ようこそ不死鳥の舞う教室へ   作:Gemini&指示出す人間

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第二十話「不死鳥と仮面の少女」

 山村美紀が『騎士』の悪魔の駒(イビルピース)を受け入れ、不死鳥の眷属として新生を果たした夜。美紀は自身の両手を見つめ、信じられないというように何度も瞬きを繰り返した。

 

「これが……悪魔の、力……」

 

 体中に満ち溢れる、これまでの人生で一度も感じたことのない圧倒的万能感。ひ弱で、体育の授業でもすぐに息切れしていた人間の身体とは全く違う。羽のように軽く、それでいてどこまでも力強く、活力が湧き上がってくる状態に美紀は感嘆していた。

 

「気分はどうだ、美紀」

「あ……はい。なんだか、体がすごく軽くて……私じゃないみたいです」

 

 玉座のような一人掛けのソファに座るリアヴェルが、優雅に脚を組みながら問いかけると、美紀は頬を紅潮させて答えた。

 そしてリアヴェルは満足げに頷き、彼女に求める『在り方』を明確な言葉として紡ぎ出した。

 

「君に与えた『騎士』の特性は、圧倒的な機動力と速度だ。君が元々持っている気配を消す特性に、悪魔の魔力と騎士のスピードを合わせ極めれば、もはやこの世界において君を捕捉できる者は誰一人としていなくなるだろう」

「私が、誰にも見つからない……」

「そうだ。私が君に求める役割は、私のための『不可視の情報収集要因』。そして、いざという時には敵の喉元を音もなく搔き切る『暗殺者』としての働きだ。……できるか?」

 

 暗殺者。

 その血生臭い単語に、美紀の肩がビクッと跳ねた。彼女は争いごとを避け、ただ息を潜めて生きてきただけの平凡な女子高生である。いかに悪魔の力を得たとはいえ、誰かを傷つける、あるいは命を奪うといった行為への根源的な恐怖と不安は、容易く拭い去れるものではなかった。

 美紀の瞳が激しく揺れ動き、その顔に不安の影が落ちる。

 

「私に、そんな恐ろしいこと……。もし、失敗して、不士鳥くんの……リアヴェル様の足を引っ張ってしまったら……」

「案ずることはありませんよ、美紀さん」

 

 不安に押し潰されそうになる美紀へ、横から穏やかな、しかし確かな自信に満ちた声がかけられた。紅茶のカップを置いた坂柳有栖である。

 

「あなたはまだ、ご自身の得た力がどれほど強大なものか理解していないだけです。人間としての常識や倫理観は、私たちがこれから少しずつ取り除いてあげますから」

「坂柳、さん……」

 

 有栖は美紀のそばまで歩み寄り、その手を優しく握った。

 

「リアヴェルくん。山村さんの『教育係』、私に任せていただけませんか?」

「ほう。有栖がか」

「ええ。彼女の気配遮断の技術は素晴らしいですが、有意義な情報を的確に収集するためには、人間心理の理解や、情報戦におけるセオリーといった『知識』が不可欠です。どこに秘密が隠されているか、ターゲットの視線や小さな仕草から何を読み取るべきか。そういった人間的知識や心理学の分野は、私が徹底的に彼女へ叩き込みます」

 

 有栖の提案は、極めて合理的であった。

 物理的なステルス能力だけでは、ただの「見えないカメラ」に過ぎない。しかし、有栖の持つ天才的な分析力と心理学の知識を美紀にインストールすれば、彼女は敵の弱点を最も正確にえぐり出す「完璧なスパイ」へと変貌を遂げる。

 

「なるほど、悪くない提案だ。ならば、魔法や悪魔としての基礎的な力、そして戦闘のいろはについては、私が君たち二人に同時に教えよう」

 

 リアヴェルがそう結論づけると、美紀は握られた有栖の手を見つめ、そして主であるリアヴェルへと視線を向けた。

 怖い。不安だ。自分にそんな大役が務まるのだろうか。

 しかし、それ以上に——自分を求め、自分を導いてくれるこの美しく強大な二人の期待を裏切ることなど、彼女には絶対にできなかった。

 

「……やります」

 

