魔法少女リリカルなのはStrikerS ~STAR HAWK:Lone Flight~ 作:マジフジ
その危うさに気づきながらも、ホークはあえて距離を置いて見守る。だが、彼女の焦燥はやがて高町なのはとの模擬戦で最悪の形として表面化する。
ホテル・アグスタを震撼させた襲撃事件は、機動六課の介入によってひとまずの終息を迎えていた。
しかし、それはあくまで硝煙の引いた戦闘が幕を閉じたに過ぎない。
現場の廊下には依然として張り詰めた空気が漂い、管理局員たちによる綿密な現場検証が続けられていた。回収されたガジェットの検分、そして空間に漂う残留魔力のサルベージ。
多角的な解析が進められているものの、事件の全容解明に至る道筋は、未だ混迷の霧の奥にある。
フォワード陣がこの場に留まっているのも、その一環だった。
調査活動の見学、およびその補助。執務官や捜査官という狭き門を目指す彼らにとって、最前線で振るう戦闘技術だけでは片手落ちだ。
残る現場から、目に見えぬ痕跡を精緻に拾い上げる鑑識能力もまた、欠かすことのできない必須要件だった。
ひんやりとした空気が満ちるホテル内部の通路。エリオとキャロは、技術部スタッフの先導を受けながら、規制線の張られた調査区域へと足を進めていた。初陣を無事に切り抜けた安堵はあれど、その横顔には隠しきれない緊張が滲む。
未だ見ぬ専門領域の壁に挑むのだ、年端もいかぬ彼らにとっては無理もないことだった。
「それじゃあ、行ってきます」エリオが不意に振り返り、弾んだ声を掛ける。
「おう」ホークは短く応じた。
キャロもまた、小さく会釈を返す。
二人は互いの背を追うようにして、厳戒態勢の敷かれた現場へと消えていった。戦闘技能に留まらず、貪欲に知識を貪ろうとするその背中には、素直に感服せざるを得ない。
少なくとも、自分が彼らと同い年だった頃の不真面目さを思えば、月とすっぽんである。胸中に去来した苦い記憶に、ホークの唇から自嘲気味な吐息が漏れる。
「ホークも少しは見習うべきだと思うけどね?」
鼓膜を揺らしたのは、聞き馴染んだ凛とした声音。
振り返ったホークの視界に飛び込んできたのは、静かに佇むフェイト・T・ハラオウンの姿だった。
そしてその隣には、見慣れない一人の青年が付き従っている。周囲の物々しい空気とは一線を画す、柔和なオーラを纏った男だ。学者という肩書きがこれ以上なく嵌まりそうな、独特の穏やかさを醸し出している。
「紹介するね」フェイトが一歩前へと進み出た。
「無限書庫司書長、ユーノ・スクライアさんだよ」
「初めまして」
青年――ユーノは、目元を緩めて穏やかに微笑んだ。
その佇まいを視界に収めたホークは、わずかに片眉を跳ね上げる。『無限書庫の司書長』といういかめしい重職の響きから、偏屈な老学究でも現れるものと勝手に合算していたからだ。
「もっと堅物の爺さんが出てくると思ってた」ホークの本音が、そのまま口をつい出る。
「ホーク……」
フェイトが頭を抱えるようにして、呆れの混じった声を漏らした。
だが、当のユーノは気を悪くした風もなく、ただ困ったように眉根を下げて苦笑する。
「割とよく言われるよ」
その度量の広さに、ホークは内心で小さく舌を巻いた。柔和な見た目に反して、意外なほど図太い。そんな心中が表情に透けて見えたのか、ユーノは親しみ深い仕草で、すっと肩を竦めて見せた。
短い軽口で場が解れたのを見計らい、フェイトが表情を引き締めて本題を切り出す。手元の携帯端末を流れるような手つきで操作すると、空間に青白いホログラムの調査資料が展開された。
ユーノの双眸も、その瞬間に専門家としての鋭い光を宿す。宙に浮かぶのは、ホテル・アグスタで編纂されたデータの一部。
