ロト!?』
「二匹を……同じ場所に持っていくぞ!」
『え?』
言葉にした瞬間、頭の中で散らばっていたものが繋がった。
コジョンドの巨体から繰り出される攻撃範囲と破壊力。
上空にいるメガガブリアス。
アブソルナイトと一緒に実験用として入っていたドラゴンZクリスタル。
そして――フライゴンと何度も練習した、もう一つの切り札。
『日廻……まさか』
「Z技でまとめて止める!」
今までメガガブリアスから環境を利用してなんとか逃げてきた。
それも、もう読まれ始めている。
だったら……。
「フライゴン、頼む」
『ファイッ!!』
フライゴンが逞しく返事を返した。
追われる側だった身体を反転させ、初めてメガガブリアスへ正面を向けた。
相手も反応した。逃げ続けていたフライゴンが突然こちらを向いたことで、メガガブリアスの飛行姿勢が変わる。
鎌状の両腕が開いた。当然、迎え撃つつもりだ。
『真正面は駄目ロト! 前に力負けしてるロト!』
「分かってる!」
勝つ必要はない。
押し返す必要もない。
欲しいのは――位置だ。
「ミュウ!」
『ミュ!』
フライゴンが加速した。
その瞬間、日廻の身体がふっと軽くなる。
騎乗具は外れていない。フライゴンから離れたわけでもない。
それでも、急加速で後ろへ引かれるはずの身体が、不自然なほどフライゴンの動きへついていく。
横を飛ぶミュウが片手を向けていた。
ほんの一瞬、石化を抑え続けているミュウが、こちらへ回せる僅かな力。
「行け!」
フライゴンがさらに加速する。
メガガブリアスも逃げない。
両者の距離が一気に消えた。
「フライゴン――『すてみタックル』!」
激突した。凄まじい衝撃が身体を突き抜け、日廻の視界が一瞬白くなる。
正面からぶつかったフライゴンの身体が軋んだ。メガガブリアスの方が重い。強い。まともに押し合えば、前と同じようにこちらが弾き飛ばされる。
だから、押し返そうとはしない。
激突した瞬間、フライゴンは全身を捻った。自分まで弾き飛ばされることを承知で、肩口からメガガブリアスの胸元へ身体をねじ込み、その飛行軸を強引に横へ狂わせる。
メガガブリアスの身体が傾いた。高速で飛び込んできた勢いが、逆に仇となる。進行方向を僅かに狂わされた巨体が空中で流れ、そこへフライゴンが身体ごと食らいついた。
『ガァッ――!』
『ファァァイッ!!』
互いの苦鳴が重なる。
メガガブリアスの鎌がフライゴンの脇腹を掠めた。
それでも離れない。翼で空気を叩き、肩と身体を押しつけ、崩れた飛行姿勢を戻す暇を与えず横へ押し流していく。
当然、フライゴンも無事ではなかった。
『すてみタックル』の反動がそのまま返ってくる。身体が震えるのが騎乗具越しでも分かった。
「ロトム!」
『あと少しロト! そのまま――左!』
「フライゴン、左!」
翼が空気を噛む。ミュウの念力が切れ、日廻の身体へ一気に重さが戻った。固定具が脇腹へ食い込み、肺から息が押し出される。
それでも目は逸らさない。
メガガブリアスを押し込んだ先と、コジョンドの位置が重なった。
「体勢を崩せアブソル!」
メガルカリオがコジョンドの足元を駆ける。
巨大な拳を避け、その懐へ。
コジョンドの腹部へ踏み込み、全身を使った一撃を叩き込もうとする。
『アブッ!』
アブソルの声が響いた。『あくのはどう』が、メガルカリオではなくその足元を粉砕する。
踏み込みが崩れた、ほんの僅か。
それでも、コジョンドには十分だった。
逃げ道を塞ぐように石の海へ手をつき、メガルカリオの進路を限定する。
メガルカリオが反射的に右へ逃れようとする。
日廻には、それが見えた。
「コジョンド―――『ダイナックル』!!」
巨大な右拳へ、赤い力が収束する。
石の海が軋み、メガルカリオも気づいた。
逃げようとするが遅い。
下から上へ、コジョンドの拳が振り抜かれた。
