魔法少女リリカルなのはStrikerS ~STAR HAWK:Lone Flight~ 作:マジフジ
緊急発進したホークの前に現れたのは、スカリエッティが造り出した戦闘機人たち。そして、ついに対峙した仇敵から告げられたのは、機動六課をも巻き込む恐るべき計画だった。
機動六課隊舎、一階ロビー。
明日の公開意見陳述会に向け、前線要員たちが静かに集められていた。
スターズの隊長高町なのは、同副隊長のヴィータ、フォワード陣――スバル・ナカジマ、ティアナ・ランスター、エリオ・モンディアル、キャロ・ル・ルシエ。そして、補佐役であるリインフォースⅡ。
最後に、壁際へ寄り掛かるように腕を組んで立つホーク・ネヴィル。
そこに、ギンガ・ナカジマの姿はない。すでに彼女は現場で動いていた。ロビーへ等間隔な足音が響く。
八神はやて、フェイト・T・ハラオウン、シグナム。三人が揃って部隊の前に立つと、それまで微かに残っていた談笑の空気は自然と静まり返った。
大型モニターへ管理局本局周辺の立体地図が映し出される。はやては全員をゆっくりと見渡した。
「明日、公開意見陳述会が行われる」穏やかな声だった。
しかし、その声音には部隊長としての重い責任が滲んでいる。明日十四時からの開会に備え、現地の外周警備はすでに始まっている。なのは隊長とヴィータ副隊長、リイン曹長とフォワード陣はこれより本局へ出発し、ナイトシフトでの夜間警備任務に就く手はずだった。
「みんな、出発前にちゃんと仮眠は取った?」
「はい!」
新人四名が迷いなく力強い返事をする。はやては満足そうに頷くと、視線を壁際へと巡らせた。
「ホーク」
「はいよ」もたれかかったまま、ホークが顔だけを上げる。
「あんたは隊舎待機」短い一言だった。
「本陣の夜間警戒、およびロングアーチの防衛バックアップを担当頼むで」
「了解」返事も極めて短い。異論もなければ無駄な質問もない。
「ブルー・メテオについては、二十四時間いつでも緊急発進が可能な状態を維持。いいな」
シグナムが鋭い眼差しで付け加える。その一言だけで、ホークの不機嫌そうな表情がわずかに引き締まった。
「つまり、相棒の火を落とさず、出撃できるようにか」
「そうだよ」
フェイトが静かに頷き、補足を重ねる。それだけのことだった。ホークは再び腕を組み直し、深い沈黙へと戻る。
ブリーフィングは淡々と続いた。暗号通信系統の確認、各分隊との魔力リンク連携、交代のインターバル設定、非常時における最優先対応手順。一つ一つのロジックが承認されるたび、明日の大任務が確かな質量を持って現実味を帯びていく。
最後に、はやてがもう一歩だけ前へ出た。
「以上になります」一度全員を見回し、いつもの柔らかな微笑みを浮かべる。
「長丁場の戦いになると思う。でも、焦る必要は一切あらへん」
笑顔は、誰もが絶大な信頼を寄せる部隊長そのものだった。
「いつも通り、自分たちらしく、目の前の任務を頼むで」
「了解!」
弾けるような力強い返声がロビーの天井へと響き渡った。
説明を終えた隊員たちは、そのままヘリポートへと足を向けた。九月の夜風は穏やかで、格納庫の照明だけが静かに滑走路を照らしている。輸送ヘリはすでにローターをゆっくりと回し始めていた。整備員たちが最後の確認を終え、搭乗準備が進められていく。
なのははフォワード四人を振り返った。
「忘れ物はない?」
「大丈夫です!」
元気よく返事をしたスバルに、ティアナが苦笑する。
「その返事だけは一番元気よね」
「えへへ……」
「緊張してねぇなら、それでいい」
そんなやり取りを見て、ヴィータが鼻で笑う。エリオとキャロも小さく頷き、それぞれのデバイスを最後に確認していた。
