魔法少女リリカルなのはStrikerS ~STAR HAWK:Lone Flight~ 作:マジフジ
そして届いた一通の辞令。それは、かつてホークと幾度も拳を交えた旧友との、思いがけない再会を告げるものだった。
翌日、機動六課の朝は相変わらず慌ただしかった。
ロングアーチから流れ続ける通信。執務フロアを行き交う隊員達。報告書を抱えて走る者もいれば、訓練場へ向かう者もいる。
その喧騒の中で、ホークは一人、端末へ表示された整備ログを眺めていた。
ブルー・メテオ――昨日、正式な初飛行を終えた機体。
機関部異常なし、推力系統正常。整備班から送られてきた報告書は、どれも良好の文字で埋まっていた。
「……問題ないな」小さく呟き、満足げに端末を閉じる。
その瞬間、執務フロアの奥から聞き覚えのある声が響いた。
「ホーク! ちょっと来てー!」
聞き慣れた声だった。そして、その声質から嫌な予感しかしない。ホークは数秒だけ沈黙し、そして小さく息を吐く。
「……シャーリーか」
大抵の場合、その予感は当たる。
ロングアーチへ足を踏み入れた瞬間、視界へ飛び込んできたのは見慣れない機材の山だった。小型ヘッドギア、簡易投影装置、魔力演算補助ユニット。そして、それらを満足そうに眺めるシャーリー。
「完成したんだよ!」開口一番だった。
この時からホークは嫌な予感がさらに強くなるのを感じた。
二人のやり取りよりしばらくした後、モニタールーム前は、いつもより少しだけ騒がしかった。
「まだ準備終わらないんですか?」スバルが落ち着きなく足を揺らしている。
「だから急かさないでって言ってるでしょ」ティアナが呆れたように返した。
その横ではエリオとキャロも同じ方向を見ていた。
視線の先では、ロングアーチの技術スタッフ達が、何やら慌ただしく機材の調整を続けている。何度もエラーがないのかシミュレーションを重ねていた。
「これがブルー・メテオの……」エリオが小さく呟く。
「フライト体験システムだよ」シャーリーが胸を張った。
正式名称は非常に長く、初めて聞いただけでは覚えることができない。
だが簡単に言えば――ブルー・メテオの飛行データを疑似体験するための簡易シミュレーターだった。
「ヴィヴィオ、怖かったら無理しなくてもいいからね?」なのはが優しく声を掛ける。
その言葉に、小さな少女は首を横に振った。
視線はずっとモニターへ向けられている、昨日見た蒼い流星。空を駆け抜けていった青い機体。その姿が、まだ瞳の奥に残っていた。今も目を瞑れば高速で飛翔するイメージがすぐに出てくる。
「……みたい」ヴィヴィオの小さな声。
モニタールームの中にホークが入ってきた。彼の視線は一瞬で室内全体を見渡す。
整然と並ぶ投影機材、魔力演算補助ユニット、簡易リンク用のヘッドギア。そして、その中心で満足そうに腕を組んでいるシャーリー。
「……説明しろ」怒気に満ちたホークの低い声だった。
それだけで室内の空気がわずかに締まる。
ティアナ、スバル、エリオ、キャロの空気が固まる。ヴィヴィオも普段聞いたことのないような声に思わず震える。なのは、フェイトはそれを黙って見守っていた。
「え、えっと! これはブルー・メテオのフライトデータを元にした疑似飛行システムで――」
「その説明は聞いた」即座に遮る。
シャーリーの言おうとしたことをホークは一歩だけ踏み出し、機材の一つを指先で示した。
「問題はそこじゃない」視線がシャーリーへ向く。静かだが、圧がある。
「誰が飛行ログを抜く許可を出した?」
一瞬、沈黙。その言葉を聞いたシャーリーの笑顔が止まる。本気で怒っていることがシャーリーにも伝わっていたからだ。
「え、あの、それはその……技術検証の一環で……」
「検証だ? つまり相棒のコクピットデータを、無断で抜いたわけか」
次の瞬間、ホークは軽く息を吐いた。
空気が一段階重くなる。スバルが思わず小さく声を漏らし、ティアナが無意識に一歩引く。エリオとキャロは緊張のまま動けないでいた。シャーリーの額に汗が浮かぶ。
「ち、違うよ! ちゃんと安全な範囲で――」
「安全だと?」その言葉を、ホークは静かに拾い上げる。
