魔法少女リリカルなのはStrikerS ~STAR HAWK:Lone Flight~ 作:マジフジ
自らの無謀な行動を悔やむスバルに対し、ティアナは告げる。まだ何も終わってはいない。ギンガもヴィヴィオも、必ず取り戻すのだと。
一方、陸士108部隊の会議室では、ゲンヤ・ナカジマが戦闘機人事件の過去を語り始める。
明かされるのは、ギンガとスバルの出生、クイントの死、そしてホーク・ネヴィルが管理局を離れ、ブルー・メテオとともに孤独な戦いへ身を投じた理由だった。
彼が背負い続けてきたものを知った仲間たちは、改めて決意する。
もう二度と、彼を一人で戦わせないと。
翌朝。薄明の光が、半壊した機動六課隊舎を白々と照らしていた。
崩れた外壁の隙間から朝日が差し込み、床に散乱したガラス片を冷たく光らせている。焼け焦げた梁には黒い煤がこびりつき、倒壊したロビーの奥からは、昨夜の火災が残した臭いがいまだに漂っていた。
あれほど確かに存在していた日常は、目を凝らしても見つからない。
それでも、誰一人として足を止めなかった。まだ、何も終わってはいないのだから。
倒壊したロビーの跡地を、局員たちが忙しなく行き交っていた。被害状況を記録する者、破損した設備を分類する者、危険区域の封鎖を確認する者。それぞれが与えられた役目を果たし、混乱の中に少しずつ秩序を取り戻そうとしている。
その中心で、携帯端末を片手に指示を飛ばしていたのが、ティアナ・ランスターだった。
「そのラックは保全班へ回して。サーバー関係はシャーリーさんが戻るまで触らないで」
「はい!」
「瓦礫は搬出口ごとに分類。崩落の危険が残っている区域には、絶対に立ち入らないこと。判断に迷ったら、作業を止めて報告して」
返事を確認すると、ティアナは端末に視線を戻した。
フォワードのリーダーとして培ってきた戦術眼は、混迷を極めた現場でも彼女の判断を鈍らせない。何を優先し、どの作業を後回しにするべきか。必要な情報を拾い上げ、状況を整理し、次の指示へと変換する。その手順に迷いはなかった。
だが、ふとした拍子に視線が止まることがあった。
崩れた壁の向こうには、昨夜まで食堂として使われていた区画が見える。黒く煤けた床に転がるテーブルの脚。破れたカーテンの隙間から覗く、ひび割れた窓。その光景を目にするたび、脳裏には別の景色が浮かびかけた。
連れ去られたヴィヴィオとギンガ・ナカジマ。
半壊した隊舎に取り残された、ロングアーチのスタッフたち。
そして、昨日の現場で見たホークの背中。
ティアナは端末を握る手に力を込めた。画面の文字が一瞬だけ滲み、彼女は瞬きをして焦点を合わせ直す。
今は、立ち止まるわけにはいかない。やるべきことは山ほど残っている。自分が手を止めれば、現場の作業にも遅れが出る。胸の奥に引っかかったものを抱えたままでも、前へ進むことはできるはずだった。
「ティアナ」
背後から声が掛かった。彼女は端末を下ろし、振り返る。高町なのはが、シグナムを伴ってこちらへ歩いてきていた。
「現場の方はどう?」
「大きな問題はありません。危険区域の封鎖も、一通り完了しました。残存設備については保全班と連携して確認を進めています」
「そう。ありがとう。助かるよ」そう言いながら、なのはは、小さく頷いた。
単なる労いではない。混乱の続く現場の一角を任せられるという、指揮官からの信頼がそこにあった。
ティアナは姿勢を正し、端末を持ち直す。その様子を見届けてから、シグナムが口を開いた。
「ネヴィルは休暇に入った」
「……はい」
ティアナの指先が、端末の縁で止まった。
「これよりフォワードは、お前がまとめろ」
シグナムは真っ直ぐに彼女を見据えた。