そこには、先ほど解析を終えたばかりの、生々しい残留魔力の波形データも含まれていた。
「現場から、ジュエルシード由来と思われる反応が見つかったんだ」
フェイトの沈痛な報告に、ユーノの視線がホログラムの数値へと注がれる。
張り詰めた沈黙が通路を支配した後、彼は奥の胸中吐き出すように、静かに息を漏らした。
「そう……ジュエルシードが」
「うん」フェイトは重々しく頷く。
本局の厳重な保管庫から、地方の管理施設へと移送・貸し出されていたロストロギア。
その一部が何者かによって強奪されていること。そして、その固有波形が、まさに今回の修羅場となった現場から検出されたという揺るがない事実。管理局による追跡網は現在も稼働しているが、狡猾な敵の足取りは、まるで煙を掴むかのように巧妙だった。
フェイトは思考の糸を解きほぐすように、確かな口調で説明を紡いでいく。
「私がこのまま六課で事件を追っていけば、きっとスカリエッティにたどり着けると思う」
その揺るぎない言葉に、ユーノは小さく、しかし深く首を縦に振った。幾多の苦難を共にしてきた、長い付き合いだからこそ分かる。
彼女がどれほどの覚悟を背負ってこの事件の深淵を覗こうとしているのかを、彼は誰よりも、正確に理解していた。
「でも、ジュエルシードを見るとね、懐かしい気持ちにもなるんだ」
フェイトは哀愁を帯びた瞳で、少しだけ視線を落とした。
隣に立つユーノは何も言わない。ただ、その沈黙で彼女の紡ぐ言葉を優しく受け止め、静かに続きを待っていた。
「寂しい別れもあったけど、私にとっては、いろんなことの始まりだったから」
ひんやりとした外気に、どこか厳かな空気が流れる。ホークには、彼女たちが共有している詳細な過去の全貌までは分からない。
それは、過酷な当事者たちだけが魂に刻み込んできた深い記憶。自分のような外様の人間が、軽々しく踏み込んでいい領域ではなかったことぐらいはホークも感じていた。
やがて、ユーノの穏やかな視線がホークへと向けられる。
「ホークは、何か心当たりはあるかい?」
不意の問い掛けに、ホークは思考の海に視線を漂わせた。しかし、すぐに無愛想に首を横に振る。
「スカリエッティ本人についてはほとんど知らん」名前を小耳に挟んだことがある、その程度の認識だ。
だからこそ、彼がここで提示できるのは、まったく別の泥臭い経験談だった。
「ただ、違法研究施設なら何度か潰した」
その一言で、ユーノの表情から柔和さが消え、わずかに張り詰めたものへと変わる。
「管理局に入る前?」
「半分はな」
ホークは背後の冷たい壁に身を預け、けだるげに言葉を繋いだ。網膜の裏に蘇るのは、かつてこの目で焼き付けてきたおぞましい施設の光景。
冷徹なガラス越しに拘束された被験者、薬品の臭い、そして、倫理を捨てて実験結果という数字だけを盲信する狂信者たち。どこを覗いても、反吐が出るほど似たり寄ったりの地獄だった。
「連中は大体同じだ。自分の研究に酔ってる」低く、苦々しく吐き捨てる。
脳裏を過ぎる記憶の破片は、どれも胸糞の悪い歪んだものばかりだった。
「人間も魔導師も、ただの実験材料扱いだ。法律も倫理も関係ねえ。だから俺は嫌いだ」
珍しく、剥き出しの憎悪と感情が滲んだ声音だった。
理屈や大義名分ではなく、己の本能のままにその存在を全否定するホーク。
ユーノはかける言葉を失ったように、ただ静かに視線を落とした。フェイトもまた、いたたまれなさに胸を痛めるようにして、ホログラムの資料へと視線を戻す。
ホテル・アグスタ襲撃事件。ジェイル・スカリエッティという不気味な影。そして、その現場に遺されたジュエルシードの反応。
未だバラバラだった断片的な情報は、見えない糸で結ばれ、少しずつ巨大な陰謀の輪郭を形作り始めていた。
