魔法少女リリカルなのはStrikerS ~STAR HAWK:Lone Flight~ 作:マジフジ
それぞれの戦場へ向かう仲間たち。そして、ブルー・メテオとともに空を駆けるホーク。
かつて未熟だった新人たちは、今や自分の足で戦場へ踏み出そうとしていた。
蒼き翼が切り開く先に待つものとは――
アースラ艦内、臨時ブリーフィングルーム。
緊張に満ちた空気の中、スバル、ティアナ、エリオ、キャロの新人フォワード四人が横一列に並んでいた。機動六課襲撃の激闘による傷は決して癒えていない。それでも彼らは、前を見据えて毅然と立っていた。
視線の先にいるのは、二人の教官。高町なのはとヴィータの言葉を、四人は待つ。
なのはは四人の顔を一人ずつ見つめると、今回の出動がかつてないほど過酷なものになると告げた。その声の重みに、四人の表情が引き締まる。さらにヴィータが重ねたのは、各自が別の場所で戦わねばならず、教官による救助は期待できないという冷徹な事実だった。自分の力だけで踏ん張らねばならない極限の戦い。静かな動揺が部屋を支配する。
そんな彼らを見つめながら、なのはは少しだけ目を細め、今までの訓練を思い出すよう促した。
素直に目を閉じた四人の脳裏に、これまでの地獄のような日々が蘇る。繰り返してきた基礎スキル。何度も失敗した射撃。磨き抜いた得意技と、痛みを伴う防御練習。全身の筋肉を苛んだフォーメーション。そして何より、何度倒れても容赦なく自分たちを立ち上がらせてきた、二人の教官との模擬戦の記憶だった。
あまりの過酷さに、四人の口から揃って苦しげな声が漏れる。
「目、あけていいよ」
なのはの悪戯っぽい声に促され、一斉に目を開いた四人は、教官の苦笑混じりの問いかけに笑みをこぼした。張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ和らぐ。
けれど、ヴィータはそこで表情を引き締めた。低い声が、まっすぐに四人へ向けられる。
「ここまで四人とも、よくついてきた」
想定外の労いに、スバルたちは驚き、言葉を失った。
なのはが静かに言葉を引き継ぐ。四人はまだ誰よりも強くなったとは言えないかもしれない。だが、その厳しい言葉の裏には確かな体温があった。どんな状況でも絶対に負けないためのすべてを、自分たちは教えてきたのだと、なのはは力強く語る。
守るべきものを守る力、救うべきものを救う力、そして絶望的な状況に立ち向かっていける力。その一言一言が、四人の胸へ深く刻み込まれていく。ここまで必死に積み重ねてきた努力の時間だけは、裏切らない。なのはの穏やかな微笑みと確信に満ちた言葉を受け、四人の瞳から迷いが消え去った。
最後にヴィータが拳を軽く握り、過酷な状況を完璧にこなしてこそのストライカーだと、彼らの背中を押す。
「はい!」
四人の覚悟の咆哮が、綺麗に重なった。
なのはが凛とした声で出動を命じ、ヴィータの激がそれに重なる。四人は一斉に走り出し、開かれた扉の向こうへ、その背中を消していった。
なのはとヴィータは、その背中を見送る。
静まり返った部屋で、ヴィータが短く呟いた言葉に、なのはは息を吐いて頷いた。そこには教官としてではなく、彼らをここまで育ててきた一人の人間としての、絶対的な信頼が込められていた。
同時間帯のアースラ格納庫。
巨大な格納デッキの中央には、一機の青い戦闘機、ブルー・メテオが佇んでいた。周囲を行き交う整備班の慌ただしさは、決戦の時が近いことを告げている。各種システムの最終確認が続く喧騒の中、格納庫の入口から一人の青年が姿を現した。