「もともと、その役目はお前にある。今さら背負うものが変わるわけではない。ただ、お前が先頭に立つ時間が少しばかり増える。それだけだ。現場検証の指揮はこちらで引き受ける」
今までと同じように務めを果たせ。任された仕事に向き合え。言葉にされていない要求まで、ティアナには伝わっていた。彼女は一度だけ息を整え、背筋を伸ばす。
「……了解しました」
なのはが、わずかに表情を和らげた。
「それとね。フェイト隊長も病院にいるはずだから、もう一つお願いがあるの」
なのはの視線が、瓦礫の陰に置かれた大きな紙袋へ向かう。
「ホークから預かった見舞い品。みんなのところへ届けてあげてくれる?」
袋の表面には、受け取る者の名前が一つずつ記されている。無骨で、ところどころ文字の大きさが揃っていない。それでも、誰に宛てたものなのかは一目で分かった。
今の彼には、あの病室の扉を開けることができないのだろう。
ならば、自分が代わりに届ける。
ティアナは紙袋へ歩み寄り、取っ手が破れないよう両手で抱え上げた。想像していた以上の重みが腕にかかり、彼女は一度だけ持ち直す。
「……行ってきます」
ホークが口にできなかった言葉を、仲間たちへ繋ぐ。
彼女は紙袋を抱え直し、隊舎を後にした。病院へ到着すると、ティアナは真っ先にロングアーチのスタッフが入院している病棟へ向かった。
廊下には医療スタッフが忙しなく行き交い、消毒薬の匂いが空気に染みついていた。開いた病室からは、安堵したような笑い声が漏れる一方、痛みに耐える患者の小さな呻き声も聞こえてくる。
廊下の壁際には、治療を終えた隊員たちが一時的に移動用の車椅子へ座らされていた。包帯で固定された腕を抱え、窓の外を見つめている者もいる。医療スタッフが声を掛けると、彼らはぎこちなく頷き、再び顔を伏せた。
目指す病室の前で立ち止まり、紙袋を抱え直してから、そっと扉を開ける。
室内では、フェイトがベッドに横たわるシャーリーたちと話をしていた。
シャーリーの肩は細かく震えていた。顔を覆う手の隙間から、押し殺そうとしても抑えきれない嗚咽が漏れている。フェイトはその傍らに腰を下ろし、声を荒らげることなく、彼女が落ち着くのを待っていた。
扉の開く音に気づき、フェイトが振り返る。
「ティアナ」
「フェイトさん」
「その袋は……?」
「ホークからの差し入れです」
フェイトの瞳が、ごくわずかに揺れた。問いかけようとした唇が動きかけ、やがて閉じられる。
「……そう」
ホークが病院へ来なかった理由も、今の彼がどこにいるのかも、詳しく聞かずとも想像できた。誰よりも強く仲間を案じながら、負傷した者たちの前に立つことができない。彼の頑なな沈黙を、フェイトもまた知っていた。
「きっと、みんな喜ぶよ」フェイトは、静かに微笑んだ。
ティアナは頷き、病室の台へ紙袋を置く。中から取り出した小袋を一つずつ並べ、表面に書かれた名前を確かめていった。
「ホークからです」
無骨な筆跡を見て目を丸くする者がいた。袋の中身を確かめたあと、彼らしい選び方だと口元を緩める者もいる。品物を手にしたまま、視線を落とし、しばらく黙っている者もいた。
どの袋にも、受け取る者の名前が記されていた。中身も一律ではない。果物や飲み物に加え、雑誌や菓子、時間を潰すための小物まで、それぞれの好みや入院中の過ごし方を考えて選ばれている。
大したことではない、とホークなら言うだろう。
だが、これだけの品物を揃え、名前を書き、間違いがないように分類するには、それなりの時間が必要だったはずだ。あの夜の戦場で、彼が何を考えながらこれを準備したのか。ティアナには、簡単に想像がついた。
やがて、袋をすべて配り終える。
ティアナはフェイトへ向き直り、軽く会釈した。