その時だった。
通路の奥から足音が響き、調査を終えた高町なのはが姿を現した。いち早くその姿を捉えたユーノが、親しげに小さく手を挙げる。なのはが合流したことで、ユーノの身辺警護のバトンは彼女へと引き継がれる形となった。
どれほど事件の解析に貢献しているとはいえ、彼はあくまで民間の協力者という立場だ。
テロの危険性が完全に払拭されていない以上、これ以上の現場への深入りは避けるべき、というのが管理局の鉄則だった。
その後、フェイトはエリオとキャロが実地見学を行っている区域へと足を運ぶことになった。ホークも特にそれを拒む理由は見当たらず、自然と彼女の斜め後ろを追うように歩き出す。ホテルの上層階へと進む。
激しい戦闘の爪痕は大部分が片付けられていたものの、完全には隠しきれていない。ブルーシートの敷かれた床には、鑑識用のマーキングがいくつも設置されていた。
そんな緊迫感の残る空間の真ん中で、エリオとキャロは担当局員の説明を真剣な眼差しで仰いでいた。
回収されたガジェットの無残な残骸、そして戦闘時の凄まじさを物語る魔力反応の記録。そのすべてが、今後の捜査を左右する貴重な手がかりだ。
二人の質問は積極的かつ的確で、己の血肉にしようとする貪欲な姿勢は、先ほどから微塵も揺らいでいなかった。
フェイトは少し離れた位置に佇み、慈愛に満ちた保護者のような眼差しで、教え子たちの成長を見守っている。そんな絵に描いたような温かい光景を横目に、ホークは窮屈極まりない制服の首元に手をかけた。
息苦しさに耐えかねて、第一ボタン、第二ボタンを容赦なく引きちぎらんばかりに外し、結ばれていたネクタイも雑に引き下げる。
もともとの鋭い顔つきも手伝って、その佇まいは、傍から見ればカタギの人間には見えない、まるで極道崩れのような凄みを醸し出していた。
不意に、横顔を射抜くような強い視線を感じる。
見ると、フェイトがそこにいた。
彼女は言葉を発することはなかったが、咎めるような視線、呆れるような絶妙な視線を、じっとホークに固定している。
ホークの直感が「嫌な予感しかしない」と警報を鳴らした。
彼はそれ以上の追及を免れるべく、いかにも「別の現場の様子を見てくる」といった態度を装い、その場から足早に逃亡を図ろうとした。
「ホーク、待って」
「なんだよ」
「ちゃんと着なさい」
「調査中だろ」
鬱屈した不満を吐き出すように、ホークが小さく愚痴る。
「調査でも着なさい」
フェイトの返答は、一分の猶予もない即答だった。
彼女は手慣れた、迷いのない手つきで、ホークが勝手に外した二つのボタンを容赦なく留め直し、緩んでいたネクタイもぐいと容赦なく引き上げた。
ホークは露骨に、苦虫を噛み潰したような顔で眉間を寄せる。
周囲にはまだ多くの管理局員が行き交っているというのに、この光景は傍から見れば、反抗期のクソガキを宥める母親そのものではないか。
内心で悪態を吐くことしか、今のホークには許されていなかった。
その一連の泥仕合を遠巻きに眺めていたエリオとキャロが、堪えきれずに小さな苦笑を漏らす。現場の空気には未だ重苦しい緊張の空気が漂っていたが、こうした彼らの何気ない、日常の延長線のような掛け合いが、冷え切った空間の温度をわずかに和らげていた。
――そして。
制線の張られた調査区域、その窓際を歩いていた時だった。ホークの視線が、ふとガラスの向こう、建物の外へと引き寄せられる。ホテルの広大な敷地の外周、木々の陰に隠れるような、不自然に人目を避けた位置。
そこに見覚えのある、鋭利なシルエットが佇んでいた。
スターズ分隊のティアナ・ランスターだ。もっとも、彼女がサボリをしている訳ではない。
スターズ側に割り振られていた現場検証のタスクはすでに完全に終了しており、担当局員へのブリーフィングも完了していた。
