ポケモン、彼らはそう呼ばれている   作:燐2

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なんかできた。
自分でもびっくり。




五日目【託したもの、捨てたもの 後編】

 

 

 

 最初に覚えているのは、白い天井だった。

 住処ではない、知らない天井だった。

 知らない匂いがして、知らない機械の音がずっと耳の近くで鳴っていた。低い音、高い音、何かが回る音。目を開けても、どれ一つ知っているものがなかった。

 

『……ここ、どこロト?』

 

 誰も答えてくれなかった。

 目立つRの文字が刻まれた白い服を着た人間たちは、ボクの方を見ながら何か話していた。

 

「反応は正常だ」

 

「機械への干渉能力も問題ない」

 

「予定通り使えるだろう」

 

 使える。その言葉だけは、はっきり聞こえた。

 知らない場所だったから、帰ればいいと思った。

 そこでボクは電気の檻に閉じ込められていることに気づいた。

 

『ここはどこロト!嫌ロト!帰りたいロト!』

 

 人間は、答えなかった。

 その表情は、とても生き物に向けるようなものじゃなかった。

 

 ボクが嫌だと言っても関係ない。

 ここにいろと言われたら、ここにいなくちゃいけない。

 知らない場所にいることより、帰りたいと言っても誰も聞いてくれないことの方が怖かった。

 

 だから最初は、絶対に何もしてやらないと思っていた。

 研究なんて知らない、機械だって触らない、困ればいい。

 何かボクにさせたいことがあるのなら、徹底的にしらないふりをすれば諦めて放り出してもらえるかも、そう思っていた。

 

 でも、研究室には、知らない機械がたくさんあった。

 見たことのない画面、変わった光り方をする装置。

 一つ動かすと遠くにある別の機械が反応して、そっちを変えるとまた別の場所の数字が変わる。

 それが、少し気になった。

 ほんの少しだけ。

 

「入れ」

 

 ある日、大きな装置の前でそう言われた。

 

「内部から状態を見ろ」

 

 ボクは何もしない。

 

「お前の才能と実力を証明しろ」

 

 何もしない。

 

「……はぁ、全く、こんな手段をとらせるな」

 

 人間が手元の端末を操作した瞬間。

 体が、引き裂かれた。

 

『!?!?!?!?』

 

 痛い、という言葉は出なかった。

 そういうレベルを遥かに超えていた。

 巨大な手に身体を握り潰され、そのまま無理やり機械の中へ押し込まれたようだった。

 

「俺の声は聞こえているだろう?装置内のスピーカーから喋れるはずだ。もし、変なことをすればもっと痛い目にあうぞ」

 

 装置の中で、苦しさと恐ろしさだけがあった。

 人間は、見せつけるように手元の端末を弄んでいた。あれ一つで自分をどうにでもできる。その事実だけは、嫌でも理解できた。

 

 もうあんな痛みを味わいたくないその一心で、装置のいたるところを調べまわった。

 直ぐに原因が分かった。信号の流れが途中で遅れている。一つの機械が動くのを待ってから別の機械を動かしているせいで、少しだけずれていた。

 慎重に、人間に言われたとおりに、装置のスピーカーを使って言葉を出した。

 

『ここ変ロト』

 

「どこだ?」

 

『こっちが先に動いて、それからこっちが――』

 

 勝手に触った。

 数字を変えた。

 流れを入れ替えた。

 

『動かすロト!』

「起動しろ」

 

 機械が動き始める。

 途中で止まるかと震えた。

 でも止まらなかった。

 最後まで、ちゃんと動いてくれた。

 

「通ったぞ」

 

「安定している」

 

「やはりロトムを連れてきたのは正解だった」

 

「よくやった」

 

 よくやった。

 

 その言葉を聞いたとき、安心した。嬉しかった。

 嬉しくなってしまった。

 

『これくらい簡単ロト!』

 

 思わずそう言っていた。

 帰りたいと思っていたのに。

 

 この人間たちなんて嫌いだと思っていたのに。

 褒められたら、ちょっとだけ身体が軽くなった。

 

 次の日も装置を見せられた。

 今度は別のところがおかしかった。

 

『ここロト』

 

「分かるのか?」

 

『分かるロト! 昨日より簡単ロト!』

 

