魔法少女リリカルなのはStrikerS ~STAR HAWK:Lone Flight~ 作:マジフジ
奪われたものを取り戻すため、再び戦場へ向かうホーク。かつて彼を突き動かしていたのは、すべてを焼き尽くすほどの憎悪だった。だが、彼の背中を支える手があることを、今の彼は知っている。
愛機の秘密を賭けて宿敵に挑戦状を叩きつける青年。その空の先に待つのは、復讐の成就か、それとも過去を乗り越えた先にある新たな未来か。
束の間の休暇を終え、ホーク・ネヴィルはアースラへと戻ってきた。
艦内には以前と変わらぬようでいて、どこか張り詰めた冷たい空気が漂っている。臨時司令部としての機能を果たすべく、慌ただしく行き交う大勢の局員たち。通路のあちこちでは整備班が慌ただしく資材を運び込み、通信士たちは絶え間なく鳴り響く端末へと向かっていた。焼け落ちた機動六課隊舎に代わり、今、この巨大な鋼鉄の艦が六課の新たな拠点、そして反撃の砦となっているのだ。
ホークは身だしなみを確かめるように制服の襟元を一度整えると、静かに通路を歩み進めた。すると前方から、聞き慣れた凛とした声が降ってくる。
「お、帰ってきたのね」
ティアナだった。フォワードのリーダーとしての表情を崩さないまま、彼女はこちらへ歩み寄ってくる。
「ティアナ。ああ、たった今休暇は終わりだ」
ホークは軽く片手を上げながら応じた。ティアナは彼の顔を覗き込むようにして、少しだけ声音を柔らかくする。
「ちゃんと休めた?」
「……まあ、それなりにな」
どこか濁したようなホークの曖昧な返事に、ティアナは小さく笑みをこぼした。だが、すぐに自然な動作で表情を引き締め、本題を切り出す。
「一応、現状の報告だけしておくわね」
「ああ、頼む」
「前線のフォワードメンバーは全員、予定どおり退院して元通りよ。もう任務に出ても支障ないレベルに回復してるわ。だからそこは安心して」
「そうか」ホークは胸の内で静かに安堵を噛み締めながら頷いた。
しかし、ティアナはそこで一拍置き、少しだけ目元にかげりを落として言葉を続けた。
「ただ……ヴァイス陸曹とザフィーラは、まだ退院できてないの」
その名を聞いた瞬間、ホークの瞳が僅かに揺れ、静かに視線が伏せられた。
自然と、あの日の凄惨な光景が鮮明に脳裏をよぎる。全身を自らの血で赤く染め上げながらも、狙撃手としての誇りと執念で六課の背中を守り続けたヴァイス。そして、圧倒的な破壊の嵐の前に自ら盾となって無数の傷を負った、不屈の守護獣。どちらも、自らの命を完全に削りながら、文字通り最後まで仲間を守り抜いた男たちだった。
「……あいつら、かなり酷かったもんな、怪我は」
低く、絞り出すように漏らしたホークの声には、容易に拭いきれない重さが滲んでいた。ティアナもその痛みを分かち合うように、静かに、優しく頷く。
「でも、命に別状はないわ。峠はもう完全に越えた。ただ、もう少しだけ絶対安静が必要なだけ。心配いらないわよ」
「……なら、いい」
短い、それだけの一言だった。けれど、ホークの肩からは確かに張り詰めていた呪縛のような力が、ゆっくりと抜けていく。
「全員、生きているか」ホークは小さく、深く胸の空気を吐き出した。
最悪の結末だけは、みんなの絆が繋ぎ止めた。その厳然たる事実だけで、今は十分すぎるほどだった。
ひと通り互いの近況を話し終えた頃だった。
