『さぁ、ポケモンの勉強を始めるロト!今回はタイプについてロト!』
快活なロトムの声が、日廻の最低限しか家具を置いていない殺風景な部屋によく響いた。
机の上にはノートとペンが置かれ、広げたページには、日廻が直接目にしたポケモンたちの特徴や好みが書き綴られている。
『じゃあ、まずは基本の十八種類のタイプから説明するロト!』
日廻は何も言わず、ペンを握りしめる。
『まず結論を言えば、ポケモンと技が持ってる、力の性質を分けたものロト!』
ロトムの画面へ、色の異なる記号がいくつも表示された。
例え文字が読めなくて、記号の数えていき思わず呟く。
「……十八種類、多いな」
『因みに暫定ロト』
「そうなのか?またデータ破損とか」
『これに関しては、この端末に保存されている以前にボクの知識でもあるロト。暫定と言ったのも、ポケモン世界には、まだ解明されていないことは多いロト。これから新しい性質が発見されて、別のタイプとして定義されるかもしれないロト』
「なるほどね……」
ほのお。みず。でんき。くさ。
聞き慣れた言葉もあれば、フェアリーやドラゴンのように、生物の分類としては首を傾げたくなるものもある。
日廻はロトムの読み上げる十八の名称を、順番にノートへ記していった。
「勘だが、ピカチュウはでんきタイプか?」
『正解ロト!チュリネのタイプは分かるロト?』
「畑仕事で一番楽しそうだったからな……」
じめん。と喉から出そうになるが、見た目の色や行動を思い出した。
チラーミィも選別は得意だった。だが、主に匂いや実の色を見て判断していたように思う。
赤く熟れたトマトは見分けられても、地中で育つジャガイモやニンジンを前にすると、大きな耳を困ったように垂らしていた。
対してチュリネは、地上から野菜を一瞥しただけで、よく育ったものを次々に選んだ。チュリネが避けた場所を掘れば、虫に食われていたり、育ちが悪く小さかったりするものが多い。
オレンのみの試験栽培を準備している間も、誰より近くで目を輝かせていた。
「くさ、だな。植物を見る目は初心者の俺では比べものにならない」
『正解ロト!では難易度を上げて……マリルはなにタイプロト?』
「いや、それはみずだろ」
マリルのみずでっぽうで危うく苗と畝が吹き飛ぶ所だった思い出を浮かべて言い放った。
日廻の言葉にロトムはニヤニヤと画面で笑みを浮かべた、まるで予想通りと言わんばかりに。
『と?』
「その含み方……ポケモンは複数のタイプあるってことだな」
ロトムは答えなかった。ただ、どちらにも期待しているような顔だった。
水分の多い雑炊や野菜を好んで食べていたことは脳裏に浮かんだが、それだけでは判別できず腕を組んで一考し、静かに確かめるように日廻は口を動かした。
「………こおり」
『ブップ―!正解はフェアリーロト!』
「どこ見てそんな概念のタイプを定義したんだよ、抽象的すぎだろ」
『知らないロト!次はチラーミィロト!』
「そんなのエスパーだろ。昨日見たスピードスターって技は俺からすれば超能力だからな」
日廻は、あの光景を思い出し、そう答える。超能力。不思議な力で作り出した流星群で空箱を粉砕したこと。
『チラーミィはノーマルタイプ、スピードスターはノーマルタイプの技ロト。因みにニャスパーがエスパータイプロト』
「……???」
『日廻がフリーズしちゃった大丈夫ロト!ボクは日廻が諦めない限り付き合うロト!!』
そのあと、復帰した日廻はポケモン世界の常識を必死に理解しようとした。
『ヒメグマ』
「ノーマルかかくとうか……かくとう」
『惜しいロト。ヒメグマはノーマル、かくとうならコジョンドロト』
「ノーマルタイプの共通特徴が分かんねぇ……次」
『アブソル』
「………………ノーマル」
『凄く悩んだロト……正解はあくタイプロト』
「あいつがあくタイプ?意味わからんが?」
『こ、怖い顔しないでロト!性格や善悪の意味じゃないロト!分類の名前ロト!え、えと次はボクロト、ヒントは複数タイプロト』