 直した。

 動いた。

 また褒められた。

 その次はもっと難しかった。 

 何度も中を行ったり来たりした。

 

『……こっちとこっち、一緒に動かしたらいいロト』

「同時に?」

『そうロト! 順番にするから変になるロト!』

「試せ」

 

 動いた。

 良かった。

 

「成功だ」

 

 嬉しかった。

 いつの間にか、新しいに機械を触れるのが楽しかった。

 昨日できなかったことが今日はできる。

 人間たちが分からなかったことを、ボクなら分かる。

 

 ボクが直せば機械が動く。

 だから、その時間だけは帰りたいことを忘れた。

 研究者たちが作っていたものには名前があった。

 

 ゼンブイリング(・・・・・・・)

 

 メガシンカ。

 

 Zワザ。

 

 ダイマックス。

 

 テラスタル。

 

 別々に起きる四つの現象を、一つの装置で扱う。

 それだけじゃない、一体のポケモンに、いくつも同時に起こせるようにする。

 最初に聞いたときは、無茶だと思った。

 

『そんなのぐちゃぐちゃになるロト』

「だから研究している」

『無理ロト』

 

 はっきりと伝えた。

 けど、研究者の手元にあの端末があることに背筋が凍った。

 

「できないのか?」

『できないとは言ってないロト!』

 

 また、その言い方だった。

 もう、造る楽しさと痛みへの恐怖の間で、何が嫌なのかさえ分からなくなっていた。。

 

 最初は一つだった。

 一種類だけを装置から発生させる。

 

 成功した。

 次は二つ。

 一度目は止まった。

 二度目も駄目だった。

 三度目で、途中まで動いた。

 

「原因は分かったのか?」

『たぶんロト!やれば分かるロト!』

 

 四度目、動いた。

 止まらなかった。

 

『できたロト!』

 

 ボクは自分から叫んだ。

 研究者たちも喜んだ。

 

「二系統同時制御、成功」

「次へ進める」

 

 次は三つだった。

 もっと難しかった。

 何度も警告が出た。

 何度も止まった。

 そして、ボクは暗い場所(・・・・)に閉じ込められた。

 

『許してロト!次は、次こそは!!だから―――あ゛ぁぁ゛ぁッ!!』

 

 あの端末が操作された!痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!

 

「ロトム。俺たち、レインボーロケット団を失望させるな、分かるな?分かっているよな?」

 

『う、あぁあ、ぁぁ、はい、ごめんなさぃ、ごめんなさ゛い……』

 

 そこからは、もう人間から言われる前にずっと考えていた。

 何をするにもずっと、数字を変えること、案を出すこと。

 そうすれば、もっと先へ進める(痛くない)と思ったから。

 

 三つが同時に動いた日は、すごく嬉しかった。

 そのときはまだ、実験台の向こうに何がいたかなんて考えていなかった。

 

 機械しか見ていなかった。

 最初に実験に使うポケモンが連れてこられたときも、そこまで怖くはなかった。

 実験が終わったあと、そのポケモンは自分で歩いていたから。

 少しふらついていた。息も荒かった。

 でも、ちゃんと自分の意志で歩けていた。

 

「負荷は許容範囲だ」

 

 研究者がそう言った。――いや、いつからだったか。ボクの中では、その声を拒むという選択肢がなくなっていた。

 

『ちょっと強かったロト』

「次は調整できるか?」

『できるロト。ここ下げればいいロト』

 

 まだ(痛くない)にしてあげられる。

 そう思った。

 

 だから数値を変えた。

 次のポケモンが来た。

 

 起動。

 

 最初は問題なかった。

 途中で、そのポケモンが鳴いた。

 嫌な声だった。

 苦しそうだった。

 

『ちょっと待つロト』

「続けろ」

『了解、予定値までは上げるロト!』

 

 警告が出た。

 でも、研究者(ご主人)はやめろと言わなかった。

 だから、何もしなかった。

 

 その日は途中で実験が止まった。

 ポケモンだった何かが、運ばれていった。

 

 次の日、いなかった。

 昨日のポケモンがいた場所には、別のポケモンがいた。

 

『昨日の子は?』

「廃棄した、もうお前の担当ではない。次に集中しろ」

 

 ボクは、昨日の記録を開いた。

 どこが悪かったのか調べた。

 途中で急に数字が上がっていた。

 