スケジュールの上では、彼女は今、張り詰めた肉体を休めるべき待機時間のはずだった。にもかかわらず、彼女に休息の気配は微塵もなかった。
訓練用の魔導デバイスを毅然と構え、何度も、何度も、狂気的な反復で射撃姿勢を繰り返している。一連の挙動は決して雑ではない。むしろ、精密機械のように正確だった。
だが、その非の打ち所のない正確さの底流には、焦燥の色が透けて見える。ただ結果だけを渇望するあまり、己の限界を無視して精神を研ぎ澄まし、追い込み続けているようにしか見えなかった。
遠目からでもはっきりと視認できるほど険しい表情のまま、彼女は射撃と微修正のループを、感情を排したマシーンのように繰り返している。
ホークは小さく、深く眉をひそめた。胸の奥底で、冷たい嫌な予感がじわりと波紋を広げていく。
「面倒なタイプだわな」皮肉をたっぷりと孕ませた独り言が、乾いた唇から零れ落ちる。
ティアナが努力を怠っているなどとは微塵も思わない。むしろ評価はその真逆だ。
やりすぎている。
己の限界点でブレーキを踏むタイミングを知らない、あるいは壊れるまで加速を止められないタイプの人間だと、これまでの凄惨な経験則から嫌というほど理解していた。こういう質の人間は、放置しておけば、もっとも厄介で、取り返しのつかない壊れ方をする。
ただし、今はまだ任務の最中であり、機動六課としての行動規律もある。一介の隊員に過ぎない自分が、迂闊に他部隊の領域に介入すべき立場ではない。
冷徹にそう結論づけ、視線を外そうとした、その刹那――。
「ホーク」背後から、フェイトの静かな声音が鼓膜を叩いた。
振り返るまでもなく、彼女の視線もまた、ガラスの向こうで孤独にデバイスを構えるティアナへと注がれている。
スターズの現在の状況は、すでに隊長陣の耳にも共有済みということなのだろう。
「気づいた?」フェイトは胸の内に溜まった熱を逃がすように、短く息を吐いた。
「ああ」
ホークは視線を窓の外に固定したまま、低く応じる。フェイトはそれ以上、言葉を重ねることはしなかった。
だが、その張り詰めた沈黙こそが、何より明確な答えだった。
見守るべき防衛ラインは越えていない。しかし、決して手放しで放置していい状態でもない―第三者としての、それが冷徹な評価だった。
「エリオたちの方、戻るよ」
「あいよ」ホークもその背を追うように歩き出す。
その直前、彼はもう一度だけ、網膜に焼き付けるようにティアナの姿へ目をやった。
その動きに微塵のブレもない。
まるであそこだけが世界から隔離され、時間が静止したかのように、ひたすら狂気的な集中だけが続いていた。胸中の嫌な予感は霧散するどころか、むしろより強固な輪郭を伴って、ホークの思考にこびりついて離れない。
このまま平穏に終わるはずがない、という確信だけが、冷たく胃の腑に落ちる。そしてその不穏な予兆は、次なる破滅へのカウントダウンとして、静かに、しかし確実に牙を研ぎ始めていた。
ホテル・アグスタでの緊迫した調査任務を全うした機動六課の面々は、その日の夕刻には、夕日に染まる隊舎へと帰還を果たしていた。
現場から回収された膨大な資料のパッキング、情報の精緻な照合、各部署への状況報告と共有。実戦が終わろうとも、書類とデータに追われる事件処理の戦いは、未だ終わりを迎えてはいない。
そんな喧騒の裏で、重厚な扉に閉ざされた隊長室では、スターズ分隊のティアナ・ランスターに関する、深刻な審議が行われようとしていた。
もっとも、その張り詰めた議論の場に、ホークの姿はない。そもそも招集すらされていないし、仮に呼ばれたとしても、そんな繊細な席に進んで参加するような殊勝な性格を、彼は持ち合わせていなかった。