黒一色の喪服に身を包み、目元を漆黒のサングラスで隠した男――ホーク・ネヴィル。その表情には余計な感情が排除されており、ただ目の前にある愛機だけを見つめていた。
「……よう」
返るはずのない挨拶を投げかけながら、ホークはブルー・メテオへ歩み寄る。冷たい金属の表面にそっと手を触れた。手のひらから伝わる無機質な感触。それはかつて養父が造り上げ、自分が受け継いだ翼であり、今は仲間たちを救うためのただ一つの手段だった。
「行くか」と呟くと、それに応えるように機体側面の搭乗口が開く。
コックピットへ乗り込む直前、彼は一度だけ遥か彼方の空を見上げた。そこには巨大なゆりかごが不気味に浮かんでいる。
「今からケリを付ける」
ヴィヴィオ、ギンガ、あるいはかつて失った誰か。胸に去来する面影へ心の中で呼びかけ、ホークはそれ以上何も言わずにコックピットへと滑り込んだ。
ハッチが閉じると同時に内部モニターが次々と点灯し、機体に命が吹き込まれていく。無機質なシステム音声が発進準備の完了を告げると、ホークは操縦桿を握り締めた。
「……了解」
準備完了の応諾とともに、格納庫の巨大なハッチが左右へ割れていった。その先には、混乱に染まったミッドチルダの空が広がっている。
格納庫を離れ、戦場へ向かうブルー・メテオ。その進路の前方から、四つの光が急速に接近してきた。高町なのは、フェイト・T・ハラオウン、八神はやて、そしてヴィータ。ミッドチルダが誇る最高峰のエースたちが、機体の左右へ分かれて飛び、二人ずつ両翼に並んだ。
四人が翼の上に降り立った瞬間、着地の衝撃で機体がわずかに揺れる。ホークは前方を見据えたまま、その揺れを受け止めた。翼の上で激しい風に吹かれながら、右側の翼に立つヴィータが不敵に口元を吊り上げた。
「……やっぱり普通に移動するよりかは速ぇな」
ブルー・メテオは、その言葉さえも置き去りにするように、戦場へ向けてさらに速度を上げた。
蒼い機体が大気を切り裂き、荒れたミッドチルダの空を一直線に駆け抜けていく。
右翼には高町なのはとヴィータ、左翼にはフェイト・T・ハラオウンと八神はやて。四人は各自の飛行魔法で機体表面に足場を確保していた。吹き荒れる烈風に身を任せながらも微動だにせず、まるで巨大な翼そのものを支える戦乙女たちのようだった。
四人ともリミットブレイクへ向けた魔力充填を整えており、全身のデバイスから普段ならばあり得ないほど濃密な魔力が静かに滲み出ては大気へと溶けていた。
戦場へのカウントダウンが刻まれる中、左翼に立つフェイトが、隣のはやてを越えて右翼のなのはへ声を掛ける。
「なのは」
「フェイトちゃん」
肌を刺すような風圧をものともせず、なのはが右翼から左翼へと顔を向けた。
「なのはとレイジングハートのリミットブレイク、ブラスターモード。なのはは言っても聞かないだろうから、使っちゃ駄目、とは言わないけど」
フェイトの声音はどこまでも穏やかだった。しかし、その涼やかな瞳の奥には、長年共に戦ってきたからこそ消せない心配が滲んでいる。
「お願いだから、無理だけはしないで」
なのはは親友の痛いほどの優しさに目を細め、それからすべてを受け止めるように苦笑した。
「私はフェイトちゃんのほうが心配。フェイトちゃんとバルディッシュのリミットブレイクだって、凄い性能な分、危険も負担も大きいんだからね」
「私は平気。大丈夫」
「んぅ……フェイトちゃんは相変わらず頑固だなぁ」
「な、なのはだって、いつも危ないことばっかり」
「だって、航空魔道師だよ? 危ないのも仕事だもん」
「だからって、なのは、無茶が多すぎるの!」
