魔法少女リリカルなのはStrikerS ~STAR HAWK:Lone Flight~ 作:マジフジ
敵の不気味な余裕と、喪服をまとったホークの異様な振る舞いに、司令部には不穏な空気が漂う。
いつもとは違う彼の姿に、仲間たちは何を思うのか。
それぞれの思惑が交錯する中、聖王のゆりかごを巡る決戦が、いよいよ動き出す。
アースラの司令部で通信が途絶えた、その直後。
スカリエッティの研究施設では、先ほどまで映し出されていた通信画面が消え、代わってゆりかご内部の各種データがモニターへと表示されていた。
巨大な聖王のゆりかごは、既にその機能の大部分を取り戻しつつある。その周囲では、ナンバーズたちがそれぞれの役割に従って作業を続けていた。
だが――いつもと完全に同じというわけではない。
ホーク・ネヴィル。先ほど通信越しに現れた男の存在が、場に僅かな波紋を残していた。
何よりも、その男が口にした言葉だ。自分たちを「出来の悪いお人形」と呼んだこと、スカリエッティの目の前でブルー・メテオの一部設計データを見せつけ、自分自身を景品として差し出したこと。単なる挑発にしては、あまりにも具体的すぎた。
ゆりかごの内部データを確認していたウーノが、淡々とした口調で報告を再開する。
「聖王の器とゆりかごは、安定状態に入ったわ。クアットロとディエチはゆりかご内より私と交代。トーレとセッテ、セインはラボでドクターの警護。ノーヴェは、ディードとウェンディ、オットー、十三番目と一緒に。ゆりかごが完全浮上して、主砲を撃てる位置まで地上で機動六課及び管理局員の足止め」
指示を受けたナンバーズたちが、それぞれ静かに動き始める。
その中で、ノーヴェだけは隠しきれない苛立ちを纏っていた。先ほどの通信が、どうしても頭から離れない。
自分たちを侮辱したこと。姉妹を、まるで使い捨ての人形のように扱ったこと。その事実だけで、彼女の胸中には明確な敵意が燃え上がっていた。
――殺す。その思考は、あまりにも自然に脳裏に浮かんでいた。
一方、ウェンディはそこまで激昂しているわけではなかった。むしろ、ホークが提示した設計データのほうに興味を惹かれている。
ブルー・メテオ、空を飛ぶための機体。その性能は、一体どれほどのものなのか。
だが同時に、ウェンディは別の冷ややかな印象も抱いていた。
結局、あの男は機体がなければ何もできないのではないか――。そんな、どこか侮蔑の混じった見下しだった。
「二つの月の魔力を受け、地上攻撃が可能な軌道位置までたどり着けば、ゆりかごはまさに無敵よ」
クアットロが、先ほどの出来事など大した問題ではないとでも言うように、優雅な声で言った。その唇には、いつもの薄い笑みが浮かんでいる。
ただし、その笑みの奥には、ホークに対する明確な侮蔑が潜んでいた。あの男は自分たちを挑発した。だがそれは、挑発という手段を選ばなければ、こちらに届かないという証明でもある。
ならば――精神的に追い詰めればいい。戦場へ誘い出し、逃げ場を奪い、最後には己の選択を後悔させる。クアットロにとって、それはただ殺すことよりも、遥かに愉快な結末だった。
トーレは、そんな妹たちの反応を黙って見つめていた。
彼女はホークを侮ってはいなかった。しかし、同時に――憐れんでもいた。あれほど堂々と挑発しておきながら、結局は敵の巨大な計画の前に、自分自身を景品として差し出している。それがどれほど無謀なことなのか。本人だけが理解していないのだとしたら、あまりにも哀れだった。
「ミッドの地上全てが人質だ。その状態なら、本局の主力艦隊とでも渡り合える」
トーレの言葉に、ナンバーズたちの視線がゆりかごへと集まる。