そして一拍置いてから続けた。
「勝手に飛行ログ抜いたな」と、ホークが断定をした。
その言葉からシャーリーの顔から一気に血の気が引く。今までの無いような目の前の目つきの悪い男の怒り。
「ご、ごめんなさいぃぃ!! 悪気はなくて!! 本当に!!」
パニックになったシャーリーが両手をぶんぶん振りまわしながら、答えた。
完全に詰みかけた空気、自分の人生の終幕すら感じたその時だった。
「……すごい」部屋の隅で、小さな声でヴィヴィオが言う。
モニターに映る起動準備中のVRシステムを、目を輝かせて見ている。
恐怖はない。むしろ、純粋な興味だけがそこにあった。
その反応を見た瞬間――ホークの視線がわずかに動く。
「ヴィヴィオに免じて見逃してやる」ホークがはっきりとした声で、そう言った。
「えっ、えっ……助かった……?」シャーリーが固まる。
「次はない」短い一言。
だがそれ以上追及はしない。シャーリーはその場で崩れそうになるほど安堵した。
スバルが小さく「よかったぁ……」と息を吐く。ティアナは呆れ顔だが、どこか安心している。
「ホーク、ありがとう」なのはは軽く笑った。
「貸し一つだ」即答だった。
そのやり取りの横で、ヴィヴィオはまだモニターを見ている。瞳が完全に吸い込まれていた。
「……これ、飛ぶの?」期待はこもっているが、どこか小さな声。
「飛ぶよ! というか感じるって言った方が正しいかな?」シャーリーが慌てて立ち直る。
「感じる……」ヴィヴィオが小さく繰り返す。
その瞬間、なのはとフェイトがもう一度視線を交わす。
今度は、さっきよりもはっきりとした笑み。
変化は、もう偶然ではなかった。
シャーリーが説明を続ける。
「今回は安全設計で、魔力フィードバックは最低限に抑えてて、精神負荷もテスト済みで――」
「要するにフライト体験できるで良いだろ?」
ホークが一言で切る。ロングアーチの技術者が何も考えず、このような代物を作るはずがない。技術者でもない人間に興味がないこと聞いても、ただ退屈するだけだ。
シャーリーがまた小さく縮こまる。
「……はい」
だが、ヴィヴィオは違った。
むしろ、前のめりだった。
その小さな手が、ヘッドギアへそっと伸びる。
なのはが優しく止める。
「最初はね、スバルたちからね」
「えっ、私たち先!?」スバルが思わず声を上げる。
「当然でしょ。安全確認要員よ」ティアナが即答。
「えぇ……」
エリオとキャロは少し緊張した顔で頷く。ホークはその様子を一度だけ見回し、短く言った。
「問題があれば即中断だ」
それだけ。だが、その一言で場が締まる。
VRシステムの起動準備音が静かに響く。モニターにブルー・メテオのデータが展開されていく。空が、仮想の形を取り始めていた。
疑似飛行システムの起動を告げる高周波の駆動音が、モニタールームに静かに響き渡る。モニターにブルー・メテオの飛行データが展開され、仮想空間の輪郭が少しずつ形を持ち始めていた。
ただの映像ではなく、一つの環境として再現されていく。雲の密度、風速、気圧の変化。視覚情報だけでなく、魔力演算による補助感覚までもが幾重にも重ねられていく。技術としての完成度は高いが、一歩間違えれば脳への負荷が大きすぎる代物だった。
「……本当にやるんだな」ホークは冷徹にシステムを評価し、低く声を落とした。
その視線は複雑な電子回路ではなく、差し出されたVRヘッドギアへと向けられている。シャーリーは一瞬だけ息を詰めたが、覚悟を決めたように首を縦に振った。
「安全性は何度もシミュレートしています。魔力リンクも段階的に制限していますし、意識の同期レートも最低レベルに抑えてあります」
「最低レベル、ね」
ホークは短く繰り返すと、それ以上の追及はしなかった。だが、その目は明らかに納得していない。彼と同じ極限状態のフライト経験を、そのまま素人に同期させればどのような弊害が出るか分からない。そのリスクを嫌っているのだ。
その横で、ヴィヴィオが小さく一歩前へ出た。
卓上のヘッドギアを見上げている。恐怖や躊躇いではない。ただ、そのデバイスの向こうに、昨日見たあの広大な空があると直感している視線だった。