ティアナの腰の携帯端末が短く電子音を響かせた。画面の通知を確認した彼女は小さく頷き、ホークへ向き直る。今から隊長たちのところへ来てほしいという、臨時の作戦会議への招集だった。機動六課の今後についての方針が決まったのだという。
その言葉を聞いた瞬間、ホークの表情がわずかに引き締まった。
休暇中、何もない自宅で頭の中で幾度も繰り返していた問い。自分たちは次に何をするべきなのか。ジェイル・スカリエッティたちは未だ捕まっておらず、奪われたギンガもヴィヴィオも、未だ敵の冷酷な掌中に囚われたままだ。ホークは「分かった」と短く答えると、先を歩くティアナの後に続いて静かに歩み始めた。
案内されたアースラ艦内の一室は、臨時の作戦会議室として使用されていた。部屋にはすでに、なのは、フェイト、キャロ、アルト、そして奥の席にはやてとグリフィスという六課の面々が集まっていた。
扉が開き、ホークが入室すると、何人かの視線がこちらへと向けられる。
なのはが「戻ってきたんだね」と安心したように微笑み、その無事な姿を歓迎した。ホークは短く「ああ」とだけ返事を返したが、その声は以前までのような刃のように尖った張り詰めたものではなかった。
フェイトもその微細な変化を察し、今から話すところだったと静かに深く頷く。ホークが促されて席につくと、はやてが全員を厳かに見渡した。
「ほんなら、始めよか」
その一言を合図に、室内の空気が一瞬にして切り替わる。和やかな再会の時間から、過酷な現実と戦うための部隊の顔へ。まずはグリフィスが状況説明を行うべく手元の端末を操作し、空間モニターへ資料を展開していった。
「地上本部による事件への対策は……残念ながら、相変わらず後手に回っています。地上本部は、今回の事件調査を地上本部のみで継続することを強硬に主張。本局からの介入を現在も拒否しています。そのため、本局からの大規模な戦力投入は未だ行われません。同様に、本局所属である機動六課にも、捜査情報は公開されない状態です」
説明が進むにつれ、室内の空気が重くなっていく。ホークは腕を組んだまま、黙って発光する画面を見つめていた。
それは、ある意味で予想していた通りの展開だった。敵が強大であるほど、硬直した組織の壁は大きく、そして分厚くなる。
だが、そんな停滞を破るように、はやてが静かに口を開いた。彼女が提示した方針は、六課の局員全員の胸に眠る闘志を再び燃え上がらせるものだった。
私たちが追うのは、テロ事件の犯人としてのスカリエッティではない。妖しく輝くレリックの情報がモニターに映し出される中、はやての声は微塵の迷いもなく響く。ロストロギア、レリック。その捜査線上に、結果としてスカリエッティとその一味がおる。その方向で動く――と。
そして、さらに強い光を瞳に宿し、誘拐されたギンガ・ナカジマ陸曹、そしてなのは隊長とフェイト隊長の保護児童であるヴィヴィオの捜索・救出を行うと言い切った。
その名を聞いた瞬間、ホークの目が微かに細くなった。
ギンガ、そしてヴィヴィオ。奪われた二人の存在。だが、今の彼の胸に去来するのは、以前のような我を忘れるほどの激情だけではなかった。あの日、仲間たちが差し伸べてくれた温もりが、彼の背中を静かに支えている。
「理想の状況だけど、また無茶してない?」と、なのはが問いかけた。
「大丈夫?」フェイトもなのはに同意するように答える。
対し、はやては苦笑して首を振った。後見人たちの黙認と協力は、すでに裏できちんと固めてあるのだという。何より、こんな時のための機動六課であり、ここで動けなければ部隊を起こした意味もないという熱い魂が込められた言葉に、なのはとフェイトは信頼を込めて頷いた。