巨大な艦体、聖王の器、古代ベルカの遺産。そして、地上全域を射程に収める圧倒的な火力。
ホークがどれだけ強かろうと、これらすべてを個人で覆すことなど不可能なのだ。まして、彼が頼みとするブルー・メテオが機能しなければ、なおさら。そんな思考の最中、ウェンディがふと思いついたように口を開いた。
「そういや、一個疑問があるんッスけど」
「なんだ?」モニター越しに、トーレがウェンディの問いに応じる。
「あのゆりかごの中にいる『聖王の器』とかいう女の子って、ぶっちゃけ何なんッスか?」
その場の空気が、わずかに変質した。それまで戦力の損得を話していたナンバーズたちの視線が、自然とゆりかごの最深部へと向けられる。そこに眠る、小さく無垢な少女。その様子を眺めていたスカリエッティが、愉しげに肩を揺らした。
「ふふふ。私が教えようか?」
「ドクター」
トーレが嗜めるように名を呼ぶが、スカリエッティは意に介さず、ゆっくりと歩を進めながら「聖王の器」の起源を語り始めた。
十年ほど前、聖王教会に仕える一人の司祭がいた。
敬虔な教徒であり、高潔な人格者。だからこそ、聖遺物管理という重職を任されていた男。
しかし、人間である以上、聖人君子のままではいられない。ある女性への愛に溺れた彼は、禁忌である聖遺物へと手を伸ばした。
「聖骸布に僅かに残されていた血液から、遺伝子情報が取り出された。古代ベルカを統べた偉大なる王――その遺伝子データがね」
ナンバーズたちは、それぞれの反応で創造主の言葉を聞いていた。セインは興味深そうに首を傾げ、クアットロはすべてを信奉するように微笑む。だが、話が進むにつれ、セインの表情が微かに曇った。ふと、別の疑問が脳裏をよぎったからだ。
最高評議会。自分たちの計画を支援してきた、絶対的なスポンサー。ガジェットの量産、人造魔導師計画、ゼストやルーテシアを巡る策謀。それらを考えれば、今回のゆりかご起動にも、彼らなりの思惑があるはずだった。
「レジアスのおっちゃんはまあいいとしてさ。最高評議会のほうはいいの? あっちもスポンサーなんでしょ?」
「ああ、そうとも」スカリエッティは愉快そうに相好を崩した。
その態度に、セインはさらに問いを重ねる。最高評議会には彼らの計画があるはずだ。
勝手に巨大なゆりかごを動かして、お咎めはないのか――そんな、子供のような素朴な疑問。
スカリエッティは、その無知すらも愛おしむように紐解いてみせた。
レジアスも最高評議会も、求めている本質は同じ。地上と次元世界の平和、そして安全だ。ただし、そのために選んだ手段が違った。
レジアスは戦闘機人に縋り、最高評議会はレリックウェポンや人造魔導師へと手を伸ばした。
平和と正義を掲げながら、そのためなら罪のない人々を犠牲にすることさえ厭わない。その肥大化した矛盾こそが、彼らの抱える傲慢さに他ならない。
セインとウェンディは顔を見合わせた。やはり、彼女たちには難解すぎてよく分からない。
だが――スカリエッティだけは違った。彼にはすべてが見えている。スポンサーが何を望み、何を恐れ、どこまでを許容するのか。そのすべてが、彼の掌の上だった。
だからこそ、先ほどのホークの挑発程度で、緻密に組み上げた計画を変更する理由などどこにもなかった。
通信越しに見せつけられたブルー・メテオの設計データ。自分を殺して奪えという傲慢な誘い。そして、あの不吉な黒い喪服。どれも予定には存在しない、確かに完全な想定外だ。
だが――それが計画そのものを瓦解させる要因にはなり得ない。むしろ、スカリエッティの口元が、歪に吊り上がる。
あの男が本当にブルー・メテオの重要情報を持っているというのなら。こちらから追う手間を省き、自ら死地へ飛び込んでくるというのなら。