「ゆっくりでいいからね」
なのはがその小さな背にそっと手を添える。ヴィヴィオは小さく頷いた。
まずは安全確認のテストを兼ねて、スバルが前に進み出る。ヘッドギアが彼女の頭部へと固定されると、魔力リンクが淡い光を放って起動し、周囲の空間投影が一段階鮮明になった。
「うわ……これ、脳に直接来る感じがする」スバルの声が興奮で少しだけ弾む。
その瞬間、モニターに表示されたブルー・メテオのコクピットデータとの完全な同期が始まった。視界が急速に切り替わる。無機質なモニタールームは消失し、代わりに広がるのは全天周囲モニターのコクピット内部。無数の計器類が放つ微細な光、超音速飛行特有の細かな振動、遠くに感じる大気の揺らぎ。
空を飛んでいるという錯覚ではない。空を切り裂く鋼鉄の機械と、自分自身の神経が一体になったような強烈な感覚。
「これ……すごいよ、みんな……っ!」スバルの声が感動で上ずる。
続いてティアナ、エリオ、キャロへと順にリンクが移っていった。それぞれの口から、短く息を呑む気配だけが室内に残る。
外側から彼らの反応を観察していたホークは、その様子を一瞥するだけだった。
「実用レベルだな」
評価は一言で十分だった。シャーリーはその言葉に、ようやく張り詰めていた肩の力を抜いた。
そして最後。ヴィヴィオの前に、そのヘッドギアが差し出される。
一瞬だけ、少女の動きが止まった。だが次の瞬間には、小さな手がまっすぐに伸びていた。なのはがその動きを優しく支えながら、慎重に装着を完了させる。
仮想の光が網膜へ滑り込む直前、ヴィヴィオは一度だけ深く息を吸った。
――そこは、圧倒的な空だった。
広がっていたのは、ただの映像ではない。雲の層を遥か下に突き抜ける、吸い込まれそうな青。風の流れが全身を包み込み、己の存在そのものが大気へと溶けていく感覚。
そして、その世界の中心に、あのブルー・メテオの蒼い前進翼が確かに存在していた。
鋭く伸びる機体構造。わずかな気流の乱れすら情報として返してくる精密なフィードバック。それは「見る」という受動的な世界ではなく、自分が今まさにその場所に「いる」のだと脳に錯覚させるものだった。
「……これが」誰に届くわけでもない、小さな呟きが少女の唇から漏れた。
だが、確かにヴィヴィオの中で何かが変わり始めていた。恐怖や拒絶とは対極にある、純粋な興味。そして、その心の奥底に初めて生まれた、一筋の小さな憧れ。
VR空間内では、スバルたちの操作が始まっていた。
急上昇、水平飛行、そして軽やかなロール。
安全のために制御された挙動だが、それでも十分すぎるほどに、空を切り裂く実感が脳を揺さぶる。
「これ、本当に自分で操縦している感覚です!」エリオが興奮を抑えきれずに息を呑む。
「でも、脳への負荷は思ったよりずっと少ないですね」キャロが冷静に数値を分析した。
「シャーリーさん。これなら普通にフォワードのシミュレーター訓練に使えますよ」
ティアナも戦術家として短く評価を下す。その言葉に、現実世界のシャーリーが誇らしげに胸を張った。
ホークはその様子を見ながら、静かに腕を組んでいた。だが、彼の怜悧な視線は、他の誰でもなくヴィヴィオの反応へと向けられていた。
やがて、小さな、けれど確かな芯を持った声が落ちる。
「……もう一回」
室内の誰もが聞き逃さない、はっきりとした少女の意思だった。
その瞬間、なのはとフェイトの表情がわずかに動いた。ヴィヴィオが自身の欲求を明確に口にしたからだ。
仮想空間のプログラムが一度停止し、システムの駆動音がトーンダウンする。
ヘッドギアが外されると、スバルたちは一様にふう、と熱い息を吐き出した。
「これ、本気でやばいね……」
「訓練用の機材としては、ちょっとした革命よ」
スバルとティアナの言葉には、確かな手応えが滲んでいた。
その中心で、ヴィヴィオはまだあの青空を見つめていた。無機質なモニタールームに戻っても、彼女の視線だけはまだ、遙か高みにある流星の軌跡を追いかけているかのようだった。
そこへ、ホークが一歩だけ足を進める。