「……了解」
「なら、方針に異存はありません」
二人のエースが、はやての方針を完全に支えた瞬間だった。はやては満足そうに深く頷くと、全員の顔を見回し、具体的な捜査・出動を本日中に予定していることを告げた。各自、万全の体制で出動命令を待つように、と。
フォワード陣の力強い返事の唱和に、ホークもまた、静かに、しかし誰よりも確かな決意を込めて声を重ねていた。
会議は、それ以上大きな異論もなく終了した。
各員へ向けた細かな指示をグリフィスが手短に伝え、はやてが「ほんなら、今日はここまでや」と締めくくる。
緊張に包まれていた室内が、少しだけ空気を緩めた。
「ほな、各自準備頼むで」
そうはやてが告げると、なのは、ティアナ、ホーク以外の三人が退出する。
方針の決定を見届けた会議室に、しばらくの間、静かな時間が流れた。
その沈黙を破ったのは、なのはだった。彼女はティアナへと視線を向け、スバルがまだ本局に残っているのかと静かに問いかけた。
ティアナは手元の端末の画面を素早く確認しながら、最終検査中であること、そして午後にはこのアースラへ合流できる見込みであることを事務的に答える。その確実な報告を聞き、なのはは心底ほっとしたように胸を撫で下ろした。
その横で、ホークも腕を組んだまま小さく頷いていた。ようやく全員が揃うという事実に安堵しつつも、ふと思いついたようにエリオの動向を尋ねる。
ティアナは少しだけ苦笑を交えながら、エリオがシグナム副隊長に自ら志願して訓練に励んでいることを明かした。先日の凄惨な敗北を経て、自分だけが何も出来なかったという強い焦燥感に、あの子の若い心が突き動かされているのだろうと、ティアナは声音を落として静かに言葉を続けた。
その言葉の意味の重さに、三人とも一斉に口を閉ざした。
あの襲撃の夜、機動六課の誰もが何かを奪われ、激しい痛みを伴う無力さを味わった。だからこそ、傷だらけの肉体を無理にでも奮い立たせ、狂おしいほどに前へ進もうとしているのだ。
重くのしかかる沈黙を払うように、なのはが柔らかく微笑んだ。
「でも、それなら大丈夫かな。みんな同じだから」
そのなのはの言葉を聞き、ホークはゆっくりと目を閉じた。
誰もが等しく、胸の奥に焼き付くような悔しさを抱えて生きている。必死にもがいているのは、決して自分一人だけではない。ただその厳然たる事実を共有しているというだけで不思議と、心の奥底に沈み続けていた孤独の重石が、ほんの少しだけ軽くなるような気がした。
「じゃあ、俺はそろそろ――」
自室か格納庫へ戻ろうとホークがそう言い掛けた、その時だった。なのはがふと真剣な声音で、彼を引き留めるように声を掛けた。
「ホーク、ちょっとだけいい?」
ティアナもまた足を止める。なのはの真剣な表情に何かを察したのか、それ以上口を挟むことなく静かに二人へ視線を向けていた。
「……なんだ」
怪訝そうに問いかけたホークに応じるようにティアナも席を立ちかけたが、なのははそれを手で制した。ティアナはそのままで大丈夫だからと、穏やかな微笑みを向ける。ティアナは短く了解すると、再び椅子に深く腰掛け、グリフィスが机に残していった捜査資料の束へと静かに目を落とした。
促されるまま、ホークはなのはの正面までゆっくりと歩み寄る。なのはは少しだけ適切な言葉を探すように視線を伏せ、それから意を決したように静かに口を開いた。