それはそれで、利用してやればいい。挑発に乗ったように振る舞い、ホークが望む通りのゲームに付き合う。
だが、大いなる計画の濁流そのものは微塵も変えない。予定された駒を、予定された場所へ進めるだけだ。その過程でホークが勝手に盤面へ這い出てくるというのなら――それすらも血肉に変えてみせる。
「はははは……」
スカリエッティの乾いた笑い声がラボに響き、モニター越しのナンバーズたちの視線が一斉に集まる。
「君たちは何も気にせず、ただ楽しく遊んできてくれればいい」
その声は、ひどく穏やかだった。しかし、その静寂の奥にある本質を、トーレだけは見逃さなかった。
彼は、ホークの挑発に怒っているわけではない。ましてや焦ってもいない。むしろ――心底楽しんでいるのだ。
「遊び終わったら、我々の新しい家へ帰ろう。そうすれば――世界のすべてが、我々の遊び場だ」
だが、その中でノーヴェだけは笑わなかった。私憤に駆られた拳を、手が白くなるほど強く握り締めている。脳裏に焼き付いて離れないのは、あの男の不遜な面構え。そして、自分たちを人形扱いした薄汚い声。
――絶対に、殺す。ノーヴェの胸中で燻る殺意は、先ほどよりも鋭く、より明確な形を結んでいた。ウェンディはそんなノーヴェの様子を横目で捉えながら、どこか気楽そうに肩をすくめた。
「ま、あたしら別に高尚な夢とか希望があるわけでもないッスからね~。生みの親がやれって言うなら、やるしかないッスよ」
「そういうことだねぇ~」セインもまた、緊張感のない声を漏らして笑う。
だが、口に宿した軽薄さとは裏腹に、姉妹たちの胸中にはそれぞれ異なる感情が確実に芽生えつつあった。怒り、侮蔑、好奇心、そして、憐れみ。
ただ一つだけ共通している事実があった。ホーク・ネヴィルという男の存在が、既に彼女たちの意識の深奥へと侵入しているということだ。
スカリエッティはそれを見抜きながらも、あえて何も矯正しなかった。
挑発には乗ったふりをする。しかし、計画は予定通りに遂行する。その先で、あの男がどんな選択をしようとも――。
すべては、これから始まる彼の美しい夢の、ほんの一幕に過ぎないのだから。
同時刻、スカリエッティの宣戦布告とも取れる通信が切れた。
スカリエッティの狂った笑い声が途絶え、アースラ司令部には、一瞬にして耳が痛くなるほどの静寂が落ちた。誰もが、すぐには言葉を紡げなかった。
先ほどまでモニター越しに繰り広げられていた、息詰まる挑発合戦。その幕引きとしてホークが見せた、あまりにも不自然なほど落ち着いた態度が、全員の脳裏に焼き付いて離れなかった。そんな周囲を意に介さずサングラスを身に着けて、落ち着いていた。
「……ホーク」
最初に沈黙を破ったのは、グリフィスだった。普段の穏やかな声音からは想像もつかないほど、その声は尖っていた。
「何をしているんですか、あなたは!」鋭い叱責が司令部に響き渡る。
「……何って?」ホークはゆっくりと振り返った。
「何って、ではありません!」グリフィスは机を叩くようにして身を乗り出す。
「敵を直接挑発した挙げ句、自分自身を景品にするなど……! あれでは、自分が敵の最優先攻撃目標になると宣言しているようなものです!」
「そうですよ!」シャーリーも堪えきれずに声を荒らげた。
「しかも、ブルー・メテオの設計データまで見せつけるなんて! あれ、本当に一部だけですよね!? まさか全部見せてないでしょうね!?」
「一部だけだ」
「そういう問題じゃありません!」
即答したホークに、シャーリーが食い気味に言い返す。
「どうしてあんな真似をしたんですか! スカリエッティが本当に食いついてきたら、どうするつもりだったんです!」
「……」ホークは答えず、ただ沈黙を返した。