ヴィヴィオは一瞬だけ反射的に身を強張らせたが、今回は最後まで目を逸らさなかった。
「飛ぶものは好きか」
ホークの問いは、どこまでも簡素だった。だが、それは初めて恐怖や脅威以外の形で投げかけられた、対等な人間としての言葉だった。
ヴィヴィオは少しだけ考えた後、まっすぐに彼を見つめ返し、小さく、だが力強く頷いた。
その迷いのない姿を見て、ホークの凍りついたような口元が、ほんのわずかに緩んだ。
「次からは、事前に許可を取れ。筋を通せば、希望者にはいつでも経験させてやる」
「わ、分かりました!」
次は絶対に気を付けます、と言わんばかりにシャーリーが直立不動で応じる。
室内から一斉に苦笑が漏れ、張り詰めていた空気は今度こそ完全に融けていった。
モニタールームでの報告完了後は、実際に現場へ赴いてのフェイトの補助任務だった。
出発の準備を終えた頃、フェイトの視線がふとホークの胸元で止まった。
「ホーク」
「あ?」
「ボタン」
言われて視線を落とす。案の定、上から二つ外れていた。いや、正確には窮屈さを嫌って自ら外していたのだ。
「問題ない」
「あるよ」即答だった。
フェイトは慣れた手付きでホークの襟元へ手を伸ばすと、手早く二つのボタンを閉じた。
「苦しい」
「我慢しなさい」
さらに緩んでいたネクタイまで一気に引き上げられる。ホークは露骨に顔をしかめた。その様子を見ていたキャロが小さく笑い、エリオも思わず苦笑する。ライトニング部隊では日常茶飯事の光景だった。
「それじゃあ、行こうか」
フェイトの一言で、室内の空気がカチリと切り替わる。先ほどまでの穏やかな時間は終わり、全員の顔つきが自然と任務のそれへと変わっていった。
夕方になり、調査自体は何事もなく終了した。
摘発された違法研究施設の痕跡、戦闘機人に繋がる断片的な情報。成果がゼロというわけではなかったが、敵の核心に迫る決定打には遠い。
帰投の途中、人気の途絶えた管理区画の通路を歩きながら、フェイトは小さく息を吐き出した。
「収穫としては、少し微妙だったかな」
「ゼロではないだろ。痕跡自体は確かに残っている」
ホークの即答に、フェイトは「うん」とだけ頷いた。
短いやり取りの後は、再び沈黙が落ちる。だが、不思議と気まずさはなかった。二人の等間隔な足音だけが静かに通路へ響き、同じ速度で影が並んでいく。
ふと、フェイトが横目でホークを見た。任務前に整えたはずの襟元が、いつの間にかまた少し緩んでいる。ネクタイもわずかに下がっていた。
「……また緩めてる」
「悪いな。仕様だ」
悪びれる様子もなく言い返すホークに、フェイトは「違うと思うな」と小さく笑った。彼女はもう一度歩きながら、彼のネクタイを手際よく整える。
今度の手つきは、出発前よりもずっと自然だった。ホークも今度は抵抗しない。どうせ抵抗しても強引に直されると分かっているからだ。ただ視線だけを明後日の方角へ逸らし、短く息を吐くだけだった。
「あんた、随分と慣れてるな」
「ライトニングの隊長だからね。隊員の身だしなみの管理も仕事のうちだよ」フェイトの返答に、ホークは小さく肩を竦めた。
「……ホーク、今日はありがとね」不意に、フェイトが真面目な声で言った。
ホークは視線を前方へ固定したまま、短く返す。
「何の話だ」
「ヴィヴィオのこと。あの子、以前よりずっと表情が柔らかくなっていたから」
「VR効果だろ」
「それだけじゃないと思うな」フェイトは愛おしそうに目を細めて笑った。
「ホークがシャーリーに怒った時、あの子、怖がってはいたけど……絶対に逃げなかったから」
その言葉に、ホークは一瞬だけ歩調を緩めた。窓から差し込む夕陽が、二人の影を通路の奥へと長く伸ばしていた。
「……そうか」
それ以上、言葉は続かなかった。だが沈黙は重くない。任務後の心地よい静かな余韻だけが、二人の間に残っていた。
しばらく無言で並んで歩いていると、フェイトがふと楽しそうに笑みを零した。
「最近さ」
「あ?」
「ホークと一緒の任務、増えたよね」
唐突な話題だった。ホークは少しだけ考える素振りを見せてから、また肩を竦める。
「隊長命令なら仕方ねえだろ」