その頃、ホークは静まり返った隊舎周辺の定期パトロール任務に就いていた。
日は完全に落ち、機動六課の周辺空域は静まり返っている。依然として警戒レベルは維持されているものの、レーダーに目立った異常反応は感知されない。
微かな足音すら消し去り、自らの気配を完全に世界へと溶け込ませる隠密行動は、ホークにとって呼吸をするよりも容易い得意分野だ。
だからこそ、この手不調法な夜間巡回に自分が白羽の矢を立てられたのだろう。
冷涼な夜風が、そっと頬を撫でて通り過ぎる。硝煙と悲鳴に満ちていた昼間のホテルとは対照的に、夜の虚空は妙に落ち着き払っていた。
「異常なしと」
ホークは左目に装着した分析装置の数値を指先で弄りながら、淡々と呟いた。
夕食前の、ひどく地味で退屈な警戒巡回。不審者の足跡を辿り、敷地を覆う結界設備の強度を目視で点検するだけの作業が淡々と続く。
だが、機動六課という一線級の特殊部隊の陣地である以上、どれだけ平穏に見えようとも一瞬の油断が命取りになる。制服のポケットに両手を突っ込み、気怠げに歩を進める。
夜の気配を孕んだ風は、昼間よりも確実に鋭さを増していた。
事件が連続していたここ数日間の狂乱と比べれば、大分穏やかな時間だ。遥か遠方で訓練場の高輝度照明が音もなく灯り始め、隊舎の窓々にもぽつりぽつりと暖色系の明かりが増えていく。
そろそろ予定の巡回ルートも終着点だ。
無機質な報告書を乱雑に書き上げ、配給の飯を胃袋に流し込めば、それで今日の任務はすべて終了する。
視界の極東、暗闇の奥に、微かな、しかし鋭い魔力光の明滅が映り込む。
敵襲の可能性を瞬時に脳が演算し、ホークは右手の速射ブラスターのグリップを引き抜きながら、反射的にそちらへと視線と銃口を固定した。
光の発生源は、敷地外周の隅にひっそりと佇む簡易射撃区画。夜間の自習使用が許可されている、限られたスペースだ。
「またかよ」苦り切った独り言が漏れた。
見覚えのある魔力波形、そして一寸のブレもない洗練された射撃フォーム。
見間違えるはずがなかった。スターズ分隊、ティアナ・ランスター。
昼間にホテルの庭で見かけた姿と、何一つ変わっていなかった。いや、正確に観察すれば、昼間の比ではないほどの濃密な疲労がその肉体に蓄積している。
それにもかかわらず、彼女はまだ、狂ったように引き金を引き続けていた。
闇に浮かぶ仮想の球体標的に向け、寸分の狂いもない射撃フォームを構築し、撃ち、そして微修正を行う。
額には汗で前髪が不気味に張り付き、肩は激しく上下しているが、その駆動が止まる気配はない。しかし、一つ一つの動作の端々には、見ていて痛々しいほどの過剰な力みが混じり始めていた。
「だから面倒なんだよ」ホークは小さく舌打ちを鳴らす。
努力家で真面目、果てしない責任感を背負う優等生。世間の聞こえは最高に良いが、その手の人間は大抵、己の限界という境界線を知らない。
文字通り、肉体か精神が木っ端微塵に壊れるまで走り続けてしまうからこそ、これ以上なく厄介なのだ。
声を掛けて引き剥がすべきか、それとも外野として放っておくべきか。
ほんの数秒、脳内で天秤にかけた、その時だった。
『おーいホーク、聞こえるか?』
耳元のインカムから雑音混じりの声が響くと同時に、背後から無遠慮な足音が近づいてきた。
「やっぱりここにいたか」振り返ると、そこにはヴァイスが立っていた。
片手を軽く挙げながら、その親しみやすい顔に困ったような苦笑いを浮かべている。
「何だ、ヴァイスか」
「何だとは失礼だな。というか口の利き方!」
「諦めろ」
間髪入れずに即答し、ヴァイスの抗議を力ずくで黙らせる。
ホークの図太い態度に深い溜息を吐きながら、ヴァイスもまた、ホークの視線を追うようにティアナの方へと目を向けた。