その無言の態度が、シャーリーには余計に腹立たしかった。
「ホーク!」続いてリインも声を上げる。
「いくら敵を揺さぶる必要があったとしても、あんなやり方は危険すぎます! 自分から『殺して奪え』だなんて、正気の沙汰じゃありません!」
「……ここにいるな、一人」
「そういう屁理屈を言ってるんじゃないです!」
珍しく声を張り上げたリインに、司令部の空気はさらに張り詰めていく。
ホークはグリフィス、シャーリー、リインの顔を順番に見た。誰もが本気で怒り、そして、本気で怯えていた。それは単なる規律違反への叱責ではない。仲間を死なせたくないという、純粋な身を案じる人間の顔だった。それを痛いほど理解しているからこそ、ホークはいつものような軽口を叩かなかった。
「……悪かった」
「え?」三人が同時に、彫像のように固まった。
「挑発したこと自体は、俺の非だ。あれは認める」
あまりにも素直な謝罪だった。言い訳もしなければ、反論もしない。
いつものホークなら、「必要悪だった」「他に手立てがなかった」と一言くらいは煙に巻く言葉を返してくるはずだった。
だからこそ――三人は、余計に底知れない不気味さを覚えた。
「……ホーク?」シャーリーが、狐につままれたような困惑を浮かべて名を呼ぶ。
ホークは視線を逸らさないまま、静かに言葉を紡いだ。
「ただ、スカリエッティのことだ。この程度の挑発で、本当に本来の予定を変えるとは思っていない」
その言葉に、はやての眉が僅かに跳ね上がった。
「……どういう意味や?」
「自分の計算が完璧だと盲信している男だ。多少のイレギュラーが割り込んできたところで、それを計画そのものの破綻とは見なさない」ホークの声は、恐ろしいほど淡々としていた。
「予定通りに進む限り、多少のズレはただの誤差だ。むしろ、その誤差すら懐に取り込んで利用してくる」
「つまり、先ほどの挑発も……」シグナムが静かに目を細める。
「奴にとっては、ただの建前だ」ホークは頷く。
「俺が挑発する。奴はそれに乗ったように見せる。だが、水面下の本命たる計画は、何一つ変えずにそのまま進める」
「……」
「お前……最初から、そうなるって分かっていてやったのか?」ヴィータも腕を組んだまま、じっとホークの双眸を睨み据えた。
「読み通りならな」
その返答に、グリフィスたちの表情がわずかに強張った。
はやても、シグナムも、ヴィータも、全員が同じ違和感を覚えていた。ホークは、まるで自分が敵の計略の渦中に飛び込むことすら、最初から織り込み済みで動いている。しかも――その異常な状況を、ひどく冷徹に、他人事のように語っているのだ。
「……ホーク」はやてが、少しだけ声を落とした。「あんた、本当は何を考えてるんや?」
ホークは一瞬だけ彼女に視線を向けた。だが、その問いには答えなかった。
「時間だ。ブリーフィングに行くぞ」それだけを告げ、背を向ける。
その無機質な横顔を見つめながら、はやては胸の奥を蝕むような嫌な予感を覚えていた。ヴィータも、シグナムも同様だった。戦士としての直感が、執拗に警告を発している。
――何かがおかしい。だが、今は目前の任務が先決だった。
「……そうやな」はやては静かに頷き、私情を振り払った。
「みんなはブリーフィングルームへ。出動準備に入るで」
「了解」
各員がそれぞれの配置へと動き始める。
だが、グリフィス、シャーリー、リインの三人だけは、未だにホークの背中から視線を外せずにいた。
怒りは消えていない。それ以上に――言い知れぬ不安が勝っていた。先ほどの謝罪が、あまりにも素直すぎたのだ。まるで、自分がこれから辿る結末を、ホークだけがすべて知っているかのような。そんな、言葉にできない不気味な残響が司令部に漂っていた。
