【新たな星】
ポケットモンスター、縮めてポケモン。
この星の不思議な不思議な生き物。
それは海に、山に、空に、街に。
世界の至るところでその姿を見ることが出来る。
あるものは人と共に、
あるものは自然の中で、
あるいは仲間と群れをなし、さまざまな形で暮らしていた。
だが――――果てしない闇の集合体、ダークマターネクロズマの来襲。
それによって多くの災いが世界を襲い、哀しみが生まれた。
しかし、それでも私たちはポケモン達と手を取り合い、世界を守り抜いた。
今は喜びと、追悼と、復興の日々。
そんなある日、まさかあんな出会いがあるなんて夢にも思わんかった。
この物語は。
ポケモンが存在しない世界。
ポケモンが存在する世界。
二つの異なる星の架け橋となる一人の青年が、ポケモンたちと不思議に出会い、冒険を重ね、畑を耕していく物語。
◇
『あれ、みんなが住んでる星ロト』
ロトムは、天気の話でもするような調子で言った。
日廻はあぐらをかいたまま、ロトムの示す先へ目を向けた。
テレビの画面には、ぼやけた光の点が映っていた。
太陽を周回する探査機が、地球とは違う位置から捉えた天体だという。解析が進むにつれ、夜側に都市の照明と見られる光の集まりが確認された。人工的な電波に加え、人工衛星の存在を示唆するデータも得られているらしい。
画面の上部には、歴史的発見の文字が大きく並んでいる。
『――もちろん、現時点で断定はできません。ただ、技術を持った文明が存在する可能性は、極めて高くなったと言っていいでしょう』
スタジオの専門家は、慎重に言葉を選んでいた。
日廻は画面を見て、ロトムを見て、もう一度画面を見た。
「お、お前らの星!?」
身を乗り出しかけた身体が傾き、隣に座っていたアブソルの肩へぶつかる。白い身体は小さく揺れただけで、日廻の重さを受け止めた。
壁に手をついてやり過ごした朝と、何も変わっていない。ここ数日ろくに食べず、ほとんど動かずにいた身体は、驚いたくらいで元には戻ってくれなかった。
体勢を戻そうとすると、膝の上でも小さな身体がずり落ちかけていた。
ヒメグマは慌てて日廻の服を掴み、どうにかあぐらの中へ戻ってくる。
それから何事もなかったように、また日廻の顎へ前脚を伸ばした。
伸びたままの無精髭が気に入ったらしい。ざらざらとした感触を確かめるように、何度も撫でては首を傾げている。
「こんなこと、ありえるのか……?」
日廻は顎を引き、もう一度テレビを見た。
画面は、太陽と二つの星の位置関係を示す図に切り替わっていた。
『今は、太陽を挟んで地球の反対側にあるロト。地球からだと太陽が邪魔になるけど、探査機は別の場所から見られたロト』
ロトムが画面の図を指し示す。
この六日間、何度「向こう」のことを考えただろう。もう二度と届かないかもしれない場所。どこにあるのかさえ分からなかった場所が、同じ太陽系にあるという。
「なんで、あんなとこに……」
『それは知らないロト。』
そうか、と言うしかなかった。
聞きたいことが、また一つ増えた。あんなに遠い場所から、どうやってここまで来たのか。いつから、こっちのことが分かっていたのか。
「アルセウスは二つの世界を安易に接続するべきではないと言っていたが、何かがあったのか?」
あの神のようなポケモン、もしくはポケモンですらない存在の言葉を誰にも聞こえないほどの小さな声で呟くが、頭を掻いて複雑な思考を一旦片隅に置く。あの超常的存在が隣家にあいさつするような感覚で答えを教えてくれるとは思えなかったからだ。
今は一個ずつにしよう。
そのとき、ヒメグマの身体がふわりと持ち上がった。
いつの間にか傍まで来ていたピカチュウが、その脇の下へ手を入れ、抱え上げていた。
ヒメグマが短い脚をばたつかせる。まだ触り足りないと言いたげに、日廻の方へ前脚を伸ばした。
ピカチュウは取り合わなかった。叱るでもなく、急かすでもなく、穏やかな顔のままヒメグマを抱えて部屋の隅へ運んでいく。
今は会議中だからねぇ、とでも言いたげな顔だった。
部屋の隅では、チュリネとニャスパーが並んで座り、その傍でマリルが長い尻尾を揺らしていた。
ピカチュウは皆の隣へヒメグマを下ろし、自分もちょこんと腰を落ち着ける。ヒメグマは不満そうに一度鳴いたが、ピカチュウの尻尾が背中に触れると、それきり大人しくなった。
膝の上が、急に軽くなった。
日廻は小さく息を吐き、テレビから視線を外した。
部屋の中では、誰もがこちらを向いていた。縁側の外に身体を伏せたフライゴンまで、長い首を家の中へ差し入れている。
「……最初から、聞かせてくれ」
そう言ってから、続ける。
「お前らの方。俺が――」
そこで、言葉を選び直した。
「……その、いなくなってから、どうしてたのか。話せるところからでいいから」
ロトムは、しばらく迷うように揺れていたが、やがて高度を下げた。