その時だった。
「なのは隊長ー!」
聞き慣れた女性の声が響く。
全員が振り向くと、ヘリポートへ続く通路からアイナ・トライトンが歩いてきた。その隣では、小さな手を一生懸命に振るヴィヴィオの姿がある。
「なのはママー!」
元気いっぱいに駆け寄る小さな身体を、なのはは自然な笑顔で受け止めた。
「ヴィヴィオ」
勢いよく抱きついてきた娘を優しく抱き上げる。
その様子を見たアイナは、少し申し訳なさそうに笑った。
「ごめんなさいねぇ、なのは隊長。どうしてもママのお見送りに行くんだって聞かなくて」
「いえ」なのはは首を横に振る。
「来てくれて嬉しいよ」
ヴィヴィオはなのはの首へぎゅっと抱きついたまま、離れようとしない。
「ママ、おしごと?」
「うん」
なのはは優しく頭を撫でる。
「ちょっと長いお仕事」
「さみしい……」ヴィヴィオは少しだけ口を尖らせた。
「でもね」なのはは目線を合わせるように少しかがむ。
「ヴィヴィオがいい子にして待っててくれたら――」優しく微笑む。「帰ったら、ヴィヴィオの大好きなキャラメルミルク、作ってあげるからね」
その一言で、ヴィヴィオの表情がぱっと明るくなった。
「ほんと?」
「うん、本当」
「やったぁ!」
無邪気な笑顔が夜のヘリポートへ咲く。そんな笑顔を愛おしく思いながら、なのはは小さく自分の右手をヴィヴィオに差し出した。
「約束、できる?」
ヴィヴィオも小さな右手を伸ばす。二人の小指がそっと絡み合った。
「ゆびきり」
「げんまん」
「うそついたら……」
二人は声を揃える。
「はりせんぼん、のーます」
最後に小さく指を離す。
「約束」
「約束」
ヴィヴィオは満足そうに何度も頷いた。
その微笑ましい光景を見守る隊員たちの表情も、自然と和らぐ。
「いいなぁ……」スバルがぽつりと漏らす。「ほんとの親子みたい」
「みたい、じゃないわよ」ティアナが小さく笑う。「もう立派な親子じゃない」
キャロも穏やかに微笑み、エリオも優しく頷いていた。
少し離れた場所では、ホークが腕を組んだまま、その様子を静かに眺めていた。何も言わない。ただ、口元だけがわずかに緩んでいる。
ヴィータはそんな彼の横顔を一瞥し、膝を軽く蹴る。
「お前も、たまにはあんな顔するんだな」
「……うるさい」
ぶっきらぼうに返しながらも、否定はしなかった。ローターの回転数がゆっくりと上がり始める。搭乗の時間だった。説明を終えた隊員たちは、そのままヘリポートへと足を向けた。
「それじゃ、行ってきます」
なのははヴィヴィオをアイナへ預け、最後にもう一度だけ愛おしそうに頭を撫でた。
「いい子で待っててね」
「うん!」
力いっぱい頷くヴィヴィオ。なのははその笑顔を胸に刻み、振り返って輸送ヘリへと乗り込むために向かった。ヴィータ、スバル、ティアナ、エリオ、キャロもそれに続いて次々と機内へ乗り込んでいく。ホークは離陸直前のヘリの前まで歩み寄り、片手を軽く上げた。
「教導官様」なのはがハッチの隙間から振り返る。
「留守番は任せろ」短い一言だった。なのははすべてを察したように柔らかく笑う。
「お願いね」
「おう」
交わした言葉はそれだけで十分だった。
重厚なハッチが閉まり、ローターの駆動音が一段と大きく夜気へ轟く。ヘリはゆっくりと浮上を開始し、夜の空へと機首を向けた。
ヴィヴィオは機体が見えなくなるまで、小さな両手を大きく振り続ける。なのはも窓越しに、優しい笑顔のまま手を振り返していた。
誰もが、また明日になればいつものように顔を合わせられると信じていた。