「では、私はこれで」
「うん。ありがとう、ティアナ」
病室を出る直前、ティアナは一度だけ振り返った。
フェイトは、まだシャーリーたちの傍らにいた。受け取った小袋を抱える者もいれば、品物を台へ置き、窓の外を見つめている者もいる。フェイトはその一人ひとりへ目を向け、言葉を選びながら話を続けていた。
ティアナは静かに扉を閉めた。
次に向かう先は、フォワードの三人が入院している病室だった。腕の中には、まだ三つの小袋が残っている。
ここからは、彼らのリーダーである自分が届けなければならない。
病室の扉を開けると、ベッドに横たわっていた三人の視線が一斉にティアナへ集まった。
「ティア……」
最初に声を上げたのは、スバルだった。
いつもなら真っ先に起き上がろうとする彼女も、今は身体を動かすだけで顔をしかめている。ティアナはその様子を見つめながら、あえて普段どおりの調子で歩み寄った。
「差し入れ、いろいろ持ってきたわよ。どうせ三人とも、病室のベッドの上で退屈して、ろくに食べてないんでしょ」
「えっ、そんなことないよ!」
スバルが反射的に声を上げ、すぐに身体を動かしかけた。痛みが走ったのか、顔がわずかに歪む。
「……ほら、無理しないの」
「うう……」
「それと、これはホークから」
「ホークさんから……?」キャロが目を丸くしながら答えた。
「ええ。本人はちょっと用事があって来られなかったんだけどね。中身は、あいつなりに考えた見舞い品よ」
ティアナは小袋を一つずつ手渡した。
三人は、それぞれ両手で受け取った。スバルは袋の表面を見つめたまま、しばらく口を開かなかった。エリオは名前の文字を確かめたあと、袋をそっと台の上へ置く。キャロは大切なものを扱うように、両腕で胸元へ抱え込んだ。
あの男が、自分たちを忘れたはずはない。むしろ、何も言わずに見舞い品を用意してくれたことが、彼の代わりに答えを示しているようだった。
ティアナはスバルの上半身へ視線を移した。
「……腕、動かせるの?」
「あはは……」スバルは、気まずそうに笑った。
「神経ケーブルがちょっとやられちゃってさ。今はまだ全然動かせないんだけど、何日かしたら元どおりになるって。だから、心配ないよ」
ティアナは小さく息を吐いた。肩から入りっぱなしだった力が、ほんの少しだけ抜けていく。
「そう……」
スバルの視線が、一瞬だけ自分の手元から離れ、窓の向こうへ向かう。指先が小袋の端をつまみ、紙を折らないように力加減を調整していた。
ティアナは椅子を引き寄せ、ベッドの傍らへ腰を下ろした。
「それで……二人にはどこまで話したの?」
「私と、ギン姉の生まれ……そこまでかな」
「そう……」
スバルとギンガが、通常の人間とは異なる出生の秘密を持っている。その事実は、すでに彼女の中でも整理しきれない重さを持っていた。戦闘機人、タイプゼロ・ファースト。その呼び名が示すものを、今この場で一から問い直す必要はない。
病室に短い沈黙が流れた。
エリオとキャロが視線を交わし、互いに小さく頷く。やがて二人は、遠慮がちにベッドから立ち上がった。
「……何か温かいものを買ってきます。スープなら、食べやすいと思うので」
「あ、私も行きます。お腹に優しいものがいいですよね」
「ええ、お願い。二人とも、ありがとう」
扉が静かに閉じられ、病室にはティアナとスバルだけが残された。
スバルは小袋を胸元に置いたまま、じっと自分の手を見つめていた。
「……ごめん」
「なにが?」
「私が……先走った。ティアにもいっぱい心配かけたし……みんなにも……」
包帯に覆われた指がシーツをつまむ。ほんの少し力を込めるだけで、皺が寄った。スバルはそれを見つめたまま、次の言葉を探しているようだった。
