魔法少女リリカルなのはStrikerS ~STAR HAWK:Lone Flight~ 作:マジフジ
しかし、彼を待っていたのは新たな戦場ではなく、組織の一員としての責任だった。
開隊準備に追われる中、ホークは一人の新人隊員候補の名を目にする。
スバル・ナカジマ。
かつて自分を気に掛けてくれたギンガ・ナカジマ、その妹との出会いが、孤独な鷹の未来を少しずつ変えていく――。
機動六課の開隊準備は、想像していた以上に慌ただしかった。
訓練施設の調整、配備されるデバイスの最終確認、それらが人員分キチンと揃っているか否かの確認作業。さらには複数ある所属隊員の経歴把握。
戦闘をするだけなら得意だったが、組織というものは戦うだけでは回らず、一人だけで回せるものでもない。
ホークは隊舎の一室で端末を操作しながら、次々と表示される隊員データへ目を通していた。
「多すぎて覚えられるか」吐き捨てるように呟く。
自分は一度戦った相手の癖は覚えられても、書類上の他人を覚えるような芸当は得意ではない。力をつけることだけに特化して生き続けた弊害が、さっそく事務仕事という形で出始めていた。
思わず漏れた呟きに、返事をする者はいない。仮に誰かに聞こえていたとて、今の自分の信用度は撃墜された残骸同然。階級も信頼も最底辺の人間が何を言っても始まらない。それでも全てを頭に叩き込もうと画面を睨みつけるが、百人を超える人員を一度に把握するのは流石に骨が折れた。
表示されたデータを無造作に流し見していた、その時だった。ふと、一つの名前に視線が止まる。自分にとっても因縁のある、厳密にはよく知る男と同じ姓――スバル・ナカジマの名前を見て、ホークを動かす指がぴたりと止まった。
「こいつは……」
ナカジマといえば、あのギンガやゲンヤと全く同じ姓だ。まさかとは思った。今まで流し見していた画面を、今度は真剣に読み込んでいく。
スバル・ナカジマ、十五歳。所属は陸士第三八六部隊、災害対策担当の一員。添付された写真には、短い青髪の少女が映っていた。顔立ちはよく似ているが、ホークの記憶にある「ナカジマ」とは明らかに雰囲気が違っていた。
ホークの士官学校時代、訓練場で何度か顔を合わせた女性――ギンガ・ナカジマ。
成績優秀、実直、融通の利かない堅物。自分とは磁石のNS極のごとく真反対の人間だったが、何故か不思議と信頼できる相手だった。そんな彼女と交わした、何気ない雑談を不意に思い出す。聞いてもいないのに、なぜか嬉しそうに話していたギンガの姿を。
『私、妹がいるのよ』
いつも無茶ばっかり、放っておけないだと、常日頃から呆れ半分に語っていた。
ホークは改めて資料に映る少女の顔を見た。なるほど、確かに無茶をしそうな、真っ直ぐすぎる目をしている。
「姉貴似じゃないな」むしろ雰囲気は正反対だ。
そう一人ポツリとこぼしたところで、背後から声がかかった。
「ホーク、今時間あるか?」はやてだった。
「ある。何かあったのか」
「新人候補の昇格試験があるんよ。……そのスバル・ナカジマも受ける試験や」
その言葉を聞いて、ホークはもう一度資料へ視線を落とした。スバル・ナカジマ。ギンガがいつも気に掛けていた妹。
未来の隊員候補。姉とはどんな違ったスタイルを持ち、どれほどの実力者なのか。
「面白そうなことをするな。俺もこの目で確かめにいく」
そう呟き、ホークは端末の画面を閉じた。暗転する直前、スバルの顔が一瞬だけ網膜に残る。実戦経験のない新人の昇格試験。ただの実力測定という名目で行われるはずだが、単なるお遊びで終わるとは限らない。現場の空気と、その刹那の判断力が試される。何より、管理局の戦場は場所を選ばない。どんな盤面であっても即座に出動し、機能しなければならない過酷なものなのだから。
翌日の四月十四日。ホークは立ち上がり、与えられた部屋を出る準備を始めた。