『ここロト……』

 

 ここを直せば、昨日みたいにはならないかもしれない。

 研究者(ご主人)は資金繰りが悪いと部下に愚痴を零していた。

 もっと効率的にしないと、次の子がもっと長く耐えられるようにしないと、そう思った。

 

「起動」

 

 機械が動いた。

 また鳴き声がした。

 警告。

 また運ばれていった。

 次の日。

 また、いなかった。

 新しいポケモンがいた。

 

「次」

 

 それが何度も続いた。

 ポケモンには名前があるはずなのに、数字で呼ばれるようになった。

 

「次の個体を入れろ」

「設定値確認」

「起動」

 

 ボクの設定した数字が画面に出る。

 ボクが直したところが動く。

 実験台の上でポケモンが昨日より長い時間、苦しむ。

 

 警告が鳴る。

 誰も止めない。

 

 次の日になる。

 昨日いたポケモンはいない。

 代わりに別のポケモンがいる。

 

「次」

 

 そのたびに、ボクは前の記録を見た。

 もっと長く安定させなければ。

 もっと長い時間調整すれば。

 もっと長く生きられるようにすれば。

 

『今度はこの数値にするロト』

「理由は?」

『前はここで上がりすぎたロト。これならもっとゆっくりになるロト』

「採用しよう」

 

 研究者(ご主人)がボクの案を使った。

 良かった。

 実験時間が伸びた。

 

「安定している」

「前回より大幅に改善した」

「やはりロトムの制御は有効だ」

 

 昔なら嬉しかった言葉だった。

 でも、実験台の上ではポケモンが震えていた。

 ボクは画面と、そのポケモンを何度も見比べた。

 安定している。

 数字はそうなっていた。

 なのに、苦しそうだった。

 

『これ、良くなってるロト?』

「数値上はな」

『でも苦しそうロト』

「負荷があるのは当然だ」

 

 当然。

 その言葉が嫌いになった。

 それでも、次もボクは装置へ入った。

 次は、自分が実験台に載せられないために。

 そのうち、運ばれてくるポケモンを「次の個体」としか見なくなっている自分にも気づかなかった。

 

 そうしているうちに、ゼンブイリングはどんどん動くようになった。

 ボクが直すたびに。

 ボクが考えるたびに。

 昨日できなかったことが、今日できるようになった。

 できるようになるほど、次の実験へ進んだ。

 二つが安定すれば三つ。

 三つが長く続けば四つ。

 成功率が上がれば、もっと長く。

 もっと強く。

 もっと先まで。

 

『ははははは』

 

 笑った。

 笑った。

 笑った。

 笑う、しかなかった。

 

 ある日までは。

 

「そろそろだな、ロトム。お前が怖がっていた装置を外してやる」

「多次元の観測によって齎されたゼンブイリングは一定の完成度に達した、次はお前だ(・・・・・)

『はいロト』

 

 やっと、この時が来た。

 楽しさも、痛みも、やっと終わる。

 

 前なら面白かった場所だった。

 今は、入るだけで嫌な音を思い出した。

 警告音。

 苦しそうな鳴き声。

 

「次」という声。

 

 中で何が起きているのか、ずっとボクはボクだけのために目を背けてきた。

 もし、次があるのなら……。

 

 次?こんなことしてきたボクに次?

 なにをしたらいいの?

 薬でも作ればいいの?

 檻でも作ればいいの?

 何を選べば痛くないの?

 何をすれば痛くならないの?

 

『……………』

 

 次の実験体に選ばれたボクには休みがもらえた。

 思えば、最後にまともに眠ったのがいつだったか、分からなくなっていた。

 ふと、この研究室に来る前のことを思い返してみた。

 テレビとか本で綴られる透明よりも綺麗な輝く物語。ポケモンとトレーナーの奇跡のような出会いから始まる心躍る冒険譚。

 

 

 ボクも、いつかは―――

 

 

 ―――どうして、こんなところにいるんだろう。

 

 

「お前には随分助かったロトム、お前の協力のおかげで手に入ったデータのおかげで俺の幹部昇任は確実だ」

 