ティアナは、椅子の背へ身体を預けた。
「まずは退院したら、マッハキャリバーにしっかり謝っときなさい」
「……え?」
スバルが顔を上げた。
「無茶な走らせ方をしたでしょう。あの子だって、あなたを守るためにボロボロになるまで頑張ったんだから」
思いも寄らない名前を出され、スバルは何度も瞬きをした。
やがて、口元がわずかに歪む。笑おうとしているのか、唇を噛み締めようとしているのか、自分でも決めかねているような顔だった。
「反省しなきゃいけないところは、もちろんお互いにたくさんあるわ」
「でもね。全部をあなた一人で背負うことじゃないのよ」
スバルは何も言わず、ただ、ティアナを見つめていた。目元にはまだ疲労が残り、唇には噛み締めた跡が薄く浮かんでいる。
「ギンガさんは、生きてると思う」ティアナは、はっきりと告げた。
「スカリエッティの真の目的は、タイプゼロの回収だった。もし殺すつもりなら、あの場でそうしていたはずよ。あいつらはギンガさんを連れ去った。……だから、まだ取り戻せる」
先ほどまで床へ落ちていた視線が、ゆっくりとティアナの顔へ戻ってくる。彼女は息を吸い込みかけ、けれど言葉を挟まず、次の言葉を待った。
「なのはさんも、フェイトさんも、はやて部隊長も。ロングアーチのみんなだって……今も、できることを探して動いてる」
ティアナは椅子から立ち上がり、ベッドの傍らへ一歩近づいた。
「もちろん――ホークだって」
その名を口にした途端、脳裏に昨日の光景が浮かび上がった。
瓦礫の中で膝を折り、焼け焦げたぬいぐるみを前にしていたホーク。誰に何を言われても顔を上げず、血が滲むまで拳を握り締めていた男。最後に絞り出した、ヴィヴィオへの詫びの言葉。
ティアナは一度、息を整えた。
「あいつ、ヴィヴィオが大切にしていたぬいぐるみを見つけた時……何も言えなくなっていたわ」
スバルの手が、シーツの上で止まった。
「拳から血が出るほど、自分の手を握り締めていた。それでも、叫ぶことも、誰かに当たり散らすこともしなかった。全部、自分の中へ押し込めて……一人で耐えようとしていたのよ」
「だから、私には分かる。ホークだって、すべてを取り戻すつもりでいる。ギンガさんも、ヴィヴィオも。あいつは一ミリだって諦めてなんかいないわ」
彼が何を考え、どこまでの覚悟を固めたのか、ティアナにすべてを知る術はない。それでも、昨日の背中を見たからこそ、断言できることがあった。
今は誰とも顔を合わせず、一人で傷を抱えている。だが、それで戦いを投げ出したわけではないはずだ。
「私たちの任務は、まだ終わってない。ううん、これからよ」
ティアナは、スバルの目を真っ直ぐに見つめた。
「スカリエッティ一味を全員捕まえる。ギンガさんを取り戻す。ヴィヴィオを取り戻す。そして――みんなで、またあの隊舎へ帰るのよ」
ティアナは右手を差し出した。
「だから、もう下を向くのは終わり」
「私たちフォワードが、ここから立ち直る番よ。スバル」
スバルは、その手を見つめていた。指先がわずかに動き、シーツの皺が緩む。彼女が顔を上げるまで、ティアナは手を引かなかった。
同じ頃、陸士一〇八部隊の会議室には、肌を刺すような緊張が満ちていた。長机を挟んで席につくのは、高町なのは、フェイト・T・ハラオウン、シグナム、ヴィータの四人。大型モニターには、聖王教会から通信参加しているクロノ・ハラオウンとカリム・グラシアの姿が映し出されていた。
さらに、その回線は管理局病院の病室へも繋がれている。グリフィスやルキノをはじめ、軽傷で会話が可能なロングアーチのスタッフたちも、それぞれのベッドから画面を見つめていた。誰もが十分な休息を取れていないはずだったが、画面から目を逸らす者はいなかった。
