ようこそ不死鳥の舞う教室へ 作:Gemini&指示出す人間
五月下旬。
初夏の日差しが教室に差し込む中、高度育成高等学校に入学して初めての大きな試練となる「一学期中間試験」の朝がやってきた。
しかし、本来ならば緊張と不安に包まれているはずの1年Dクラスの教室には、異様なほどの余裕と、活気に満ちた笑い声が溢れていた。
「いやーっ、マジで櫛田ちゃん女神だな! これで赤点回避どころか、俺たち全員で高得点間違いなしだぜ!」
「本当にな! 昨日の夜、暗記するの少しだけ苦労したけど、これで100点取れるなら安いもんだ!」
池寛治と山内春樹が、大げさにガッツポーズを取りながらはしゃいでいる。
その隣では、部活動にしか興味がなく赤点候補の筆頭であった須藤健も、自信ありげに腕を組んで鼻を鳴らしていた。
彼らがこれほどまでに余裕を見せている理由はただ一つ。試験のカラクリ——『学校側が過去の試験問題を使い回している』という事実に気づき、事前にその「過去問」と「解答」を入手していたからだ。
事の発端は、窓際で静かに本を読んでいる目立たない少年、綾小路清隆の暗躍によるものだった。彼はこの学校の不自然なシステムにいち早く疑念を抱き、過去の小テストの出題傾向から「問題の使い回し」の可能性を看破した。
そして、クラスで最も顔の広い櫛田桔梗を通じて上級生に接触させ、プライベートポイントを対価に、過去の小テストと中間試験の過去問を買い取らせたのだ。
(……事前の裏取りは完璧だったはずだ)
綾小路は、騒ぐクラスメイトたちを視界の端に収めながら、内心で自身の敷いた布石を振り返っていた。上級生から過去問を買い取るにあたり、彼は念には念を入れ、直近で行われた小テストの問題も買い取って実際の出題と照らし合わせていた。
結果は、一言一句違わぬ完全な一致。上級生が嘘をついていないこと、そして学校側が問題を使い回しているという事実は、紛れもない真実として証明されていた。
だからこそ、綾小路は櫛田を通してDクラスの全員にその過去問を配布した。
これで赤点による退学者はゼロになり、Dクラスのポイントも底上げされる。
盤石の布陣を敷いたはずだった。
やがて、担任の茶柱佐枝が教室に入ってくる。
彼女の表情は相変わらず冷徹で、余裕を見せるDクラスの生徒たちを、まるで滑稽な道化を見るかのような酷薄な瞳で一瞥した。
「席に着け。これより一学期中間試験を開始する。筆記用具以外は鞄にしまえ」
プリントが配られ、開始のチャイムが学校中に鳴り響いた。
一斉に問題用紙がめくられる音が教室に響く。池や山内、須藤たちは、問題用紙を一瞥するなり「よっしゃ!」と心の中で叫んだことだろう。
彼らの目には、昨日徹夜で暗記した過去問と全く同じレイアウト、全く同じ文章が並んでいるように見えたはずだからだ。
彼らは迷うことなく、記憶の引き出しから答えだけを引っ張り出し、凄まじいスピードで解答欄を埋め始めた。
しかし。
開始からわずか数分後。自力で試験を突破できる学力を持った「成績優秀者」たちの間で、次々と異変が起き始めた。
(……なんだ、これは?)
綾小路清隆のペンが、ピタリと止まる。
彼が目を落とした数学の問題。一見すると、事前に目を通した過去問と全く同じ図形、同じ方程式に見える。だが、彼の常人離れした計算能力と観察眼は、その問題に潜む「致命的な相違点」を即座に見抜いていた。
過去問では『x + y = 10』だった条件式が、『x - y = 10』にすり替わっている。
選択問題であれば、選択肢の内容がわずかに書き換えられ、正答が『ア』から『ウ』へと反転している。
それは、問題をただ暗記しただけの人間には絶対に気づけない、しかし、問題を正しく理解し、自力で解き進める者であれば必ず気づくレベルの「巧妙な改ざん」であった。
(数字が、条件が……すべて僅かに書き換えられている。過去問の解答をそのまま書けば、100パーセント『誤答』になるように作られている……っ)
綾小路の背筋に、冷たい汗が伝った。
視線を僅かに動かすと、隣の席の堀北鈴音が、顔を真っ青にして問題用紙を睨みつけ、ギリギリと歯を食いしばりながら猛スピードで計算を一からやり直しているのが見えた。
少し離れた席では、学力トップクラスの幸村輝彦が、信じられないものを見るような目で問題用紙と睨み合い、額に脂汗を浮かべている。クラスのまとめ役である平田洋介も、ペンの動きを止め、震える手で何度も問題文を読み返していた。
彼ら成績優秀者たちは、気づいてしまったのだ。
自分たちが頼りにしていた過去問の解答が、この試験においては「確実な死へ導く毒薬」であることに。
だが、絶望の淵に立たされていることすら気づいていない者たちがいる。
須藤、池、山内、そして他4名の、計7名の赤点候補たちだ。
彼らは問題をまともに読むことすらしていない。
ただ「問1はA、問2は15」というように、暗記した文字列を嬉々としてマークシートや解答欄に書き込んでいる。開始から二十分も経たないうちにすべてを埋め終え、机に突っ伏して余裕の居眠りすら始めていた。
(……やられた。完全にハメられた)
綾小路は、無表情な仮面の下で、自身の想定を遥かに上回る『何者かの悪意』に戦慄していた。
