「……なんだ?静かだな」
畑から戻った日廻は、縁側で長靴を脱ぎながら首を傾げた。いつもなら、この時間の居間は騒がしい。誰かが転がり、誰かが鳴き、誰かがそれを追いかけている。それが今は、パソコンから出る音しか聞こえてこない。
襖の陰から覗くと、理由はすぐにわかった。
パソコンの前に、畑班の五体がずらりと並んでいた。小さな背中が揃って、画面のほうへ身を乗り出している。そのすぐ上では、ロトムまでが画面に張りつくように浮いていた。
画面の中で、ひとりの戦士が身構えていた。
胸に着けたベルトへ、小さな丸いカプセルのようなものを差し込み、ひねる。光が走り、音楽が高鳴ったかと思うと、黒い霧のようなものに包まれ、瞬く間に姿が変わっていた。
畑班の背中が、一斉にびくりと跳ねた。
『ピカ……!』
『リルッ!』
ヒメグマは両手を口に当てたまま固まり、チュリネは頭の葉をぴんと立てている。ニャスパーは、いつもより大きく目を見開いていた。
ヒーロー番組だった。
居間の隅では、アブソルが腹ばいになって目を閉じていた。パソコンから爆発音が響いても、顔を上げようともしない。
その少し後ろに座ったコジョンドは、違った。
変身の場面にはさほど目を向けていなかったのに、戦闘が始まった途端、腕組みをほどいて身を乗り出す。戦士が踏み込み、身体を捻って蹴りを放つ。その足の運びを、コジョンドの視線がひとつも漏らさず追っていた。蹴りが決まると短く息を吐き、また腕を組み直す。
「……何を見てるんだ」
声をかけると、ロトムが勢いよく振り返った。
『しーっ、ロト! 今いいところロト!』
怒られた。日廻は黙って、襖の脇に腰を下ろした。画面の中で、戦士が新しいカプセルを取り出す。稲妻のような光をまとったそれをベルトへ差し込み、新たな姿へと変わる。
ピカチュウの頬で、ぱちっと小さな火花が弾けた。
やがて番組が終わり、ロトムが操作していた動画の画面に、続けて短い映像が流れ始めた。
番組の戦士が着けていたのと同じ形のベルトを、俳優らしき男性が胸に着けている。小さなカプセルをはめ込み、ベルトのレバーを押してからカプセルを回すと、ベルトが光り、勢いのいい音が鳴った。最後に、画面いっぱいにベルトとカプセルが並べられる。
玩具の宣伝にロトムの画面の目が、まんまるに見開かれた。
『こ……これ、買えるロト!?』
その一言で、畑班が一斉に振り返った。
五つの顔と一台の画面が、まっすぐ日廻へ迫ってくる。
『ねえ! あれ、買えるロト! あのベルトとカプセム、この世界で売ってるロト!』
「カプセム?」
『あの小さいのロト! 今、宣伝で言ってたロト!』
ロトムの画面が、きらきらと光る。
『アブソルだって、石の力でメガシンカしたロト。このベルトとカプセムがあれば、みんなもあの姿に――』
ピカチュウが頬から火花を散らし、マリルは尻尾の玉を畳に何度も打ちつけた。ヒメグマに至っては、もう両腕を胸の前で交差させ、画面の戦士の真似を始めている。
日廻は、気づいた。ただ玩具を欲しがっているのではない。石ひとつで姿も力も変わることを、身をもって知っている。だから、この世界にも同じような道具があるのだと、本気で信じているのだ。
期待に満ちた目が、いくつもまっすぐこちらを見ている。
「……ロトム」
『なにロト?』
「悪い。今から言うこと、皆に訳してくれ」
ロトムは不思議そうに身体を傾けたが、すぐに『任せるロト!』と画面を明るくした。
日廻は困ったような顔で膝をつき、ピカチュウ達と目を合わせた。
「本当に、本当に申し訳ないんだけど」
ロトムが皆のほうへ向き直り、何事かを伝える。畑班の目は、期待に輝いたままだった。
「あれを買っても、お前たちがあれになれるわけじゃないからな?」
ロトムが訳し始めた。
『あれを買っても、みんながあれに……なれる……わけじゃ……』
途中で、ロトムの声が止まった。
『……ない、ロト?』
画面の目が、ぎこちなく日廻のほうを向く。日廻は、目を逸らしたくなるのを堪えて頷いた。
「あくまで、なりきりの玩具だから」
居間が、しんと静まり返った。
パソコンの画面では、宣伝がもう一度流れ始める。光るベルトと、鳴り響く音。その軽快な音楽だけが、やけに大きく聞こえた。