 美紀はこれまで見せたことのないような強い決意を宿した瞳でリアヴェルを見据えた。

 

「私、リアヴェル様のためなら、何でもします。どんなに恐ろしいことでも、それがリアヴェル様の望みなら、私……必ずやり遂げてみせます。だから、私を見捨てないでください」

「はははっ! 良い目になったな、美紀。見捨てるものか。君は私の眷属で、最も鋭く輝く刃になるのだからな」

 

 こうして、美紀の新たな生活が幕を開けた。

 昼間は高度育成高等学校の1年Aクラスの生徒として、今まで通り気配を消して学生生活を送る。そして、放課後から夜明けにかけては、リアヴェルの私邸へ転移し、苛烈な『悪魔修行』に身を投じる。有栖からは高度な読心術や情報分析の手法を学び、リアヴェルからは魔力の操作や高速移動の技術を叩き込まれる。悪魔となったことで睡眠時間はごく僅かで済むようになり、美紀は乾いたスポンジが水を吸うように、次々と異次元の知識と力を吸収していったのである。

 

 美紀の悪魔生活が始まり、有栖による英才教育が軌道に乗り始めた数日後の昼休み。リアヴェルは一人、静寂に包まれた学校の図書館へと足を運んでいた。

 書架の奥、木漏れ日が差し込む窓際の席。彼は分厚いハードカバーの歴史書や、世界各地の神話伝承に関する文献を机に積み上げ、優雅な手つきでページを捲っていた。

 人間の歴史書や神話伝承を読み解くことは、彼の密かな趣味の一つであった。

 神々や悪魔、天界や冥界での出来事が、人間の矮小な視点と伝言ゲームによっていかに歪曲され、滑稽な御伽噺へと変貌していったのか。それを答え合わせのように確認する作業は、人間界という退屈な箱庭におけるちょっとした暇つぶしに最適だったからだ。

 

「……ふむ。こちらの伝承でも、我がフェニックスはただの鳥として描かれているか。まあ、人間にあの不死の炎の真髄が理解できるはずもないが」

 

 リアヴェルが小さく息を吐き、次のページへ指を掛けようとしたその時である。

 

「あ、あの……。不士鳥、くん……だよね?」

 

 書架の陰から、遠慮がちに、しかし男の庇護欲を的確に煽るような甘い声が鼓膜を打った。

 リアヴェルが視線を向けると、そこには両手を胸の前で小さく組み、少し上目遣いでこちらを見つめる少女が立っていた。

 Dクラスのアイドル的存在であり、男女問わず絶大な人気を誇る少女——櫛田桔梗である。

 

「……君は、たしかDクラスの」

「うんっ。櫛田桔梗だよ。覚えててくれたんだ、嬉しいな」

 

 櫛田は花が綻ぶような愛らしい笑顔を浮かべた。

 しかし、その右頬には先日の中間試験直後に、激昂した須藤から殴られた痛々しい青痣が未だに残り、白いガーゼが当てられている。天使のように可憐な容姿と、その痛々しい傷跡のアンバランスさが、彼女の持つ魅力をより一層引き立てていた。

 

「実はね、不士鳥くんにちゃんとお礼を言わなくちゃって思って、ずっと探してたの」

「お礼?」

「うん。この前の……須藤くんが暴れた時。不士鳥くんが来て、須藤くんを止めてくれなかったら、私、もっと酷い怪我をしてたかもしれない。あの時は本当に怖かったけど、不士鳥くんが助けてくれたから……本当に、ありがとう!」

 

 櫛田はペコリと深く頭を下げた。

 その拍子に、制服のブラウス越しに彼女の豊満な胸元が柔らかく揺れる。

 計算し尽くされた、男の視線を誘導する完璧な所作。顔を上げた彼女の瞳は、純粋な感謝と、リアヴェルに対する憧憬の光で満ちていた。

 

(……ほう。自分から私の懐に飛び込んでくるとはな)

 

 リアヴェルは、表情には一切出さず、ただ静かに目の前の少女を観察していた。

 彼は本を閉じ、ゆっくりと背もたれに寄りかかると、柔らかな微笑みを浮かべて彼女の言葉に応じた。

 