ヴィヴィオとギンガ・ナカジマ。
奪われた二人を取り戻すためには、敵の目的と、その背後にあるものを知らなければならない。
今回の事件は、単なる違法研究施設の摘発では終わらない。長年にわたって管理局の目を逃れ、複数の施設を運用し、戦闘機人という禁忌の技術を発展させてきた組織。その実態を把握するためには、過去の事件へ遡る必要があった。
会議室の前方で腕を組んでいたゲンヤ・ナカジマが、ゆっくりと息を吐いた。
机上の湯呑みへ目を向け、手を伸ばしかける。だが、指先が触れる寸前で動きを止め、彼は改めて一同を見回した。
「……さて。まずは、どっから話したもんかな」
誰もすぐには口を開かなかった。やがて、モニターの向こうからクロノの声が届く。
「三佐が追ってこられた戦闘機人事件からお願いできますか」
「できれば、ギンガとスバル、それから……奥様のことも」
フェイトが、慎重に言葉を添えた。
ゲンヤは彼女の顔を見たあと、ゆっくりと目を閉じた。しばらくして開かれた瞳には、遠い記憶を辿る者の陰が宿っていた。
「ああ」
「まず、戦闘機人ってものが、どういう経緯で生まれたのか。その辺りから話す必要があるな」
彼の説明によれば、戦闘機人の技術的な源流は、旧暦の時代にまで遡る。
人型の戦闘機械を開発しようという試みは、古くから各地で行われてきた。魔導技術と機械工学を融合させ、人間の姿を模した兵器を造り上げる。構想そのものは珍しいものではなかったが、実用化へ至る道は険しかった。
人間の身体には、複雑な生命活動を維持するための仕組みが組み込まれている。機械によって失われた機能を補う医療技術ならば、すでに多くの実績があった。人工骨格や人工臓器の研究も、その延長線上にある。
だが、戦闘能力の飛躍的な向上を目的とし、生体そのものに機械を組み込むとなれば話は違う。
生体の拒絶反応、長期的な維持管理、魔力回路との適合性。身体の成長に伴う構造上の問題。それらを克服しなければ、兵器として安定して運用することはできない。
「ところが、戦闘機人はその壁を越えちまった」
人間に機械を合わせるのではない。
最初から、機械を受け入れられる身体を人間の側に用意する。
誕生する前の段階から機械との融合を想定し、生体機能と人工的な機構を一体化させる。それは、従来の医療技術とは明確に異なる発想だった。
戦闘機人とは、その思想を形にした存在だった。
そして、その技術を完成へと導いた男の名が、ジェイル・スカリエッティである。
モニターの向こうでは、クロノが腕を組み直している。カリムは伏せていた目を上げ、ゲンヤの次の言葉を待っていた。
「十一年前のことだ。まだスカリエッティの名前が広く知られていなかった頃、俺の女房――クイント・ナカジマは、陸戦魔導師として戦闘機人が絡む事件を追っていた」
彼の視線が、机上の何もない一点へ向けられた。
違法研究施設の制圧。暴走した試作機の捕獲。表沙汰にできない場所で繰り返される実験と、その後始末。
当時の捜査記録は、表立った資料として残されていないものも多い。施設が発見された時にはすでに責任者が逃亡していたり、研究設備が破壊されていたりすることも珍しくなかったという。
クイントは、それらの事件を追う中で二人の幼い実験体を保護した。
「それが……ギンガとスバル」
「そうだ」
ギンガとスバルは、初めから兵器として生み出された子供だった。
保護された時、二人はまだ幼かった。自分たちが何のために造られ、どんな目的で扱われていたのか、そのすべてを理解できる年齢ではなかったはずだ。
それでも、身体に組み込まれた機構や、残されていた研究資料は、彼女たちの出自を否応なく示していた。
クイントは、その事実を知った上で二人を連れ帰った。