格納庫はすでに、冷え切った明け方の空気を吸い込んでいた。整備員たちのせわしない声、重機材の駆動音、出撃準備の慌ただしさ。新設されたばかりの機動六課という組織が、まだ完全には形を持ちきっていないことを嫌でも感じさせる空間だった。
「あんたがホーク・ネヴィルか?」
低い声に呼ばれて振り返ると、そこには整備服を纏った一人の男が立っていた。軍人らしくガタイが良い。どこか前線特有の硬い雰囲気を残したまま、鋭い視線をこちらに向けている。
「聞いてるよ。例の新人の昇格試験、見に行くんだろ」
「情報は回るのが早いな」
「この辺はな。……特にお前に関する話なら尚更だ」
ヴァイスは一瞬だけ言葉を選んだあと、ふいと視線を外した。必要以上に警戒するわけでもなければ、かといって馴れ合うつもりもないという態度だった。
「刑務所上がりの新任フォワード。正直、最初は上層部の冗談かと思った」
「よくある反応だ」
「だがまぁ……八神部隊長が引っ張ってきたってことは、それなりの理由があるんだろ」
「好きに見てくれて構わない。俺もお前らを見に行く側だ」
「そうかよ」
ぶっきらぼうなホークの返しに、ヴァイスは軽く肩をすくめて見せた。
「ヘリはもう出せる。上でみんなが待ってるぞ」
ヴァイスが格納庫の奥を親指で示す。
ホークが機体に乗り込むと、キャビンにはすでに数名が着座していた。八神はやて、フェイト・T・ハラオウン、そして現場調整役のスタッフ。最後に、チェックを終えたヴァイスが後部席へと滑り込む。
同乗している数名の役員は、ホークへのあからさまなお目付け役だった。車内には会話はなく、彼らの視線には「なぜこんな奴がここにいるのか」という不信感が露骨に混じり。戦場で距離が近い人間ほど扱いは面倒になるが、同時にそれこそが最も信用できるパートナーになる可能性もある。ホークはそれを理解している。
「出発するでー」はやてのアナウンスと共に、ローター音が高まり、機体が浮上した。
上空へ上がるにつれて、六課の施設が眼下で小さくなっていく。ヘリは海沿いの空域へと移り、一気に視界が開けていった。
その先にあるのは、今回の試験空域に指定された臨海第八空港付近の廃棄都市街。訓練にしては、やはりというべきか、相当なふるいをかけるための立地と内容だった。
ホークは窓越しにその荒涼とした地形を見下ろし、端末を操作してテストの条件を確認していく。
市街地戦想定、逃走・索敵・捕縛込み。単純な戦闘力だけでは推し量れない、総合的な状況判断力が求められる内容だ。過去に自分が管理局の包囲網を破り、逃げ切り続けていたのもまさにこうした地形だった。ロケーションの分析さえ十分にできていれば、潜むのも崩すのも何の造作もない。
自分にとっては見飽きた光景ではあるが、新人が挑むにはあまりに重く、難解な内容だ。
けれど――だからこそ、見る価値がある。はやてが六課の入隊候補に挙げたスバルとティアナが、如何様の実力者であるか。そして何より、あのギンガが気に掛けていた妹が、どれほどの完成度を誇るのか。
「そろそろ始まる時間やな」はやての声がインカムの通信に混じる。ホークは無線越しに短く返した。
「了解だ」
ホークの視線は、すでに窓の外の一点に固定されていた。廃墟都市のビル群。その中に配置された、二つの小さな影。スバル・ナカジマとティアナ・ランスター。それはまだ、戦場に立つ前の青い人間の動きだった。
「ゲームじゃないんだぜ、どう出てくるか」ぽつりとホークがつぶやき、乾いた唇を舐める。
自分がここにいる意味がどういうものなのか、それをようやく理解し始めていた。
力試しと称して違法基地を襲撃し、勝手な民間人救済を掲げ、管理局との勝負に明け暮れて流転していた日々には、まず見られなかった種類の感情だった。
スバル・ナカジマとティアナ・ランスター。この二人がどう動くか――思考を打ち消すように、テストスタートのアラートがヘリ内に鳴り響いた。それと同時に、廃都市の各地点に配置されたターゲットが起動して動き始める。ホークは腕を組みながらモニターへ視線を向けた。