「休暇、ありがとう」
それは、ホークにとって全く思いもよらない言葉だった。なぜ自分が礼を言われるのか分からず、ホークは眉をひそめて沈黙する。なのははその戸惑いを包み込むように、今のホークには何よりもあの孤独な実家で過ごす時間が必要だったのだと思う、と続けた。
ホークは何も答えなかった。返す言葉が見つからなかった。そんな彼の頑なな横顔を見つめながら、なのはは、かつてのホークであれば、どれほど周囲が止めても休暇など撥ね退け、ボロボロの身体を酷使して無理にでも出撃していただろうと指摘する。
「……まあな」
それについては、ホークも否定しなかった。
かつての自分を突き動かしていたのは、ただ敵への盲目的な憎悪だけだったからだ。なのはは、そんな彼の素直な肯定に小さく笑みをこぼした。
「でも、今回はちゃんとここへ戻ってきてくれた」
その飾らない一言が、不思議なくらいにホークの胸の奥深くへと真っ直ぐに響いた。
なのはは更に視線の強さを増し、ホークの瞳を見据える。大切な存在を奪われ、焦る気持ちを抱えているのは自分も、フェイトも、はやても、六課の全員が同じなのだと。だけど、どれほど強い力を持っていようとも、一人で無鉄砲に突っ走って取り返せるほど、この戦いは生易しいものではない。
ヴィヴィオ。そして、ギンガ。
なのはがその二人の名前を直接口にすることは決してなかった。それでも、彼女の瞳の奥にある痛切な祈りと、隊長としての、そして母親としての覚悟は、ホークへ十分すぎるほどに伝わっていた。
「だから今度は、一緒に取り戻そう」
静かな言葉だった。だが、その一言には部隊を率いる隊長としてではなく、同じ痛みを分かち合い、同じ明日を目指す一人の「仲間」としての、決して揺らぐことのない強い想いが込められていた。
ホークは数秒の間、言葉を失ったように黙り込んだあと、胸の支えを吐き出すように小さく息を吐いた。
「……分かった」
それ以上の言葉は、今の二人の間には必要なかった。ただ共に戦うという誓いがあれば、それで十分だった。なのははホークの確かな答えを聞き届けると、心から安心したように、いつものひまわりのような笑顔を咲かせた。
「うん。それだけ。引き留めちゃってごめんね」
ホークは小さく頷くと、なのはへ軽く背を向けた。
「じゃあ、行ってくる」
「うん。みんな待ってるよ」
短い言葉を交わし、ホークは会議室を後にする。扉が静かに閉まる音が室内に響くと、なのははその場に佇んだまま、彼の去っていった背中をしばらくの間じっと見送っていた。
「……少し、変わったね」
ぽつりと漏らしたなのはの呟きに、手元の資料へ視線を落としていたティアナも小さく首を縦に振った。まだ不器用ではあるものの、独りで復讐に狂っていた頃とは違い、今のホークはちゃんと周囲の仲間たちの姿を見られるようになったのだという確かな実感が、二人の間にはあった。なのはは、その成長が何よりも嬉しいと穏やかに笑みを零し、ティアナもそれに寄り添うように微笑みながら、それぞれ残っていた目の前の仕事へと再び意識を戻していった。
一方その頃、ホークはアースラの無機質な艦内通路を、目的の場所へと向かって静かに歩いていた。
時計の針に目をやれば、シグナムとの苛烈な訓練を終えたエリオや、それに付き添っていたキャロも、時間的にはそろそろこちらの居住区へと戻ってきている頃だろう。そんな年少組の様子に自然と思いを馳せながら、見慣れた角を一つ曲がった、その時だった。