「ちらちらスコープで見ちゃいたんだがな。まさかまだやってたとはよ」
「みたいだな」
二人の冷めた視線の先では、ティアナが周囲の闇を拒絶するように射撃を続けている。
終わりを迎える気配は微塵もない。
夕暮れの残滓はすでに完全な夜の闇へと変貌している。それでも彼女だけは、孤独に引き金を絞り続けていた。
ホークは胸の前で重々しく腕を組む。昼から続く嫌な予感は霧散するどころか、むしろその密度を増し、より濃い影となって網膜にこびりついていた。
「あいつ、このままだと止まらねえだろう」
ヴァイスが、本当に我が身のことのように心配そうに声を漏らす。
「なら、限界が先にくるか、誰かが止めるのが先か、どっちかだ」
ホークは一切の感情を排し、冷徹なまでの現実を突きつけた。
ティアナは追い詰められている。だが、本人がその頑ななプライドで救いの手を拒絶している以上、部外者である今のホークたちにできることなど、何一つとして存在しなかった。
闇の向こうで、魔力弾が一発、また一発と無機質な標的を正確に撃ち抜いていく――その鼓膜を穿つ硬質な破裂音を背中で受け止めながら、ホークは隊舎へと戻る。
翌日。ホテル・アグスタでの一件はひとまず終わったが、六課の日常は止まらない。
朝の訓練、隊舎内での座学、模擬戦、事件の解析。それらがいつも通りのルーティンで回り続けていた。ただ一つだけ、確実に狂い始めているものがある。ティアナ・ランスターだ。
早朝、訓練場には誰よりも先に彼女の姿があった。そして夜、誰よりも遅く自主練習を重ね、夜間パトロールの終了間際になってもまだ残っている。
ホテルでの実戦、そして昨夜の自主練。その繰り返しによって身体が馴染んだのだろう、彼女の射撃と修正の動作はむしろ加速していた。
ホークは訓練場脇の通路を通り過ぎながら、小さく眉をひそめる。
まだ無理をしてやがる――それが率直な感想だった。
努力家なのは誰の目にも明白だが、ティアナ自身から焦りは一向に消えていない。あの過剰な負荷は長く続かない。どこかで必ず、取り返しのつかない歪みを生む。そういう破滅の仕方を、ホークはこれまでの荒んだ半生で何度も見てきた。
さらに、二日目。
昼休憩の時間、ホークは珍しく食堂に顔を出していた。理由は特にない。単純に、フェイトから外食を禁止されたからだ。いつも戻りが時間ギリギリになる癖を見かねて、「余裕をもって行動しなさい」と食堂での食事を義務づけられたのだ。
面倒臭い。休憩時間くらい一人でゆっくりさせてもらえないのかと、心底呆れながらトレーを持って歩いていた。すると、視界の端に新人達の席が見えた。スバルが何かを熱心に話しており、そこにはエリオとキャロも同席している。
だが、やはりティアナの姿だけがそこにはなかった。
「……特訓か?」誰に言うでもなく呟きながら、ホークは空いている座席に腰を下ろす。
「正解」対面の席に、いきなり男がトレーを置いて座ってきた。
「図々しい奴だな」嫌味のように、ホークはヴァイスを睨む。
「孤立してて寂しそうだから来てやったんだが、相変わらず可愛げのねえ反応だな」
少しは嬉しそうな顔ができないものかね、と内心で呆れながらヴァイスが席を整えた。
「で、あいつは寝てるのか?」
「寝てない可能性のほうが高いな」ホークの冷めた推測に、ヴァイスが短く応じる。
ホークは露骨に顔をしかめた。
バカだろ、あいつ――口にこそ出さなかったが、その呆れ果てた感情は、彼の表情にすべて表れていた。
三日目。
夜、隊舎の外周警戒パトロール中に、ホークは再び訓練場の明かりを見つけた。トレーニングを続けているティアナだった。相変わらずの猛特訓で、体中から酷く汗を流し、疲労の色も濃い。だが、それでも彼女は止まろうとしなかった。