ゲンヤの口元に、かすかな笑みが浮かぶ。
「女房はな、二人を見つけた時、迷わず言ったんだ」
彼は少しだけ顔を上げた。
『この子たちは私たちの娘として育てる』
子供に恵まれなかったナカジマ夫妻にとって、二人との出会いは思いがけないものだった。髪の色も、顔立ちも、どこか自分たちに似ている。妻はそう言って笑い、二人を抱きしめたという。
研究対象として引き渡すつもりはなかった。どれほど上層部が関心を示しても、どんな理由を並べられても、二人を再び実験台へ戻すことだけは認めなかった。
やがて、二人は家族の中で育ち始めた。食卓を囲み、日常の作法を覚え、学校へ通い、少しずつ自分の意思を言葉にするようになった。
「……だが、そんな時間は長くは続かなかった」彼の声が低くなる。
「八年前、女房は特秘任務中の事故という名目で、この世を去った」
その一言のあと、ゲンヤは長く黙り込んだ。
フェイトが目を伏せる。なのはは両手を机の上で組み合わせ、ヴィータは歯を食いしばったまま視線を落としていた。シグナムも口を開こうとはしなかった。
公式記録に残されているのは、任務中の事故による死亡という事実だけだった。
だが、ゲンヤはその説明を受け入れきれずにいた。彼の右手が、湯呑みの脇でゆっくりと握り締められる。指の関節が白く浮き、親指が人差し指の付け根を押さえ込んだ。
妻は何を見たのか。誰の手によって、どこまでの真実が隠されたのか。確かな証拠を掴めないまま、八年が過ぎていた。
過去の説明だけで、妻の死にまつわる疑念を否定することはできなかった。
「……本当ならよ」ゲンヤは乾いた笑いを漏らした。
「俺は、あの時点ですべてを投げ捨ててでも事件を追いかけるべきだったのかもしれねぇ」
妻を失った直後、何度も拳を握り、何度も調査資料を読み返した。手元の書類を破り捨てようとしたことさえある。けれど、そこで立ち止まることはできなかった。
残された二人の娘がいたからだ。
クイントと交わした最後の約束。ギンガとスバルを、立派な一人前に育てるという誓い。それを放り出してしまえば、妻とともに守ろうとしていたものまで失うことになる。
不用意に動けば、誰かに気づかれる。派手に調査を進めれば、捜査の痕跡そのものを消されるかもしれない。だから、できることを少しずつ積み重ねるしかなかった。
表に出せない記録を調べ、関係者の足取りを追い、途切れた情報を繋ぎ合わせる。いつか、真実を公にできる日が来ることを信じて。
「……だが」その一言で、室内の視線が再び彼へ集まった。
「もう一人、あの事件を追い続けた男がいた」
「スティーブン・グレイ。女房と同じ隊に所属していて前線で戦っていた、魔導師だ」
名前を聞いたフェイトの表情が変わった。
「八年前の任務で、あいつは別件を担当していた。だから、あの現場にはいなかったんだ」
「クイントの訃報を聞いた時、あいつは今にも一人で敵地へ乗り込んでいきそうな勢いだった。止めなけりゃ、本当に仇討ちへ走っていたかもしれねぇ」
クイント・ナカジマ。ゼスト・グランガイツ。メガーヌ・アルピーノ。
同じ時代の前線で背中を預け、幾度となく危険な任務を乗り越えてきた者たち。彼らの戦いは常に生死の境目にあり、一つの任務を終えたからといって、次の任務で全員が無事に帰れる保証はなかった。
やがて、帰らない者が出る。
そのたびに、生き残った者は名前を記憶し、残された者のために報告書を書き、次の任務へ向かった。
スティーブンもまた、そうした戦場を生きてきた男だった。
「俺にはギンガとスバルがいた。約束もあった。だから、怒りを押し殺して地道に調べる道を選んだ」
「だが、スティーブンには……立ち止まる理由がなかった」