「機械の改造とか出来るから、でんきと……いつも浮かんでいるからエスパー?」
『惜しい!ボクは、でんきとゴーストロト!』
「……塩は平気か?」
『普通に舐めれるロト?どうして少しボクから離れたロト?』
「あぁ、すまん。ゼットは……じめんとドラゴン?」
『理由は何ロト?』
「地面を這うし、ツチノコに似ている」
『ツチノコという生き物は知らないロト。けど日廻、疲れて推理が雑になってる分かるロト……ゼットに関しては正解が分からないロト。……まだやるロト?明日にするロト?』
「いや、大丈夫だ。アブソルをあくタイプと名づけた経緯を詳しく聞きたいな」
『まだ怒っているロト……それじゃ日廻、これはボクたちの世界でも常識ではあるけど、ふとした瞬間間違いやすい要素、タイプ相性をこちら側の世界のスポーツみたいなポケモンバトルの映像を見ながら理解していくロト』
「重要で複雑そうな内容だな。コーヒーでも飲んで、頭を起こす」
なお、その後。
ポケモンバトルを見ながら、日廻は自分の知識で理解しようと試みた。水は火を消す。植物は水を吸う。電気は水を伝う。そこまでは、まだ分かった。
だが、現実の理屈が通用したのは最初だけだった。
映像が終わり、部屋には静寂が戻った。日廻は机に突っ伏し、目をつぶっていた。頭の中が、訳の分からないルールと例外で満たされている。
「この世界の常識も法則も、ほとんど当てにならない……」
日廻が呟く。
『まだ基本編ロト!』
ロトムの陽気な声が、彼の脳天を貫く。
「今日はここまでにしてください」
日廻は、静かに、しかしはっきりとそう言った。彼の疲労は、精神にまで及んでいた。
◇◆◇
翌朝、日廻はアブソルとコジョンドの傷を確認した。包帯の下の皮膚は、ほとんど元通りになっている。彼の処置もそうだが、彼らの治癒能力も驚異的だった。
『さぁ! 今日は記念すべき、この世界で初めてのモンスターボールを作るロト!』
「何度資材確認しても今は一個しか作れないって嘆いていたな」
『だからこその記念!ロト!』
「……そうか」
日廻の返事は、それだけだった。昨日より明らかに反応が鈍い。
「お前ら、今日も手伝うなら水分補給は頻繁にな。昨日より気温が高い」
ピカチュウたちへ声を掛けると、そのまま畑へ向かう。
『日廻! 作るのは畑仕事が終わってからでいいロト?』
「ああ。あとでな」
足は止まらなかった。
『…………』
ロトムの画面から、いつもの笑顔が消える。
『日廻、今日ちょっと変ロト』
◇◆◇
昼下がりの畑。暑さが増し、蝉の鳴き声が遠くから聞こえる。ポケモンたちは少し離れた場所で、日廻が用意した食事を食べている。ピカチュウがリンゴを齧り、ヒメグマがそれを羨ましそうに見ている。マリルは水たまりで顔を洗い、チラーミィがその周りを飛び回っている。騒がしく、しかし平穏な光景だった。
日廻は少しだけ離れた場所で、乾いたパンを齧っていた。その様子を、ゼットが静かに見ていた。彼は日廻の隣に歩み寄り、座り込む。食事をせね、という様子はない。ただ、そこにいる。その目的が分からず、日廻はパンを齧るのをやめ、ゼットを見た。
「ゼットどうした、飯が足らないのか?」
首を左右に振るゼットは、器用に尻尾で、地面に何かを描き始めた。それは、ロトムが製造を宣言した、あの幾何学的な物体だった。白い半分と赤い半分に分かれた、紅白なボール。モンスターボール。
「……それか」
日廻は、吐き出すように言った。彼の視線は、自分の膝の上に置いたままのパンに戻る。
「……なぁ、お前は誰かの手持ち、というのかな。そのモンスターボールに捕まっ……入ったことがあるか?」
ゼットはもう一度首を左右に振るう。
「……そうか、例えばだけどこれは救助活動で使えば、すごく便利な道具だ。巨大な生物でも、安全に運べるかもしれない」
日廻の声は低く、落ち着いていたが、その響きには重みがあった。
「……でも、同じものが檻にもなる」
風が通る。畑の葉が、乾いた音を立てて擦れ合った。