廊下の向こうから、床を小気味よく叩く聞き慣れた足音が近づいてくる。
「ホーーーク!」
勢いよく角から飛び出してきたスバルが、まるでブレーキをかけるように目の前でぴたりと立ち止まった。
「おかえりなさい!」
「ああ」
弾んだその声のすぐ後ろから、エリオとキャロも穏やかな笑みを浮かべて丁寧に頭を下げた。
「お帰りなさい、ホークさん」
「休暇、少しはゆっくりと羽を伸ばせましたか?」
「まあ、それなりにな」
ホークが素っ気なくも短く答えると、隣にいたティアナが呆れたように小さく肩をすくめてみせる。
「この人に『ゆっくり休む』なんて器用なことできると思う?」
「違いねぇ」
「ちょっと、そこで自分で納得するのやめてもらえる?」
思わず鋭いツッコミを入れたティアナの剣幕に、それまで廊下に漂っていた張り詰めた空気が、ほんのわずかだけ和らいだ。そんな他愛もないやり取りの最中、不意にスバルが何かに気づいたように首を傾げた。
「……あ、そういえばさ」
「ん?」
「ホークってさ、ティアのことだけずーっと『ティアナ』って、呼ぶよね」
その指摘に、一瞬だけその場の会話がピタリと止まった。
「……あ」と、エリオが小さく声を漏らす。
「言われてみれば……」
「そうですね。本当です」キャロも納得したように、小さな破片を拾い上げるように頷いた。
「六課の中でホークさんだけですよね、頑なに『ティアナ』って呼ぶの」
当のティアナは、年少組の視線に苦笑いを浮かべながら髪を軽くかき上げた。
「別に好きに呼ばせればいいじゃない」
「いやいや、そうじゃないんだって!」
スバルはぶんぶんと、まるで駄々をこねる子供のように首を振る。
「なんか、聞いててどうしても違和感があるっていうか……」
「違和感だ?」
「うん」スバルは腕を組み、不自然なほど真面目な顔つきになって言葉を続けた。
「なんかさ、ホークだけ一人、少し遠いところに線を引いてるみたいなんだもん。エリオもキャロも、私も、みーんな『ティア』って呼んでいるのに」
ホークは露骨に眉をひそめ、不機嫌さを隠そうともせずに視線を逸らした。
「俺が他人の名前をどう呼ぼうが、俺の勝手だろ」
「まあ、それはそうだけどさぁ……」
スバルが困ったように頭を掻くと、代わりにキャロが、どこか切なげに小さな口を開いた。
「でも……ほんの少しだけ、悲しいです」
「……」
「わたしたちとは違う、見えない距離があるみたいで」
エリオもその言葉を引き継ぐように、穏やかな、しかし確かな芯を持った声で続ける。
「僕も、同じ気がします。ただの呼び方の話なんですけど……。なんとなく、まだ僕たちの仲間になりきれてない、みたいに聞こえてしまって」
三人の真っ直ぐな眼差しを正面から浴びて、ホークはたまらず面倒くさそうに頭をガシガシと掻き毟った。
「お前らなぁ……。別にそんな大層な意味があって呼んでるわけじゃねぇよ」
「じゃあ!」スバルがすかさず、獲物を見つけた猛獣のように身を乗り出してきた。「今ここで、呼んでみてよ!」
「は?」
「ティア、って!」
「……断る」
「ほらほら!」
「……」
「一回だけでいいから! ね?」
「……」
「お願い!」
ホークの顔が、これまでになく露骨に嫌そうな形に歪む。
「ガキか、お前は」
「いいからいいから。減るもんじゃないんだし!」
騒ぎ立てるスバルの横で、ティアナは深い、深い溜息を吐き出していた。