家族を守るために動きを制限されたゲンヤとは対照的に、スティーブンは独自の調査へ踏み込んでいった。
管理局の目を避けながら、戦闘機人事件に関する記録を集める。違法研究施設の存在を確認し、意図的に抹消された資料を追い、事件の関係者が相次いで行方をくらませる理由を調べる。
「そして、あいつがその捜査の途中で設計を始めたのが、一機の試作戦闘機だった」
「ブルー・メテオ……」
彼女の視線には、機体の能力だけでは測れないものを確かめようとする色が浮かんでいた。
「あれは単なる高性能な魔導戦闘機じゃねぇ。あいつは、こう言ってたよ」
『もう二度と、仲間を見殺しにはしたくない』
けれど、そこにはスティーブンが背負ってきたものが詰まっていた。そして、自分だけが生き残ってしまったという思いを、いつまでも抱え続けないために。
戦場で失われたものを、二度と取りこぼさない。危険が迫る場所へ真っ先に駆けつけ、救うべき者の前へ割って入る。どれほど困難な状況でも、生きて帰る道を見つける。
「……だが、あいつ自身は、その完成を見届けることができなかった」
「二年前、スティーブンは突然消息を絶った。その後、管理局の管轄下に、変わり果てた遺体だけが送り返されてきた」
それは、事故による死亡を報告するための書類が届いたという話ではない。長く追い続けていた友人が、本人の意思も、最期の言葉も残せないまま、遺体となって帰ってきたという話だった。
その死が誰の手によるものなのか、ゲンヤには分かっていた。
ジェイル・スカリエッティ。
スティーブンが追い続けていた事件の黒幕から突きつけられた、あまりにも冷酷な返答だった。
フェイトが息を呑む。
なのはは顔を上げたまま動かず、ヴィータの拳が机の下で硬く握られた。シグナムの目には、静かな怒りを押し留めるような鋭さが宿っている。
「……まさかとは思ったさ」
「だが、その後に独自のルートで調べていくうちに、すべての理屈が繋がっちまった」
「ホーク・ネヴィルの養父こそが、スティーブン・グレイだったんだ」
フェイトの肩が、小さく揺れた。
彼女はしばらく口を開けず、膝の上で組んだ指をゆっくりと握り直した。なのはは視線を落とし、シグナムは目を細める。クロノもまた、モニターの向こうで表情を引き締めていた。
「その瞬間だったよ。今までバラバラだった点と点が……一本の、血生臭い線になっちまったのは」
「十五になったばかりのガキが、なぜ士官学校から突然姿を消したのか。なぜ完成したブルー・メテオと一緒に失踪したのか」
「なぜ管理局の組織力に頼らず、たった一人で危険な違法研究施設へ潜り込んでいたのか。どうして、あちこちから情報を奪い続けていたのか」
これまでホークが見せてきた粗暴な態度。管理局という組織への根深い不信。上官の指示にも従順とは言い難い振る舞い。危険を承知で現場へ踏み込み、必要とあれば独断で作戦を進める姿勢。
それらは、一つずつ見れば、若さゆえの無鉄砲さや反抗心と片づけられるものだった。
だが、その奥にある過去を知った今、同じ行動が別の意味を帯び始めていた。
「全部、あいつなりに……養父の無念と遺志を背負って、この呪われた戦いを終わらせようとしていたんだろうよ」
やがて、クロノが腕を組み直した。
「……なるほど。これで、彼の行動原理は理解できました」
「士官学校を去り、たった一人で事件を追い続けた理由。危険を承知で違法研究施設へ潜入した理由。管理局を頑なに信用しなかった理由。そして、スカリエッティへ異常なまでの執着を見せていた理由……すべて、一本の線に繋がりました」
クロノは一度、視線を落とした。