開始直後に動いたのはティアナだった。建物の屋上へ駆け上がり、瞬時に周囲の状況を確認する。
対するスバルは地上へ降り、最前線へと突っ込んでいく。開始のコールと同時に行われた、迷いのない動き。試験開始前、事前にそれぞれの役割を完全に決めていたのだろう。
「最初から分担済みか」ホークは小さく呟く。
「思いっきりの良さがええな」隣で、はやても短く彼女たちを評価した。
新人にありがちな無計画な突撃ではない。ティアナが情報収集を担って全体をコントロールし、スバルが実働部隊として突入。
シンプルかつ合理的、それでいて効率的な作戦。だが、この戦術の欠点は、どちらか片方が崩れれば一気に機能しなくなる点にある。互いが絶対に撃墜されないことを前提とした、強い信頼の連携だった。
開始から二分が経過し、最初のターゲットが破壊された。ティアナの明晰な誘導から、スバルの電撃的な突入。無駄のない手順だった。
「どちらもCランクとは思えないな」思わず言葉を漏らす。
ホークは手元の端末へ簡単なメモを残していく。だが、完全な評価はまだ保留だ。昇格試験は自分の作戦を通しやすいよう、序盤ほど簡単に作られている。ここから先、想定外の状況でどう動くかが本番だった。
試験時間が十分を過ぎた辺りで、前方に大型オートスフィアが出現した。試験空域の空気が、一変して異様になる。新人を叩き落とすために配置された、文字通りの壁。
スバルは即座に前へ出て、ティアナはその後方支援へと回る。だが、大型スフィアのAMF(アンチマギリンクフィールド)が展開された瞬間、二人の動きが目に見えて鈍った。ウイングロードが消失し、放たれた射撃魔法も威力を減衰されて霧散していく。
「そう来るか」
ホークは画面を見つめる。従来通りの新人ならば、この時点で足が止まるのが普通であり、むしろ当然の反応だった。
だが――それでも二人は止まらなかった。ティアナが遮蔽物の間を走り、スバルが別方向の死角へと消える。魔力が制限された状況下で、即座に囮を利用するという実戦的な判断。それを理解した瞬間、ホークは僅かに眉を上げた。
機転を利かせたか――ホークは画面の向こうの二人に、内心で感心していた。
それは理屈ではなく、実戦寄りの発想だ。絶対に士官学校の教科書では教わらない、修羅場でこそ身につく判断。まさにホーク自身がこれまで培ってきた、経験の再現を見ているようだった。
ティアナが敵の注意を引きつけることで、大型スフィアの砲門がそちらへ向く。その一瞬の隙を突き、スバルが防壁を突破して建物内部へ侵入した。
無茶な内容ではあるが、成功すれば確実に状況を覆せる、ハイリスク・ハイリターンな賭け。そして彼女たちはそれを実際に成功させ、大型スフィアを沈黙させる重苦しい破壊音が、廃墟に響き渡った。
ヘリの中で、お目付け役の何人かが安堵したように息を吐く。ホークは何も言わなかった。代わりに、モニターに映る二人に視線だけを動かす。
ギンガの妹であるスバル・ナカジマ。そして、その無茶を信じて的確に応えてみせたティアナ・ランスター。二人ともまだ荒く、未完成ではある。だが、もしこれが完成したら? 自分すら上回る実力を身につけるポテンシャルが、確実にそこに存在していることを、ホークは肌で感じ取っていた。
そして時刻は――十時十四分五十九秒。試験終了の一秒前、滑り込むようにして二人はゴールに到達した。
ホークは端末を閉じる。一連の戦いをすべて見届け終えた瞬間、最初に抱いていた「新人のお遊び」という懸念は完全に消え去っていた。
「うかうかしている暇はなさそうだな?」
当初抱いていた予想より、ずっと面白い。それが試験を見終えたホークの率直な感想だった。
試験が無事に終了したためか、ヘリのキャビンに流れていた張り詰めた緊張感が、わずかに緩む。試験終了のコールと同期するように、各モニターへ合格の文字と最終評価データが表示され始めていた。
ホークは腕を組んだまま、窓の外へ視線を向ける。
