「うんうん、いい出来じゃないかな。あとは焼くだけだね」
「ありがとう存じます」
教師であるシェフゴーストの指示に従い、オーブンに豚肉を入れる。
本日の課題はシュバイネブラーテン、豚肉のビール・オーブン焼である。
小テストを無事終えたあとは選択授業の時間だ。
「随分と手際がよくなったんじゃないかい。努力の成果だね」
「光栄ですわ」
マスターシェフ。
自活経験のないシャルロッテに、料理の『ABC』を教えてくれたのはこの授業だった。
付き合い上、シャルロッテはこの世界のたくさんの地域の料理を食べる機会があるのだが――ハーツラビュルのお茶会菓子、モストロラウンジの海鮮料理、スカラビア寮の宴料理など――よく作るのは、ユルゲンシュミットでも馴染みそうな料理だ。覚えて帰れば義姉が喜びそうな魚料理に関しても、本を見て実践している。
「たまにハーツラビュル寮のキッチンで、トレイ先輩のお手伝いをしているのです。なんでもない日のお茶会に、よくご招待いただいておりますから。おかげでカトルカールもクッキーも、自分で作れるようになってしまいましたわ」
「カトルカール? ああ、パウンドケーキのことだね」
「トレイ先輩もおっしゃっていましたが、やはり、名前が違いますのね」
カトルカールは、義姉ローゼマインが考えたお菓子だ。
異世界のものと名前が異なるのはおかしくはないけれども、なんとなく不思議な気持ちになる。
「カトルカール、とも言うんじゃなかったかな」
「え? そうなのですか」
「輝石の国の言葉だった覚えがあるね。四分の一が四つと言う意味さ。カールが四分の一、カトルが四。全ての材料を同じ配合で作るからそういう名前がついた」
「まあ、そんな意味が……」
「パウンドケーキも同じような由来があるよ。薔薇の王国の重さの単位である『1ポンド』ずつ材料を混ぜ合わせるから、パウンドケーキ」
「……」
義姉の思いついたお菓子の名前が、輝石の国から来ているだなんて。
――もしかしたら、義姉もツイステッドワンダーランドのことを知っているのだろうか。
(偶然、かしら)
しかしローゼマインの話す言語はユルゲンシュミットのものだ。
シャルロッテがこちらの言葉がわかる、読めるのは、学園長に翻訳魔法をかけた魔道具をもらっているから。
ツイステッドワンダーランドの言葉を話しているのは聞いたことがない。
「せっかく腕が上がったんだし、帰れたら作ってあげたらどうだい?」
「え?」
「よく話している「お姉様」にだよ。きっと喜ぶよ」
「……そうでしょうか」
そうだろう、と思う。
ユルゲンシュミットに帰れば、シャルロッテはおそらく厨房に立つことは許されない。そもそも、義姉はアウブ・アレキサンドリアだ。接触の機会はただでさえ少ないのに、そんなことができるとは思えない。
けれどももし手料理を作って義姉に振る舞えば、誰より喜んでくれるだろう。
それが、ありありと想像できる。
「さ、評価をもらっておいで。今回の審査員はレオナ君だよ」
「あ、あら……」故郷とは違うとはいえ、やはり、王族と聞くと少し身構えてしまう。「素人のお料理が、レオナ先輩のお口に合うでしょうか」
「大丈夫大丈夫、自信持って」
「はい……」
おずおずと持っていくと、肉好きのレオナの下した評価は「7」だった。多少パサつくが悪くはねえ、とのこと。
ほっとして食器を下げると、シェフゴーストが「次の課題は東方の国の料理の予定だよ」と言った。
「東方の国、ですか? 赤竜の国とは違うのでしょうか」
「ご近所の国さ。赤竜料理もそりゃあ美味しいんだけど東方食が最近流行りでね、健康的でおいしいんだよ。ダシって聞いたことないかい? 東方で生まれた概念なんだけど」
「まあ。コンソメとは似ているものでしょうか」
「少し似てるかな。君はミソスープは飲んだことがあるだろう? あれにも使われているよ」
「あの、不思議な香りの、優しいお味のスープでございますね」