「そういう意味じゃないよ」フェイトは苦笑しながら首を横に振った。
「最初は正直、すごくやりにくい人だと思っていたんだから」
「知ってる」
「いつもトゲのある軽口ばっかりだし」
「悪かったな」
「報告書は最低限の文字数しか書かないし」
「要点は網羅してる」
「制服はすぐ着崩すし」
「だから、仕様だ」
「仕様じゃない」
どちらからともなく、思わず笑いが零れた。任務中には決して見せない、完全に肩の力が抜けた笑顔だった。ひとしきり笑い合うと、フェイトは少しだけ視線を前へと戻し、言葉を紡ぐ。
「でもね、今は違うよ」
その声色だけが、ほんの少し、毛布のように柔らかくなった。
ホークは何も言わなかった。
「ヴィヴィオのこと、今日の任務だってそう。ちゃんと見てるから」
差し込む夕陽が、フェイトの端正な横顔を朱く照らす。
「ホークって、自分では何でもないように振る舞うけど、誰かが困ってたら、絶対に放っておかないでしょ」
一拍、歩調の間に柔らかな沈黙が挟まった。
「だから……今は安心して、背中を預けられる」フェイトは少しだけ照れ隠しのように、小さく微笑んだ。
その言葉だけは、部隊を率いる隊長としてのものではなかった。一人の魔導師として、そして同じ戦場を飛ぶ対等な戦友として、心からの親愛を込めて口にした本音だった。
「買い被りすぎだ」ホークは眩しそうに、少しだけ目を細める。
「そうかな?」
「期待されるのは性分に合わん。面倒なだけだ」
「期待じゃないよ、信頼」
フェイトは静かに首を横に振った。
揺るぎない確信を孕んだ、短い一言。ホークは一瞬だけ視線を明後日の方角へと逸らし、照れ臭さを誤魔化すように鼻を鳴らした。
「……そりゃどうも」
どこまでもぶっきらぼうな返事。
けれど、その声からいつものトゲは完全に消え失せていた。
フェイトはその微細な変化を愛おしむように、もう一度小さく笑う。二人はそれ以上、何も言わなかった。交わされる言葉はなくとも、同じ空を飛ぶ者同士だけが共有できる、不思議な心地よさがそこには満ちていた。
夕陽に長く伸びる二人の影は、通路の奥で、来た時よりもほんの少しだけ近付いて見えた。
そして同じ頃――、遠く離れた研究施設の地下では、別の意味でホーク・ネヴィルという名前が話題の中心になっていた。
薄暗いブリーフィングルーム。壁一面を埋め尽くす大型スクリーンには、管理局で記録された複数の戦闘映像が並んでいた。
列車襲撃事件、ホテル・アグスタ、機動六課への夜間襲撃、そしてアギトとの交戦。
戦場も敵も異なる。戦況も決して同じではない。しかし、そのすべてに共通して映っている人物が、一人だけ存在した。
ホーク・ネヴィル。
スクリーンの前に立つウーノが、静かに端末を操作する。戦闘映像は一つずつ停止し、軌道予測、魔力残滓、射撃角度、行動履歴のデータへと置き換わっていく。映像はもはや単なる記録ではなく、冷徹な解析資料へとその姿を変えていた。
部屋にはトーレをはじめとした前線担当のナンバーズが集められている。誰一人として口を開かない。今回の目的は、ホーク・ネヴィルという一人の魔導師の脅威度を共有することだった。
静寂を破ったのは、ウーノの淡々とした声音だった。
「まず、結論から申し上げます」
画面に表示されたのは、二丁のブラスターを構えた男の姿。一般的な射撃魔導師とは異なる、不規則な構え。胸元ではなく、腹の横。銃口も真正面へは向けず、わずかに斜めへ流している。左右の照準すら一致していない。
「しかし、それにもかかわらず彼の射撃精度は極めて高い数値を維持しています」
管理局の訓練記録に残されていた模擬戦データでは、命中率ほぼ百パーセント。魔力制御の精度だけを切り取るならば、管理局内でも最高水準に分類される。
「彼の真の脅威は、決して火力ではありません」
画面が切り替わる。表示されたのは、彼が放つ赤い光線弾と、青い光線弾。同じブラスターでありながら、その役割はまったく異なっていた。