「もう、別に無理しなくていいわよ、ホーク。私、本当に呼び方なんて気にしてないから」
「……」
促されて、ホークは諦め悪く周囲を見回した。
スバルは今にも尻尾を振りそうなほどの期待に満ちた目。キャロはどこか捨てられた仔犬のように不安そう。エリオもその答えを静かに見守っている。そしてティアナは、「早く終わらせなさい」とでも言いたげな諦めの表情だった。
「……ちっ」
小さく、だが明瞭な舌打ち。ホークは観念したように、胸の奥の空気をすべて吐き出した。
「……ティア」
あまりにも呆気ない、一瞬の響きだった。
しかし、その一文字が落ちた次の瞬間。
「「おおーーーっ!」」
スバルとキャロが、まるで劇的な勝利の瞬間を目撃したかのように同時に歓声を上げた。
「言った! いま確かに言った!」
「言いましたね! ちゃんと『ティア』って!」
「……お前らな、いい加減にしろ」
あまりの騒ぎように、ホークの顔は完全に呆れ果てていた。その不器用な様子に、ティアナもとうとう堪えきれずに吹き出した。
「ふふっ……たった一文字省略しただけで、何をそんな大仕事みたいに盛り上がってるのよ」
「全然違うって!」
スバルは満面の笑みを浮かべ、親指を力強く立ててみせる。
「うん、断然こっちのほうが、六課のホークらしい!」
「意味が分からん。くだらねぇな」
苦笑混じりに、ぶっきらぼうに吐き捨てるホーク。だが、その耳の裏がわずかに赤くなっているのを、隣のティアナは見逃さなかった。彼女は肩をすくめながら、どこか楽しげに目を細める。
「……まあ」一拍置いて。
「今さら『ティアナ』なんて他人行儀に戻されても、それはそれで調子が狂うけどね」
その何気ない、だけど完全に身内として自分を受け入れている言葉に、ホークは少しだけ照れくさそうに鼻を鳴らした。
「……分かったよ、ティア」
「はい、よろしい」
ティアナはまるでよく出来た生徒を褒める教官のように満足げに頷き、スバルたちは大成功だとばかりに顔を見合わせて笑う。
失われたものの大きさはまだ胸に刺さったままだ。それでも、そんな他愛もない日常の破片の中で、小隊のみんなは自然と心からの笑みをこぼし合っていた。
ひとしきり騒いだあと、通路には穏やかな笑い声の余韻だけが残った。
スバルが午後からの合流を約束するように元気よく片手を振り、それに合わせるようにエリオとキャロも小さく頭を下げてその場を辞していく。ティアナもまた、賑やかに去っていく三人の背中を苦笑しながら追いかけつつ、最後にホークへ向けて、今度はきちんと休憩を取るようにと釘を刺した。
ホークの「善処する」というぶっきらぼうな返答に対し、ティアナはそれが一番信用できないのだと呆れたような笑みだけを残し、そのまま歩み去っていった。
嵐のようだった年少組が去ると、無機質な鋼鉄の通路は再び元の静けさを取り戻した。
ホークは一人その場に残され、小さく息を吐き出す。
「……騒がしい連中だ」
そう呟いた彼の口元には、自分自身でも全く気付かないほど僅かな、しかし確かな温もりを孕んだ笑みが浮かんでいた。かつては拒絶するだけだった他愛のない喧騒が、今の彼の心を静かに満たしている。
自室へと戻ったホークは、堅苦しい制服の上着を乱暴に脱ぎ捨てると、部屋の椅子へと放り投げた。
本日中と告げられていた出動命令が下るまでは、まだいくらかの猶予がある。そう判断し、旅の疲れを癒やすかのようにベッドの端へ腰を下ろした、まさにその瞬間だった。
――ビーッ! ビーッ!