普通ならもう倒れていてもおかしくない。そんな限界など関係ないとばかりに、まだ立ち続けている。
ホークはしばらくの間、無言で見つめていた。
「……それでも来るか」
泥臭くも貫き通したい彼女の意地を感じ取りながら、独り言を呟く。
努力だけでどうにかなる甘い世界じゃない。だが、そこまで努力できる奴もまた、そう多くはない。
少なくとも、あの根性だけは本物らしい。ホークは内心で少しだけ彼女への評価を改めた。
四日目。
朝の訓練場。ホークが自主トレーニングを終えて戻ろうとしたとき、そこにはまたティアナの姿があった。だが、以前とは少し雰囲気が違っていた。
一人でただ射撃を繰り返しているのではない。隣には相棒のスバルが付き合っており、少し離れた場所にはエリオとキャロもいる。フォワード陣の全員が集まって訓練をしていた。
そこには張り詰めた刺々しい空気はなかった。
互いに声を掛け合い、失敗してもすぐにやり直す。焦りよりも、確かな前進の気配が見えた。 少し離れた日陰からその光景を見ていたホークは、静かに腕を組んだ。
ティアナ自身の頑なさは変わっていない。だが、変化が起きていたのは彼女の周辺だった。
支えてくれる人間が増え、相棒のスバルは新しいコンビネーションを完成させようと並走している。エリオやキャロも、そのティアナの戦術を補助するように懸命に応えていた。自分を支えてくれる仲間がいる。だから、彼女は折れずに済んだのだ。
「そろそろ吹っ切れたか」ホークは小さく息を吐いた。
最初に見た、今にも壊れそうな危うさは薄れている。ただ、これだけで状況が劇的に変わるとは思っていない。だが、自分をただ不毛に追い詰めるだけの最悪な状態からは、ひとまず脱したようだった。
そして、五日目。
ホークはもう訓練場でティアナを見かけても、特に何も言わなくなっていた。エリオやキャロ、そしてスバルが近くで見てくれているのであれば、無理をして倒れる前に誰かしらが止めるはずだからだ。
「あの傷は、少しは癒えたかね」
ぽつりと呟きながら、自分のデスクへと向かっていった。
その日の午後。
ホークは隊舎内で、相変わらず山積みになった報告書と格闘していた。誰が構築したのか知らないが、時空管理局という組織はあまりにも書類仕事が多すぎる。どの書類を片付けたのか、どれが未提出なのか、何回やっても悪戦苦闘の連続だった。
その時だった。廊下の向こうから、何やら慌ただしい話し声が聞こえてきた。
「なのは隊長が、ティアナを撃墜したらしいぞ」
「え、模擬戦でか?」
「ああ。かなり派手に……まるでスバルに見せつけるような、強烈な撃墜だったってよ」
ホークを動かすペンが、ぴたりと止まった。
数秒の沈黙。そして――「……あの馬鹿」ぽつりと、誰の耳にも届かない声で呟いた。
なぜ自分がこの言葉を吐いたのか、そして、それが一体どちらに向けた言葉なのか、自分でも判然としなかった。ティアナなのか、あるいは、なのはか。あるいはその両方か。
ただ一つだけ、冷徹に確信できる事実があった。
ホテル・アグスタの戦いから彼女がずっと抱え続けていたコンプレックスは、まだ何一つとして解消されていなかったのだ。
ホークは椅子の背もたれに体を預け、自分の目を覆うようにして頭を抱えた。
机の上には書類がまだ山ほど残っている。傍から見れば、簡単な書類処理すらできずにフリーズしている無能に見えている可能性もあったが、今の彼にはそんなことはどうでもよかった。どうしても手が進まない。
模擬戦での撃墜、それ自体は軍隊において珍しい話ではない。訓練なのだから、力量の差や加減によって負けることなど当然ある。