一歩も引かない二人のやり取りは、幼い頃の記憶をなぞるようでもあった。ブルー・メテオの両翼を挟んで交わされる会話を、右翼に立つヴィータは腕を組んだまま呆れた顔で聞いていた。左翼のはやても苦笑いを浮かべ、肩をすくめている。
そして、その隊長二人以上に露骨な拒絶反応を示した男がいた。
「…………」
コックピットに沈むホークは、目の前の複雑な計器類を確認しながら、数秒だけ沈黙した。
やがて、スピーカーを通じて心底疲れたような溜息が機内と両翼へ漏れる。
「はあぁ……」
ほぼ同時に、インカムを通じてはやてとヴィータも溜息を漏らした。
「俺の両翼越しで痴話げんかかよ……」
緊張感の欠けたコックピットでぼそりと吐き捨てたホークに、左翼のはやてが即座に念話を飛ばす。
『黙って聞いとき』
『……了解』
即座に諦めて操縦桿を握り直すホークに、続けて右翼のヴィータからも低い念話が飛んだ。
『伝えておきたいことがあるんだろうな』
ホークはサングラスの奥で眉をひそめる。だが、二人の教官が何を意味しているのかは、不器用な彼にもすぐに理解できた。命を懸けた決戦を前に、フェイトにはどうしてもなのはへ伝えたい、そして確かめたいことがあるのだろう。
だからこそ、ホークはそれ以上無粋に口を挟まなかった。
再び視線をコンソールの前方モニターへと戻す。
四人の会話が交わされている間も、ブルー・メテオは音速の壁を軽々と超え、信じ難い速度で空を突き進んでいた。進路の先には、灰色の雲の向こうに巨大なゆりかごが浮かんでいる。その速度の中で、なのはとフェイトだけは周囲の喧騒から切り離されたように静かに向き合っていた。
「私が、私たちがいつも、どれくらい心配してるか」
消え入りそうな、けれど確かな重量を持ったフェイトの言葉に、なのはは優しく微笑んだ。
「知ってるよ」
「……ん」
「ずっと心配してくれてたこと、よく知ってる」
なのはは一度、進行方向へと視線を戻した。その先には、灰色の雲の向こう、遠く上空に不気味に浮かぶ巨大なゆりかごがあった。
あれを止める。ヴィヴィオを必ず取り戻す。そして、四人で、みんなで必ずここへ帰ってくる。
自分自身への誓いを立てるように、なのはは言葉を続けた。その声には、先ほどまでの軽さはもう微塵もなかった。
「……だから、今日もちゃんと帰ってくる」
覚悟を宿した魔導師の瞳が、まっすぐにフェイトを捉える。
「ヴィヴィオを連れて、一緒に元気で帰ってくる!」
「ぁ……うん!」
揺らぐことのない確信に満ちた言葉に、フェイトの表情が霧が晴れたように明るくなった。まさにその瞬間――。
張り詰めた大気を遮るように、機体の外部スピーカーから男の低く無骨な声が響いた。
「母親同士の会話は終わったか」
ホークが淡々と割り込んだ。操縦席の彼は前方の警告アラートを見据えたまま、冷淡な口調を崩さない。
「なら、そっちは頼むぜ。ま、俺はこの任務は色々な意味でブラックだけどな!」
ホークなりの照れ隠しを含んだ、場を和ませるための冗談だった。しかし、あまりにもストレートで不器用な表現に、機体の上に立つ魔導師たちは言葉を失う。
「……」
「…………」
「………………」
吹き荒れる風の音だけが響き、一瞬、全員の間に妙な沈黙が流れる。
超高速で飛行するブルー・メテオの上で、あまりにシュールな空気が支配していた。その静寂に耐えかねたように、フェイトが困ったように声を漏らした。
「ホーク……」
「なんだよ」
背後の気まずい視線を察しながらも、ホークはサングラスの奥の目を動かさずにぶっきらぼうに返す。
「今の、わざと言ってるよね?」
「さあな」
素っ気なくはぐらかすホークの横顔に、左翼のはやてが苦笑する。冗談を言い合えるだけの心の余裕が生まれたことを確認し、はやては手元の戦術マップに目を落とした。