鼓膜を容赦なく引き裂くような、鋭く、狂おしい警報音が艦内全体を貫いた。
一瞬にして部屋の空気が凍りつき、赤く明滅する警告灯とともに、緊迫した館内放送がすべての居住区へと響き渡る。
ホークはゆっくりと立ち上がった。
「……来たか」
ただその一言だけを無人の空間に落とし、彼は静かな足取りでクローゼットの前へと歩み寄った。
躊躇なく扉を開き、その奥に掛けられていた一着の衣類を引き出す。
そこに眠っていたのは、一切の光沢を拒絶するような、漆黒の布地で仕立てられた一級の礼装だった。
それは育ての親であるスティーブンを、そしてかつて前線で散っていった数多の戦友たちを弔うためだけに、いつか訪れる決戦の日のために密かに仕立てておいた喪服。
あの日、瓦礫の下に埋もれていた焼け焦げたぬいぐるみ、VRゴーグル。そのすべてに対する誓いがこの黒一色の生地には込められていた。
静かに、しかし一寸の迷いもなく袖を通しながら、ホークは鏡に映る己の姿をじっと見据えた。もう、その瞳に暗い憎悪の揺らぎはない。
今度こそ、スカリエッティ一味の手によって奪われてしまった仲間たちを全員残らず取り戻すために。そして、あの日の未熟な孤独を完全に乗り越え、自分たちの手でこの長く呪われた戦いに終止符を打つために――黒い喪服を纏った青年は、静かに部屋の扉を押し開けた。
目指す先はただ一つ。誰にも会わなかったが、その背中から漂う尋常ではない覚悟だけが、無言のまま周囲へあふれ出ていた。
アースラ臨時の司令部へと繋がる重厚な自動扉が、静かに左右へと開いた。
緊迫した室内では、八神はやてをはじめ、グリフィス、シャーリー、ヴィータ、リインフォースⅡ、そしてシグナムの面々が、刻一刻と送られてくる膨大な映像の精査と、解析データの確認に追われていた。けたたましく鳴り響く電子音の只中、新しく開いた扉へと、室内の全員の視線が吸い寄せられるように自然と集まる。
「……ホーク?」
最初にその名を漏らしたのは、端末を叩いていたシャーリーだった。だが、彼女の困惑したような言葉はすぐに途切れる。
室内の視線を一身に集めたホークの全身を包んでいたのは、一切の華美な装飾や階級章を排した、光を吸い込むような漆黒の礼装。管理局の指定された軍服でもなく、機動六課の制服でもない。これまで誰も見たことのないその異様な佇まいに、司令部に流れる濃密な空気が、一瞬だけ完全に凍りついた。
「……その格好……」
リインフォースⅡが小さな体を浮かべながら思わず呟き、ヴィータも深く眉をひそめてその黒い服を見つめたが、その衣服の持つ意味を厳しく問い掛ける猶予はどこにもなかった。
ホークは誰にも視線を合わせようとはしなかった。他者からの困惑、憐れみ、驚きもすべてその背に受け流す。ただ正面の壁一面に据え付けられた大型メインモニターだけを見据え、迷いのない足取りでその前へと歩み寄る。
そこに映し出されていたのは、狂気と傲慢に満ちた高笑いを、世界に向けて傲然と発信し続ける男――ジェイル・スカリエッティの姿だった。
数多の命を弄び、養父の命を奪い、仲間の心を傷つけた諸悪の根源。その醜悪な顔を網膜に焼き付けながら、ホークは地を這うような低い声音で、ただ冷徹に吐き捨てた。
「……随分と悪趣味な夢を持つんだな」
一瞬、メインモニターから響いていた狂気的な笑い声がぴたりと途絶えた。
画面の向こうのジェイル・スカリエッティは、ホークの姿を認めると不気味に口元を吊り上げる。
「これはこれは……自ら会いに来てくれるとはね。それに、その装いは喪服かな? 少々気が早いんじゃないかい? それとも……自分自身の葬儀の準備かな?」
挑発的な言葉が室内に投げかけられ、司令部の空気が一気に張り詰める。しかし、ホークは眉一つ動かそうとはしなかった。ただ冷ややかに鼻で笑ってみせる。
「せっかくパーティーに参加するんだ。ドレスアップぐらいはするべきだろう」