この静かな別れが、機動六課という部隊にとって「最後のおだやかな時間」になるということを、この時はまだ――誰一人として知る由もなかった。
九月十二日――公開意見陳述会当日。
夜明け前には八神はやて、フェイト・T・ハラオウン、シグナムも予定通り隊舎を発ち、それぞれの持ち場へと向かっていた。
広い機動六課隊舎は、不思議なほど静まり返っていた。ロングアーチでは最低限のスタッフだけがコンソールに向かい、各地から送られてくる警備状況を淡々と監視している。
その一方で、格納庫の最奥。
ブルー・メテオは、完全な発進態勢のまま静かに息を潜めていた。コックピットの中では、ホーク・ネヴィルがシートへ深く身を預け、計器類へ静かに視線を巡らせている。
主電源、正常。兵装、安全装置解除待機。推進機関、即時点火可能。
命令一つで三十秒以内に離陸できる。それが、今のホークに与えられた任務だった。
「……嫌な空気だ」
ぽつりと漏れた独り言。理由は分からない。だが、戦場で幾度となく死線を潜り抜けてきた経験だけが、言葉にならない違和感として胸の奥を静かに叩いていた。
その時だった、コックピットへ緊急回線が割り込んでくる。
『ホーク、聞こえますか』グリフィスの声だった。
『公開意見陳述会会場にて、大規模な魔力反応を確認。現在、詳細を確認中です』
ホークの表情が、一瞬で冷徹な戦術家のそれへと変わる。
「……来たか」操縦桿へ、革手袋に包まれた手を置く。
直後、ロングアーチ一帯に鋭い警報が鳴り響いた。
『緊急事態発生! 公開意見陳述会会場が、正体不明の勢力による襲撃を受けました!』
コンソールの向こうで、悲鳴にも似たオペレーターの報告が飛び交う。
通信ノイズの向こう、グリフィスの声が一段と低くなった。
『ホーク・ネヴィル。ブルー・メテオの緊急発進を許可します。これより、公開意見陳述会会場へ急行してください』
短い沈黙。そしてホークは、静かに口角を上げた。
「了解」
「ようやく、俺の出番だ」
次の瞬間、ブルー・メテオのプラズマエンジンが、大気を激しく震わせながら唸りを上げた。
拘束アームが次々と解除される。機首正面のカタパルトゲートが左右へ開き、外の蒼空が一直線に視界へと飛び込んできた。
ホークは操縦桿を静かに握り締める。
「行くぞ、相棒」
スロットルを一気に押し込んだ。
機体は一直線に射出され、そのまま格納庫を飛び出す。地上すれすれを滑るように加速したブルー・メテオは、一拍遅れて機首を引き起こし、雲を切り裂くように急上昇した。
眼下の地上が瞬く間に小さくなっていく。街並みも、高速道路も、海岸線も、一枚の地図のように遠ざかる。
それでもホークは一切速度を緩めない。巡航速度などという概念は最初から存在しなかった。加速、さらに加速。機体性能の限界近くまで推力を引き出し、一直線に公開意見陳述会会場へ向かう。
コックピットへ戦域データが流れ込んだ。
多数のガジェット反応。高密度AMF。未確認高魔力反応、複数。
そして――
『ナンバーズ反応を確認。識別番号、ⅢおよびⅦ』ホークの眉がわずかに動く。
「トーレとセッテか」
管理局の情報として名前だけは把握している。スカリエッティが造り出した戦闘機人。どれほどの性能かは知らない。だが、一つだけ確かなことがある。今日、この空を好き勝手に飛ばせるつもりはなかった。
眼前に巨大な聖王教会施設が見えてくる。その周囲では、無数のガジェットドローンが空を埋め尽くしていた。魔力光が幾重にも交錯し、対空戦闘はすでに始まっている。
その中心――黄金の雷光が、一機、また一機とガジェットを撃ち落としていた。バルディッシュを振るう執務官。フェイト・T・ハラオウン。