ピカチュウの耳が、ゆっくりと垂れていった。ヒメグマは交差させていた両腕を、その形のまま力なく下ろす。マリルの尻尾の玉が、とすん、と畳に落ちた。
ロトムの画面は、いつの間にか灰色になっていた。
がーん、という音が、どこかから聞こえてきそうだった。
何も悪いことはしていないはずなのに、ひどく悪いことをした気分だった。
最初に顔を上げたのは、ピカチュウだった。まだ宣伝の流れている画面をしばらく見つめ、それから日廻のほうへ向き直る。膝にそっと前足を置いた。
『……ピカ』
小さな声だった。けれど、引き下がる声ではなかった。
『変身できなくても、あのベルトで遊んでみたいって、みんな言ってるロト』
画面に色が戻ったロトムが、小さな声で付け足した。
『……あれ、光って、かっこいいロト』
ロトムも、まだ欲しいらしかった。
「光って、音が鳴るだけだぞ。それでもいいんだな?」
ロトムが訳すと、今度は迷いのない頷きがいくつも返ってきた。
「……わかった」
日廻は小さく笑って、座卓の前へ移った。ノートパソコンを手元へ引き寄せ、通販サイトを呼び出す。
画面にあのベルトが映った途端、背後がぎゅうぎゅうに詰まった。
肩の上にロトム、膝の横にピカチュウ。背中にはヒメグマがよじ登ってきている。マリルとニャスパーは画面の正面を取り合って押しくらまんじゅうを始め、チュリネは日廻の腕の下から、頭の葉の先だけを画面へ向けていた。
ロトムが、商品の説明文を読み上げる。
『胸に着けるベルトに、カプセムを差し込んで回すと、光と音で……なりきり遊びが、楽しめる……』
読み上げる声が、途中でしぼんだ。
『……最初から、ちゃんと書いてあったロト』
「だろうな」
ベルトには、カプセムが一つ付いてくるらしい。インパクト、という名前のものだった。
ピカチュウが、日廻の膝をぺしぺしと叩いた。前足で指しているのは、別売りのカプセムの写真だ。番組の中で、戦士が稲妻をまとったときのものによく似ている。
『ピカッ!』
『ピカチュウは、さっきの稲妻のやつがいいって言ってるロト。名前はプラズマカプセムロト!』
ヒメグマの前足が、すかさず別の写真へ伸びた。マリルも、身を乗り出して何かを指そうとしている。
「まずは、これだけな」
日廻は、四種類のカプセムが付いたベルトのセットと、別売りのプラズマのカプセムを順に指した。
「ベルトは一つ。皆で仲良く使えよ?」
注文を確定すると、居間に小さな歓声が弾けた。
◇◆◇
荷物が届いたのは、それから数日後のことだった。
買い物ついでに荷物を受け取り段ボール箱を抱えて居間へ戻ると、待ち構えていた顔が一斉にこちらを向いた。ロトムに至っては、朝からずっと玄関のほうを気にして、宙をうろうろしていたらしい。
座卓に箱を置き、テープを切る。
派手な色の外箱を開けると、中から胸に着ける型のベルトが出てきた。真ん中の円い部分に、カプセムを差し込む口がある。その横には、インパクトをはじめ、セットに付いてきた四種類のカプセムが収まっていた。別の小さな袋に入っているのが、注文のときに足したプラズマのカプセムだ。
畑班が、箱の縁に鈴なりになって中を覗き込む。ヒメグマは身を乗り出しすぎて、頭が半分ほど箱の中に入っていた。
天井近くでは、ミュウが宙に浮かんだまま、腕を組んで一部始終を眺めていた。番組にも玩具にも大して興味はなさそうだったが、目だけはしっかり箱の中へ向いている。
『最初はピカチュウって、みんなで決めたロト』
ロトムの言葉に、ピカチュウがきりっと背筋を伸ばした。
日廻はベルトを手に取り、ピカチュウの胸に回した。いちばん短く調整しても、まだ大きい。余った部分をまとめ、身体との隙間に畳んだタオルを挟むと、ようやくベルトが胸の前に落ち着いた。
ピカチュウが、プラズマのカプセムを両手で受け取る。それを、ベルトの真ん中へ慎重に差し込んだ。
一度、深く息を吸う。
『
画面の戦士が言い放っていた、あの短い一言。その調子を、ピカチュウは鳴き声で見事に真似ていた。
前足を軽く舐め、頭の右側の毛をくるりと撫でつける。いつの間に練習したのか、画面の戦士を思わせる手つきでベルトのレバーを押し、腕を高く掲げる。
『
稲妻が落ちるように腕を振り下ろし、胸元のカプセムを回した。