「礼を言われるようなことはしていないよ。私はただ、無能な者たちの見苦しい騒ぎが耳障りだったから黙らせただけだ。君を助ける意図があったわけではない」

「ふふっ、不士鳥くんって、少しぶっきらぼうだけど、優しいんだね。……私、そういう人、嫌いじゃないな」

 

 櫛田は一歩、リアヴェルへと距離を詰めた。

 彼女からふわりと漂う、甘く清潔なシャンプーの香り。至近距離で見つめ合う形となり、彼女の抜群のプロポーションと、手入れの行き届いた美しい顔立ちがリアヴェルの視界を埋める。

 

(——なるほど。見てくれは上等だ。モノにするのも、悪くない)

 

 リアヴェルの胸の奥で、血筋とも言うべきある種の『悪癖』がひっそりと顔を覗かせた。

 彼の兄であるライザー・フェニックスは、冥界でも有名な女好きであり、自身の眷属をすべて美女美少女で固めているという筋金入りのプレイボーイである。リアヴェル自身もまた、美しい女性を愛し、支配することにこの上ない悦びを感じる気質を受け継いでいた。

 目の前に立つ櫛田桔梗という少女は、造形だけで言えばこの学校でも間違いなくトップクラスだ。彼女を自らの腕の中に組み敷き、意のままに操る玩具としてコレクションに加えるのも一興。

リアヴェルはそんな女誑しとしての欲望をおくびにも出さず、完璧な貴公子の仮面を被ったまま、巧みな話術で彼女との会話を転がし始めた。

 

「君の傷は、もう痛まないのか? 恐怖というものは、肉体の傷が癒えても心に根を張るものだ。無理をして明るく振る舞う必要はない」

「あっ……不士鳥くん……」

 

 櫛田の瞳が、一瞬だけ潤んだように見えた。

 

「ううん、大丈夫だよ。確かにDクラスは今、最悪な空気だけどね。でも、私が落ち込んでたら、みんなもっと暗くなっちゃうでしょ? 私にできることは、笑顔でいることくらいだから」

「君は健気だな。Dクラスの連中にはもったいない娘だ」

「そんなことないよ! 私なんて、ただみんなと仲良くしたいだけの、普通の女の子だもん。……でもね」

 

 櫛田は少しだけ視線を落とし、儚げな、ひどく弱々しい声で呟いた。

 

「時々、すごく疲れちゃうんだ。誰も私の本当の気持ちなんて分かってくれないし、みんな自分のことばっかりで……。不士鳥くんみたいに、強くて頼りになる人が近くにいてくれたら、どんなに安心だろうって……そう思っちゃうの。あはは、ごめんね、変なこと言って」

 

 弱みを見せ、男の庇護欲をくすぐりながら、自身の価値を売り込むアプローチ。

 並の男子高校生であれば、この時点で完全に彼女の計算通りに恋に落ち、彼女を守るためのナイトを気取り始めるのだろう。

 しかし、リアヴェルは違った。彼は甘い言葉を交わしながらも、悪魔としての鋭敏な感覚と冷徹な知能をもって、櫛田桔梗という人間の『心理分析』を水面下で徹底的に行っていたのだ。

 

(呼吸、心拍数、瞳孔の開き具合、微細な表情筋の動き。……ふむ。見事なものだ)

 

 言葉を交わせば交わすほど、リアヴェルの眼は、彼女の「笑顔」の裏側にある異質な真実を捉え始めていた。

 彼女の笑顔は、心の底から湧き出たものではない。他者を魅了し、自身の好感度を上げるために、ミリ単位で調整された『完璧な仮面』である。

 そして何より、彼女の内から発せられる熱量が異常だった。

 純粋な感謝など一ミリも存在しない。彼女の腹の底にあるのは、Dクラスという泥船から逃げ出し、自分という絶対的権力者の懐に潜り込むことで安全とステータスを確保しようとする、極めて利己的でドス黒い野心。だが、リアヴェルが真に興味を惹かれたのは、彼女のその打算的な計算高さではなかった。

 

(この女……異常なほどの『承認欲求』の塊か)

 