「正直に言えば、私は彼を誤解していました。無鉄砲な若者であることは間違いありません。ですが、養父の遺志を継ぎ、自分なりの正義を貫こうとしていた。その覚悟だけは、本物だったのでしょう」
ホークが繰り返してきた独断行動を、すべて正当化することはできない。部隊の安全を損なう行為も、命令系統を無視する振る舞いも、現場で見過ごせるものではなかった。
それでも、その根にあったものを知ってしまった今、単に規律を守れない男として扱うことはできなかった。
「ですが」
静かに言葉を継いだのは、カリムだった。
モニター越しの彼女は、膝の上で手を重ね、目を伏せていた。やがて顔を上げると、穏やかながらも揺るぎない声音で続ける。
「だからといって、その歩みを肯定することはできません」
「あまりにも長い間、すべてを一人で背負いすぎました。誰にも頼らず、誰にも打ち明けず、誰にも悲しみを分けることなく……自分だけで終わらせようとしたのです」
フェイトの視線が、ゆっくりと下がった。
なのはは組んだ指に力を込め、シグナムは口を結んだまま、正面のモニターを見つめている。
「結果として、彼は多くの情報を集め、数々の真実へ辿り着きました。その功績は決して小さくありません。ですが、その過程で彼自身がどれほど自分を追い詰めてきたのか……それも、無視してはならないことです」
「孤独は、人を一時的に強くすることがあります。自分以外に頼るものがなければ、立ち止まる余地もなくなるのでしょう。ですが……孤独は、その人を救ってはくれません」
この場にいないホークの姿を、誰もが思い浮かべていた。
何を尋ねても、必要最低限の答えしか返さない男。痛みを抱えていることを悟られれば、すぐさま皮肉で話を切り上げる男。自らが傷つくことには頓着せず、仲間が傷ついた時には誰よりも早く現場へ駆けつける男。
彼は誰かに助けを求める方法を知らなかったのかもしれない。
知っていたとしても、頼るという選択肢を自分に許してこなかったのかもしれない。
「彼が本当に必要としていたのは、新しい武器でも、新しい力でもなかったのでしょう」
「もっと早く、共に戦う仲間がここにいるのだと伝えられていれば……結果は違っていたのかもしれません」
ホークが誰にも頼らず戦い続けていた間、彼はまだ少年だった。養父を失い、その遺志を受け継ぎ、管理局にも頼らずに敵を追い続けた。その長い戦いの中で、彼が誰かに助けを求める機会は、どれほどあったのだろう。
「……だから俺や八神は、あいつを六課へ送り出したんだ」
「もう、あいつを一人で戦わせねぇためにな」
なのははゆっくりと頷いた。
フェイトも目を閉じ、胸の前で組んだ指を解く。シグナムはまっすぐに前を見据え、ヴィータは小さく鼻を鳴らしたあと、組んでいた腕を解いた。
ホーク・ネヴィルは、無敵の英雄などではない。
ただ、自分が傷ついたことを誰かに知らせるより先に、次の戦場へ向かうことを選んできた青年だった。
そして今、彼は再び一人になろうとしている。休暇という名目のもと、監視下に置かれた空き家へ移り、誰にも会わず、何も語らず、自分の内側に抱えたものを一人で処理しようとしている。それが彼の望む距離なのだとしても、そのまま放置していいわけではない。
ギンガとヴィヴィオを取り戻し、スカリエッティ一派の全容を暴き、事件を終わらせる。そのために、彼らは今まで以上に強くならなければならない。
戦いの果てに、仲間を一人きりで残さないこと。
なのはは、机の上で両手を重ね直した。フェイトは顔を上げ、モニターに映るクロノとカリムへ視線を向ける。シグナムとヴィータも、それぞれ姿勢を正した。
今度こそ、ホークを一人で戦わせない。その決意を口にする者はいなかった。けれど、静まり返った会議室の中で、それぞれの視線は同じ方向を向いていた。