しかし、今回の場合は明らかに話が別だった。相手はティアナとスバルにとっての直属の上司であり、最強の背中であるはずの高町なのはなのだ。
あの優しすぎる隊長が、わざわざ新人を容赦なく撃墜してみせた。それはつまり――言葉による教導では、もうティアナに届かなかったということだ。
自分でも理解が追いつかないほど、胸の奥の気分が酷くモヤモヤと燻っている。
嫌な予感は、結局最悪の形で当たってしまった。ホテル・アグスタで見たあの時から、ずっと喉の奥に引っかかっていた不穏な違和感。あれは決して消えてなどいなかったのだ。
ホークは気分を変えるため、重い身体を起こして、一旦休憩室へと向かうことにした。
「ホークじゃねえか。仕事うまくいかねえのか?」
缶コーヒーを片手にケタケタ笑いながら、ヴァイスがホークをいじる。
「まあな。ティアナ撃墜の話を聞いちゃ、手が進まん」
対照的にホークが真面目な顔で返すと、内容を即座に理解したヴァイスは笑うのをやめて、真剣な顔に戻った。
「やっぱり聞いたか」
「業務中に聞こえてきた」
ホークは淡々と応じる。休憩室の中での二人の会話は、終始ティアナのことで持ちきりだった。
こうなってしまうのは、数日前の会話で二人が予想していた結論だった。ただし、それが最も最悪な形として露呈してしまった。
彼女――ティアナ・ランスターは人一倍の努力をしていた。自身を凡人と自己卑下していたが、ホークとヴァイスの両名から見ればその能力は高かった。
特にホークからしてみれば、彼女の持つ技術は純粋に尊敬できるものばかりだった。自分自身は射撃、砲撃、遠隔発生、捕獲魔法の類がまったく使えない。それができるだけでも十分にエリートであり、かつて自分が途中で放り出した士官学校を、根性でやり遂げた粘り強さもある。
ヴァイスにとっても、彼女が機動六課に配属された技術はもちろん、その執念深い継続性を何よりも評価していた。
「それに、あいつは仲間に恵まれてる」ヴァイスが短く言った。
「少なくともあいつには、それに応えようとしてくれる仲間がいる」
「だな。それに、あいつ自身も仲間に応えようとする」
「だから厄介なんだ」
才能がある奴が、自分を才能がないと思い込むのは非常に面倒だ。努力を止められない奴、焦りでただ力を求めようとする奴は、最後には自分で自分を壊してしまう。
「最悪の形で作用しちまったんだな……」嘆くようにヴァイスが呟く。
本来であれば、お互いを信頼し合い、高め合える熱い信頼関係になるはずだった。レベルを高めて競い合うための、理想的な仲間が揃っていた。ただ、それはメンタル面に問題がない場合の話だ。ティアナは焦りを隠したまま、自分の体調や限界を省みていなかった。
「まあ、今日は隊長たちに任せるしかねえな」
「そうだな」
ヴァイスは手を上げ、自分の持ち場へと去っていった。
一人になったホークは、再び書類の山が待つ執務室へと向かった。
デスクに戻り、書類へと視線を落とす。だが、頭の中にはどうしても訓練場の光景が浮かび上がってしまう。
眠る時間を削ってまで訓練していた少女。それでもなお、届かない現実と才能の差に焦り続けていた少女。仲間の信頼や補助を絶対に裏切りたくないともがいていた少女。
そして今日、その厳しい現実を、直属の上司から真正面から叩き付けられた。
高町なのはは優しい――誰よりも優しい。だからこそ、甘やかさない。必要だと判断したからこそ、本気で彼女を撃ち落としたのだろう。
「……ま、後はあいつら次第か」ぽつりと呟いて、ホークは再びペンを取った。
書類の山は減らないし、事件もまだ終わらない。機動六課の日常も、止まることなく続いていく。
あの一撃の先で、ティアナ・ランスターが一体何を掴み取るのか。それを決めるのは、もう周囲の人間ではなく、彼女本人だけだった。