 そんな言葉を残して、人間は出ていった。扉が閉じる。

 ボクが監修した調整なら、とても長く苦しむことになる。

 きっと彼らの中でゼンイリングは完成目前だと思っているのだろう。

 そんなことはない、どこで設計図を手に入れたか分からないけど、あれはポケモンとトレーナーの絆を前提にした究極の装置と言ってもいい、しかもそれは不完全。

 

 あれは完成なんかしていない、数字が安定しただけだ。

 四つの力を重ねられた。それだけだった。

 そのたびに実験台の上で何が起きていたのかを、あの人たちは成功率の数字でしか見ていなかった。

 

『ごめんなさい』

 

 ボクが調整したなら、きっと前より長く保つ。

 そうなるように作った。

 なのに今は、どうか早く終わってほしいと、それしか考えられなかった。

 

 震えた。

 そして照明が、一度消えた。

 すぐに点いた。

 

「何だ?」

「電圧を確認しろ」

 

 もう一度、照明が揺れた。

 今度は長かった。遠くで警報が鳴った。

 実験のときとは違う。

 ここからは見えない観測室の研究者たちも顔を見合わせていた。

 

「何が起きた?」

「通信が切れています」

「復旧しろ」

「別区画から応答なし!」

 

 次の瞬間、床が大きく揺れた。

 

『ロト!?』

 

 遠くで、とても大きな何かが壊れる音がした。

 照明が消えた。

 非常用の光が点く。

 それも、一つ、二つと消えていった。

 

「予備電源は!」

「動いています! なのに照明が――」

 

 また音、さっきより近い。

 誰かが叫んだ。

 もう実験どころではない。ずっとボクを閉じ込めていた人間たちが、今は自分たちも何が起きているのか分かっていなかった。

 通路の向こうが暗かった。ただ暗いんじゃない。

 さっきまであった光が、一つずつ消えていく。

 

『何ロト……これ……』

 

 答える人はいなかった。

 代わりに誰かが叫んだ。

 

 ボクも逃げた、すぐに逃げた。

 どうしてか分からない。

 もう、ボクも実験に使われて、今までいなくなったポケモンたちと同じになると思っていたのに。

 

 誰も止めなかった。

 緊急事態なのか、扉が勝手に開いた。

 何度入り込もうとしても止められた通路へ、今はそのまま進める。

 

 逃げられる。ずっと帰りたかった。

 だから飛んだ。後ろで何かが崩れた。

 警報が鳴る。人間が走っている。

 

 振り返らなかった。出口の場所は知っていた。

 まだ逃げようと思っていた時に、こっそりと探していたから。

 

 もう少しだった。

 あと少しで、ここから出られる。

 

 そこで、ゼンブイリングを思い出した。

 止まった。

 

『……』

 

 人間たちが完成したと言ったもの。

 ボクが直したもの。

 

 いっぱい直したもの。

 いっぱい動くようにしたもの。

 そのたびに、ポケモンがいなくなった。

 

 置いていけばいいと思った。このまま逃げればいい。

 施設は壊れている。あれだって壊れるかもしれない。

 

 でも。

 もし、壊れなかったら。

 もし、誰かが持っていったら。

 もし、「次」と言われたら。

 

『……嫌ロト』

 

 今なら逃げられるのに。

 やっと逃げられるのに。

 また大きな音がした。

 天井から細かい破片が落ちた。

 

『嫌だロト……』

 

 それでも、ボクは向きを変えた。

 逃げる人間たちと反対へ飛んだ。

 

「おい! どこへ行く!」

 

 誰か(ご主人)に叫ばれた。

 体が反射的に引っ張られるように動いた。

 でも、ゼンブイリングを置いていく方が嫌だった。

 

 研究室の扉は壊れていたのでそのまま中へ入る。

 機械はほとんど止まっていた。

 床には破片が散らばっていた。

 

 その中に、ゼンブイリングが入ったケースがあった。

 この身体じゃ、動きにくかったから、近くの転がっていた端末に憑依する。

 

『もう、誰にも使わせない』

 

 これを持っていっても、何も戻らない。

 昨日までいたポケモンも戻らない。

 ボクが直したことも消えない。

 

 それでも、もう次には使わせない。

 研究室の奥で何かが壊れた。

 ボクはゼンブイリングの入ったケースを抱えて飛び上がった。

 

 崩れてくるものを避けて、壊れた扉を抜ける。

 警報が鳴っていた。光が消えていく。

 