同じ頃。
アースラとは別の場所で、本局のクロノ・ハラオウン提督もまた、先ほどの通信記録を精査していた。
画面越しにホークへの通信回線が再接続され、モニターが表示される。
『聞こえてる』
「君は少々、無茶が過ぎる」
『……提督様』通信の向こうで、ホークが苦笑する気配がした。
『悪かったよ。だが、さっきも言った通りだ。読み通りなら、奴はこの程度じゃ動かない』
声音には、先ほどと変わらぬ静かな確信が宿っていた。
「……そうか」
クロノは反論しなかった。その言葉を否定できるだけの材料を、今の本局は持ち合わせていない。
通信を終えたクロノは、深く息を吐き出した。
「……頼むから、君の読みが外れないでくれよ」
その願いが、誰の無事を祈ったものなのか、自分でも判然としなかった。
その直後だった、別回線から、カリム・グラシアの声が滑り込んでくる。
「……はやて」その声には、隠しきれない動揺が滲んでいた。
「一番、なってほしくない状況になってもうたんかな」はやてが静かに顔を上げながら言う。
「教会の……ううん、私の不手際だわ。予言の解釈が不十分だった」と、カリムは悔恨をにじませ、苦しげに続けた。
「未来なんて、分からへんのが当たり前や」はやては静かに首を振った。「カリムや教会の皆さんのせいとちゃう」
一度、深く息を吸う。
そして目を開いたときには、完全に守護騎士たちを率いる司令官の表情へと戻っていた。
「さて……どないしよか」その瞬間、通信モニターに緊急の割り込み信号が走った。
『はやて、クロノだ』クロノの厳格な声が、司令部に響き渡る。
『本局は、あの巨大船を極めて危険度の高いロストロギアと認定した。地上部隊とも連携し、総力戦で事態にあたる』
そして、最後に、確認するように問いかけた。
『――機動六課、動けるか?』はやての表情から、すべての迷いが消え去った。
「うん」短い返答。だがその二文字には、六課を統べる司令としての、揺るぎない決意が満ちていた。
「動けるで」
ブリーフィングルームへ向かう通路で、なのは、フェイト、そして新人のフォワード四人も合流した。
全員が揃ったところで、ホークは部屋の隅に陣取り、静かに腕を組んだ。
黒一色の喪服。目元に掛けられたままの、漆黒のサングラス。
その異様な姿を目にした瞬間、なのはの視線がほんの一瞬だけ凍りついた。フェイトも同様だった。
スバル、ティアナ、エリオ、キャロの面々も、言葉にこそ出さなかったものの、ホークの風貌に微かな戸惑いを浮かべている。
だが――誰も、それについて口を開こうとはしなかった。
今はそれどころではないのだ。巨大なゆりかごが浮上し、地上にはガジェットと戦闘機人が溢れかえっている。そして、敵の元凶にはジェイル・スカリエッティが控えている。
この切迫した状況下で、私的な服装について問い詰めるほど、誰も無神経ではいられなかった。
「ホーク」最初に口を開いたのは、なのはだった。
「ん?」
「さっきのことだけど」
声は穏やかだった。しかし、その奥にはスターズ隊長としての明確な注意が込められていた。
「スカリエッティを挑発したこと――あれは、ちょっとやりすぎだよ」
ホークは黙ってなのはの瞳を見つめ返す。
「敵をこちらへ引きずり出す意図があったのは分かる。でも、あそこまで自分を極端な餌にする必要はなかったと思う」
「……ああ」
意外なほど、素直な肯定だった。フェイトがそれに言葉を重ねる。
「私もなのはと同じ意見。あの人がどう動くか分からない以上、あまりにも危険すぎるよ」
「分かっているよ」
「本当に?」
「……ああ。本当に」
ホークはそれ以上、一切の言い訳を並べなかった。なのはとフェイトは、怪訝そうに顔を見合わせる。