爆発したような衝撃が、石の海を走った。
拳に捉えられたメガルカリオの身体が、地面から消える。
真上へ。一気に打ち上げられた。
その先には――
『来るロト!』
日廻の目の前で、メガガブリアスが顔を上げた。
フライゴンに押し流されながらも、メガルカリオの存在に気づいていない。
「離れろ、フライゴン!」
フライゴンが最後に身体を押しつけ、その反動で横へ逃れる。
直後、メガルカリオがメガガブリアスへ激突した。
二つの身体が空中でもつれ合う。
『日廻!』
「分かってる!」
日廻は腕を上げた。
何度も練習した。
最初は動きを覚えるだけで精一杯だった。フライゴンとロトムに直され、何度もやり直し、それでも繰り返した。
今は、身体が覚えている。
腕を振る。
構える。
ゼンブイリングを通して、何かが繋がった。
フライゴンの身体から竜の力が噴き上がる。
残っていた力を、根こそぎ引き出すように。
日廻は二匹を見た。メガガブリアスも、メガルカリオも、傷だらけだった。
それでも、自分の意思では止まれない。
「ごめん、痛いだろうけど……」
二匹の身体が動き始める。
もう時間はない。
「もう! 止まってくれ!!」
日廻が最後の動作を振り抜いた。
「
『フ゛ァァイ゛ィィッッッ!!』
竜の強大な力が咆哮を上げた。
口元へ収束した力が、一気に解き放たれる。
光は空を駆けながら膨れ上がり、巨大な竜へ姿を変えた。
『アルティメットドラゴンバーン』。
メガガブリアスの腕が動く。
メガルカリオも身を捩る。
同時に、動きが止まる。
二体の瞳に、片手を向けるミュウの姿が映った。
巨大な竜が、二匹をまとめて呑み込んだ。
轟音と光が夜空を埋め尽くす。
衝撃が石の海まで叩きつけられ、巨大な波頭がいくつも崩れ落ちた。
「っ……!」
日廻は反射的に腕で顔を庇う。
その向こうで、二つの影が光から弾き出された。
メガガブリアスとメガルカリオ。
二匹の身体が石の海に落ちて、灰色の粉塵が高く噴き上がった。
日廻は息を止めた。
立つな。死んでほしいわけじゃない。
ただ。もう、立たないでくれ。
粉塵がゆっくりと流れていく。
最初に見えたのは、青い身体だった。
倒れている。そして、動かない。
二体から禍々しい光が抜けていく。
「……あ」
輪郭が縮む。異様に伸びていた毛も、身体を包んでいた一部の特徴も消えていく。そこに倒れていたのは、ルカリオだった。
少し離れた場所でも、同じように光が散っていく。
巨大な鎌状の腕が形を失い、元の姿へ戻っていくガブリアスだった。
二匹とも、もう動かなかった
『……戦闘反応、低下。二匹とも意識を失ってるロト』
「…………そうか」
日廻は大きく息を吐いた。
フライゴンの首筋へ手を置く。
「よくやった。お前の全力、すごかったぞ」
『……ファイ』
返ってきた声には、蓄積された疲労が混ざっていた。
それでも休ませてやる暇はない。
「ディアルガ!」
石の海へ横たわった青い巨体に振り返る。
脚を侵していた灰色は、さらに少しだけ範囲を増していた。
「ミュウ、ディアルガを!」
『ミュ!』
ミュウが飛ぶ。小さな身体がディアルガの傍へ降り、その青い身体へ直接手を触れた。
一瞬、淡い光が二匹を包む。
次の瞬間、ディアルガが消えた。
『ミュウ様が言っていたけど、ここは空間が不安定なところだからこれが一回切りのテレポートみたいロト!』
「安全地帯に送ったんだよな?」
『ミュウ』
勿論と言うようにミュウは頷いた。
「よかった……」
けれど、まだ二匹残っている。
倒れたガブリアスとルカリオだ。
日廻の手が、腰へ伸びた。
最後の一個。ロトムから渡された予備のモンスターボール。
中に入ってくれれば、少なくともこれ以上の怪我を負う心配もない。だが。
「……二匹いるんだよな」
ガブリアスとルカリオを見る。
どちらかを選んだところで、もう片方はここへ残る。