赤は連射性能を重視した制圧型。被弾による疲労蓄積を目的とし、対象に防御姿勢を強制させる。一方、青は単発のエネルギー集束型。低威力時は呪文の詠唱妨害として機能し、高威力の炸裂弾は、命中時の衝撃と魔力麻痺効果によって対象の反応そのものを阻害する。どちらも単体では決定打に至らない。だが、彼にとってはそれで十分だった。
「重要なのは威力ではなく、撃たれる側の『選択肢』です」
ホテル・アグスタでの戦闘映像が拡大される。敵は赤を避けるが、避けた先にはすでに青が置かれている。青を警戒して動けば、今度は赤が継続して圧力を掛け続ける。どちらを選択しても、敵の自由は確実に失われていく。
「これは、攻撃ではありません――誘導です」
スクリーン上へ、赤い予測線が無数に描かれていく。ホークの真の狙いは敵の身体ではなく、敵が次に立たされる座標だった。
「最初から、こちらの逃げ道まで計算してハメ殺すつもりか……」トーレが小さく息を漏らし、忌々しげに呟いた。
「はい」
ウーノは迷いなく首を縦に振る。
「彼は、敵を見てから照準を合わせて撃っているのではありません。相手がその行動を『撃たされる』ように、戦況を先に設計しているのです」
部屋の空気が、さらに一段と重く沈まり返る。
続いて画面が切り替わった。映し出されたのは、あの円盤状の障壁――リフレクター。
「もう一つの懸念が、この固有防御術式です。一つは魔法を倍化して反射。もう一つは、術式そのものを構造崩壊させて消滅させる。映像だけでは判別できません。実戦で対峙する敵から見れば、なおさらです」
どちらの性質が展開されているか。それは、攻撃を発射して触れた瞬間にしか判別がつかない。魔導師にとって最も重要なのは情報である。その情報が致命的に欠落した瞬間、敵の判断は必ず一瞬遅れる。そして、ホークという男がその一瞬の隙を見逃すはずがなかった。
「なるほど。ただの防御魔法ではないということだね」
奥に控えていたスカリエッティが、楽しげに、静かに口を開いた。
「思考停止を誘発する、絶対的な後出しの盾……というわけだ」
「ええ、その通りです」ウーノは冷徹に、主の言葉を肯定した。
「彼は防御しているのでなく、相手に撃つことを躊躇わせています」
スクリーンに映し出される映像が、再び切り替わる。
超高機動による高速移動、そして、幻影による近接収束攻撃――通称、ホークスラッシュ。
だが、その驚異的な挙動の割に、敵の直接撃破記録は存在していない。
彼が切り裂いているのはガジェットの砲門、あるいは遮蔽物や障害物だけであり、敵本体への致命傷には至っていないのだ。
続く固有術式、ビジョンスルー。ホークスラッシュの派生だが、こちらも攻撃という概念が完全に欠落しており、純粋な位置座標の書き換えに特化した高速移動魔法だった。
さらに、突進系術式であるホークダイナマイト。この技の本質も突進による物理衝突ではなく、急停止した直後に発生する指向性の広範囲爆発だった。
一連の映像を冷徹に見続けていたスカリエッティの口元が、ゆっくりと不気味に持ち上がる。
「なるほど。すべては、この一点へ繋がっているというわけだね」
部屋の誰も返事をしない。その必要はなかった。天才科学者は、すでにホークの本質という正解へ到達していた。
「ブラスターで進路を物理的に制限」
「リフレクターで迎撃の判断を徹底的に鈍らせる」
「スラッシュとビジョンスルーで敵の空間・位置認識を完全に狂わせ」
「ダイナマイトで陣形と戦線を内側から一気に崩壊させる」
一つ一つの術式は、確かに決定打にはなり得ない。しかし、それらすべてのピースは、狂いなく同じ一点へと収束している。
それは敵を直接力でねじ伏せることではない。敵を自分自身の思い描いた通りの死地へ動かし、戦場全体をホーク・ネヴィルという人間に都合の良い形へ組み替えること。己の戦術設計を、ただひたすらに盤面へ押し付けること。
「彼は、火力や出力で勝負する魔導師ではない」スカリエッティは狂気混じりの笑みを零した。
「――盤面そのものを設計する、戦術家だ」
その一言だけで、ブリーフィングルームにいたナンバーズの全員が本質を理解した。
ホーク・ネヴィルと戦うということは、一人の魔導師と対峙することを意味しない。彼が冷徹に完成させた檻――戦場そのものへと足を踏み入れることに他ならないのだ。