いつものホークなら、少しの皮肉を混ぜるか、理屈を並べて自らの行動を正当化するはずだった。それがない。彼らしくないその態度が、かえって二人の胸に拭いきれない引っ掛かりを残した。だが、今はそれを追及している時間さえ惜しかった。
「……なら、いいよ」
なのはは小さく息を吐き、思考を割り切った。
「これからは、みんなで動こう」
「了解」ホークは短く応じた。
その直後、スバルがじっと自分を見つめていることに気づいた。
「……ホーク」
「なんだ?」
「その服……」
ホークの眉がわずかに動く。だが、スバルはその先を言葉にできなかった。
黒一色の喪服、目元のサングラス。そして、いつもより遥かに静謐な表情。何かが決定的に違う――そう直感しているのは、自分だけではなかった。隣のエリオも、キャロも、ティアナも、誰もが胸の奥で息を呑んでいる。
「……ううん。なんでもない」けれど、スバルはそれ以上を追及しなかった。
「そうか」ホークもそれ以上は触れなかった。
短い沈黙が流れる。
やがてホークは、新人四人を順番に見据えた。
「お前ら」
「何よ」ティアナが代表するように、居住まいを正して返事をする。
「今回の任務は、これまでとは比べものにならないくらい厳しくなる」
四人の表情が、一瞬で引き締まった。ホークの声音には、いつものぶっきらぼうさが混じっていた。だが、その奥底には、確かな信頼が重く横たわっている。
「お前らは強い」
「……ホーク」スバルが驚いたように目を見開いた。\
「ここまで何度も叩きのめされて、そのたびに立ち上がってきた。あの襲撃で何もできなかったと、自分を責めているならそれは間違いだ」
ホークはスバル、ティアナ、エリオ、キャロと一人ひとりの目を、真っ直ぐに射抜くように見た。
「お前らは、もう十分に強い」その言葉には、一切の揺らぎも、気休めもなかった。「だから今回も、必ずすべてが上手くいく」
スバルの瞳が、熱い感情に微かに揺れた。エリオも静かに、だが固く拳を握り締める。キャロは小さく、祈るように頷き、ティアナは真っ直ぐにホークを見返していた。
「……うん!」最初に声を上げたのはスバルだった。「私……精一杯、頑張る!」
「僕も」
「私もです!」
エリオとキャロが、決意を宿した声で続く。
「それでいい」ホークは小さく顎を引いた。
そして、ヘリのパイロットであるアルトへ視線を転じる。
「アルト」
「はい」
「ヴァイスがやりたかったこと――お前に託す」
一瞬、アルトの表情に緊張が走った。
ヴァイス・グランセニック。あの苛烈な襲撃で負傷し、未だ病院のベッドから動けない男。そして、この機動六課で誰よりも早くホークの懐に飛び込み、距離を縮めてきた男でもあった。
軽口を叩き合い、不味いコーヒーを酌み交わし、くだらないことで皮肉を言い合った。ホークにとってヴァイスは、数少ない心を許せる戦友の一人だったのだ。
「……わかった」アルトは、その言葉の背後にある重みを完全に理解した。
「任せて。きっちり務める」
「頼んだ」
「……ホーク」
「ん?」
「それ、私たちを励ましているんじゃないでしょ」
そう言われてホークの動きが、ぴたりと止まった。ティアナは逃げも隠れもしない真っ直ぐな瞳で、彼の横顔を射抜いていた。
「自分にも言い聞かせているんじゃない?」
「……」
スバルたちが静かにホークを見る。なのはとフェイトも、何も言わずに彼の横顔を見つめた。
ホークはしばらく黙っていたが、やがて僅かに口元を緩める。
「……流石ティア」
「!」ティアナの目が僅かに見開かれた。
「お前なら、すぐ分かるか」
「やっぱり……」
ティアナは、痛みを堪えるように小さく息を吐き出した。