小テストで裏取りをしたのは事実だ。上級生が嘘をつく動機もない。ならば、この状況の答えは一つしかない。『上級生がDクラス(あるいは他クラス)に過去問を渡す直前のタイミングで、何者かが偽物の過去問データへすり替えた』ということだ。
そんな真似ができる存在。そして、それを実行するだけの圧倒的な資金力、行動力、そして他クラスを陥れるという残忍なまでの先見性を持った存在。綾小路の脳裏に、入学初日にクラスを完全支配し、絶対的な王として君臨したというAクラスの怪物、不士鳥リアヴェルとその取り巻きの影がよぎる。
(学校のシステムを利用するだけでなく、ルールの裏で自ら罠を創造し、ばら撒いたというのか。……なんという悪辣な盤面操作だ)
だが、すべては後の祭りである。
綾小路がいくら真実に勘づこうとも、試験中のこの状況で、眠っている池たちを叩き起こし「解答が違う」と教えることなど不可能なのだ。
そして——無情にも、最初の試験科目の終了を告げるチャイムが鳴り響いた。
「解答やめ。後ろから答案を回収しろ」
茶柱の指示で答案が回収され、彼女が教室から出て行った直後。
「よっしゃああああっ!! マジで過去問通りだったぜ! 俺、試験開始10分で全部解き終わったし!」
「俺も俺も! 満点余裕だわー、櫛田ちゃんマジで神!」
池と山内が立ち上がり、大声で歓喜の声を上げた。
須藤も大きく伸びをして、満足げに笑っている。
しかし、彼らのその明るい声は、成績優秀者たちの放つ氷のように冷たい空気によって、瞬時に凍りつかされた。
「……あなたたち、まさか……本当に、あの過去問の解答をそのまま書いたの……?」
静寂を破ったのは、青ざめた顔で立ち上がった堀北鈴音だった。
その声は、怒りよりも深い絶望に震えている。
「へっ? ああ、書いたぜ。一文字も間違えずに完璧にな! だって問題全く同じだったし!」
「……馬鹿な。お前たち、本当に頭の中身が空っぽなのかッ!?」
幸村輝彦が、机を激しく叩いて立ち上がった。
彼は血走った目で池たちを睨みつける。
「あ、なんだよ幸村! 僻みか!?」
「問題文をよく読めと言っているんだ、この能無しどもがッ! 数字が! 条件が! 過去問とは微妙に全部違っていたんだよ! 過去問の答えをそのまま書いたら、全部不正解になるように仕組まれていたんだッ!!」
「……は?」
幸村の怒号に、須藤たちの動きがピタリと止まった。
「平田くん……嘘だよね? 今、幸村くんが言ったこと……」
「……ごめん。幸村くんの言う通りだ。僕も解きながら違和感に気づいた。問題の構造は同じだけど、数字が意図的に書き換えられていた。……過去問の丸暗記じゃ、一点も取れない」
平田洋介が、苦渋に満ちた表情で事実を突きつける。
その瞬間、池、山内、須藤、そして過去問に完全に頼り切っていた他4名の生徒の顔から、一瞬にして血の気が引いた。
「う、嘘だろ……? だって、だって櫛田ちゃんがくれた過去問は……!」
「私……私、何も知らないっ……! 先輩からは、これが去年の過去問だって、そう言われて渡されただけで……っ!」
名指しされた櫛田桔梗が、パニックに陥り、両手で顔を覆って涙声で弁明する。
彼女自身も被害者だ。だが、絶望の淵に突き落とされた人間にとって、理屈など関係ない。
「ふざけんなよ!! 櫛田、お前、わざと偽物を掴まされたんじゃないだろうなッ!?」
「ひっ……!」
須藤が血走った目で櫛田に詰め寄る。
平田が慌てて間に入り、「落ち着くんだ須藤くん! 櫛田さんも騙されたんだ!」と制止するが、一度火のついた阿鼻叫喚の嵐は誰にも止められなかった。
「どうすんだよこれ!? これじゃあ俺たち、赤点確定じゃねえか!!」
「退学!? 嘘だろ、初月でポイントゼロにされて、その上退学なんて……っ!!」
「誰のせいだ!? 誰がこんな偽物を回したんだよ!!」
教室内は、完全なパニック状態に陥った。
責任のなすりつけ合い、罵り合い、泣き叫ぶ声。ほんの十分前までの余裕など見る影もない。そこにあるのは、自らの無能さと甘さを突きつけられ、見えない死刑宣告を受けた者たちの見苦しい惨劇だった。
(……見事な手際だ)
綾小路は、狂乱するクラスメイトたちを静かに見つめながら、自らの不手際を認めた。
誰が仕掛けたにせよ、相手はDクラスが過去問に頼るという思考を完璧に読み切り、それを利用して「確実に赤点を取らせる罠」を緻密に組み上げた。
Dクラスは、まんまとその毒入りの林檎を齧り、自壊したのだ。
キィン、コォン、カァン、コォン……。
その時、二時間目の開始を告げる無情なチャイムが、地獄と化した教室に鳴り響いた。
「あ……ああ……」
山内がその場にへたり込む。池は頭を抱えて震え、須藤は自身の机を力任せに蹴り飛ばした。
まだ、試験は一つ目が終わったばかりだ。残りの科目も受けなければならない。
だが、すでに一つ目の科目で「致命的な赤点」を確信してしまった彼らに、残りの試験に挑む気力など残されているはずもなかった。
自分たちはもう終わっている。退学は免れない。
そんな絶望的な確信を胸に抱いたまま、Dクラスの生徒たちは、死人のような顔で次の問題用紙を受け取るのだった。
それは、実力至上主義という箱庭において、上位の捕食者(悪魔)が下位の獲物を弄び、一方的に蹂躙したという、残酷で一方的な惨劇の結末であった。