『日廻が、動かなくなって……』
そこで、一度途切れる。
『……みんな、日廻のそばにいたロト』
日廻は黙って頷いた。
自身の感覚では、最後の瞬間に命以外のものまで消費して、気づけばあの白い場所にいた。懇願しても、皆には何も言えず、伝えられずに戻ってきた。それからは、大事なものが欠けた日常を過ごしていた。
『そしたら、急に光に包まれたロト。気がついたら、向こうにいたロト。離れ離れになってた場所が、あっという間に元の世界へ戻っていったロト』
ロトムは少し間を置いた。
『今思うと……あれが、日廻の言ってた「戻した」ってやつだったロト?』
「……たぶんな」
日廻にも、詳しいことは分からない。アルセウスが何を、どこまで、どうやって戻したのか。あの場所で聞かされたことも、全部を理解できたわけではなかった。
『みんな、しばらく動けなかったロト。泣いてる子もいたし、何も言わない子もいたロト。でも、ゼットはすぐにどこかへ行ったロト。世界がどうなったのか、調べに行ったみたいだったロト』
日廻は、床の上のゼットへ目を向けた。
小さな身体は、相変わらずこちらを向いたまま動かない。
「……お疲れさま」
ゼットは何も返さなかった。
『それから、残ったみんなで話したロト。日廻のこととか……これから、どうするのかとか』
これから、という言葉だけが、ひどく小さかった。
『でも、諦めきれなかったロト』
ロトムが顔を上げる。そこに日廻とは違う諦めない意思が宿っていた。
『みんなが光に包まれて向こうへ戻ったなら、日廻も、どこかに来てるかもしれないって思ったロト。だから、捜したロト。病院とか、そういうところの記録を。ネットワークに繋がってるところは、片っ端から』
「片っ端からって……」
日廻が言いかけたところで、ロトムがミュウの方を見た。
『ミュウ様も、日廻のことを考えてたロト』
『……ゼルネアスのところへ行ったのよ』
ミュウは日廻と目を合わせないまま、少し高い位置へ浮かび上がった。
『何があったのか、話してきたの。離れていた空間が元に戻ったことも、人間もポケモンも動き始めてることも。それで……』
ミュウは、そこで言い淀んだ。
尻尾の先が、落ち着きなく揺れる。
『ディアルガの力なら、もしかしたらって思ったの。時間を戻せるなら、あなたのことも、何とかできるんじゃないかって』
日廻は、すぐには言葉が出なかった。
『でも、どこにいるのか分からないのよ。探し当てる力なんて私にはないし、生命の樹のカギを預かっているから、森を長く空けるわけにもいかなくて』
「……俺を、生き返らせようとしてたのか」
『できるかどうかも分からなかったわよ。結局、何もできなかったんだから。ま、今思えば無駄足だったわね。気まぐれな何かのおかげでこうやって帰ってこれることができたんだし』
ミュウが、ようやくこちらを見た。
何か言いかけて、結局何も言わずに目を逸らす。
『アブソルとコジョンドは、ずっとピカチュウたちのそばにいたロト』
ロトムが続けた。
『最初にアブソルが行って、そしたら、コジョンドも行ったロト。世界が戻ったばっかりで、何があるか分からなかったロト。だから、ずっと、堪えながら』
日廻は隣のアブソルを見た。
アブソルは前を向いたまま、こちらを見ようとしない。壁際のコジョンドも、自分の手元へ視線を落としていた。
「……ありがとな。ごめんな」
どちらも返事はしなかった。
ただ、アブソルの尾が一度だけ、日廻の背中を撫でるように掠めた。
「お前は、それからどうなった」
日廻はロトムへ向き直った。
『…………』
ロトムの目が、ふらりと泳ぐ。
『……入っちゃいけないところにも、入ったロト』
「は?」
『それで、悪いことしてるポケモンだと思われて……捕まりかけたロト』
「何やってんだ、お前」
思わず出た声に、ロトムが縮こまるように高度を下げた。
『だって……日廻がどこかで目を覚ましてたら、誰かが見つけてあげなきゃって思ったロト。どんな姿、でも』
続くはずだった小言は、そこで消えた。
日廻は口を閉じ、ロトムの画面を見つめた。
『……それで、あの一週間のこと含めて、日廻の写真とか映像とか見せて、全部説明したロト』
この家に飾ろうとした、あの写真もだろうか。
そう思ったが、口には出さなかった。
『最初は、全然信じてもらえなかったロト。でも、対応したひとの中に、やぶれたせかいで、あの戦いを見てたひとがいたロト』
「やぶれた……何だって?」
『世界の裏側みたいなところロト。説明すると長くなるロト』
「……それは、またでいい」
『そのひとが話を聞いてくれて、政府のひとたちのところまで繋がったロト』
ロトムはそこで、テレビの方をちらりと見た。
『向こうの政府も、もう見つけてたロト。知らない星があって、そこから電波が来てるって。こっちで集めた情報と照らし合わせて、日廻のいた星だって分かったロト』