「ロトムから聞いた。入るのも、出るのも、本来はポケモン自身の意思だって」
土の上に描かれた丸を指先でなぞる。
「けど、弱らせれば捕まえやすくなる」
そうすれば外から持ち運べる。人目から隠せる。誰かの手の中へ収められる。
「でも、お前たちとずっと一緒に暮らしてきたなら――どこまでなら許されて、どこから先は駄目なのか。それを何度も失敗しながら考えて、覚えて、それを後世に紡がれたきた」
日廻は土に描かれたボールを見る。
「
「道具だけ入ってきても、使う側の常識がない」
「それが一番怖い」
「でも、たぶん……それだけじゃない」
「分からないんだ」
始まりは、ただの哀れみだった。
名前を知った。好物を知った。性格を知った。
いつの間にか、それだけでは済まなくなっていた。
「あの穴が、いつか閉じるかもしれない。そのとき、みんなは、自分の世界へ帰るだろう。俺は、本当に、帰してやれるのか」
哀れみから始まった関心。それはやがて、共感、そして好意へと変わった。そして今では、失いたくないという気持ちが芽生えている。モンスターボールは、その気持ちを、叶えてしまう恐ろしさを持つ。薬にも、毒にもなり得る道具。
「……すまないな、ゼット。みんなには秘密だ」
日廻は、零しそうになる感情を飲み込んだ。
「俺は、あいつらの保護者だからな」
ゼットは何も返さなかった。
ただ、いつもより長く日廻を見ていた。
助けたからではない。
餌を与えたからでもない。
日廻には、その沈黙の意味までは分からない。
『……ゼド』
「ん?」
聞き慣れない、小さな声だった。
ゼットはそれ以上何も言わず、ただ日廻を見上げていた。
◇◆◇
日廻の許可を得て、ロトムは作業部屋でモンスターボールの製造を開始した。材料が限られているため、完成するのは一個だけ。ロトムのプラズマの体が作業機械と合体し、室内が静かな光と音で満たされる。
薄い層が重なり、内部へ何かが組み込まれるたび、小さな放電が走る。
どこまでが人間の技術で、どこからがロトムの能力なのか。
もう、境界を見分けることはできなかった。
数分後、駆動音が止む。
印刷台の中央へ、一つの球体が残った。
赤と白。
中央に、小さな丸いボタン。
擦れもない、汚れもない。
誰かの手へ馴染んだ痕跡もない。
この世界で、今初めて形を得たもの。
『完成ロト!』
日廻はそれを手に取った。初めて触れる感触。思ったより重く、表面はつるりとしている。彼はロトムに教えられながら、中央のボタンを押す。ボールは瞬時に収縮し、彼の掌に収まる。もう一度押すと、元の大きさに戻る。道具としての機能。彼は静かに、それを確認する。
ロトムの興奮とは裏腹に、日廻の表情は凪いでいた。二人の間には、温度差のようなものがあった。
「これが、モンスターボールの重さか」
ここで日廻は完成した紅白のモンスターボールを持ち上げる。
『さぁ!誰に使うロト?日廻ならこの場の誰でも喜んで捕まってくれそうロト!』
「入ってくれなかったらゴミ扱いだけどな」
ロトムが、期待に満ちた声で尋ねる。日廻は、煮え切らぬ返事しかできなかった。
『……信用してないロト?』
「信じてるって言ってるだろ」
『じゃあ、ボクのこと嫌いロト?』
「どうして、二択なんだお前は」
ロトムの画面から、いつもの陽気なアイコンが消えた。
『ボクは、日廻の役に立ちたいから』
語尾の「ロト」が消えていた。その声は、まっすぐに日廻の胸に突き刺さった。
「お前はもう、十分に役に立ってる」
何を今更と言うようにロトムを見ようとしていた、視線が交わることはなくとも。
「お前がいたから、ポケモンたちと俺を繋いでくれた。何を考えているのかも分からない未知の生命体だった連中を、少しずつ……俺たちと同じ、生き物なんだって思えるようになった」
言葉を探すように、一度視線を逸らす。
「お前を疑ってるわけじゃない。むしろ逆なんだ」
『……じゃあ、なんで!』
ロトムの身体から電気が弾けた。
『……なんで!ボクは出来ることを必死にやったロト!