言葉の余韻が司令部に残る中、ホークは右腰のホルスターへ手を滑らせ、黒いブラスターを抜き放った。銃口を床へ向けたまま、手首を返してグリップを掌の上で滑らせる。漆黒の銃身が指の間を流れるように回転し、手の甲をかすめて反転した。人差し指はトリガーに触れず、動作には一切の淀みもない。
ホークはスカリエッティの映るモニターから視線を逸らさなかった。相手の反応を窺う素振りすら見せず、跳ね上がったグリップを正確に掴み直す。ブラスターを掌の中で軽く回し、銃口を誰にも向けないまま、腰のホルスターへ滑らかに戻した。金具が噛み合う乾いた音が、司令部の静寂に小さく響く。
「なるほど、実に君らしい皮肉だ」と、スカリエッティは心底愉快そうに眼鏡の奥の目を細めた。
ホークは冷徹な眼差しのまま、大型モニターに向かって一歩前へと踏み出す。
「ま、そんなところだな。貴様の出来の悪いお人形ちゃん共も聞いているんだろ? なら、素敵なゲームを提案してやるよ」
その一言で、スカリエッティの笑みがわずかに形を変えた。ゲームの提案とはずいぶん殊勝な心構えじゃないかと口にしつつも、次の瞬間には声色だけが低くなる。
「私の娘たちを侮辱する気かい?」
「人形じゃねぇのか?」と淡々と問い返すホークに対し、男は即座に応じた。
「違う。私の娘たちだ」
その一言には、狂気とは別種の確固たる感情が滲んでいた。ホークは胸元へと手を伸ばし、自らの魔力へと意識を繋ぐ。
「……そうか。だったら、娘たちにもよく見せてやれ」
彼の指先から青白い光が走り、司令部の空中へと立体ホログラムが急展開された。
そこに映し出されたのは、一機の戦闘機の全貌だった。機首、可変翼、推進機関、主翼構造から内部フレームに至るまで、膨大な設計データの一部が惜しげもなく青く発光していく。
「ホーク!?」と、予期せぬ機密開示にシャーリーが思わず叫んだが、ホークは見向きもせずに淡々と答える。ただ目の前の男だけを見つめ続けていた。
「……ほう、それが景品か。実に欲しい。随分と素敵な景品じゃないか。君はどうやら、人の欲するものを刺激するのが得意らしい」
スカリエッティは食い入るように図面を眺めた。ホークは指先を払い、光るホログラムを冷酷に消し去る。
「欲しいだろう。なら――俺を殺して奪い取れ。俺は空で待っている」
一歩、さらに前へ。黒い喪服の裾が静かに揺れた。司令部は完全に静まり返り、息を呑む音さえ許されない数秒の沈黙が流れる。
やがてスカリエッティは小さく笑い、その笑い声は次第に狂気を孕んで大きくなっていった。画面いっぱいに高笑いを響かせ、やはり君は実に面白いと歓喜に身を震わせながら、彼は口元を歪める。
「そのゲーム、確かに受け取ろう。もっとも――ゲームの進め方を決めるのは、私だ」
通信はそこで途切れた。砂嵐だけが残されたモニターの前で、黒い喪服の青年は、ただ静かに自らの戦場を見据えていた。
ホークは通信を切ると、小さく息を吐き出した。完了したのを確認すると、胸元に忍ばせてあったサングラスをかける。
ただ、ホークは胸元へとゆっくり手を伸ばした。
黒い喪服の胸ポケット。そこから躊躇なく取り出したのは、一つのサングラスだった。
細身の黒いフレームが、司令部の冷徹な光を浴びて鈍くきらめく。ホークはそれを指先で弄ぶように一度だけ軽やかに回すと、何の躊躇もなく自身の顔へと掛けた。カチャリ、と小さな硬い音が静まり返った室内に響く。
遮られた目元。その瞬間、先ほどまで大型モニターの前に立っていた一人の青年の纏う空気が、ほんの僅かに、しかし決定的に変わった。それは己の弱さや感情を覆い隠すためのものでもない。対峙する者を威圧するための道具でもない。
ただ、生きるか死ぬかの過酷な戦場へ赴く者としての、一切の迷いを排した冷酷な顔へと戻ったのだ。黒い喪服と漆黒のレンズ。すべてを闇に染め上げたその佇まいのまま、青年は再び、自らの歩むべき血生臭い空へと視線を向ける。
司令部にはただ重苦しい静寂だけが落ち、画面からスカリエッティの狂気的な残像が消え去ったその瞬間、誰もすぐには言葉を発することができなかった。