どうする、そう考えている間。
『ミュ』
「ん?」
ミュウが片手を上げる。
倒れていたガブリアスとルカリオの身体が、同時に浮いた。
そのまま、振りかぶるように腕を動かした。
「ちょっ――」
『サイコキネシス』によって二匹が飛んでいった。
二匹の姿は、あっという間に石の海の彼方へ小さくなっていった。
「雑じゃないか!?」
ミュウが何か鳴き、それをロトムが翻訳する。
『「あなたのことだから、二匹とも助けたいでしょうけど。今、私たちが優先するものは違うわ。ここから遠い場所に離してしまえば、少なくとも石になるだけで済む」』
日廻は顔をしかめ、反論しようとする。
だが、その前にミュウが続けた。
『「石化しただけなら、まだ元に戻せる可能性はある。でも、完全に石になったあとで粉々にされたら、本当に助けられなくなる」』
「…………」
日廻は何も言えなかった。
遠くへ消えた二匹、巨大な穴を見る。
そして、傷ついたアブソル。息を荒げるフライゴン。巨大な身体で立つコジョンドへ目を向ける。
日廻自身ができることはあまりにも少ない。
ここへ置いておく方が危険なのは、分かる。
簡単に納得できる話でもないのも。
『「それに――」』
その先は聞けなかった。
轟音がした。巨大な穴の奥で、何かが爆発した。
日廻たちが一斉に振り返る。
「……なんだ?」
穴の中で緑色の光が瞬いた。
次の瞬間、何かが猛烈な勢いで飛び出してきた。
「――ゼット!?」
完全体となったゼットだった。
まるで巨大な砲弾のような勢いで穴から弾き出され、そのまま石の海へ激突した。
ゼットの身体が海面を削りながら滑り、灰色の破片を左右へ巻き上げていく。一つ、二つと波頭を砕き、ようやくその巨体が止まった。
日廻は反射的に身を乗り出した。
フライゴンも合わせて向かおうとする。
だが、その前にゼットの腕が動いた。
石の海へ突き立て、ゆっくりと身体を起こした。
『ゼット!』
ロトムの声が飛ぶ。
完全体の身体には傷があった。
それでも、まだ立てる。
『――戦闘継続可能』
「……よかった」
思わず漏れた言葉に、ゼットは答えなかった。
巨大な穴を見ている。日廻もそちらを向いた。
何も見えない。
いや。
暗い。
周囲には無数のウルトラホールが開き、青とも紫ともつかない光が夜空へ滲み出している。
なのに、あの巨大な穴だけは違った。
光がないのではない。
光そのものが、奥へ吸い込まれているように見える。
『……ミュ』
ミュウが鳴いた。
日廻が見る。
その横顔は、妙に静かだった。
『「こっちの世界に来るなんて、運が悪いわね」』
ミュウは穴から目を逸らさない。
もう一度、短く鳴いた。
『「ダークマターネクロズマの
穴の奥で、何かが光った。
油膜のような昏い虹色が、その表面を脈打っている。
最初に現れたものが身体のどの部分なのか、日廻には分からなかった。
巨大な穴から、黒い何かがゆっくりとせり出してくる。
それが姿を現すほど、周囲が暗くなる。
空に浮かぶ無数の光も。
石の海を照らしていた青紫の輝きも。
何もかもが、その黒へ吸い寄せられていく。
『ミュ……ッ』
ミュウの身体が揺れた。
『石化反応、上昇! さっきまでと全然違うロト!』
それを聞いた瞬間、日廻の全身に鳥肌が立った。
さっきまで戦っていた二匹と比べること自体が間違っている。
理屈より先に、身体がそう告げていた。
傷ついたフライゴンが翼を強張らせた。
地上ではアブソルが身を低くし、その傍で巨大なコジョンドがゆっくりと構える。
ゼットも立っている。
誰も目を逸らさない。
けれど、穴の奥から現れつつあるそれを見上げた日廻には、一瞬だけ夜空に、太陽があるように見えた。
ただ、それは光を与えるものではない。
奪うもの。昏い虹色を纏った、巨大な黒。
それが穴を抜ける。
――黒い太陽が、落ちてきた。