ホークはそれ以上、自らの胸の内を語ろうとはしなかった。ただ、サングラスの黒いレンズの奥に隠された双眸だけが、静かに、そして冷徹に前方を見据えている。
その頑なな後ろ姿を見つめながら、なのはとフェイトは確信していた。やはり、何かが決定的に狂っている。彼は何か、引き返せない一線を越えようとしているのではないか、と。
けれど――無情にも、作戦開始の刻限は迫っていた。今は彼を問い詰め、立ち止まらせる時間など一秒たりとも残されていない。
やがて、八神はやての凛とした声がモニター越しに室内へ響き渡った。
「みんな、揃ったな」
全員の視線が、一瞬にして司令官へと集まる。
ホークもまた、思考を断ち切るように静かに振り返った。
漆黒の喪服、目元に鈍く光るサングラス。そして、何者にも、いかなる運命にも揺るがされない、静謐な表情。誰もその異様な装いの意味を口にはしない。
ただ、その背姿だけが――これから始まる戦いが、今までとは決定的に異なる「何か」になることを、静かに、だが雄弁に告げていた。
重厚なブリーフィングルームの扉が、静かに閉じる。全員が所定の位置につくと、正面の大型モニターへと作戦区域のホログラム地図が映し出された。
巨大なゆりかごが空へと浮かび、その周囲から無数のガジェットが展開している。ミッドチルダ地上各所、そして――スカリエッティの研究施設と思わしき場所。複数の戦場を示す真っ赤なマーカーが、次々と地図上へ浮かび上がっていく。その光景を一瞥してから、はやてが静かに口を開いた。
「理由はどうあれ、レジアス中将や最高評議会は、稀代の天才犯罪者、ジェイル・スカリエッティを利用しようとした」
室内の空気が、一段と引き締まる。
「そやけど、逆に利用されて裏切られた。どこからどこまでが誰の計画で、何が誰の思惑なのか――それは、まだ分からへん」
はやては一度、モニターへ視線を向けた。巨大なゆりかご。空を埋め尽くすガジェット。地上各所に表示される無数の戦闘反応。
「今、巨大船が空を飛び、街中にガジェットと戦闘機人が現れて、市民の安全を脅かしてる」
声が、わずかに低くなる。
「これは事実や」はやては、そこにいる全員を真っ直ぐに見渡した。「私たちは――止めなあかん」
短い、だが重い沈黙。
その言葉を引き継ぐように、フェイトが詳細な説明を再開した。
「ゆりかごには、本局の主力艦隊が向かっている。地上の戦闘機人たちやガジェットも、各部隊が総力を挙げて対応にあたることになる」
モニター上に、立体的な部隊配置図が表示される。
「ただ……」なのはが言葉を継いだ。
「広範囲に展開された高レベルなAMF下で、十全に戦える魔導師は多くないよ」
なのはの指が、地図上の三つの区域を指し示した。
「だから私たちは三つのグループに分かれて、それぞれの重要拠点の制圧、および防衛に協力することになる」
それぞれの担当区域が、青い光でハイライトされていく。
地上、空域、そして――ゆりかご最深部。
誰もが血の滲むような真剣な表情で、作戦概要を脳裏に刻み込んでいた。ホークもまた、部屋の隅で腕を組んだまま、モニターの光を浴びている。
漆黒の喪服、胸元のサングラス。そのあまりに異様な姿について、やはり誰も触れようとはしなかった。今はただ、目前に迫る凄惨な戦場へと、全ての意識を研ぎ澄ませる。
作戦説明は緊迫感の中で続き、やがて各員の明確な部署が決定されていった。
そして――。
「以上や」はやてが端末の資料を閉じる。
「各自、最終確認ののち、即座に出撃準備。ええな?」
「了解!」
全員の、地を這うような力強い声が室内に響き渡った。
それぞれが武器の換装や魔導端末のチェックへと動き始める中、フェイトが静かな足取りで、エリオとキャロの元へと歩み寄った。
「エリオ、キャロ」