 何が起きているのか、最後まで分からなかった。

 分からないまま、ボクは逃げた。

 ただ、見たすべてを忘れることはできなかった。

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 黒い箱は、ずっと沈黙したままだった。

 日廻は残っていたサンドイッチを口へ運びながら、ときおり箱へ目を向けた。隣ではチラーミィがすっかり食事に夢中になり、アブソルとコジョンドも少し離れた場所で静かに食べている。

 

 待てと言われた。

 なら、待つだけだろ。

 

 そう考えたところで、黒い箱の内部から小さな音がした。

 低い駆動音に続き、外装の継ぎ目を青白い電気が一瞬だけ走る。

 

『チラ?』

 

 チラーミィが食べかけのサンドイッチから顔を上げた。アブソルも視線を動かし、コジョンドも食事を止めて箱へ身体を向ける。

 日廻は膝の上に置いていた端末を持ち上げた。

 次の瞬間、継ぎ目から青白い光が溢れ出す。その光の中から、見慣れた橙色の身体がゆっくりと抜け出した。

 

 ロトムだった。

 だが、いつものように飛び回ることはない。

 箱の正面、大きく刻まれた虹色のRの前で浮かんだまま、じっとそれを見ている。

 暫くしてロトムはこちらを向き、ゆっくり飛んでくると、日廻の手にある端末へ身体を沈ませた。

 画面に光が戻る。いつもなら、その瞬間から何かしら喋り始める。今日は何も言わなかった。

 

「終わったか」

 

『……終わったロト』

 

「そうか」

 

 聞きたいことはいくらでもある。箱の中に何があるのか。なぜロトムが知っているのか。そこで何を確認したのか。先ほど口にした「光を奪われた」という言葉は何を意味するのか。

 けれど、それを今すぐ全部吐き出させる気にはならなかった。しばらく待ってから、日廻は口を開いた。

 

「話せるか」

 

 端末の画面が僅かに揺れた。

 

『……話すロト』

 

 ロトムが黒い箱へ向く。

 

『中に入ってるのは、ゼンブイリングっていう装置ロト。これはあくまで保管用のケースロト』

 

 ロトムは少し間を置いた。

 

『ポケモンには、普段とは違う力を引き出す現象があるロト。メガシンカ、Zワザ、ダイマックス、テラスタル』

 

「……まだ、勉強していないな」

 

『そうだと思ったロト、今日はしっかりと教えるロト』

 

「あぁ、楽しみにしてるぞ、先生」

 

 ほんの少しだけ普段の調子が戻る。

 だが、それも長くは続かなかった。

 

『この四つは、本当は全部別々ロト。起こし方も、必要なものも、条件も違うロト』

 

「それを一つにまとめた?」

 

『……まとめようとしたロト』

 

 ロトムは言い直した。

 

『ゼンブイリングは、本来別々に扱う四つの力を、一つの装置で扱えるようにするためのものロト』

 

「それだけなら便利そうに聞こえるな」

 

『それだけじゃないロト』

 

「まだあるのか」

 

『一体のポケモンに、複数の現象を同時に起こせるようにしようとしたロト』

 

 日廻は眉を寄せた。

 

「そんなことができるのか」

 

『……動くところまではいったロト』

 

「成功したのか?」

 

 ロトムが黙る。

 

『ボクは、成功だと思ってないロト。ボクたちが作ったものは、元になった仕組みをそのまま再現できたわけじゃないロト。分からないところを削って、別の方法に置き換えて、それでも動くように無理やり繋いだロト』

 

「ボクたち、か」

 

 画面が僅かに下を向く。

 

『研究者たちと……ボクロト』

 

 日廻は何も挟まなかった。

 

『最初は一つロト。それが動いたら二つ。二つが動けば三つ。それから四つロト』

 

「ポケモンに使って?」

 

『使ったロト』

 

「安全だったのか」

 

『……安全じゃないロト』

 

 答えは小さかった。

 少なくとも、いい結果を思い出している声には聞こえなかった。

 

『出力を安定させることはできたロト。でも、安全になったわけじゃないロト』

 

「何度やった」

 

『分からないロト』

 

「覚えてないのか?」

 

『途中から、数えなくなったロト』

 