静まり返る沈黙の中、スカリエッティは最前線を統括するトーレへと視線を巡らせた。
「前線へ通達する。今後、彼と交戦した際、その目に見える動きを決して追うな」
わずかに間を置き、奥の瞳を鋭く光らせる。
「彼が次に『自分たちに何をさせようとしているのか』――これだけを警戒しろ」
「了解しました」トーレの短い返答。それだけで十分だった。
スカリエッティとナンバーズによる解析会議は、これで幕を閉じた。
だが、この日を境に、彼らの戦術データベースの最上位には、機動六課の既存エースたちと並ぶ新たな最重要危険人物として、その名前が刻まれることとなった。
時空管理局・陸士一〇八部隊。夕暮れが窓を橙色に染める頃、ギンガ・ナカジマは一人、デスクへ向かっていた。
目の前には一枚の報告書、今回の共同任務に関する経過報告。戦闘内容、被害状況、回収物、救助活動――全て記載は終わっている。だが、一行だけ手が止まっていた。
『ホーク・ネヴィル』
その名前を書くだけで、昨日の光景が脳裏へ蘇る。ヘリの直撃を避けるため、たった一人で真正面から砲撃を受け止めた姿。その直後に不意打ちで撃墜され、ボロボロになりながら撃墜された姿。
最後に意識を手放すまで、ヘリとレリックのことを最優先に心配して戦場から決して目を離れようとしなかった男。最後まで味方を守ろうとしていた姿。
「……ほんと、無茶ばっかり」小さく漏れた独り言。
昔から変わらない。
士官学校時代もそうだった――実技になれば誰よりも前へ出る。一見すると無茶、成功確率を低い作戦を立てる。そして、不思議と成功させてしまう。
「顔を合わせれば喧嘩だったのに」思わず苦笑がギンガから漏れる。
訓練が終われば口論、模擬戦になれば本気。それでも共同課題だけは、誰よりも息が合っていた。一番認めたくない相手。
だからこそ、士官学校から姿を消したと聞いた時は信じられなかった。次に耳へ入ったのは、指名手配犯になったという報せ。
ホークを逮捕するために何度も追った、ホークに何度も逃げられた。
その度に腹が立った。
どういう意図でホーク・ネヴィルが行動しているのか意味が分からない。何度そう思ったか分からない。
犯罪者なのに、民間人は巻き込まない。管理局員を必要以上に傷つけない。それどころか、自分を助けたことさえあった。理解できなかった、理解したくもなかった。
それなのに――。
「生きていてよかった」リインに漏らした言葉を思い出す。
あれは取り繕った言葉ではなく、心からの本心だった。
もしあのまま帰ってこなかったら――そう考えるだけで胸がざわつく。ギンガは小さく首を振った。
「らしくない」そう呟いた、その時だった。
「ギンガ、少しいいか?」部屋の外から隊員が声を掛ける。
「はい」廊下へ出ると、一通の辞令が差し出された。
「本局からだ。一時出向命令になる」ギンガは封を切り、静かに目を通す。
視線が一行で止まった。
『機動六課への一時出向を命ずる』
「……機動六課」
自然と、一人の男の姿が浮かぶ。
青い戦闘機を使いこなす姿、不機嫌そうな目付き、軽口ばかり叩く口調。そして、最後まで戦場を飛び続けた背中。
ギンガは辞令を静かに閉じた。
「また会うことになるのね……ホーク」
今度は追う側でも、追われる側でもない。
士官学校から続いた因縁。指名手配犯として追い続けた過去。その全てに、一つの区切りを付ける時が近付いていた。
夕焼けに染まる窓の外を見つめながら、ギンガは静かに息を吐く。
「……次は、逃がさない」その言葉に敵意はない。
あるのは、一人の魔導師として向き合いたいという、静かな決意だけだった。
その決意とは別に、小さな楽しみもあった。
因縁以外にも楽しみの要素が増えていた。妹のスバルは、どれだけ成長したのだろう。相棒のティアナは、今どんな顔で訓練しているのだろう。エリオとキャロも、きっと見違えるほど強くなっているはずだ。
ギンガは辞令を胸元へしまう。今度は追跡でも逮捕でもない。
一人の魔導師として、一人の同期として――もう一度、ホーク・ネヴィルと向き合うために。新しい一歩を踏み出した。