「フェイトちゃん。そろそろやで」
「あ、うん!」
作戦開始時刻が迫っていることを察し、フェイトは名残惜しそうになのはへ向き直った。残された時間はもう数秒もない。
そのわずかな隙間に、右翼のヴィータが自身の鉄槌型デバイスを握り直しながら力強い声を飛ばす。
「フェイト隊長も無茶すんなよ。地上と空は、あたしらがきっちり抑えるからな!」
前線を一手に引き受けるという猛将の力強い言葉に、フェイトは信頼を込めて頷き返した。
「うん! 大丈夫」
なのはもまた、フェイトへ真っ直ぐに向き直る。お互いの覚悟は、すでに言葉を交わさずとも伝わっていた。
「頑張ろうね」
「うん。頑張ろう」
二人は互いの拳を軽く突き合わせた。
それはまだ何も知らなかった幼い頃、出会いの戦いから始まった、長年何一つ変わらない二人の儀式。互いの命と、絶対に約束された無事を願うための小さな合図だった。
次の瞬間、フェイトの身体が目も眩むような黄金色の光へ包まれ、なのはたちの進路から離れてスカリエッティのいる基地へと向かっていった。
フェイトが離脱したあと、ブルー・メテオはゆりかごへ向かう進路を保った。
それと同時に、右翼に立っていたなのはとヴィータ、左翼にいたはやても機体から離れ、前方のゆりかごへ向かって飛び出した。三人は機体の進路を横切るようにして前方へ出ると、それぞれの飛行魔法で高度と速度を保ちながら、艦体を取り巻く敵の群れへ接近していく。
ホークの意識も、すでに彼女たちの光芒から離れていた。
彼の双眸が捉えていたのは、ただ一点――進行方向の正面に重苦しく垂れ込める灰色の雲海を割り、その先に鎮座する異形だった。
巨大なゆりかご。
一つの大都市がそのまま重力を無視して天空へ這い上がったかのような、規格外の古代ベルカの遺産。質量そのものが暴力と化したその巨大な艦体の周囲には、陽光を遮るほどのガジェット・ドローンが蠢き、空域全体を漆黒の帳で塗り潰している。
「……でか」
ゆりかごの外周へ近づいたヴィータの唇から、驚愕が押し出される。
その近くを飛ぶなのはも、はやても、天を覆う巨体を前にして肺の空気を凍らせた。
だが、戦火を潜り抜けてきた彼女たちの瞳に、躊躇の文字はない。次の瞬間には全員が、鋭く引き締まった戦士の表情へと戻っていた。
「来るよ!」
なのはの警告が通信回線を叩いたのと同時に、前方から黒い津波となってガジェットの群れが殺到する。
ブルー・メテオの進路を塞ぐように、無数の機影が正面から押し寄せてきた。無数に交錯する赤い照準光が機体を捉え、直後、豪雨のごとき魔力弾の嵐が空間を埋め尽くした。
「ホーク!」
「任せろ!」
青き流星――『ブルー・メテオ』の機体が、重力をあざ笑うように大きく傾く。
右へ一気に鋭烈なバレルロール。追尾する光弾を振り払い、間髪入れずに左へと機首を反転させる。機腹を掠めるようにして、狂暴な光の束が幾筋も通り過ぎていった。
しかし、ホークは迫り来る死線を直視していない。彼の視線は、無数の光点が明滅する正面の戦域モニターに固定されていた。
操縦桿を握る指先が、ミリ単位で僅かに動く。
右へ。左へ。そして、再び右へ旋回する。
死の弾幕を嘲笑うかのように、ブルー・メテオはすべての攻撃の隙間を滑るように潜り抜けていった。
「相変わらず、無茶苦茶な飛び方やなぁ……」はやてが冷や汗をにじませ、呆れたように呟く。
「そこは褒めてくれよ!」
ホークが軽口を返した直後、キャノピー越しに、進路の先で密集する新たなガジェット群を捕捉する。
彼の口元が獰猛に吊り上がった。