廃都市の向こうには、どこまでも青い海が広がっていた。自分がこれまでくぐり抜けてきた本物の戦場と比較してしまえば、用意された演習場など、ちっぽけでひどく狭い箱庭のようなものだ。
だが、あの新人二人にとっては、人生のすべてを賭けた十四分五十九秒だったのだろう。自分を証明し、出し切るための、密度の濃い時間。
「どうやった?」不意に、隣からはやての声を掛けられた。
ホークは手元の端末に残したメモを指先でスクロールしながら、短く応じた。
「粗いな」
「その続きは?」
「無茶もする。……だが嫌いじゃない。あの土壇場の火事場力は、誰にでも真似できるもんじゃない。あいつらの明確な長所だ」
うんうん、と満足そうに頷くはやてを見つめ、ホークは言葉を重ねる。
「だから、俺にこの試験を見せたいって言ったんだろ」
それを聞いたはやてが、悪戯っぽく小さく笑った。
「そこまで見抜いてくれたなら十分や」
「二人とも、まだまだ課題は山積みだけどね」
フェイトも手元のモニターから目を離し、同意するように頷いた。
「それでいい」ホークの口元が、わずかに不敵な弧を描く。
「ここからどう育って、俺の喉元に噛みついてくるか楽しみだ」
「今回は合格やけど、戻ったらみっちり説教コースやな」
「そうだね。少し無茶をしすぎた」はやての苦笑いに、フェイトが困ったように肩をすくめて応じる。
「新人らしいんやけどね」
二人の会話を聞き流しながら、ホークは再び窓外の景色へ目を戻した。
確かに結果だけを見れば優秀な合格。
だが、実戦を知る者の目から見れば、あまりにも危うい綱渡り。
一歩間違えれば作戦失敗による失格。もう一歩間違えれば、再起不能の重傷を負っていてもおかしくない。運よく噛み合ったに過ぎない場面も少なくなかった。
それでも、最後まで勝ち筋を貪欲に追求し続け、力ずくで突破口をこじ開けた姿勢そのものは、決して嫌いではなかった。
やがてヘリの高度が下がり、機体は六課本部の格納庫へと着陸した。
ローターの回転が止まり、ハッチが開く。地上へ降り立ったホークは、はやて達とは別のルートへと案内された。
新人候補たちとの接触が禁止されている訳ではない。単純に、彼女たちが正式に機動六課へ配属される前だからという、手続き上の都合に過ぎなかった。どうせ同じ基地内で稼働しているのだ、近いうちに顔を合わせる機会などいくらでも発生する。
ホーク自身、今すぐスバルたちに会いに行こうとは思わなかった。試験を通じて、見るべきものはすべてこの目で確かめている。それ以上を今知る必要はないし、言葉を交わしたところで、何かが劇的に変わるわけでもないからだ。
むしろ、ホークが今本当に興味を惹かれているのは、別のことだった。あの二人がこの後、隊長たちから手痛い叱責を受けたとき、一体どんな顔をして、何を考えるのか。
ヘリポートに到着し、隊舎へ一旦戻ろうとしたところ、シャリオ・フィニーノから呼び出しがかかった。
案内されたデバイス整理室に入ると、机の上には数枚のデータ資料が乱雑に広げられていた。
「ホークさん、来ましたか」
シャリオの声が整備室に響いた。その顔が驚くほど強張っているのは、ホークの目から見ても明らかだった。
「何か用でもあるのか?」
自分がなぜこんな場所に呼ばれたのか、大体の予想はついていた。それでも、室内の気まずさを紛らわせるために、ホークはわざと薄らとぼけてみせた。
「あなたの過去の戦闘記録、見ました」シャーリーは端末の画面をホークに突きつける。
「雑なメンテナンス履歴に、無茶な負荷の繰り返し……よくこれまで壊れませんでしたね!」
「メンテナンスをする余裕がなかったんだ。だからその都度、応急処置をしながら使い回した」
「普通は壊れます! 六課では絶対にそんな扱い方はしないでください!」
「善処する」
「善処ではなく、必ず、です!」
普段は温厚なシャリオの思わぬ気迫に、ホークは思わず無言で頷くしかなかった。