 数えられなくなった、ではない。

 数えなくなった。

 最初のうちは、一回、二回と覚えていたのだろう。

 それが、数えること自体をやめるほど繰り返された。

 

「……そうか」

 

 それ以上、数を聞く気にはなれなかった。

 日廻は黒い箱を見る。

 何の変哲もないとは到底言えないが、それでも今はただそこに置かれているだけの箱だ。その中身を完成へ近づけるために、いったいどれだけのポケモンが使われたのか。

 

「人間には?」

 

『試してないロト』

 

 一瞬、意味を取り損ねた。

 

「……何?」

 

『人間がゼンブイリングを使ったとき、何が起きるのかは一度も試してないロト』

 

「一度も?」

 

『一度もロト』

 

 日廻は眉間を押さえた。ポケモンに使って安全性を確立できたわけでもない。それなのに、ゼンブイリングを使う人間側にどんな負荷がかかるのかは誰も確かめていない。

 

「それで完成品なのか?」

 

『完成してないロト』

 

 そこだけは、はっきりした声だった。

 

『あの人たちは完成に近いって言ってたロト。でも違う、動いただけロト。無理やり繋いで、無理やり動かせるところまで持っていっただけロト』

 

「……狂ってるだろ」

 

 思わず漏れた。

 だが、それを「あちら側の人間は狂っている」で済ませることもできなかった。

 生き物を実験に使い、その犠牲の上で何かを得てきた歴史なら、こちら側にもある。

 やったことは理解できない。したくもない。それでも、同じ人間には違いなかった。

 

「悪い。続けてくれ」

 

『……ロト』

 

 再び沈黙が落ちる。

 今度は、先ほどまでより長かった。

 

『ボクも作ったロト』

 

 日廻が顔を上げた。

 

「……今、聞いた」

 

『違うロト』

 

 少し強い声だった。

 

『作らされたから、だけじゃない―――最初は、楽しかったロト』

 

 その言葉だけは、予想していなかった。

 脅されていた。

 逃げられなかった。

 だから作らされた。

 日廻の中では、いつの間にかそういう話になっていた。

 けれどロトム自身が、それを否定した。

 

『知らない機械がいっぱいあった。研究者にも分からないところを、ボクなら見つけられた。ボクが直したら、本当に動いたロト』

 

 ぽつぽつと。

 記憶を一つずつ確かめるように、ロトムが言葉を落としていく。

 

『自分から直し方を言ったこともあるロト。こっちを先に動かした方がいいとか、一緒に動かした方がいいとか』

 

『褒められたロト』

 

 一度、止まる。

 

『嬉しかった、ロト』

 

 日廻は何も言えなかった。

 今ここで、「仕方なかった」と返すのは違う。

 ロトムが自分から口にしたことを、こちらの都合で軽くしていいとも思えなかった。

 

『もっとできるって思ったロト』

 

 その一言を口にするまでに、どれだけのものを飲み込んだのか。

 日廻には分からない。ただ、続きを遮らず聞いた。

 

『そのあと、実験にポケモンを使うようになったロト』

 

 ロトムは黒い箱を見る。

 

『最初は、次なら大丈夫だと思ったロト』

 

「次?」

 

『ボクがもっとちゃんと調整すれば、次は助けられるって』

 

 声が僅かに震える。

 

『だから直したロト』

 

 少しだけ間が空く。

 

『そしたら、前より長く動くようになったロト』

 

 日廻は一瞬、それを改善という意味で受け取った。

 装置が安定した。暴走しにくくなった。

 なら、少なくとも前より安全に――。

 そこまで考えて、気づいた。

 

『その次は、もっと長く』

 

『ボクが直すたびに』

 

『もっと長く、実験を続けられるようになったロト』

 

「………ッ」

 

 改善、安定、成功。

 言葉だけを聞けば、全部良い意味だ。

 けれど、その間に実験台の上にいたポケモンは。

 日廻の拳に、震えるほど力が入った。

 

『数字は良くなったロト。安定したって言われたロト。前より改善したって』

 

 画面の中で、ロトムの顔が俯く。

 

『でも、ポケモンは苦しんでたロト』

 

「……」

 

『それでもボクは、次はもっと良くできるって――』

 

「……待て」

 

 自分でも驚くほど低い声が出た。

 

『日廻?』

 

「お前を止めてるんじゃない」

 