「――来いよ」
操縦桿を一気に引き絞り、ブルー・メテオが垂直に近い角度で急上昇を敢行する。
直後、蒼い機体が頂点で鮮やかに反転。重力加速度を味方に付け、今度は敵の群れの中央へと真っ直ぐに突っ込んでいった。
「パーティとシャレこもうぜ!!」
ホークの咆哮が、吹き荒れる戦域のノイズを突き破って響き渡る。
刹那、蒼い残像を残しながら、機体が猛烈な速度でガジェットの密集地帯を横切った。
機銃の火線も、魔導砲の熱量もそこにはない。ただ純粋な、極限の機動のみ。完璧に計算された軌道だけで敵の射線を狂わせ、回避運動を取ったガジェット同士を次々と正面衝突させていく。狂ったように爆炎が連鎖した。
「何やってんのや、あいつ……!」はやてが、半ば呆れ、半ばその神業に圧倒されながら叫んでいた。
しかし、戦場の主役は彼一人ではなかった。直後、通信回線を凛とした声が震わせる。
「第七密集点撃破! 次!!」
なのはの鋭い号令とともに、空間を裂いて桜色の砲撃が放たれた。その圧倒的な熱量が戦域を獰猛に薙ぎ払い、一塊となっていたガジェットの群れを瞬時に光の塵へと変えた。
「は、はい!」驚きを隠せない部隊の硬い返答が響く。
だが、攻撃の手は緩まない。ゆりかごの外周で敵の進路を塞いでいたヴィータが、爆炎を割って躍り出た。小柄な身体からは想像もつかない巨大な鉄槌を容赦なく振り抜く。
「邪魔だぁっ!!」
鼓膜を揺らす轟音。
ヴィータの前方に立ち塞がっていた大型ガジェットの堅牢な装甲が、一撃で木端微塵に粉砕され、無数の鉄の破片となって虚空へ霧散する。
爆炎と破片が作り出したわずかな漆黒の隙間――そこを、ホークの駆るブルー・メテオが一筋の蒼い閃光となって駆け抜けていった。
いまや戦場は、敵味方の魔力と硝煙が渦巻く完全な混戦へと変貌を遂げていた。
ゆりかごの外周を埋め尽くし、漆黒の壁となって圧し折ろうとするガジェットの群れ。
それを決死の覚悟で迎撃する、地上・航空魔導師たちの光の列。その混沌の最中心を、なのは、ヴィータ、そしてホークという規格外の戦力が、鋭い刃となって切り裂いていく。
一方、ゆりかごの外周空域で部隊全体を俯瞰していたはやてが、改めて艦体を見上げた。
「……それにしても、大きい」
ポツリと漏らしたその声には、単なる驚嘆を通り越した、背筋が凍るような質量への重みが滲んでいた。
「外からやと、魔道師が何人集まろうとどうにもなれへんなぁ」
あまりに圧倒的な現実。だが、彼女の瞳から光が消えることはない。すぐに、冷徹な指揮官の顔で前を向いた。
「ミッド地上の航空魔道師隊。勇気と力の見せ所やで!」
「はいっ!!」
彼女の不屈の意志に呼応するように、周囲を固める魔導師たちが一斉に力強い声を轟かせる。
その直後、張り詰めた通信回線に緊迫した報告が飛び込んできた。
『高町一尉! 奥へと進めそうな突入口が見つかりました! 突入隊二十名が先行しています!』
「はやてちゃん!」
なのはが、ゆりかごの外壁近くで背後を振り返る。その視線が何を求めているか、はやては一瞬で理解し、力強く頷いた。
「外周警戒はあたしが引き受ける! なのはちゃん、ヴィータ。いってくれるか?」
「おう!」
「了解!」
二人の戦友の迷いのない返答が、戦域に響き渡った。
なのはとヴィータは、報告のあった突入口へ向かって進路を変えた。外壁沿いに接近した二人は、敵の砲火をかいくぐりながら入口へと飛び込み、ゆりかごの内部へ姿を消していく。
はやては外周空域に残り、艦体の周囲に広がるガジェット群へ向き直った。
「頼んだで!」
二人の背中が入口の奥へ消えたのを見届けると、はやては通信回線を切り替えた。まだ上空には、頼るべき戦力がもう一人残っている。