ようやく解放されて整備室を出た頃には、すでに夕方になっていた。窓の向こうでは海が真っ赤に染まっている。これほど酷く怒られたのは、士官学校時代以来だろうか、脱走騒ぎを起こしたせいで教官に死ぬほど絞られた。
開隊を目前に控えた六課の施設内は、相変わらず慌ただしい。職員が行き交い、資材が次々と運ばれ、誰もが明日のために動いている。
その喧騒の中を歩きながら、ホークは妙な隔絶感を覚えていた。
知っているからこそ、誰も近付いてこないのだ。すれ違う隊員たちの視線が一瞬だけこちらを向き、すぐに逸れていく。それが軽蔑によるものなのか、それとも恐怖によるものなのかは判別がつかなかった。
刑務所上がり、元指名手配犯、機動六課の問題児。噂だけなら、すでに尾ひれがついて十分に広まっているのは想像に容易い。もともと誰かと群れるために生きてきたわけではない。そう自分に言い聞かせてはいたが、ほんの少しだけ胸の奥がざわつく。周囲の冷たい視線が、不意になんでもない昔の記憶を呼び覚ましたからだ。
士官学校時代――今と同じように、周囲から距離を取られていた時期があった。その頃の自分は、人前では常に喧嘩腰、同期や年上の先輩相手でも平然と挑発を繰り返すのが日常茶飯事。養父が殺害された直後は、荒れ方に拍車がかかってさらに酷い状態だった。
ただ、そんなときでも、ギンガだけは平然と話しかけてきた。なぜ普通に接してくるのかと理由を聞いても、『別に、普通のことじゃない?』と素っ気なく返された。今思えば、ギンガは周囲に流されずに自分と向き合ってくる、妙な女だった。
そして、今日その姿を見た彼女の妹――スバル・ナカジマ。
冷静な姉とは似ても似つかない。無茶で、勢い任せで、考える前に身体が動くような、まるで正反対の存在。だが不思議と、あの真っ直ぐな根底の部分には「確かにこいつらは姉妹だな」と思わせる共通点があった。
見ていて退屈しない相手。気付けば、足は自分に与えられた個室へと向かっていた。誰もいない、この基地内で唯一、心を落ち着けられる場所。窓の外からは、穏やかな夜風の音だけが聞こえていた。
ホークはベッドに背中を預け、じっと天井を見つめる。明日になれば、また新しい騒がしさが始まる。機動六課の正式な開隊。スバルやティアナ以外の新隊員たちの合流。それらを交えた新しい任務と、容赦のない日々の訓練。
これから押し寄せるであろう変化の連続。その渦の中心に自分がいるという現実が、まだ少しだけ信じられなかった。
ホークは静かに目を閉じた。――そして、翌日がやってくる。
四月十五日。
機動六課は、ついに正式な稼働日を迎えた。
ホークも支給されたばかりの管理局の制服に身を包んでいたが、こうした堅苦しい服装は本来の好みではない。しかし、立場上そうも言っていられないのは理解していた。整列した陸士部隊の隊員やバックヤード陣が、張り詰めた空気の中でその時を待っている。
「機動六課課長、そして、この本部隊舎の総部隊長を務めます、八神はやてです」
八神はやて二佐が登壇し、集まった面々を静かに見渡した。
その背後には高町なのは一等空尉、フェイト・T・ハラオウン執務官、グリフィス・ロウラン准陸尉の三名。さらに壇下にはシグナム二等空尉、ヴィータ三等空尉、シャマル医務官といった早々たる顔ぶれが控えている。
「平和と法の守護者、時空管理局の部隊として事件に立ち向かい、人々を守っていくことが、私たちの使命であり成すべきことです。――実績と実力に溢れた指揮官陣。若く可能性に溢れたフォワード陣。それぞれ優れた専門技術の持ち主であるメカニックやバックヤードスタッフ。全員が一丸となって、どんな事件にも立ち向かっていけると信じています。……まぁ、長い挨拶は嫌われるんで、以上ここまで! 機動六課部隊長、八神はやてでした!」
はやてのスピーチを聞きながら、ホークは胸の内で少しだけ皮肉を感じていた。
平和と法の守護者。その理念から最も遠い位置にいた自分が、条件付きとはいえ今こうして彼らと同じ側に立っている。本格的に退路は断たれたのだと、短い言葉の裏にある重みを、嫌でも実感せざるを得なかった。