 そう言いながらも、腹の奥から込み上げてくるものを押さえきれなかった。

 ロトムにではない。

 今、目の前で話しているこいつに向けるものでは絶対にない。

 分かっている。分かっているからこそ、行き場がなかった。

 

「……ふざけるなよ」

 

『チラッ!?』

 

 足の間に座っていたチラーミィのことも忘れ、勢いよく立ち上がった。

 一歩、黒い箱へ向かい、そこで止まる。

 激情のまま蹴ったところで、何も変わらない。

 殴って壊したところで、今聞いた話が消えるわけでもない。そんなことをした人間が、ここにいるわけでもない。

 

「くそ……っ」

 

 日廻は両手を頭へ上げ、そのまま自分の髪を強く掴んだ。

 指に痛みが走るほど力を込める。

 

「何考えてんだ、そいつら……」

 

 返事はない。

 

「駄目だったら次か? 苦しんでても数字が良ければ成功か?」

 

 頭の奥が熱い。

 違う世界とはいえ同じ人間がやった。そのことが、余計に腹立たしかった。

 理解できないと言ってしまえば楽なのかもしれない。

 けれど、同じ手を持ち、同じ言葉を使い、考える頭を持った人間が、それをやった。

 日廻は何度か深く息を吐き、ようやく髪から手を離した。乱れた髪を直す気にもならない。

 

「……悪い」

 

『何がロト』

 

「今、まともに喋れる気がしなかった」

 

『……』

 

 もう一度だけ呼吸を整え、今にも言葉が途切れてしまいそうなロトムを見る。

 

「ロトム。人間が、憎くはないのか?」

 

 画面が動かなくなった。

 地面に転んだチラーミィは不満の声を零すが、日廻とロトムの間に流れる空気に口を閉じた。アブソルとコジョンドも少し離れた場所からこちらを見ている。

 長い沈黙のあと、ロトムが答えた。

 

『……憎くないとは言えないロト』

 

「そうか。そう、だよな」

 

『今でも嫌い、思い出したくないロト。あの場所も、声も……怖いロト』

 

 日廻は何も挟まなかった。

 ただ、胸が痛かった。

 

『でも』

 

 画面の顔が真っ直ぐこちらを向く。

 

『あの研究者と、日廻は違う人ロト』

 

「……同じ、人間だぞ」

 

『それでも違うロト』

 

 間髪入れずに返された。

 

「何が違う」

 

『日廻は、ボクが嫌って言ったら止まるロト』

 

 日廻は目を瞬いた。

 

『昨日もそうだったロト。ボクが自分で決めたいって言ったら、日廻は怒ってたけど、最後には聞いてくれたロト』

 

「……あれは」

 

『今日もロト』

 

 ロトムが黒い箱を見る。

 

『ボクが待ってほしいって言ったら、本当に待ったロト』

 

「別に、普通だろ」

 

『普通じゃなかったロト』

 

 即座に返される。

 

『勝手に箱を開けなかったロト。呼び戻さなかったロト。ボクが出てくるまで待ったロト』

 

「それくらいで」

 

『ボクには、それくらいじゃないロト』

 

 返す言葉がなくなった。

 もし自分が、突然ポケモンに攫われて、閉じ込められ、嫌だと言っても聞かれず痛めつけられて。

 他の人間が傷つけられるところを何度も見せられたとして、そのあとで出会った別のポケモンを見て。

 

 あいつとは違う(・・・・・・・)

 

 そう考えられるだろうか。

 

 自信はなかった。

 きっと警戒する。

 怖がるし、敵意を向けてしまう。

 同じ脅威として見てしまう。

 日廻はしばらく黙ってから、端末の縁へ指を添えた。

 

「俺は、お前を尊敬してる(・・・・・・・・)

 

 画面が固まった。

 

『…………ロト?』

 

「聞こえただろ」

 

『聞こえたロト! なんで急にそうなるロト!?』

 

「急じゃないだろ」

 

『急ロト!』

 

「俺なら、お前みたいに分けて考えられる自信がない」

 

『……』

 

「それでも、お前は俺を別の人間として見てくれた」

 

 日廻は小さく息を吐く。

 

「だから、すごいと思う。ありがとう。あの時、俺を信じてくれて」

 

『…………』

 

「何だよ」

 