「ホーク」
はやては即座に、個別の通信回線を開いた。
『なんだ?』
「なのはちゃんとヴィータ、今ゆりかごの中に入った」
ホークのコックピットにある前方モニターには、突入口へ向かう二人の生体反応が表示されていた。その反応が入口の内側へ移ったことを確認してから、はやては続ける。
「ここはうちらで抑える。ホークは地上に戻って、そっちの援護をしっかり頼むで」
『承知した』
一切の贅肉を削ぎ落とした、短い返答。
ホークの思考に躊躇はなかった。彼は操縦桿を切り払った。
ブルー・メテオが、その鋭利な機首を豪快に翻す。ゆりかごを取り巻く主戦域から離れ、眼下の地上へ向けて急降下を開始した。
――その瞬間だった。
急降下するブルー・メテオの側方から、機体の進路を読んでいた無数のガジェットが一斉に照準を固定した。赤黒い殺意が交錯し、直後、逃げ場のない網の目のように魔力弾が一斉発射される。
「やはり来るか」
狂暴な光の網を前にして、ホークは視線すら動かさない。
ブルー・メテオが右へ鋭く倒れ込むバレルロール。暴風のごとき弾幕を切り裂き、さらに左へ。息つく暇もなく、もう一度バレルロール。
重力加速度が狂ったように荒れ狂い、コックピット内の上下が目まぐるしく反転していく。それでもなお、ホークの双眸は正面の計器だけを冷徹に睨み据えていた。
迫り来る敵弾を、彼は一発も目視していない。
網膜ではなく、レーダーの光点と、文字通り己の肉体の一部と化した機体感覚だけを信じ、すべての無慈悲な射線を紙一重の回避で潜り抜けていく。
「アホみたいな曲芸飛行やなぁ……!」
通信の向こうで、ゆりかごの外周空域に残ったはやてが戦慄混じりの声を上げた。
ホークは答えない。無線にノイズだけを残し、地上へ向けて高度を下げていく。背後のガジェット群は追撃を諦めず、ブルー・メテオの尾を貫かんと砲撃を放った。
だが。
「させへんよ!」
はやての手から、猛烈な密度の魔力弾が一斉に撃ち出された。ホークを追っていたガジェットが、はやての魔力弾に次々と撃ち抜かれ、空中で爆ぜていく。
さらに後方から、別の一群がブルー・メテオを追いかけるように接近した。
はやてが凛とした動作でシュベルトクロイツを振るう。展開された複数の魔力弾が扇状の軌道を描き、ホークの機体を追うガジェット群をまとめて撃ち落とし、天空へ黒煙のカーテンを引いた。
「こっちは任せとき!」
ホークは爆炎に染まる後方モニターへ視線を送った。
はやてがゆりかごの外周空域に残り、最後の盾となってこちらを援護してくれている。
「……助かる」
胸中で信頼を噛み締め、それだけを呟いた。
そして再び、狂ったように流れる前方の視界へ意識を戻す。眼下に広がるのは、地上で激戦を繰り広げている管理局の防衛部隊。
その先には、市街地へ向かって進む敵の部隊と、必死に命を燃やしている新人たちがいる戦域が広がっていた。ホークの右手が、操縦桿を壊さんばかりに強く握り締められた。
蒼い翼がスロットルを限界まで押し込み、さらなる狂速の領域へと突入する。
ゆりかごの外周戦域を離れ、空から大地へ。
今度の目的地は、多くの民間人が逃げまどい、スバル、ティアナ、エリオ、キャロがそれぞれ死線を彷徨うことになる市街地周辺の戦場。
ホークは蒼い閃光そのものとなり、誰よりも早く、彼らのもとへ還るために空を裂いていった。
その頃――。
ミッドチルダ中央、巨大なビルが立ち並ぶ市街地へ向かって、一機の輸送ヘリがビル群の間を縫うように低空飛行していた。
限界に近い速度。ローターが上げる重低音と凄まじい振動が、鉄の機体をがたがたと震わせ、乗員たちの鼓膜を容赦なく震わせる。