部隊長挨拶が終わると、整列していた隊員たちが順次解散していく。
ホークも列から外れようとしたところで、不意に後ろから声をかけられた。
「ホーク」振り向くと、フェイトだった。
「これから、少し時間あるかな?」
「特に予定はないが」
「それなら来てほしいんだ。今日から合流する新人たちを紹介したいからね」
ホークは一瞬だけ考えた。昨日、試験で見たスバルとティアナ。それ以外にも、まだ見ぬ新人が二人いることを事前にフェイトから聞いていた。まだ顔も知らないメンバーがどういう面構えをしているのか、確かに興味はあった。
「いいぜ、ついていく」短く返事をして歩き出そうとすると、フェイトが小さく声を潜めた。
「ありがとう。でも、その話し方は今はやめてね」
あくまで仕事場だ。ホークの不遜な物言いは、上司と部下という規律を周囲に示す上で都合が悪いのだろう。
「了解しました」
ごもっともな注意だ、と納得しながらホークはフェイトに頭を下げ、彼女の後に続いた。
案内された会議室の扉を開けると、そこには四人の少年少女が集まっていた。
昨日画面越しに見た顔が二つ――スバル・ナカジマとティアナ・ランスター。そして資料で見た、赤髪の少年エリオ・モンディアルと、桃色髪の少女キャロ・ル・ルシエ。機動六課の新人四名が揃った瞬間だった。
ホークは部屋へ入るなり、無言で壁際へと移動した。別に会話の輪に混ざるつもりはなく、観察するだけで十分だった。
「この人が、今日から部隊に加わるホーク・ネヴィルさんだよ」フェイトが紹介した瞬間、室内の空気が少しだけ固まった。
真っ先に反応したのはティアナだった。表情こそほとんど崩さなかったが、明らかな警戒の色が宿っている。ホークはそれを見逃さなかった。真面目な優等生の拒絶反応そのものだった。
一方で、スバルは全く違っていた。一瞬だけ驚いたような顔をしたあと、まるで珍しい生き物でも見るかのように、興味津々といった様子でこちらをじっと見つめてきている。
「えっと……」
スバルが何か言いたそうにしていた。だが、隣にいるティアナの冷ややかな視線を意識しているのか、懸命に言葉を選んでいるようだった。
対照的に、エリオとキャロの二人は完全にホークを見て固まっていた。特にキャロは、怯えを隠すように幼竜のフリードを胸元へ強く抱き寄せている。
ホーク自身、彼らを威圧するような真似は一切していない。だが、初対面の人間が自分に対して良い反応を示さないことなど、今更驚くようなことではなかった。
「ホーク・ネヴィルだ」短く名乗る。
「今日から同じ六課の所属になる」
ホークはただ、事実のみを淡々と告げた。それ以上は何も言わなかった。
今更余計な自己紹介をしたところで意味はないし、これまでの悪名からくる印象の回復など、最初から期待もしていなかった。数秒の重苦しい沈黙が続く。その静寂を勢いよく破ったのは、やはりスバルだった。
「あの!」彼女は思い切りよく手を挙げた。
「もしかして、士官学校にいたホークさんですか!?」
ホークは少しだけ目を見開いた。
「……ギンガから聞いたのか」
「はい!」即答だった。
「ギン姉がたまに話してました!」
スバルが自分の存在を知っていたこと自体は予想の範囲内だった。だが、あの生真面目なギンガが、わざわざ妹への話題に自分の名前を出していたことには、驚きを禁じ得なかった。
「変なこと言ってなかっただろうな」
「えっと……すごく問題児だったって」スバルは少し思い出すように天井を見上げた。
「それは事実だ」間髪入れずに認めた。
背後でフェイトが小さく額を押さえるのが見えたが、対照的にスバルは嬉しそうに笑っている。なるほど、これではギンガが『いつも無茶ばかりして手が焼ける』と愚痴を言いたくなるわけだと、ホークにもがよく理解できた。
「あと、何回も教官と大喧嘩したって」
「それも事実だ」
「あと、それから――」
「その辺でやめとけ」さすがに苦笑混じりで遮った。