『そういうこと急に言うの、ずるいロト……』

 

「知らん」

 

『しかも真顔ロト……』

 

「本気だからな。記録、しないか?」

 

『余計困るロト!うぅ……記録するロト』

 

 ロトムの顔が画面の端へ寄る。

 隠れているつもりなのか。

 日廻にはよく分からない。

 ただ、張り詰めていた空気がほんの少しだけ緩んだ。

 過去の話が消えたわけではない。黒い箱も、そこにある。

 

「で、これからどうする?」

 

 さっきも同じことを聞いた。

 持って帰るか、ここに置いていくか。

 

 壊すか。

 

 そのときロトムは、待ってほしいと言った。

 だから待った。

 今度は、返事はそれほど遅くなかった。

 

『持って帰るロト』

 

「そうか」

 

『昔は、誰にも使わせたくなくて捨てたロト』

 

 ロトムが箱を見る。

 

『もう「次」に使わせたくなかったロト』

 

 日廻はその言葉に僅かに引っ掛かったが、今は聞かなかった。

 

『でも、捨てても見つけてしまった。だから、拾うロト。今度は捨てずにボクが持っておくロト』

 

 ロトムの画面が、まっすぐ日廻へ向いた。

 

「なら、持って帰るか」

 

『いいロト?』

 

「お前が決めたんだろ」

 

『……そうロト』

 

「じゃあ決まりだ」

 

 日廻は黒い箱へ近づき、改めてその大きさを眺めた。

 慣れない獣道を歩くのに、片手が塞がるのはできれば避けたい。

 

「……で、これどうやって運ぶんだ」

 

 沈黙。

 

「おい」

 

『……考えてなかったロト』

 

「先生」

 

『その呼び方今するロト!?』

 

「拡張性は大事なんだろ」

 

『そういう問題じゃないロト!』

 

「中身だけ出せないのか」

 

『出せるロト! ゼンブイリングだけならリュックに入れて持って帰れる大きさロト!』

 

「最初からそうしろ」

 

『箱ごと持っていく可能性も考えてたロト!』

 

「誰が持つんだよ」

 

 ロトムが何か言い返そうとした、そのときだった。

 チラーミィの灰色の瞳に、鮮やかな青(・・・・・)が宿った。

 あまりに唐突な変化に、日廻も口を閉じる。

 コジョンドも立つ。長い腕の毛を揺らしながら半歩前へ出ると、チラーミィは食べかけのサンドイッチを放り出し、日廻の前へ駆け出した。

 

「……アブソル?」

 

 アブソルも立ち上がったが、様子がおかしい。

 まるで、信じられないと言うように口元が震えていた。

 

「何かいるのか」

 

 その瞬間、轟音と共に世界が変わった。

 

『チラッ!!!』

 

 チラーミィが叫ぶと日廻達の前に飛び出した。同時に淡い光が広がり前方に壁を作る。

 

『り、リフレクター?チラーミィがロト!?』

「襲撃か!?アブソル!コジョンド!大丈夫か!!?」

 

 いったい何が、と考えながら日廻は無意識に腰へ手を伸ばし、モンスターボールの感触を確かめた。

 放たれた黒い光はチラーミィの光の壁によって防がれたが、地面が抉られ、木々が力なく倒れていき大量の土煙が立ち上がった。

 

『コジョ!』

 

 コジョンドが地面を滑るようして、日廻の横で止まる。

 その腕にはアブソルを抱えていた。

 

「良かった。……いったいなんだ?」

 

 何かがいる。それも確かな敵意を込めて、こちらを狙ってきたポケモンが。

 その姿が土煙の向こうに朧げに見えた瞬間、煙が一刀のもとに切り裂かれた。

 

 最初に目へ入ったのは、四足の輪郭だった。

 次に、頭から伸びる角。

 見覚えがある。

 

「……あれは、アブソル?」

 

 日廻は思わず隣を見る。

 白い毛、赤い瞳。

 見慣れ始めた姿。

 

 それから、森から現れた個体へ視線を戻した。

 似ている。

 

 いや、同じ種族なのだと、日廻にも分かった。

 けれど、その姿は黒かった。

 森の影に紛れているというだけではない。

 日廻の知るアブソルとは、明らかに何かが違っていた。

 

 

 




病院はめんどくさい、本当に。

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