「ごめんね、みんな! 思いっきり揺れるから、しっかりつかまってて!」
操縦席のアルトが、牙を剥くエンジン音に負けない声で叫んだ。
直後、機体が悲鳴を上げるように大きく左へ傾く。逃げ場のない強烈な横Gが、全員の身体を座席へと押し潰した。
「うわっ!」
「きゃっ!」
スバルとキャロが座席の金属フレームに必死にしがみつき、ティアナも爪が白くなるほど身体の軸を保ちながら、鋭い視線で前方を見据える。エリオは命の綱であるデバイスを腕の中に強く抱きしめ、投げ出されそうになる体勢を維持するためだけに全神経を注いでいた。
ヘリの後方には、死神のように追ってきていたガジェットの群れがいた。アルトの急な左旋回に追従しきれず、敵機は慣性に流されて隊列を崩し、ビルの向こうへ散っていく。
「……よし!」
アルトが計器のモニターを確認する。緑色の光が、敵の引き離しに成功したことを伝えていた。
「振り切った!」
「アルト、すごーい!」
冷や汗を拭い、スバルが歓声を上げる。
ティアナもわずかな安堵を求め、機体側面の窓から、ヘリが通過してきたビルの隙間へ目を向けた。
だが――。
「……待って」
その目が冷徹に細まる。一瞬で血の気が引いた。
ヘリの後方、先ほどの追撃部隊が消えていった方向とは別のビルの陰から、新たなガジェットの一群が姿を現した。隊列を崩すことなく低空を回り込み、ヘリの後方へじわじわと迫ってくる。
「まだいる!」
「えっ!?」
スバルが弾かれたように振り返る。
再び絶望が機内を支配しかけたその瞬間、ヘリの無線スピーカーから、ざらついたノイズ混じりの声が響いた。
『――そのまま飛べ』
聞き慣れた、ひどく冷静で重みのある声だった。
ティアナが窓越しに上空を見上げる。
ヘリが進むビル群の上空を縫うように、一本の蒼い閃光が接近していた。ブルー・メテオはヘリの斜め上まで高度を下げると、そのまま同じ進行方向へ並走する。
「ホーク……!」
さっきまで、あの地獄のようなゆりかごの戦域にいたはずの男が、いつの間にかヘリのすぐそばまで追いついていた。その姿は、戦場を支配する圧倒的な強者のそれだった。
『アルトが振り切った奴は、こっちで掃除しておいた』
ホークの静かな声が通信回線を流れた直後、ブルー・メテオの機首がヘリの後方へ向いた。
ヘリを追っていた数機のガジェットが、ブルー・メテオから放たれた蒼いレーザーに貫かれる。
一瞬のタイムラグを置いて、ヘリの後方でいくつもの爆炎が弾け、暗闇を赤々と染め上げた。
「……やっぱり速い」
ティアナが呆れ半分に呟く。その驚異的な戦闘速度は、相変わらず常識の枠に収まっていない。
だが、その直後だった。
爆炎の残煙を迂回するように、一機のガジェットがブルー・メテオの後方斜め上から接近していた。ヘリと並走する機体にとっては、後方の死角に入り込んだ位置だった。
ホークがそれに気付くより早く、ティアナの指が動いていた。
「ハッチ、開けて!」ティアナが叫ぶ。
「危ないよ! 外は烈風!」アルトが制止するように叫ぶ。
「分かってる! 狙撃できる!」
アルトが覚悟を決め、側面のレバーを引く。重厚なハッチがスライドし、開放された。
猛烈な風圧と風切り音が機内へ吹き込んだ。吹き飛ばされそうな風の中、ティアナは剥き出しのフレームに脚をロックし、愛銃クロスミラージュを構える。
ヘリの後方斜め上を飛ぶガジェットに狙いを定め、照準を合わせた。
クロスミラージュの照準レンズが標的を捉える。
乾いた電子音が響くと同時に、放たれた魔力弾が風を切り裂き、ブルー・メテオを追っていたガジェットのコアを正確に撃ち抜いた。黒煙を引きながら、鉄の残骸が重力に従って地上へと落下していく。