日廻もつられて画面へ目を向ける。
専門家はまだ、遠い星について話していた。
こちらが向こうを見つけたように、向こうもこちらを見つけていたのだ。
『だから、調べに行きたいって頼んだロト。日廻が向こうにいないなら、こっちに戻ってるかもしれないって』
「それで?」
『……いつ行けるかも分からないって』
ロトムの声が落ちる。
『この星まで行ける技術は、まだないロト。それに、世界があんなことになったあとで、今は直す方が先だロト。何十年もかかるかもしれないって言ったひともいたけど……本当は、誰にも見通しなんて立ってなかったロト』
何十年。
その言葉に、日廻は何も返せなかった。
彼らもまた、向こうで、届かないという言葉を聞かされていた。
『……どうしたらいいか、分かんなくなったロト』
ロトムはそれ以上、そのときのことを言わなかった。
『そしたら、ゼットが来たロト』
画面が、再び床の上へ向く。
『世界を調べて回ってたゼットが戻ってきて、話を聞いて……こっちに渡れるかもしれないって、教えてくれたロト』
ゼットの小さな身体は、やはり何も言わない。
一体どうやって、そう聞こうとしたところで、ロトムが続けた。
『それで……少し経ってから、みんなを集めたロト。一回、日廻の家に行こうって』
「……ここに?どうして」
『何か、区切りがつけられるかもしれないって、思ったロト』
区切り。自分も必死でそうやろうとした。
『諦めたわけじゃないロト!』
日廻の様子に何かを感じ取ったのかロトムが慌てたように声を上げた。
『こっちに来たら、何か分かるかもしれないって、ちゃんと思ってたロト。捜すのも、やめるつもりなかったロト。でも……同じくらい、このままじゃ駄目な気がしたロト。みんな、どこにも行けなくなってたロト』
『みんな賛成したわよ』
ミュウが、静かに言った。
「……お前もか」
『私の約束を破った奴の墓石でも建てて蹴ってやろうと思ったわ』
日廻は部屋の中を見回した。
アブソルは、今度は目を逸らさなかった。コジョンドも、部屋の隅のピカチュウも、縁側のフライゴンも。誰一人、ロトムの言葉を否定しなかった。
もう一度会えるかもしれない。
会えなくても、何かを変えられるかもしれない。
どちらとも決められないまま、それでも、皆でここまで来てくれたのだ。
『着いたら、家は閉まってて、畑が荒れてたロト』
日廻の肩が、強張った。
『ピカチュウたちは、それを見て、誰に言われたわけでもないのに畑へ行ったロト。……止める子は、いなかったロト』
「……知ってる。見たから」
朝の光の中で、不格好に直された畝。端に立て掛けられた鍬。
日廻はしばらく黙っていた。
「あれ、俺がやったんだ」
部屋の隅で、ピカチュウの耳が動いた。
ヒメグマも顔を上げ、日廻をじっと見ている。
西瓜を植えようとした日のことは、言わなかった。言えば、それ以上のことまで口から零れてしまいそうだった。
ヒメグマが、ピカチュウの隣から立ち上がった。
短い脚で床を踏み、とことこと日廻の前までやってくる。
ピカチュウは一度だけ手を伸ばしかけ、それから下ろした。今度は、止めなかった。
ヒメグマはあぐらの中へよじ登り、さっきと同じ場所に収まった。それから当たり前のように前脚を伸ばし、日廻の顎の無精髭をぺたぺたと叩く。
「だから、くすぐったいって」
掠れた声が震えた。日廻はヒメグマの頭に手を置き、三日月の模様の上を、指でそっと撫でる。
「……区切り、つかなかったな。俺もだったよ」
テレビでは、まだ同じ話題が続いていた。
遠い星にはどんな文明があるのか。そこには誰が暮らしているのか。専門家もアナウンサーも、慎重に、けれどどこか浮き立った声で言葉を重ねている。
その答えの一部は今、日廻の膝の上で無精髭を叩いていた。
ぐう、と腹が鳴った。
日廻自身が、一番驚いた。
ここ数日も、腹は減っていたはずだった。ただ、それをどうにかしようという気にならなかっただけだ。
今は、何か食べたかった。
「……腹、減ったな」
『ご飯ロト!?』
ロトムが勢いよく浮かび上がる。
一方で、ミュウの目がすっと細くなった。
『……ちょっと待って。あなた、最後にいつ食べたの?見たところ生命力がかなり落ちているわよ』
「…………」
『答えなさいよ』
「覚えてない」
『バカ!!』
頭の中へ、朝よりも大きな声が響いた。
日廻は顔をしかめ、ヒメグマを膝から下ろして立ち上がろうとした。
腰を浮かせた途端、また視界が揺れる。
隣からアブソルが身体を寄せた。反対側の腕は、いつの間にか傍へ来ていたコジョンドが掴んでいる。
『座ってなさい!』
「座ってたら、飯は出てこないだろ。それに」
両側から支えられたまま、日廻は台所の方に体を向けながらミュウと目を合わせる。
「祝勝会、まだだったろ」
『――――バカ』
気合いと頭の中のネタ帳がなくなるまで、不定期ながらやっていこうと思います。