彼女は新たな高速反応へ気づき、空中で視線を向ける。一筋の流星。目にも留まらぬ速度で戦域へ飛び込んでくる機体を認めた瞬間、その表情がわずかに緩んだ。
「ホーク……!」
ブルー・メテオは減速することなくフェイトの横を駆け抜ける。すれ違いざま、キャノピー越しに軽く片手を上げた。
「遅くなった、執務官様」
「来てくれて助かる!」
短いやり取りだけで十分だった。互いに視線を交わした瞬間、連携は成立する。フェイトは右側のガジェット群へ突入し、ホークは上空から広域索敵を開始した。ブルー・メテオの高性能レーダーが、空域全体を一瞬で走査していくその時だった。
「……!」
レーダーが新たな二つの高速反応を捉えた。あまりにも速い。ガジェットとは根本からベクトルの異なる機動力。人型――いや、戦闘機人。
ホークの視線が、前方の空へと向く。
白銀の残光を引きながら、二つの影が一直線に降下してきていた。一人は長身かつ、不敵な笑みを浮かべる女。もう一人は静かな瞳の奥に冷たい殺意を宿した少女。二人は空中でピタリと停止すると、まるで舞台へ上がる役者のように、悠然とブルー・メテオを見下ろした。
「ほぅ……」長身の女――トーレが面白そうに口角を吊り上げる。「聞いていたより、ずっと派手なのが来たじゃないか」
隣でセッテも静かに、冷徹な視線を機体へと向けた。
「識別完了。対象確認。ホーク・ネヴィル。優先監視対象と一致します」
その報告を聞いても、ホークの表情はピクリとも変わらない。ゆっくりと操縦桿を握り直し、二人を真正面から見据える。
「なるほど」低く笑う。「お前らが、よくできたお人形ちゃんってやつか」
一瞬で空気が変わる。トーレの笑みが、獲物を見つけた肉食獣のそれへと変わった。
そして、誰にも見えない位置から――その一部始終をモニター越しに見下ろす一人の男が、静かに口元を歪めていた。
ジェイル・スカリエッティ。長年観察し続けてきた「ホーク・ネヴィル」というイレギュラーな存在が、ついに自らの設計した舞台へと姿を現したことを、心から愉しむように。
モニターの向こうで、ジェイル・スカリエッティは静かに笑っていた。
その笑みは敵を前にした歓喜ではない。長い年月をかけて観察し続けた研究対象が、ようやく自ら実験場へ足を踏み入れた――そんな、純粋な研究者だけが浮かべる歪んだ愉悦だった。
「やあ、ホーク・ネヴィル」
穏やかな声が、通信を介して戦域全体へと響き渡る。どこか芝居がかった口調。どこまでも人を食ったような余裕。
「君と直接話すのは、これが初めてだったかな」
ホークは答えない。視線だけを真っ直ぐ前へ据え、ブルー・メテオを空中で微動だにさせない。しかし、操縦桿を握り締める指先だけが、静かに凄まじい力を帯びていた。
「君のことは、本当によく調べさせてもらったよ」
スカリエッティの操作により、彼のブリーフィングルームの大型モニターへ、一枚、また一枚と解析資料が映し出されていく。
管理局時代の記録。指名手配犯となって以降の交戦履歴。そして、逃亡生活で積み重ねられた膨大な戦闘データ。
「二挺のブラスターによる誘導、リフレクターによる思考停止。敵を翻弄する独特の戦闘サイクル……。そして――」
スカリエッティの口元が、さらに深く歪んだ。
「ブルー・メテオ」
銀蒼の機体を見つめる科学者の視線には、剥き出しの狂気的な興味が宿っていた。
「実に美しい。スティーブン・グレイという技術者は、本当に惜しい人材だったよ」
その名前が発せられた瞬間だった。ホークの胸の奥へ、封じ込めていた記憶が鮮烈によみがえる。
スティーブン・グレイ。かつてゼスト・グランガイツ隊に所属していた技術主任であり、ホークにとっては養父であり、育ての親だった。