『ティア、やるじゃねえか。いい腕だ』
ノイズ混じりのホークの声が通信回線へ響く。
「……あんた、わざとやってるんじゃないでしょうね?」
『何の話だ? 俺はいつでも真剣さ』
「嘘おっしゃい。私たちに実戦経験積ませてるでしょ。わざと隙を見せて」
『さてな。お前らが優秀だから、手が省けると思ってさ』
ティアナは小さく鼻を鳴らした。やれやれという顔だ。
だが、その口元には、戦友に向けるような信頼の笑みが浮かんでいた。
ハッチが閉まり、静寂を取り戻したヘリの中へ視線を戻す。
四人の顔から怯えの表情は消え失せていた。そこにあるのは、前線に立つ戦士の眼差しだ。
ティアナは前方の戦況表示モニターへ視線を戻す。緑色の光が彼女の横顔を照らした。
「確認するわよ」
短く息を吸い、腹を据える。
「あたしたちはミッド中央、市街地方面。地上部隊と協力して、向こうの厄介な戦力を最初に叩く。出し惜しみはなしよ」
「AMFや戦闘機人への対応ができる部隊は限られてる。だから、あたしたちが先頭でぶつかる。盾になるよ」スバルが力強く頷く。
「市街地まで絶対に突破させない。ここで食い止める」
エリオが前を見据えたまま、槍を握る手に力を込めて続ける。
「ギンガさんが見つかったら――」
「最優先で確保。絶対に無事で連れ帰る」キャロが頼もしく答える。
「安全第一でね。無茶はダメだよ」スバルも、グローブをはめた拳を握りしめて頷いた。
「うん!」
ティアナがシートから立ち上がる。その背中は、もう十分に小さき指揮官の風格を纏っていた。
「よっし、行くわよ! 全員、遅れるんじゃないわよ!」
「「「了解!」」」
重なる力強い声。それを通信回線越しに聞きながら、ホークはブルー・メテオの操縦席から、斜め下を飛ぶ輸送ヘリを見下ろした。
新人たちの声が、スピーカーの向こうで響いている。
もう、以前とは違う。
手取り足取り、何もかも教え込まなければ生き残れなかった未熟な連中ではない。
自分という盾がいなくとも、自分たちの足で地獄のような戦場へ飛び込み、自分たちの判断で命を懸けて動いている。
「……こいつら」
ホークの口元が緩む。皮肉屋の彼にしては珍しい、温かい笑みだった。
「もうとっくに俺を抜かしてやがるな」
軽く息を吐く。
「……やっぱり羨ましい限りだよ。無い物をちゃんと持ってやがる」
誰にも聞かせるつもりのない声だった。だが、その声には羨望が含まれていた。
ブルー・メテオのプラズマエンジンが唸りを上げ、さらに加速する。
ヘリの進路の先には、市街地へ向かう防衛ラインが広がっていた。地上にはうごめく無数のガジェットが押し寄せ、そのさらに奥では強大な戦闘機人たちが牙を剥いて待っている。ホークはレーダーへ赤く表示された、画面を埋め尽くす無数の敵影を一瞥した。
そして――。「地上のザコは引き受ける! 道は俺が開く!」
通信回線へ、低く力強い声を叩き込む。
「礼なら後でいいぜ!」
ブルー・メテオがヘリの進路の先へ回り込むように急降下を始める。蒼い一筋の彗星が、夜空を真っ二つに引き裂いた。
「お前らは各現場へ行け!」
次の瞬間、ヘリの進路を塞ぐように集まっていたガジェット群へ、ブルー・メテオから容赦なくレーザーが放たれた。無数のレーザー光が一斉に弾け飛び、進路を塞いでいた敵の隊列に穴が開く。
激しい爆炎、空気を揺らす衝撃波。そして、暗闇の戦場を縦横無尽に駆け抜ける蒼い残光。それは大人の、背中で語る戦い方だった。
「――行け!!」
ホークの咆哮を背に、フォワード四人の本当の戦いが始まった。