 リアヴェルは、彼女の言葉の端々、そして態度から、彼女の行動原理の根幹を完璧に見抜いていた。彼女がDクラスで聖女を演じているのも、こうしてリアヴェルに近づいてきたのも、単なる保身や金銭的利益のためではない。『誰からも愛されたい』『一番になりたい』『優位に立ちたい』。そんな、自己の存在価値を他者からの評価に全振りした、病的なまでの巨大な承認欲求。それが彼女という人間を突き動かす唯一の原動力なのだ。

 

(このドス黒いヘドロのような欲望と、他者を見下す傲慢さを抱えながら……それを周囲に微塵も悟らせず、365日、周囲に好かれる『人間』を演じているのか)

 

 リアヴェルの胸の奥で、ゾクッとするような歓喜の震えが走った。

 通常、人間がこれほどの自己矛盾とストレスを抱え込めば、必ずどこかで精神が破綻する。

 ドス黒い本性と、純白の仮面。そのギャップが生み出す摩擦に耐えきれず、自壊するのが人間の脆弱さだ。しかし、目の前にいる櫛田桔梗という少女は、その常軌を逸した巨大な承認欲求を、信じられないほど強靭な『鋼の自制心』によって完璧に覆い隠し、コントロールしている。

 

(面白い。狂気と隣り合わせの執念。自己を偽り続けるための、鋼鉄の如き意志の力。この女、一見するとただ打算的な女狐だが、その精神構造は極めて特異で、悍ましいほどに力強いな)

 

 リアヴェルは、櫛田桔梗という少女の持つ異常性に、心からの賞賛を送った。

 有栖のような生まれ持った天才とも違う。美紀のようにあるがままの得意性とも違う。己の欲望を満たすために、己の心すらも表面上は完璧な仮面でコーティングする怪物。

 

「不士鳥くん……? どうか、した?」

 

 黙り込んだリアヴェルを不安に思ったのか、櫛田が小首を傾げて顔を覗き込んでくる。

 リアヴェルはふっと、どこまでも甘く、そして抗いがたい魔性を含んだ笑みを浮かべた。

 

「いや。君のあまりの健気さに、少し見惚れていただけだ」

「えっ……」

 

 予期せぬストレートな褒め言葉に、櫛田の頬が(今度は計算ではなく)微かに熱を帯びた。

 

「桔梗。そう呼んでも構わないかな?」

「う、うん。もちろん……そしたら私もリアヴェルくんって呼ぶね?」

「ああ。君がどれほど辛い思いをして、その笑顔の下に何を隠しているのか……可愛い桔梗」

 

 リアヴェルは席から立ち上がり、櫛田の目の前まで歩み寄ると、彼女の髪にそっと触れた。

 ビクッと櫛田の肩が震える。リアヴェルの言葉が、ただの口説き文句なのか、それとも自分の『本性』を見透かしているのか、彼女の優秀なセンサーが警鐘を鳴らしたのだ。

 だが、リアヴェルが放つ圧倒的な雄の色香と、彼という存在がもたらす巨大な利益を前にして、彼女の承認欲求は逃げることを許さなかった。

 

「君が本当に安らげる場所を探しているというのなら、いつでも私のところへ来るといい。君のように美しく、そして『努力家』な少女を、私は決して無碍にはしないからね」

「リアヴェル、くん……」

 

 初めて名前で呼ばれ、甘く囁かれた言葉に、櫛田は完全に彼のペースへと呑み込まれていた。

 もちろん、リアヴェルは彼女が自分を利用するために近づいてきたことなど、百も承知である。むしろ、自ら進んで虎の尾を踏みに来る彼女の強かさが、面白くて堪らない。

 

(せいぜい私に媚び、利用しようと足掻くがいい、桔梗。君のその完璧な仮面を、私が一枚ずつゆっくりと剥ぎ取り、究極の承認欲求が絶望と快楽に塗り替えられる瞬間を……たっぷりと味見してやろう)

 

 リアヴェルは、彼女をいずれ自らの腕の中に組み敷き、身も心も完全に支配するための青写真を脳内に描きながら、さらなる交流を図ることを決意した。

 悪魔の王と、鋼の自制心を持つ仮面の少女。静かな図書館の片隅で、互いに腹の底に真っ黒な欲望を隠したまま、二人の極めて危険で甘美な関係が、今まさに静かに幕を開けたのであった。

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