「はい」
「どうしたんですか、フェイトさん?」
「……グループ、別々になっちゃったね」フェイトは二人の顔を見つめると、少しだけ寂しそうに、切なく微笑んだ。
エリオとキャロが顔を見合わせる。
「ごめんね」
「え?」
「私、いつも大切なときに、二人の傍にいてあげられないね」
「そんなこと、ありません!」エリオが慌てて首を振った。
「フェイトさん、一人でスカリエッティの本拠地に向かうなんて……心配です」
キャロも不安の色を隠せないまま、フェイトを見上げる。
「大丈夫だよ」フェイトは安心させるように、優しく微笑みを深めた。
「万が一のためにシグナムには地上に残ってもらうし、アコース査察官やシスター・シャッハも一緒だから。一人きりじゃないよ」
そして――。
「二人とも、頑張ってね」フェイトは愛おしそうに、二人をそっと抱きしめた。「絶対、無茶だけはしちゃダメだよ」
「……はい」キャロが小さく頷く。
「それは、フェイトさんも同じです」
「……うん」
エリオの言葉に、フェイトは一瞬丸く目を見開いた。そして、降参したようにふっと笑う。その温かな光景を少し離れた場所から眺めていたホークが、静かに口を開いた。
「おい……」ホークの一声で三人が一斉に振り返る。
「茶化すつもりは微塵もないんだが、一ついいか?」
「どうしたの?」フェイトが首を傾げた。
ホークは腕を組んだまま、至極真面目な顔で言い放った。
「俺の役割分担……明らかにバグってないか?」
「え?」
「ゆりかご付近、ミッド地上、ミッド空域、さらに地上本部付近のガジェット撃破」
指を一本立てる。
「その上、教官様、チビ副隊長、部隊長様をゆりかごまで移送」
さらに一本増やす。
「執務官様をスカリエッティ基地の空域付近まで爆走移動」
そして、お手上げと言わんばかりに両手を広げた。
「……教官様の言っていた『三つのエリア』どころか、俺だけ過酷なエリアフルコンプ担当なんだけど?」
一瞬の沈黙。
エリオが驚いたように目を瞬かせた。キャロも同じようにホークの姿を見つめる。
そして――。
「……ふっ、くすっ」エリオの口から、堪えきれずに小さな笑いが漏れた。
「ちょっと、エリオくん……っ」
注意しようとしたキャロも、すぐに自分の口元を手で押さえる羽目になった。
「……すみません」
「お前らなぁ……」ホークが呆れたように、大袈裟に肩を落とした。
「人が真面目に戦闘環境の異常性を訴えてるんだぞ」
「だって……」エリオが笑いの余韻を残したまま言う。
「ホークさん、今までで一番普通のこと言ってる気がして……」
「それはどういう意味だ?」
「その……」キャロもつい釣られて笑ってしまう。「なんだか、少し安心しました」
「……」ホークは二人を見つめた。しばらく無言を貫いていたが、「……そうかよ」小さく、息を吐き出す。
「なら、笑ってられるうちに、せいぜい笑っとけ」
その不穏な響きに、エリオとキャロがわずかに表情を硬くした。だがホークは、それ以上は脅かすようなことも、本心を覗かせるようなこともしなかった。
いつものような憎まれ口、ぶっきらぼうな態度。ほんの一瞬だけ――そこには、いつものホークが戻っていた。
フェイトもまた、その微かな変化を見逃さなかった。けれど、あえて何も言わない。ただ静かに、ホークの横顔を見つめた。黒いサングラスのレンズの奥に隠された瞳が、一体どれほど先の世界を見据えているのか。それを知るには、今はまだ、残された時間が少なすぎた。
「……じゃあ、行こう」フェイトが静かに、前を向いた。
「はい!」エリオとキャロが力強く頷く。
ホークもまた、無言で背を向けた。そして――四人は、それぞれの命運が待つ戦場へと向かって、歩み出し始めた。