「俺はお前の主人じゃない!!」
叫んだ瞬間、室内の空気は凍りついた。ロトムは、傷ついたように小さくなる。日廻もまた、自分の言葉の重さに即座に後悔する。逃げたい。その感情は、二人共通だった。そして、最初に動いたのは日廻だった。
「……そういう意味じゃない」
『じゃあ、どういう意味ロト……』
「俺のために生きるみたいな言い方をするなって言ってるんだ」
『……ロト?』
「役に立つとか、立たないとか。そんなことでお前の価値を決めるな」
日廻は、やっとロトムと目線を合わせた。
「お前は、俺の道具じゃない。部下でもない。まして、俺に飼われてるわけでもない」
手の中のモンスターボールが揺れるのほど力を込めながらも、堪えこめるような冷たい声で。
「だから……俺のために何かしなきゃいけないなんて思う必要はないんだ」
しばらく、返事はなかった。
ロトムは俯くように身体を傾けている。
やがて、小さく電子音が鳴った。
『……じゃあ、ボクが、自分でそうしたいと思うのも駄目ロト?』
今度は、日廻が言葉を失う番だった。
『役に立たないと捨てられるとか、暗い場所に閉じ込められると思ってるわけではないロト』
「……」
『ボクが日廻の役に立ちたいロト、日廻こそ決めつけてるロト』
何かを言い返そうとして、やめた。
日廻は、手の中の白いボールを見つめた。
「俺はずっと、これを使う側が選ぶものだと思ってた」
『ポケモンだって選ぶロト。誰と一緒にいるかを、ロト』
ロトムは言った。
『モンスターボールは、ポケモンを人間の物にする道具じゃないロト』
白い球体に、作業部屋の光が映り込む。
『一緒に行くって決めたポケモンが、そのために使う道具でもあるロト』
「……そういうものなのか」
『少なくとも、ボクはそう思ってるロト!』
「お前の個人的見解かよ」
『大事なのは気持ちロト!』
「便利な言葉だな……」
日廻のその言葉に、部屋の重苦しい空気が、ほんの少し和らいだ。
その時だった。
静寂の中に、爪が床板を擦る音が響いた。
アブソルが、ゆっくりと立ち上がっていた。傷はほとんど治っているが、体にはまだ包帯が巻かれていた。日廻に真っ直ぐ歩み寄る。日廻の目を見る。次に、彼の手の中のモンスターボールを見る。
ボールを投げることはしなかった。日廻は動かなかった。ボールを差し出すこともしない。
ただ中央のボタンだけを、アブソルへ向ける。最後の選択は、アブソル自身に委ねる。
隣で、コジョンドが、小さく息をのむ。
アブソルは、一度だけ、日廻の目をまっすぐに見つめた。
そして、静かに、鼻先を中央のボタンへと、触れさせた。
光がアブソルを包み、ボールへ吸い込まれていく。
派手な演出はなかった。
最後の光が消え、ボールが一度だけ、震える。
カチリ。
静かな音が、部屋に響いた。
日廻は、手の中のボールを見つめている。物理的な重量は変わらないはずなのに、中に一つの命がいると考えた瞬間、先ほどよりもずっと重く感じる。命を預かったという、見えない重量だ。
『呼べば、出てくるロト』
日廻は、ためらいがちに、ボールのボタンを押した。
「そうだったな……アブソル」
光が放たれ、彼女はアブソルの姿でそこに立っていた。
ロトムが、ささやくように言った。
『一番最初に、日廻を選んだのはアブソルロト』
「そうだな……よろしく、アブソル」
アブソルは鳴かない。ただ、日廻の足元から、離れようとしなかった。
ゼットには、その悩みのすべてを理解することはできなかった。
言葉は理解できる。
だが、産まれも、習性も、欲求も違う。
ましてや、生きてきた世界さえ違う。
それでも、一つだけ分かることがあった。
この人間は、己の側だけを見ていない。
便利だから使うのではなく。
危険だから捨てるのでもなく。
好いているから、傍に置くのでもない。
自分が望むことと、相手が望むこと。
その二つが違う可能性を、最初から考えている。
力を持たせたとき、均衡を自分の都合で歪める人間ではなく。
偏りを自覚し、それでも偏らないよう努める人間だった。
ただ一つ。
自身のこととなると、途端に扱いが雑になる。
そこだけは、少し厄介だった。
ゼットは、自らの内に残るものへ意識を向けた。
一度は、届かなかった。
使う、ことすら無かった。
だからこそ、次は。
『……ゼド』
託す相手は、決まった。
六話目でやっとポケモンゲット、長い。本当に長った。
AIの使い方変えたので3から4日に一話投稿になると思います…