ベルトが光り、勢いのいい音が鳴り響き頬の赤い電気袋から、ぱちぱちと火花が散る。
『リルーッ!』
一拍おいて、居間が沸いた。マリルが跳ね回り、ヒメグマが両手を打ち鳴らす。チュリネはその場でくるくると回り、ニャスパーも胸の前で小さな両手を握り締めていた。ロトムは画面いっぱいに星を散らしながら、『かっこいいロト! かっこいいロト!』と繰り返している。
それから、ベルトは皆の胸を順番に渡っていった。
ピカチュウは自分の番を終えると、プラズマのカプセムを外して大事そうに抱え込んだ。ヒメグマは赤色、マリルは青色、チュリネは緑色、ニャスパーは紫色。それぞれ選んだカプセムを差し込み、順番に変身してみせる。ヒメグマの丸い胸ではベルトがずれやすく、チュリネはベルトを抱えるような格好になった。それでも、光と音が鳴るたびに、誰もが得意げに胸を張った。
ベルトが一巡りしたところで、皆の視線が、なぜか日廻へ集まった。
『みんな、見たいって言ってるロト!』
「……いや、いい。見てるだけで」
断ろうとした日廻の前に、ピカチュウが一歩踏み出した。差し出されたベルトは、引っ込められる気配がない。その後ろでは、マリルもヒメグマも、期待に輝く目でこちらを見上げていた。
まさか、大の大人がこんなことを。
そう思う。思うのだが、さっきまで皆、あれほど真剣にやっていたのだ。自分だけ、適当に笑ってごまかすわけにもいかない。
日廻は観念して、ベルトを受け取った。
胸に回し、締めつけない長さに調整して、留め具をかちりと嵌める。
ピカチュウは、プラズマのカプセムを抱えたまま離そうとしなかった。代わりにヒメグマが、赤いカプセムを差し出してくる。こちらを見上げる目は、期待に輝いていた。
日廻はそれを受け取り、ベルトの真ん中へ差し込んだ。
ピカチュウの動きを思い出しながら、頭の右側の髪をくるりと撫でつける。ベルトのレバーを押し、腕を高く掲げてから振り下ろし、カプセムを回した。ピカチュウのときとはどこか違う、重たい音が鳴った。
『ピカピカッ!』
真っ先に声を上げたのは、ピカチュウだった。首をぶんぶんと横に振っている。
『リルッ、リルリルッ!』
マリルが短い腕を振り回し、ヒメグマは日廻の足にしがみついて首を振った。
『違うロト!』
ロトムが、画面に大きなバツ印を出した。
『それはプラズマの方ロト! 今使ってるのは、インパクトロト!』
「……インパクト?」
日廻は、胸のベルトを見下ろした。差し込まれているのは、ピカチュウが使っていたのとは別のカプセムだ。
『インパクトの変身は、こうロト! あと、「変身!」の台詞も大事ロト!』
ロトムの画面に、番組の一場面が映し出された。戦士が、インパクトのカプセムをベルトへ差し込むところだった。口元に添えた手を横へ滑らせ、頭上で指を弾く。先ほどピカチュウが見せたものとは、違うポーズだった。
日廻は、しばらく黙って画面を見つめた。
一度で済むはずだった覚悟を、もう一度、最初から固め直す羽目になった。
ふと見上げると、天井近くに浮かんだミュウが、両手で口元を押さえていた。小さな肩が、耐える様に震えている。
「……なんだよ」
『な、なんでもないわ……』
声も震えていた。
日廻はカプセムを差し直し、ベルトのレバーを押した。
口元に添えた手を横へ滑らせ、頭上で指を弾く。画面の戦士の動きを、なるべくそのままなぞって
「……へんしん」
蚊の鳴くような声だった。
沈黙が落ちた。ピカチュウが、じっとこちらを見上げている。不満げに、頬をぱちりと鳴らした。
『声が小さいって言ってるロト!』
ロトムの訳は、容赦がなかった。
顔が、じわじわと熱くなっていく。
見上げてくる目、目、目。真剣そのものの顔が、いくつも並んでいる。ここで引き下がれる空気では、どう考えてもなかった。
日廻は、腹の底まで息を吸い込んだ。
もう一度、教わったとおりのポーズを取り、胸元のカプセムへ手を伸ばす。
「――変身!」
顔を真っ赤にして叫び、カプセムを回した。
重たい音が鳴り響き、胸のベルトがまばゆく光る。
一拍の静寂。それを破ったのは、頭上からの声だった。
『――ぷっ……あはははははははっ!』
宙に浮かんだまま身体を丸め、目尻に涙まで浮かべて、ミュウはいつまでも笑い転げていた。