八年前――あの戦闘機人事件。
ゼスト。クイント。メガーヌ。
スティーブンの信頼していた大切な仲間たちは、その事件によって理不尽に命を落とした。生き残ったスティーブンは、誰よりもその死を悔やみ、誰よりもその無念を背負い続けた。
管理局の支援を待つこともなく、ただ一人で設計図へ向かい続ける日々。眠る時間すら惜しみ、幾度となく試作と失敗を繰り返し、そうして血の滲むような執念の果てに完成させた一機の戦闘機が、この機体――『ブルー・メテオ』だった。
それは単なる破壊のための兵器ではない。亡き仲間たちの想いを空へ運ぶための翼であり、元凶であるジェイル・スカリエッティへと辿り着くためだけに生み出された、祈りそのものだった。
しかし、その願いは最後まで果たされることはなかった。
二年前。単独でスカリエッティ一味の拠点を追跡していたスティーブンは、二度と帰還しなかった。発見されたのは、激しい戦闘の痕跡だけ。
残されたブルー・メテオと、あまりにも重い復讐の意志だけが、ホーク・ネヴィルへと受け継がれた。
ホークの瞳から、一切の感情という色が消え失せる。一瞬にして空気が凍りついた。少し離れた位置にいるフェイトでさえ、その致命的な変化を肌で感じ取った。それほどまでに、静かで、底の知れない怒気だった。
「……その名前を」低く押し殺した声が、コクピットの通信機から漏れ出す。「お前が口にするな」
ホークの激しい怒りとリンクするかのように、ブルー・メテオが勝手に上昇を始めた。機体全体が、獲物を前にした飢えた獣のように唸り始める。
スカリエッティは楽しそうに肩をすくめた。
「おっと、失礼。だが彼のおかげで、君という稀代の戦術家が完成したのも事実だ。私としてはね、ぜひ一度、君からその機体を奪い、バラバラに分解して研究してみたいと思っているのさ」
「……黙れ」
それだけホークがこぼすのだった。短い二文字。しかし、その言葉に込められた絶対的な殺意だけで、空域全体の温度が数度下がったようにさえ感じられた。
その人生を二年前、スカリエッティ一味によって理不尽に断ち切られた恩人の顔が浮かぶ。ホークはその場にいなかった。救えなかった。だからこそ、この二年間という歳月は、彼にとって復讐だけを胸に積み重ねた時間でもあったのだ。
「その借りは」ホークは静かに言った。「今日、この空で返してもらう」
スカリエッティは満足そうに笑った。
「その目だ。私は、その目が見たかったのさ」
その瞬間だった。
通信ウィンドウの映像が、強制的に切り替わる。映し出されたのは、公開意見陳述会会場の状況ではなかった。
燃え上がる、別の建物。崩落する外壁。空を埋め尽くす無数のガジェット群。臨戦態勢で必死に迎撃する機動六課の隊員たち。
ホークの瞳が、激しく見開かれる。
「……何だ、それは」
映像の中央。見慣れたロングアーチ、見慣れた隊舎。炎に包まれているのは、紛れもなく自分たちの機動六課だった。
「どういう……ことだ」
スカリエッティは愉快そうに両手を広げる。
「私の計画は、一カ所だけではないよ。地上本部、公開意見陳述会、そして――機動六課。正面同時作戦だ」
ホークの呼吸が止まる。
頭の中の嫌な予感が、最悪の現実へと姿を変えた。あの基地には、留守を預かるロングアーチの仲間たちがいる。そしてそこには、エリオもキャロも、今まさに目的地として向かっている最中のはずだった。
次の瞬間、脳内へ強烈な念話が叩き込まれた。
『ホーク!!』フェイトだった。その声には、かつてないほどの焦りと怒気が入り混じっている。
『聞いて! 今すぐ六課へ戻って!!』