スバルは楽しそうだったが、その隣に立つティアナの目付きは、会話が進むにつれてさらに鋭くなっていた。そして、ついに彼女が低い声で口を開いた。
「一つ、聞いてもいいですか」
「なんだ」
「噂は……本当なんですか」
部屋の空気が一瞬で張り詰めた。さっきまでの、スバルが作り出していた調子のいい空気は完全に霧散する。エリオとキャロが小さく息を呑み、フェイトもそれを止めようとはしなかった。むしろ、ホーク本人に自らの口で答えさせるつもりなのだろう。
「あなたが、違法な研究所を襲撃したっていう話」
スバルとは正反対に、ティアナは真正面からホークの過去を撃ち抜いてきた。
「事実だな」ホークは表情一つ変えず、短く答えた。
ティアナの眉が僅かに動く。あっさりと肯定されたことが、彼女にとっては予想外だったらしい。
「務所にいたことも、つい最近になって条件付きでここに配属されたことも、全部事実だ」ホークは続けて、自らの退路を塞ぐように告げた。
「だから、俺を信用できないと思うならそれで構わない」
部屋が一気に静まり返った。ホークに過去をごまかす気は毛頭ない。やってきた過去は消えないし、消す気もなかった。その言動が法として間違っていたとしても、当時の自分にとってはそれが唯一の正解だったのだから。
「今の俺は機動六課の所属だ。それ以上でも、それ以下でもない」
ティアナはしばらくの間、じっと黙ってホークを見据えていた。
「……分かりました」やがて、絞り出すようにそう返答した。
ティアナが納得したわけではないことは分かっている。だが、今はそれで十分だった。信用なんてものは、言葉で並べるものじゃない。これから先の行動で、一つずつ積み上げていくしかない。その冷徹な事実を、ホークは誰よりも熟知していた。
午後になり、新人たちは早速なのはの指導による基礎訓練を受けることになった。だが、そこにホークの姿はなかった。呼ばれなかったのだ。
当然だ。
今の彼が受けるべき教導は、新人たちのそれとは根本的に異なる。基礎から学ぶ必要があるフォワード候補生とは違い、ホークはすでに実戦経験だけなら隊内でも上位に入る。上層部が彼に求めている課題は、戦闘技術ではなく、周囲との協調性。
「お前はこっちで別メニューだ」
訓練場へ向かおうとするホークを呼び止めたのは、ヴィータだった。
「何だ」
「模擬戦だよ。……あたしが相手してやる」その一言で、すべてを察した。
「なるほどな」ホークは小さく笑いながら返答した。
新人が基礎を学ぶというのなら、自分は管理局の最高戦力を相手に、その戦い方を身体に叩き込めということだ。目的が実に分かりやすく、上層部が自分をどう運用しようとしているのか、そのプランが少しだけ見えてきた。ひときわ激しい金属音と魔力の残光が消え、日がすっかり沈み始めた頃。
ヴィータとの過酷な模擬戦を終えたホークがロビーへと戻ると、ソファの上で四人の新人が見事に沈没していた。
スバルは完全に半分寝ている。ティアナは意地でも起きているつもりなのだろうが、座ったまま意識を飛ばしていた。エリオも力尽きたようにぐったりとしており、キャロに至ってはフリードを抱きかかえたまま、完全に夢の中だった。
ホークはしばらくの間、無言でその無防備な光景を見下ろしていた。
「若いな」
思わず、そんな呟きが口から漏れた。年齢だけを見れば、自分も彼らと大差ない十七歳。だが、それまでに歩んできた生き方が違い過ぎた。
戦い方も違う。見てきた凄惨な景色も違う。だからこそ、不思議でならなかった。新人どもと同じ部隊の制服を纏い、背中を預け合って行動する未来が、今のホークにはまだどうしても想像がつかなかった。
開隊初日。
機動六課という新しい部隊は、それぞれの思惑を孕みながら静かに動き始めた。そしてホーク・ネヴィルもまた、その巨大な歯車の一つとして、容赦なく組織に組み込まれようとしていた。この場所に、まだ自分の居場所は分からない。確かな信頼も、まだ、どこにもなかった。