コンソメと似ているのならば、もしユルゲンシュミットに覚えて帰れたら、義姉は喜ぶだろうか。新しい料理ができれば、エーレンフェストの役にも立つだろう。
クウェカルーラの加護あれかし。
「おすすめの東方料理レシピ本があるから、図書室で借りて帰っていったらどうだい。ダシは奥が深いから、予習しがいがあるよ」
「まあ、それは素晴らしいお考えですわ。ありがとう存じます、先生」
*
相変わらず、ナイトレイブンカレッジの図書館は素晴らしい蔵書数だ。壁面いっぱいに本、本、本。
ここに来る度に、義姉の顔が浮かぶ。きっと羨ましがるだろうと思うと、申し訳なくなるくらいだった。
「東方料理……東方料理……これでしょうか」
料理本のコーナーからいくつか初心者用の本を選定し、貸出手続きに移る。
これらがすべて印刷されたものであることにも驚きだが、全ての本に「写真」という精巧な絵がつけられているのには今でも驚く。
(わたくしも、スマホやゴーストカメラですっかり慣れてしまったのですけれど……)
それにしても、ここはなんて贅沢なのだろう。
興味深い本が、好きな時に好きなだけ無料で借りられる。珍しいレシピ本まで、簡単に手に入るだなんて。
「おや監督生。東方の国に興味が?」
「まあ、リドル先輩。ごきげんよう」
声を掛けてきたのは、ここ一年ですっかり顔馴染み――シャルロッテが親しいのがハーツラビュル寮生だからだ――になったハーツラビュル寮長のリドルだった。
聡明な彼は図書館の常連であり、よくここで顔を合わせる。
「ごきげんよう。持っているのはレシピ本だね」
「マスターシェフの予習なのです。次の課題にと」
「なるほどね。マスターシェフか……」
「ふふ。リドル先輩は、あまり得手ではなさそうですわね」
「……きつね色だの、あめ色だの、そういう曖昧な表現がどうしても相容れないんだ」
確かに。
そもそも「きつね」が何かを知らないシャルロッテも、違う意味でだいぶ苦しいものがあった。
「ただ、知識ならあるよ。
東方料理で基本のダシは、カツオやコンブから取ると聞く。予習をしたいのならミステリーショップから調達するのがいいだろうね」
「さすが、よくご存知ですこと。教えていただきありがとう存じます」
礼を言って微笑み、シャルロッテは図書室を後にした。
*
図書室を出てミステリーショップに寄る。
カツオにコンブにミソ、トーフにワカメという珍しい食材でも、サムの店はいつでもインストックナウ。無事、購入することができた。
主菜にと考えているのはサバのミソ煮だ。ミソを買う予定ならば、と、教えられた献立である。
サムに、オマケに、ともらったのは飴。
ユルゲンシュミットならば高価な砂糖をふんだんに使った甘い飴――それが何十個も入った袋が、ひと袋100マドルちょっとで買えるのだ。はじめて知った時には目を疑った。
「ああ、帰ったら掃除もしないといけませんね」
今週末、仲のいい一年生――エース、デュース、エペル、ジャック、セベクを招いて談話室で映画鑑賞会をするという約束がある。
以前、輝石の国を訪れた際に見たオペラで、シャルロッテはすっかり演劇の虜だ。
カリムやイデアがオンボロ寮を調えてくれてからは綺麗になってはいたが、生活している以上汚れはあるだろう。
ちょうど、掃除洗濯の実践魔法を習ったばかりだ。
ヴァッシェンと、掃除の魔法はどちらがより有効だろうか。
いまのシャルロッテではヴァッシェンや簡単な実践魔法しか扱えないが、実験してもいいかもしれない。消費魔力を比べれば、どの状況どの技術が最も適しているのかを知ることができるはずだ。
ふと立ち止まり、
シャルロッテはナイトレイブンカレッジの本校舎を見上げる。
聳え立つ城は、エーレンフェスト城をはるかに上回る大きさだ。
「……お姉様。
お兄様、お父様、お母様。メルヒオール、ヘンリエッテ。
わたくし、必ず帰ります。領地に、ユルゲンシュミットに利のある情報を携えて」
メスティオノーラよ。
かつて我が姉に宿りし英知の女神よ。
どうか見守っていてくださいませと願い、シャルロッテは踵を返した。