「だが――!」
『命令!!』今まで聞いたこともないほど、鋭く張り詰めた声だった。
『ここは私が引き受ける! エリオとキャロをお願い!!』
ホークは奥歯を噛み締め、血が滲むほどに操縦桿を握り潰した。視線はなおも、通信画面のスカリエッティを射抜いている。
あと一歩。あと一歩踏み込めば、この二年間追い続けた仇敵へ届く。だが――守るべき者たちは、別の場所で今まさに助けを求めている。
ホークはスロットルレバーを逆方向へと一気に引き絞った。操縦桿を引いた、その刹那だった。
「逃がすと思うか?」
トーレの姿が掻き消える。固有能力『ライドインパルス』。両の太ももと踝の部分に備えられた装甲から伸びる、虫状の羽として発現する。
爆発的な加速を生み、一直線にブルー・メテオへ肉薄する。
ほぼ同時、セッテも無機質に腕を振るった。
「スローターアームズ」
無数のブーメランブレードが空中へ解き放たれる。回転しながら軌道を幾重にも変え、退路そのものを計算通りに切り裂いていく。
「行かせるわけには、いきません」
前後左右、完全な挟撃。スカリエッティとクアットロの予測グリッドに基づいた、完璧な迎撃のハメ盤面。
だが――ホークは一切ブレーキを踏まない。
「邪魔だ」躊躇いもなくスロットル全開。
ブルー・メテオは限界近くまで垂直急降下したかと思えば、次の瞬間には機首を九十度近く引き起こす。慣性を無視した軌道に、トーレの突進が空を突き抜けた。
「なっ!」
さらに左ロール、右ロール、背面飛行。急減速から流れるような急加速。空そのものを自由自在に滑るような、超次元の立体機動。セッテのブーメランブレードが銀蒼の尾翼すれすれを掠めていく。
しかし、一枚たりとも触れられない。機体は、紙一重という極小の距離だけを残してすべてを無力化していく。
「馬鹿な……!」
セッテが初めて、鉄の仮面のような表情を驚愕に変えた。
「予測行動グリッドに……適合しません。こちらの計算が追いつかない」
ブルー・メテオの本質は速度だけではない。瞬間的な姿勢制御、推力偏向、精度を極めた軌道変更。スティーブン・グレイが執念の果てに造り上げた、唯一無二の飛翔体たる証明がそこにあった。
トーレが激しくなびかせ、不敵に笑う。
「ふん、面白い!」再び獰猛な追撃へ移ろうとした、その瞬間だった。
「ここから先は――」黄金の雷光が二人の前へ割って入った。「通させない!」
バルディッシュが唸りを上げる。
「プラズマランサー!」
解き放たれた黄金の雷槍が、一直線に空を切り裂いた。トーレとセッテは同時に鋭い回避行動へ移る。その一瞬だけ、二人の視線がブルー・メテオから完全に外れた。
「ホーク!!」フェイトは振り返らない。敵だけを見据えたまま、魂を乗せて叫ぶ。「行って!!」
返事はない。代わりに、ブルー・メテオのプラズマエンジン音だけが爆音となって応えた。
衝撃波の輪だけを空へ残し、銀蒼の機体は一瞬にして戦域から姿を消す。残されたトーレが忌々しげに舌打ちした。
「チッ……逃げ足の早い」
「いいえ」セッテは静かに首を振る。
「追撃は不可能です。現在速度、当機の計測限界を超過。追尾レーダーのロックが外れました」
「……なるほど」トーレはフンと肩を竦めた。「確かに、ドクターが分解したがるわけだ」
フェイトは真紅の光刃を放つバルディッシュを構え直す。金色の雷光が全身を包み、大気を激しく震わせる。
「あなたたちの相手は……私」
その瞳には、大切な物を守るための迷いはもう、微塵もなかった。
激しく交錯する戦闘空域を背に、ブルー・メテオは一直線に進路を変えた。
ホークは振り返らない。振り返れば、戻りたくなるからだ。
フェイトが命令ではなく、一人の執務官として、そして対等な仲間として自分に託したものを無駄にしてしまう。
「……頼んだ、執務官様」
呟きは、爆音にかき消えた。スロットルは限界まで押し込まれたまま。プラズマエンジンが咆哮を上げ、ブルー・メテオは空を裂いていく。
「最速で戻る」
それだけを繰り返すように、操縦桿を握り締める。脳裏に浮かぶのは、炎に包まれた機動六課。そして――エリオとキャロ。
間に合わせる。その一点において、今は動いている。機体は一筋の流星となり、一路、機動六課へと飛び続けた。
その頃、機動六課隊舎では、激戦が続いていた。エリオとキャロは現場へと駆け付けるも、ナンバーズとルーテシアによる手酷い迎撃を受ける。
仲間を守るため、エリオはガリューへ渾身の一撃を叩き込んだ。
しかし――完全な死角。その背後から、ディードの超高速突撃が容赦なく襲いかる。凄まじい衝撃によりストラーダが弾かれ、エリオの身体は大きく吹き飛ばされる。
「エリオくーーん!!」
キャロの悲痛な叫びも、激しい戦音に掻き消されて届かない。エリオは叩きつけられるように海面へと落下し、そのまま意識を失って暗い深海へと沈んでいった。さらに、オットーの魔法がフリードリヒを完全拘束し、キャロもまた身動きを封じられる。
状況の終了を確認し、ルーテシアたちはヴィヴィオを連れ、速やかにその場を離脱した。
後に残されたのは、炎に包まれた隊舎と、空を埋め尽くす大量のガジェット。まさに、機動六課にトドメを刺す寸前の絶望的な盤面だった。
数分後。機動六課の宙域を鋭く裂くように、一筋の蒼い光が飛来した。ホークは戦域へ到達すると同時に、高性能レーダーを最大稼働させる。
「……いた!」
海中に深く沈みゆく、微かな魔力反応を捉えた。
迷う暇はなかった。ブルー・メテオの機体を下側に向け、即座に自動操縦(オートパイロット)を設定する。高高度から、ホークは生身のまま空へと身を投げた。
「待ってろ!」
躊躇なく海へと飛び込む。冷たい海水が全身を包み込んだ。
沈みゆくエリオの身体を抱え、そのすぐ近くで呪文の鎖に拘束されたままのフリードリヒを確認する。ホークは強引にその拘束具を力任せに断ち切り、少年と巨竜を抱えて一気に海面へと浮上した。
海面へ飛び出した瞬間、自動操縦のブルー・メテオが正確に接近し、すぐ近くへと着水する。ホークはエリオとフリードを安全な陸へと運ぶと、ようやく岸の方向へ視線を向けた。
そこには、涙を流しながらも、必死の想いで立ち上がるキャロの姿があった。
「お願い……」少女の小さな身体から、常軌を逸した凄まじい召喚魔力が溢れ出す。
「壊さないで……、私達の居場所を、壊さないでー!!」
天地を狂おしく揺るがす咆哮が、戦域全体へ響き渡った。
巨大な黒き火竜――ヴォルテール。その圧倒的な巨体が空を覆い尽くした瞬間、無数のガジェットへ向けて灼熱の業火が降り注ぐ。黒炎の奔流は一瞬にして空のすべてを連鎖的に飲み込み、密集していたガジェット群を跡形もなく焼き尽くしていった。
爆炎だけが、空を不気味に赤く染めていく。ホークはあまりの質量と熱量に、思わず目を見開いた。
「……キャロの奴」
燃え盛る空を見上げ、小さく熱い息を吐き出す。
「こんなデカい力を隠してやがったのか」
機械の残骸が黒い雨のように降り注ぐ中、ホークは気絶したエリオとフリード、そして限界を迎えて泣き崩れるキャロを見渡し、不器用に、だがどこか誇らしげに苦く笑った。
「……まったく」すべてが焼き払われた空を仰ぎ見る。
「シャレたことをしてくれたじゃねえか」
まだ戦える。機動六課は、まだ終わらない。